2025年12月9日発売となった『ミラノのアルバイトこれくしょん』。対応プラットフォームはNintendo Switch 2、Nintendo Switch、PS5、PS4、XSX|S、XB One、PC。
※Nintendo Switch 2 アップグレードパスは近日配信予定、価格未定![[IMAGE]](https://cimg.kgl-systems.io/camion/files/famitsu/58651/afece0a0a496f581cd4c651258ac8c5da.jpg?x=767)
本作は、1999年に日本で発売されたプレイステーション向けタイトル。中古市場で長年プレミア価格となっていた“隠れた名作”というべきタイトルが、現代向けにブラッシュアップされ登場。
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移植作業はImplicit ConversionsとHilltop Worksのタッグで行われ、独自エンジンを用いつつ、ゲームへの深い情熱と独自の技術を併せ持つ熟練チームによって移植が実現された。
そんな『ミラノのアルバイトこれくしょん』の原作クリエイターである西澤氏に独占インタビューを実施。本作の開発の思い出や、還暦を過ぎてもなお現役のゲームクリエイターである同氏に、往年のゲーム開発現場や最近のゲーム業界に思うことなどについても語ってもらった。
西澤龍一氏(にしざわりゅういち)
1964年生まれ。18歳で株式会社テーカン(のちのコーエーテクモゲームス)に入社し、アーケードゲームの企画とドットグラフィックを担当。ユーピーエルに転職後、独学でプログラムを学び、プログラマー兼ゲームデザイナーとして『忍者くん 魔城の冒険』などのアーケードゲームを開発。その後起業してウエストンビットエンタテインメントを設立。アーケード版『ワンダーボーイ』、家庭用ゲーム機版『モンスターワールド』シリーズなど、ディレクター兼ゲームデザイナーとして数々のゲームタイトルを手がける。1999年発売の『ミラノのアルバイトこれくしょん』では企画・原案を担当。現在はフリーランスのゲームデザイナーとして活動している。(文中は西澤)
ゲーム黎明期から活躍するクリエイターが語る想い
――西澤さんの代表作と言うと、やっぱり『忍者くん』(※1)、『ワンダーボーイ』シリーズ(※2)になるでしょうか? あと、『ワンダーボーイ』に別のキャラクターやBGMを載せた『高橋名人の冒険島』(※3)など。
西澤
そうですね、懐かしいですね(笑)。
――今回リマスターされた『ミラノのアルバイトこれくしょん』も西澤さんの作品だったのですね。
西澤
そうなんです、これに関してはほかの作品と異なり、ディレクションをしたわけではなく、企画・原案という立場ですが。
――若い読者に向けて簡単に西澤さんの経歴をご紹介いただいてもいいでしょうか。
西澤
はい。1980年代からゲームセンター向けのアーケードゲームの開発からゲーム業界に入ってます。そこから家庭用タイトル、モバイル、オンラインゲーム開発もやってきましたし、40年ぐらいゲーム業界にいるので、よく「レジェンド」って言われるようになったんですけど、最近はやっとその言われかたにも慣れてきたかなというような状況です(笑)。
※1『忍者くん 魔城の冒険』……1984年稼動のアーケード用縦スクロールアクションゲーム。1985年にファミリーコンピュータ版がタイトーから発売され、大ヒットに。※2『ワンダーボーイ』シリーズ……1980年代から1990年代にかけてウエストンが開発、セガが発売した、横スクロールアクションゲーム。※3『高橋名人の冒険島』……『ワンダーボーイ』のキャラクターやBGM、グラフィックを差し替えて、ハドソン(当時)が家庭用ゲーム機向けに移植。高橋名人の人気も追い風となり、大ヒットに。![[IMAGE]](https://cimg.kgl-systems.io/camion/files/famitsu/58651/a2420df4afb2b935497ae636238ec25ff.JPG?x=767)
西澤
こんな感じで、日本のゲーム産業の歴史を間近で見てきたゲームクリエイターの中で、数少ない現役のひとりではないかなという気がしています。
――ありがとうございます。今回移植リリースされる『ミラノのアルバイトこれくしょん』ですが、当時どのようなコンセプトで制作されたか覚えてらっしゃいますか?
