サイバーコネクトツーが2026年2月に設立30年を迎える。前身となるサイバーコネクトが発足したのが、1996年2月16日。2001年9月16日に当時の社長から引き継いだ松山洋社長がサイバーコネクトツーへと社名変更。
『鬼滅の刃 ヒノカミ血風譚-』や、『NARUTO―ナルト― ナルティメット』シリーズなどのIPタイトルや、『.hack』、『戦場のフーガ』シリーズなどのオリジナル作品など数々のタイトルの開発を手掛ける。また、ファミ通.comで連載中のゲーム業界マンガ『チェイサーゲーム』や、アニメ『メカウデ』の総監修など、ゲームという枠組みを飛び越えエンタメのさまざまな分野で活動をしている企業となった。
そんなサイバーコネクトツーが2026年2月16日に設立30年を迎えるにあたり、30周年の準備期間としてプロジェクトを発表。その一環として、サイバーコネクトツーのコーポレートロゴの刷新や、キャラクターを公開した。
そこで本記事では、30周年に向けたこの1年について動向や想いを、松山社長にアツく!! 語ってもらったので、その模様をお届けする。
目指せ400人開発体制。その時代に合わせての開発規模に
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ーー2026年に30周年を迎えるとのことですが、周りの反応をお聞かせください。
松山
まず最初に言っておきたいのですが、まだ30周年じゃないからね? けっこうみんな間違えるのよ。2月から新年度なので、第30期を迎えたところなのですが「第30期迎えました」と、言うとみんな「30周年おめでとう」と、言ってお花を贈ってくれるんですよ。なので、この1年大々的に発表して「来年しっかり祝ってください」という予告にした次第です。
ーーこの30年の歩みを振り返ると、どんな想いがありますか。
松山
もともと有限会社サイバーコネクトは10人から始まりました。25歳のときに大学時代の友人と「いっしょに会社作ろうぜ」というノリで設立しました。1994年といえば、プレイステーション、セガサターンなどが登場し、いろいろなゲーム機でリリースするいう選択肢が生まれた時代でした。そして、ポリゴンという3Dゲームが主流になり、当時で言うとCDロムでしたけど、数百メガという当時では大容量なデータを扱えるようになった時代でした。
ーーゲームが一段階進化した時期だったんですね。
松山
大海賊時代じゃないけど、みんなが一斉に横並びになった瞬間みたいな感じがしましたね。いま振り返ると、行政も独立起業支援に前向きで、もともと福岡には、システムソフトとリバーヒルソフトいうゲーム会社が2社しかなかったところに、3社目として誕生したのがサイバーコネクト。その後ほどなく、レベルファイブが独立し、佐世保で生まれたガンバリオンっていう会社が福岡にやってきました。
ーー福岡のゲーム会社どうしでのつながりなどはあるのでしょうか。
松山
レベルファイブ、ガンバリオンと弊社は社長どうしの年齢が近く「福岡で力を合わせ、競い合うところは競い、助け合えるところは助け合おう」と意気投合しました。じつはいま福岡市の調べで市内にゲーム関連企業が約40社あります。コロナ禍にゲーム会社だけでなくアニメ会社なども、東京でなくても働けるということに気づき、本社機能を移動されたりするケースも増えています。なので、福岡をエンタメの街として行政や地元の学校さんたちと協力して盛り上げられて光栄です。
ーーサイバーコネクトツー自体も人が増えてきていますでしょうか。
松山
サイバーコネクトツーは福岡本社に220人ほど、東京スタジオには70人近くいます。また、大阪スタジオは今年で35人くらいとなり、合計すると300人を超えます。設立から10年かけて100人にして、20年かけて200人。そして、30年くらいでだいたい300人となりました。いまは400人くらいの規模にしようと採用を強化しています。
ーーゲームの開発に必要な人数が増え続けていますが、400人くらいの人員が必要となっているのでしょうか。
松山
社内の全社会議でも話したのですが、この30年の中で「会社を大きくしたい」と思ったことは一度もありません。我々がいちばん考えていることは、「効率よく、うまく、おもしろくて売れるゲームを作りたい」これなんですよね。時間とお金をだらだらかければ、いいものができるかもしれないのですが、ビジネスとしては成り立ちません。「お金も人材も時間も好きなだけ使えるとしたら、作りたい理想のゲームは何ですか」という質問をよく聞かれますが、「しょうもないことを聞くな」と毎回返しています。そんなプロジェクトは完成しないんですよ。
