リメイク版『ウィザードリィ 狂王の試練場』インタビュー。シリーズの生みの親ロバート・ウッドヘッド氏が新旧『ウィザードリィ』の魅力を語る。いまだから話せる当時のエピソードも必読

byQマイン

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リメイク版『ウィザードリィ 狂王の試練場』インタビュー。シリーズの生みの親ロバート・ウッドヘッド氏が新旧『ウィザードリィ』の魅力を語る。いまだから話せる当時のエピソードも必読
 Digital Eclipseはドリコムの協力のもとNintendo Switch、プレイステーション5、プレイステーション4、Xbox Series X|S 、Xbox One、PC(SteamとGOG.com)用RPG『Wizardry: Proving Grounds of the Mad Overlord(邦訳:ウィザードリィ 狂王の試練場)』を2024年5月23日に発売した。

 本作は1981年9月に Apple II にてリリースされた『ウィザードリィ 狂王の試練場』のフル3Dリメイク版。ビジュアルや一部システムを現代向けに再構築しながらも、Apple II 版のコードを移植して制作された。オリジナル版と同じ言語や難度で遊べる“オールドスクール設定”も搭載されており、『ウィザードリィ』シリーズを遊んだことがない人も、かつてApple IIやファミコンで遊んでいた人も、すべてのプレイヤーが遊べる内容に仕上がっている。

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 そんな本作の発売を記念してスペシャルインタビューを実施。オリジナル版
『ウィザードリィ 狂王の試練場』の生みの親であるロバート・ウッドヘッド氏、本シリーズのレジェンドライターであるベニー松山氏、そしてリメイク版の開発を手掛けたDigital Eclipseのジャスティン・ベイリー氏の3人に、オリジナル版とリメイク版の魅力をうかがった。(取材協力:忍者増田)
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ロバート・ウッドヘッド氏写真中央

『ウィザードリィ』シリーズの生みの親。1979年にゲーム会社シロテック・ソフトウェアをノーマン・シロテック氏、ロバート・シロテック氏とともに設立、1981年にサーテック・ソフトウェアに改名。同年にオリジナル版『ウィザードリィ 狂王の試練場』をリリース。1989年に日本の映像コンテンツを海外に輸入したり、海外向けに翻訳を行ったりする会社en:AnimEigoを設立する。

ベニー松山氏写真右

ゲームライター、小説家、シナリオライター。1986年に“TOMMY”のペンネームでゲームライターデビュー。『ウィザードリィ』の熱心なファンであり、1988年には『ウィザードリィ』を元にした小説『隣り合わせの灰と青春』を出版。以降も同シリーズや、他作品の小説・シナリオを数多く手掛けている。本作ではモンスター図鑑の日本語テキストを担当。

ジャスティン・ベイリー氏写真左

現Digital Eclipse社のパブリッシング責任者。FigのCEO、Double Fine ProductionsのCOOを歴任。『Wizardry: Proving Grounds of the Mad Overlord』の資金調達、版権関連の整理をするとともに、Digital Eclipseのパブリッシング、流通部門を確立させる。

48Kバイトの壁と『ウィザードリィ』が日本で浸透したタイミング


――これまで『ウィザードリィ』の名を冠する作品が40作以上制作され、RPGの礎として多くの人々に愛され続けている存在となっています。そんな現状に対する思いを聞かせてください。

ロバート
 私とアンドリュー(※1)が本作の開発をしたときはここまで大きなシリーズになるとは思いもしませんでした。当時はコンピューター上でできる制限が非常にきびしく、望む要素を詰め込むにはかなりの苦労がありました。それを可能な限り実現するために、ゲーム内の構成やプログラミングといったデザイン面に注力したのを覚えています。そのデザインがさまざまな人に気に入られて、現代まで続くコンテンツになったのかなと思います。
※1:アンドリュー・グリーンバーグ氏。ロバート氏とともにオリジナル版『ウィザードリィ 狂王の試練場』を開発したクリエイター。
――作っているときはここまで“売れる”とは思っていなかったのですか?

ロバート
 アンドリューとふたりで「こういうゲームがコンピューターで遊べたらおもしろいよね」と言いながら作ったものが結果的に売れただけです。運がよかったんだと思います。でも売れた要因を考えてみると、やはり発売したタイミングなのかなと。

――と言いますと?