西澤
当時、ビクターインタラクティブソフトウェア(※4)にいた当時のプロデューサーといっしょに「何かやろうよ」という話になりました。偶然お互いに11歳の娘がいて、よくゲームを遊んでいまして。でも彼女たちが遊ぶゲームって男の子向けだったんです。
それを見た父親ふたりで「女の子用のゲームってあまりないから作るのはどうか」ということで、やってみたのがきっかけですね。非常に私的なところからの立ち上げかたをしています。11歳の女の子をターゲットにし、「彼女たちが喜ぶようなゲームってどんなゲームだろう?」ということを考え、ふたりで基本系のデザインを組み上げていったっていうのが発端です。
※4ビクターインタラクティブソフトウェア……1996年に日本ビクターの子会社として設立。2007年にマーベラスエンターテインメントに吸収合併される。![[IMAGE]](https://cimg.kgl-systems.io/camion/files/famitsu/58651/a6e3d076751223b5ea7d013484eaf011d.jpg?x=767)
『牧場物語』の第1作が1996年発売で、スローライフ系ゲームが出始め、この線はいけそうだなとビクターさん自身が感じ取っていたと思います。本作みたいな、戦いのないほかとはちょっと変わった作品を受け入れてくれる土壌がビクターさんにあったんです。ですので企画したときに、わりとすんなり、「やりましょう」という話になったのがけっこう大きかったかな。
――なるほど。この背景があって主人公は11歳の少女になり、彼女がアルバイトをこなしてひと夏を過ごすというような設定が決まっていったんですね。
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西澤
はい、そうですね。11歳の女の子は同じ歳の男の子よりも少し大人なんですよ。おしゃれやファッションに興味を持ったり、男の子とは違う方向性に興味を持っているっていうことは自分の家で感じていたので(笑)。そういうニーズを満たす夢のあるゲームにしようと話し合いましたね。
実際自分たちの娘にテストプレイをしてもらったりして感じたことをフィードバックしたりしてたので、エンディングのスタッフロールにスペシャルサンクスで娘たちの名前が載ってるんですよ。ミニゲームも家を飾り付けるところも、喜んで遊んでくれていたのは覚えてますね。
――本作ではディレクションをしなかったとのことですが、それは何か理由があったのでしょうか。
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西澤
いつもは基本的に僕自身が手掛けるんですけど、今作は最初から大空真紀さん(※5)をプロデュースするというようなイメージで進めてたからです。彼女がアートディレクションをしていて、基本的なキャラクターデザイン、アニメーションの線画も原画も全部彼女が書いているんですけれども、大空さんの個性を生かして、力を発揮できる環境を作ろうというところを重視していたので。
それもあってゲーム制作の前線から1歩引いて作ることができたという感じですね。
※5大空真紀……CGデザイナー。『モンスターワールド4』や『ミラノのアルバイトコレクション』のキャラクターデザインを担当。――登場するかわいらしいキャラクターであるとか大空さんの世界観や魅力を100パーセント引き出そうとした結果、うまくハマったということですね。
西澤
そうですね、たぶん大空さんの中でもあんなにいっぱい原画を描いたゲームは珍しくて、これがいちばん多いと思うので(笑)。彼女自身もすごく思い出深いタイトルなんじゃないかな。
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作中では、コミカルなミラノのドットアニメーションが見られる。
――いろいろなミニゲームがありますが、お気に入りのものはありますか?
西澤
“ミルク絞り”に登場する牛が好きなんですよ。
このミニゲームは確か、僕がけっこう口を出して作っていたような気がしてます。かわいい牛が空を飛んでいるんですね。あれがいちばんこのゲームらしいところだと思うし、あの当時のゲームがどれだけ自由に作れたかっていうのを表現してると思います。
――空飛ぶ牛からたくさんミルクを絞るミニゲームですよね。
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西澤
ああいう、動物がいっぱい出てくるような映像があるといいなと思って(笑)。
ふつうのミルク絞りだと、ミラノちゃんがしゃがむ構図になってしまい、見た目がかっこいい絵にならなかったんですよ。「じゃあ上にあげればいいじゃない」、となって牛を飛ばすことにしました。
――ふふ。突然のメルヘン。
西澤
かわいいでしょ(笑)。牛に羽が生えてても「それ、おかしくない?」っていうスタッフがまわりにいなかったっていうところがとてもよかったなと思いますね。現代の開発現場だったらたぶん言われるんじゃないかな。
プレミア価値がついた背景
――本作が中古市場でプレミア価格がついているとのことですが、その件についてはご存知でしたか。
西澤
これは知っていました。確か、結果的に20000本も売れていなかったんじゃないかな? このゲームを作ったとき、プロデューサーはまわりから「11歳の女の子をメインにしたゲーム市場なんてありませんよ」て言われてたらしくて(笑)。
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西澤
そんな背景があって貴重品になり数年後にプレミアがついたという話は知ってました。
――それでも、今回は熱望されて再販にいたったとお聞きしましたが?