ーー現状、サイバーコネクトツーのビジネスとして成立させるのに必要な人数が400人ということでしょうか。
松山
20年前は、たった10人でもゲームが1年ほどで作れました。ウチのいちばん短いプロジェクトは10ヵ月ですからね。いまでは考えられません。いま作ろうと思うと3年から4年、長ければ5~6年かかります。ゲームのスペックも、ユーザーの期待も上がっている。世界で大きく売るっていうビジネスを成立させるためにはある一定の、会社としての母体が必要で、若くて優秀な人間を入れていっしょに育てていく。これが、ウチの作りかたに合っていると思っています。
ーーたしかに、若い開発者の方がたくさん在籍されていますよね。
松山
この考えかたは、週刊少年ジャンプと同じなんですよ。少年ジャンプって若い作家が多いんですよね。若い作家だからこそ、若い感性の読者の考えかたや感性に合います。年寄りは年寄りなりの戦いかたがあると思うのですが、少年ジャンプが、定期的にヒット作、ヒット作家っていうのを生み出しているのは、何者でもない新人に投資をした結果、モンスター級の化け物がたまに生まれるからだと思っています。私は少年マンガを愛している人間なので、ゲームの制作方法も会社の運営方法もそれを踏襲しています。
ーー開発ラインの体制はどうなっているのでしょうか。
松山
もちろんスタッフ全員で1本を制作するわけにはいきません。そうすると5年かかるのに、そのあいだお金を使うだけで、まったく入ってこなくなります。現在は、表向きに社内で動いているプロジェクトが7つ。あとはまだ研究段階で社内でも一部の人しか知らないものを含めると10本程度動いています。それぞれがちょっとずつピークをずらして。毎年ゲームがリリースされるようにしています。2025年に『戦場のフーガ3』と、『鬼滅の刃ヒノカミ血風譚2』のリリースを予定しています。効率よくものを作るのに必要な会社のサイズというのを、私はいつもイメージしながらやっています。
ーー大阪スタジオの設立やモントリオールスタジオの閉鎖なども求める効率に応じて実施されたのでしょうか。
松山
モントリオールスタジオは7年経営しました。その間世の中の情勢が変わり、これ以上やりすぎるのは不利だなっていうのと、いろいろな学びもあり、モントリオールの日本移籍希望スタッフの対応をして閉じました。そして、日本での開発体制を整えようという決断をしました。じつは採用者に関西圏の出身者が多かったのもあり、地元で内定をもらったので地元で仕事しますと辞退する人も多かったので、大阪をサイバーコネクトツ―が進む新たな地に選びました。全部で80席あるんですけど、3年で席を埋めようとしています。
ーーかなりの人数を採用することになると思うのですが、どのくらいの採用規模になるのでしょうか。
松山
この記事を読まれているゲーム会社の方はたぶん驚かれると思いますけど、今年一年の採用数は54名なんですよ。過去最高です。すごく丁寧な人事活動をやっているということと、サイバーコネクトツーのフットワークの軽さに魅力を感じてもらっているようです。
ーー丁寧な人事活動とはどういうことでしょうか。
松山
若い人たちから直接聞くと、就職活動中にサイバーコネクトツーの人は、社長も含めて誰でもしっかりと就活生の話を聞いてくれるとのことです。大手の会社がおざなりにしがちなところをしっかりフォローする採用活動を心掛けています。
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30周年記念タイトルの発表は2026年2月に。復讐三部作のひとつ『CECILE(セシル)』に関する情報発表もしたい
ーーこの30年間で、ゲーム市場もかなり変化してきたかと思います。サイバーコネクトツーとしてはどういう立ち位置にいると認識されていますか?
松山
そうですね。最初の10年、つぎの10年、そしてこの10年で、だいたい大きく3ブロックくらいに分かれているかなと思っています。
最初の10年は、我々も若くゲーム業界がなかなかのブラックだったということもあり、やったもん勝ちな時代でした。ネガティブな側面だけじゃなくて、「いまのタフな自分を作ってくれたのはあの時代だ」という自覚があります。いま活躍しているメーカーの多くの、我々の世代の人たちはみんなそういう戦いかたをしてきて、勝ち残った人たちだと思います。
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ーー時代の変化に伴い、どのように変化していったのでしょうか?