ロバート
 コンピューターのApple IIが広く普及し始めたころで、一般の人でもコンピューターに触れる、そしてコンピューターゲームを作れるようになっていたというのがいちばんの要因だった気がします。

――松山さんが『ウィザードリィ』と出会ったのも1981年だったのでしょうか?

松山
 僕が最初に触れることができたのは1983年でした。1981年当時の国産パソコンにはフロッピーディスクドライブを実装していたものがまだまだ少なくて、カセットテープでプログラムデータを数分かけて読み込んでいましたから、ゲームの規模がどうしても小さかった。そんな中で伝え聞いていたApple IIと米国のゲーム事情は遙か先を行く印象がありました。二年後に『ウィザードリィ』を体験した時も、ひとつの世界がゲームの中に構築されているという衝撃がありましたね。

――当時はフロッピーディスクそのものが比較的珍しい存在だったのですね。その中にしっかりとしたRPGが詰め込まれているのは、いま考えてみると本当にすごいことですよね。

ロバート
 開発のときは本当にたいへんでした。Apple IIは64キロバイト(以下、Kバイト)までのゲームが動かせるので、開発の初期段階では64Kバイトを想定して作っていました。しかしApple II専用ソフトの発売基準は48Kバイトでした。

――64Kバイトのままでは発売できないので、ずっと最適化し続けたのですね。

ロバート
 そうです。当時は動作を確認するためのミニバージョンOSのようなものがあり、それを使って試行錯誤をしていたのですが、いざ本物のApple IIで動かしてみるとぜんぜん動かなくて・・・・・・。何ヵ月もかけてようやく動かせるようになりましたが、最終的に残った容量は何百バイトとか、それぐらいギリギリでした。

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――そんな苦心の末に生み出された『ウィザードリィ』ですが、販売後はどうだったのでしょうか?
ロバート
 アンドリューも、私も、「学校のローンが払えるぐらい売れればいいかな」と思っていたのですが、売れゆきがよくて発売から2ヵ月でローンが完済できました。こんなに売れるとは思わなかったのですごく衝撃的でした。売上が好調なまま、数ヵ月が経ったころに「これは2作目を作らなきゃな」と思って、続編の開発に着手しました。

――当時のユーザーからの反応を知ることはあったのでしょうか?

ロバート
 手紙でユーザーの感想を聞かせてもらうことはありました。ただ当時はインターネットがなかった時代なので、国内や海外のユーザーの声をたくさん聞くことはできませんでした。

――日本版の発売の話を聞いたときはどうでしたか?

ロバート
 アスキーから「『ウィザードリィ』の日本語版を発売しませんか?」というオファーをいただいたときは、「他国で発売!? 嘘でしょ!? ただのゲームだよ?」という感じで、発売することとローカライズされることにかなりの驚きを感じました。

――『ウィザードリィ』が発売されたときの国内の様子はどうだったのでしょうか?

松山
 正直なところ、Apple IIの『ウィザードリィ』はそこまで浸透していませんでした。なぜかと言うと、当時のApple IIの価格は国内に普及していたパソコンのおよそ二倍で、よっぽどのお金持ちじゃないと買えませんでした。だから僕が最初に触ったのはお坊ちゃんの先輩の家でした(笑)。「家にApple IIと『ウィザードリィ』がある」と言われて、家に押しかけて遊ばせてもらいました。

――本格的に『ウィザードリィ』が浸透し始めたのはそれよりも後だったのですね。

松山
 PC-8801への移植版でジワジワと浸透し始めて、多くの人が夢中になったのはファミコン版だと思います。とくにファミコンは持っている母数が多かったのも大きな要因でしたね。あとは動作の軽さでしょうか。

――ファミコン版のほうがサクサクだったのですか?