西澤
海外の方たちから、「私たちも遊びたいから再販してほしい」という声が大きくあがったんです。でも、あのころ作ったのは日本語版だけでしたし、現実的にはきびしいだろうなあと考えていました。
それでも、今回ゲーム開発ができる方たちが熱意を持って「移植をさせてほしい」と言っていただけたからこそ、販売にいたりました。
――たくさんの方々の熱意によって実現した再販のお話を受けたとき、どのように感じられましたか。
西澤
とてもうれしいことだと思いましたね。
最近、過去に作ったゲームがこうやってリバイバル再販されたり、新しいプラットフォームに移植して発売っていうことが起きてきているので、「『ミラノのアルバイトこれくしょん』も再販されないかな」とは思っていました。
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西澤
このゲームはウエストン(※6)という会社で作ったゲームのなかで、いちばんドットのアニメーションが凝縮されていると思うんですよ。それぐらい手描きで描いたアニメーションがこんなにたくさん入っているゲームは、いまももしかしたらないんじゃないかと思っています。
あれだけの量のドット絵が入っているところが、ピクセルアートがひとつの芸術として認められるようになってきた昨今、本作の魅力として非常に高く評価されているのだと思いました。
※6ウエストン……開発会社ウエストン ビット エンタテインメントの略称。1985年に西澤龍一氏が石塚路志人氏とともに設立。――当時とてもクオリティ高く作った部分が、いま改めて評価されている、と。
西澤
あのころ、あんなに一生懸命作ったのが、やっと報われた感がします。映像を見て何より驚いたのが音声が出て、英語でしゃべって、しかも声が日本語版のミラノちゃんにそっくりだったんです。
――確かに!
西澤
きっとすごく選んでくれたんだなと思いまして。
ここまで一生懸命やってくれたのかと思うとちょっとうれしかったです。
――最近、本作のような “コージー系”と呼ばれるのんびりとした雰囲気のゲームが人気ですが、その理由はそれぞれどういう風にお考えですか。
西澤
このゲームはどのポジションにいるのかと改めて確認できると思うと興味深いです。
そもそも今回で初めて“コージーゲーム”っていう言葉を知ったので、当時はそういったジャンルはなかったですから特段意識して作ってはいないですけどね(笑)。
PSで起こる“バグ”はすべてウラ技だった……のか?
――西澤さんはアーケード、家庭用ゲーム問わずとても多くのハードで開発経験がおありになりますが、プレイステーション(以下PS)向けソフトの開発というところで印象的な思い出はありますか?
西澤
PS1からプラットフォーマーによるQA(※7)チェックが入って、重大なバグの発見時には再納品する手続きが導入されたことですかね。
※7QA……Quality Assurance(品質保証)の略。ゲームが仕様通りに動作するか、不具合(バグ)がないか、プレイヤーが満足できる品質かなどを検証し、品質を保証するための活動全般 おそらくですが、PS1からゲーム業界人や開発の人にとって、非常に新しい作りかたをすることになったと思うんです。
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西澤
ライブラリーが初めからいっぱいあって、3Dのゲームは簡単に作れるというところは初めは衝撃的だったんですけれども、それ以上に、「ゲームも家庭用の製品だから、バグがあってはいけない」という発想、思想が初めて導入されたと思います。
それまではそんな発想があまりなく、ゲームが完成するとせいぜい開発部内でバグがないかチェックして、おおよそなければオーケー……というのがふつうでした。
もしもバグが残っていても「それは、ウラ技です」ということにしたりね(笑)
――なるほど(笑)。
西澤
ですが、その手続きが導入されて、「バグはあってはいけないものだ」という考えかたに変わってしまったんです。
開発工程の最後にバグを潰していくっていう工程を、あのころは1ヵ月ぐらいやりまして。そういう工程がハードメーカーと共同で必ず入り、開発の形態が変わったというのがPS1に対しての印象ですね。
――プラットフォーマーから丁寧にバグを見つけてもらえるというのは、ソフトを作っている側からすると、ありがたい話では……?