松山
つぎの10年で大きく様子が変わったんですよね。プレイステーション3が登場したあたりの時期です。「努力と根性だけではもう勝てないぞ」という。開発が長期化するようになり、「今日徹夜すれば何とかなる」では立ち行かなくなりました。1億円の予算で作るものを、2倍働くことで、2億円の内容にして勝負することはできました。しかし、開発費が100億円となってきたいまは3倍徹夜しようが4倍やろうが、追い付ける予算じゃないんです。
ーー莫大な開発費のゲームを制作するうえで会社がどのように対応していかないといけないのでしょうか。
松山
「力の限りがんばります」じゃなくて、「どうすれば他社にも自分たちにも勝てるのか」と、いうことを模索する必要があります。つまり、自分たちの力を発揮できるいちばんの強みを見つけないといけません。我々は、早いうちに「いちばんの得意分野は少年マンガ。だからこの分野では、世界一のゲームメーカーになろう」という判断をしていました。
最後の”この10年”は、なかなかのチキンレースになっていると思います。いわゆるプレイステーション4、5の現世代機になってからというのは、やはりゲーム機のスペック向上は止まらないし、開発期間や予算の増大も止まらないんですね。
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ーー新たな戦いかたを見つけていくことが必要になっていると思いますが、それはなんでしょうか。
松山
現在は“Unreal Engine”や“Unity”など、ゲームを作るツールが充実しています。また、AI技術の進化もしてきました。そのため、新技術をちゃんと研究して、活かせるところと活かせないところを吟味し、開発の効率を上げていく必要があります。
たとえば、いままで20人くらいのイラストレーターに発注して2ヵ月かけて100枚くらいのイメージボードを準備していたとすると、その作業はAIを活用すると短い時間でできあがります。なので、視覚情報で大きい方向性を、みんなで共有してより詳細に詰めていくという段階では、AIは有用だと思い活用しています。イメージボード代って「コストは言うても数百万円でしょ」と、思われるかもしれませんが、この数百万の積み重ねがけっこうな費用になってくるんです。実際、ほかにもAIの活用方法がないか、研究室を作って社内でもいろいろと研究しています。
ーー話を戻しまして30周年のプロジェクトでは、新作ゲームの発表などは予定しているのでしょうか。
松山
2026年の2月にユーザーが期待されているであろうサイバーコネクトツー設立30周年記念プロジェクトゲームを発表します。
ーーそれは楽しみです。今年発売される『戦場のフーガ3』は自社パブリッシュ作品の“復讐三部作”として掲げた作品の一シリーズでした。ほかにも『刀凶百鬼門(トーキョーヒャッキモン)』と『CECILE(セシル)』が発表されていましたが、そちらの進捗はいかがでしょうか。
松山
もちろん進んでいます。『戦場のフーガ』はシリーズ完結作を今年発売。あと2タイトルに関しては、『CECILE(セシル)』はいま開発中。もう1本は、企画から全部やり直してる最中っていう感じですね。そちらは、もうちょっとお待たせすることになると思いますけど、消えてなくなっているわけではないのです。『CECILE(セシル)』については、2026年に何かお知らせできるといいなと思います。
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ーーでは最後にいまのサイバーコネクトツーを振り返ってとユーザーに一言お聞かせください。
松山
これまで30年かけて教育をしてきた成果だとは思っているのですが、スタッフが当たり前のことを当たり前にできるようになってきています。それは挨拶だったり、先輩が後輩を教育する風土だったり、内部・外部問わず気配りが自然にできるようになったりです。
自分のプロジェクトには関係がないから自分のことだけをしたり、同じフロアにいても顔と名前覚える必要がないと思っていたり、他人に興味がない人も多い会社があるなか、サイバーコネクトツーはともに助け合うモノづくりと、情熱的な現場を作ることができていると思います。そんなスタッフたちが誇らしいです。そんな日常の会社の空気が開発にも現れていて。嫌な予感を放置せず、早い段階で鼻が利いて、直接的に関係がなくても、困っている人に手を差し伸べるという、この姿勢は、ウチのスタッフすごいなって思うし、こういう会社にできてよかったなって思います。
ーーユーザーにはどうでしょうか?
松山
来年の設立30周年を楽しみにしていただきつつ、30周年イヤーとしてお祝いのメッセージなどお送りいただければと思います。ぜひ応援をよろしくお願いします。