松山
 そうですね。コンピューター版だとダンジョン内でキャンプを張るのに1分以上の読み込みが掛かっていましたが、ファミコン版だとそれがタイムラグなしで済みます。その遊びやすさの違いは大きかったですね。でも先ほどロバートさんが48Kバイトで作っていたという話を聞くと、読み込まなければならないデータが多くなるのも仕方ないと思いました。むしろあの内容のゲームがよく48Kバイトで動いていたなと改めて感心しました。ちなみに当時僕が使っていたコンピューターはPC-6001という入門機だったのですが、これは増設して32Kバイトでした。そのわずか五割増しと考えると本当にすごいですよね。

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コンピューターRPGの元祖『ウィザードリィ』はどうやって誕生したのか

――『ウィザードリィ』を開発することになった経緯を教えてください。

ロバート
 ふつうの仕事をするよりもおもしろいと思ったからだね。

(一同大笑)

ロバート
 真面目な話をすると、当時1年間大学を休学することになってしまって、そのあいだ母の知り合いが経営する会社で働くことになりました。そこではコンピューターを使った仕事をしていたのですが、それが意外と簡単で暇な時間が多くて。しかも自由に使えるコンピューターも多かったので、「ならゲームでも作ってみようかな」という風に思い立ったんです。

――開発環境が揃っていたからということですね。テーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』に触発されたという訳ではないのでしょうか?

ロバート
 何か目的があって作り始めたという訳ではありませんでした。作ることになってから『ダンジョンズ&ドラゴンズ』をコンピューターRPGにしてみようとなりました。

――なるほど。『ウィザードリィ』には侍や忍者が出てきますが、そのアイデアは何がきっかけなのでしょうか?

ロバート
 1980年に三船敏郎さん主演で放送された『将軍 SHŌGUN』という番組がきっかけでした。ちょうどいま真田広之さんが主演のリメイク版『SHOGUN 将軍』がNetflixで放送されています。

――そこが始まりだったと。

ロバート
 当時、1980年版の『将軍 SHŌGUN』を見て日本の文化を知るアメリカ人が多かったです。私もそのひとりです。カッコよかったり、おもしろそうだったりしたので侍と忍者を『ウィザードリィ』に登場させました。いま思い返すと、そういったジョブを入れたからこそ、日本人にも受けたのかなと思っています。じつは『SHOGUN 将軍』や真田さんとは不思議なご縁もありまして。

――と言いますと?

ロバート
 昔、私の会社で『カムイの剣』という日本アニメを海外に輸入したのですが、真田さんはその作品で初めて役者(声優)としてデビューしました。しかも今度は『ウィザードリィ』に影響を与えた『SHOGUN 将軍』に主役として出演、さらに来年あたりに『カムイの剣』のBlu-ray版をうちで発売するので、何だかご縁を感じます。

――意外なところでそのようなご縁があったとは。海外のゲームに侍や忍者が登場するのはやはり衝撃的でしたよね。

松山
 当時、『テクノポリス』という雑誌がApple IIのゲームを多く取り上げていて、その中に『ウィザードリィ』の紹介記事もありました。そこで侍と忍者の存在を知ったときは、「日本のものが出てくるのか!」と興味を掻き立てられましたね。

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――他国のゲームに日本の身近な存在が出てくるのは何だかうれしいですよね。個人的にはゲームシステムに大きな影響を与えた『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の存在も気になります。ロバートさんにとって『ダンジョンズ&ドラゴンズ』はどのような存在なのでしょうか?
ロバート
 「勉強しないなら出て行け!」みたいな感じで学校から追い出されるぐらいハマっていました(笑)。とくに週末は勉強そっちのけでずっと『ダンジョンズ&ドラゴンズ』をやっていたことを覚えています。

――そんなにハマっていたのですね。

ロバート
 ゲームを作ろうとなったときに「『ダンジョンズ&ドラゴンズ』をApple II上で表現することはできるのかな」というチャレンジ精神がきっかけで『ウィザードリィ』の本格的な開発が始まりました。

――複数人で遊ぶテーブルトークゲームをひとりで遊べるようにするのは難しそうですよね。

ロバート
 そうですね。皆で遊ぶという部分をソロでも体験できるようにしたくて、最大6人というパーティーシステムを採用しました。開発当初は5人の友人を呼んで、皆で操作キャラクターを選んでテーブルトークゲームのようにして遊ぶことを想定していたのですが、そうやって遊ぶ人はいませんでした。

松山
 じつは先輩の家で初めて『ウィザードリィ』を触ったときは、いまロバートさんがおっしゃっていた、ひとり1キャラクターという方法で遊んでいました。でも逃げるコマンドを選ぶやつもいて……(笑)。それはそれでおもしろかったです。

ロバート
 おそらく松山さんは『ウィザードリィ』を本来のやりかたで遊んでくれた唯一のプレイヤーだと思います(笑)。

松山
 先ほどロバートさんは大学で『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を遊んでいたとおっしゃっていましたが、僕は『ウィザードリィ』をやり過ぎて大学に12年間行っていました。

(一同大笑)

ロバート
 ゴメンナサイ(笑)。

――12年間も通えるものなのですね。

松山
 休学と留年をくり返すと、1学年あたり3回、回せます。

ロバート
 (申し訳なさそうに頭を抱える)

松山
 ロバートさん、そんな申し訳なさそうにしないでください(笑)。『ウィザードリィ』がある生活はすごく楽しかったです! 途中からは仕事にもなったのですから!