西澤
ぜんぜんありがたくなくて。
――(笑)。
西澤
あのころまでは、そういう概念がそもそもないですから。それがゲームの自由度を上げてたというのもあったんですけれども、「ゲームはソフトウェア製品である」という認識すら薄かったかもしれません。
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西澤
カテゴリーが“ゲーム=家電製品”という風になってしまったので、安全性が重視されるようになりましたが、それを重視するとやっぱり失われるものがあったと思うんです。
ゲームの面白さよりも安全性を優先するという考えがそこから始まったのではないかと。つまり、バグが出ると納期が遅れて販売できない、だからおもしろいアイデアを思いついても、それを実装するのはやめようって、そういう堅実な発想をする人たちが増えていった。
あれは大きなターニングポイントだったんじゃないかなと、個人的には思っています。
――開発途中からではチャレンジしづらい空気が出てしまった?
西澤
そうですね。開発後半になったら新しいことしちゃダメみたいな雰囲気が。それまでは、開発後半になってもおもしろいことを思いついちゃったから「これやらない?」みたいな思いつきもあったんですけど、そういうことをやりにくくなってしまいましたね。
予定を過ぎることは日常茶飯事!? でもいいゲームを作れていたワケ
――『ミラノのアルバイトこれくしょん』の場合、開発にはどのくらいの時間が掛かりましたか。
西澤
1年で作る予定が1年半ぐらい掛かっていた気がしますね。だいたいウエストンの作るゲームは当初の予定より時間が掛かるんです。
――それは……大丈夫なんですか?
西澤
時間は掛かってもきちんと作ったものが思ったより売れるということのほうが多かったので、それでリカバリーしていました(笑)。“ちゃんとしたゲーム”を作ろうということを重視していた会社だったので再販の話が出てくるのかなと思います。
――その“ちゃんとしたゲーム”というのは、人によっていろんな受け取りかたがあると思うのですが、ウエストンのなかではどういうゲームが“ちゃんとしたゲーム”という風にとらえられていたのでしょうか。
西澤
鋭い質問ですね(笑)。いまはむしろ何が“ちゃんとしたゲーム”かということを考えることはもうできないかなと思いますね。
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西澤
当時は、いまみたいに、世の中のほとんどの人がゲームをしているわけではない時代でした。だからこそ、ゲーム好きな人たちが、“ゲームの定義”みたいなものを暗中模索していました。じょじょにゲームをする人が増えて、遊ぶ人が広がりましたから、プレイヤーの遊びかた、受け取りかた、考えかたも広がって、すべてのひとにとって“ちゃんとしてるゲーム”は存在しなくなった。
それでもあえて“ちゃんとしてるゲーム”を定義するなら、作り手が作りたいものをつくっているゲームが“ちゃんとしてるゲーム”だといえるかもしれません。
――そのころはアイデア先行でゲームを作るという空気が残っている時代だった?
西澤
いまでいうインディー的な空気が開発現場に残っていたからこそでしょうね。あと、いまは何よりもゲームを遊ぶ人が増えたのが大きいと思います。
プレイステーション2のころから、開発期間も伸びますし、ワークステーション(※8)を使うようになったり、開発自体にどんどんお金が必要になっていきました。たくさんの人が遊ぶようになり、定義も細分化されていくと、最終的にどこに向けて売るかという概念になっていったんです。
以前は、“クリエイターが作りたいものを市場が追いかける”という形でした。いまは逆になっていますよね。かつてはまだ狭い世界だったからこそ、自由に発想ができたのだと思います。
※8ワークステーション……CADや映像編集、科学技術計算など、専門的で負荷の高い作業を行うための高性能なコンピューター。昔にあって、いまないものは?
――せっかくなので少し広く、現在のゲーム業界に感じることなどもお伺いしたいと思います。本作が発売された1990年代、あるいはそれ以前も含めて、そのころのゲームにあって最近のゲームに乏しいと感じるというものはありますか。
西澤
『ストライダー飛竜』の四井浩一さん(※9)と最近いまのゲームには何が足りないっていう話をするんですけど、話していておもしろいなと思ったのが、いまは“ジャンルの開拓をしなくなった”ということですね。ゲームクリエイターがやるべきは“ジャンルの開拓”なんじゃないかと。
どんな時代でもプレイヤーは、新しい体験がしたいはず。新しい体験を提供するためには、いままで誰も作っていない部分がなければいけないんです。“生み出す”ということをつねに考えていかないといけないのに、それがなくなってきているのではないか。
「これを入れてもわからないんじゃないか」とか、「プレイヤーはついてきてくれないんじゃないか」みたいな発想をした時に、冒険するかしないかというところが大きな分岐点になると思うんです。確かにそれをやると危険かもしれないけども、もしうまくいけば、新しいものを生み出せるかもしれない。そういうアイデアを応援してくれる環境とその環境作りが重要な気がするから。
※9四井浩一……『ストライダー飛竜』の製作者。ゲーム企画・シナリオ・デザイン・映像演出と活動は多岐に渡る。――環境というのはプロデューサー、あるいはゲームファンということですか。
西澤
そうですね。いま、とくに日本のゲームパブリッシャーは、ゲームをやる人との距離が離れすぎてると思うので、近づけるっていうことをした方がいいと思っています。“近づける=ゲームファンのいうことをそのまま聞く”ではなく、“いい意味で裏切る”ことのはずなんです。
彼らに新しい体験をしてもらうなら、僕たちクリエイターが新しいことを考えて提案をするようなコミュニケーションは本来あることで、距離が近づくといった流れが必要だと思います。
――そういった問題意識を持ちつつ、現在、西澤さんが開発されている作品もあるのでしょうか。
西澤
最近はスペインの開発スタッフといっしょに仕事しています。今度新しいプロジェクトを立ち上げようとしていて、もうすぐ発表できるかなと。
もともと国際チームでゲームを作りたいということはずっと考えていたので、それが実現しそうというところです。自動翻訳を使うと、テキストでやり取りするぶんには、もう言語の壁がほとんどないですね。
ただ、それ以外に習慣的、文化的な背景の違いで、「え!?」ということはあるというところの解決が課題ですね。
――たとえば?
西澤
やっぱり日本人は几帳面すぎるんだと思います(笑)。
――(笑)。
西澤
何ごとも綿密に計画してチームで十分に共有しながら進めるクセがありますよね。それが当たり前だと思っていると彼らの臨機応変で柔軟な進め方に驚かされる場面に遭遇します。どちらが良いとか悪いとかじゃなくて、同じ結果に至るまでの過程が違うんですね。
過去の熱意は現在に伝わり、そして未来へ
――改めて『ミラノのアルバイトこれくしょん』はどのような方にプレイしてほしいですか。
西澤
まず、僕のところに直接『ミラノのアルバイトこれくしょん』を遊びたいからもう1回作ってくださいと言ってくれた彼らに「遊べるようになりました!」と伝えたいですね。
そして、現行ハードに移植し現代版にブラッシュアップし発売してくれるXSEED Gamesの皆さんやマーベラスの皆さんに本当にお礼を言いたいです。いちばんに遊んでもらいたい人たちはこの方々かな、と。
あと、ピクセルアートに関心の強い人たちに遊んでもらいたいな。26年前だからこそ作ることができた、というのはあるかもしれないんですけれども、ここまでドットに執着して作っているゲームってあまりないと思うんですよ。それを当時に作っていたというところも見てもらえればなとは思いますね。
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――最後に、西澤さんにとって『ミラノのアルバイトこれくしょん』はどのような作品なのか、いま感じている思いをお聞かせください。
西澤
この作品はピクセルアートの集大成だと考えています。制作時に毎晩残業してドットを打ち続けたデザイナーがいたからこそ、いまの形になっていると思います。
あの時はあまり売れませんでしたが、世界中の人が心待ちにしていて、いままた再販されたことでたくさんのファンの手に届けることができるようになりました。自分たちが制作したゲームが世界中の人たちが遊んでくれるということを彼ら制作陣に伝えたいですね。
―――
なお、週刊ファミ通2025年12月25日号(12月11日発売 No.1927)では、本作の発売記念特集を掲載。そちらもあわせてぜひご覧ください。
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