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――ちなみにロバートさんは『ダンジョンズ&ドラゴンズ』以外で熱中したゲームはあるのでしょうか?
ロバート
 いろいろな作品を触ってはやめてをくり返すようなカジュアルなゲームスタイルなので、ひとつの作品にのめり込むことはほとんどないです。私のふたりの息子は日本のゲームが好きで、ひとりは『ファイナルファンタジーXIV』にめちゃくちゃハマっていて、アメリカのトップギルドに所属するぐらい熱中しています。

――息子さんたちが日本のゲームにハマっているのはロバートさんの影響なのでしょうか?

ロバート
 私と息子たちが好きなゲームの方向性は異なるので、私の影響という訳ではないです。

――息子さんたちがロバートさんが作ったゲームをプレイすることはあるのでしょうか?

ロバート
 一応「プレイしたよ」という話は聞いたことがありますが、軽く触った程度だと思います。若い子は自分の父親がやっていることを基本的にはダサいと思う人が多いので、息子たちは僕のゲームをあまりやりたがらないと思います。

――ロバートさんはコンピューターRPGの礎を作り、海外に日本の映像作品を広めているすごい人なのに……。

ロバート
 息子たちはゲームだけではなく、日本のアニメも好きです。でも息子たちは私がやっている仕事をクールとは思っていないんですよ。

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『ウィザードリィ』らしさがしっかりと表現されたリメイク作

――ロバートさんは本作の開発に関わっているのでしょうか?

ロバート
 いいえ。本作の開発そのものには関わっていません。テスト中の作品をプレイして、そのフィードバックを開発の皆さんと共有するぐらいです。

――それはなぜなのでしょうか?

ロバート
 何よりも開発チームのやりたいことを邪魔したくありません。彼らもリメイク版を作る過程でさまざまな試行錯誤をしたと思います。たいへんなことではあるのですが、かつて私がオリジナル版を作ったときに、その試行錯誤をするのが楽しくて、趣味のような感覚だったんです。皆さんにも、そういったおもしろさを感じてほしいし、自分らしさを全面に出してほしかったので、口を挟まないようにしました。

――ゲームを開発していたロバートさんならではの考えかたですよね。本作をプレイした印象をお聞かせください。

ロバート
 テストプレイではリメイク版と現在開発中の『Wizardry Variants Daphne』(ドリコムで開発中のスマートフォン向け3Dダンジョンゲーム)の両方をプレイしました。どちらもプレイした感想としては、オリジナル版で築いたゲームの軸をしっかりと表現できているという印象を受けました。とくにリスクとリターンですね。多少無理をしてでも宝のためにダンジョン探索を続けるのか、はたまた街に帰還するのか、そういったプレイヤーの方々がみずから選択するおもしろさと緊張感が、そのまま再現されています。プレイしていておもしろかったですし、懐かしさも感じられました。

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――ロバートさんがおすすめするパーティー編成はあったりするのでしょうか?
ロバート
 オリジナル版のころから、プレイヤーのプレイスタイルに合った編成で遊ぶことを想定しているゲームなので、私個人がおすすめする編成はありません。でも昔からよく聞くのは、前衛に戦士が3人、後衛に呪文の使い手がふたりと盗賊がひとりという編成ですね。多くの人がそういう編成に行き着くかもしれませんが、強制ではないですし、できれば本作も自分らしさを追求したパーティー編成で遊んでほしいです。

――松山さんはどうでしょう?

松山
 僕は前衛に戦士ふたりと盗賊、後衛に魔法使いふたりと僧侶です。

――いまちょうどリメイク版をプレイしているのですが、司教は不要なのでしょうか?

松山
 司教を最初から作ると詰みます。レベルが13になっても覚える呪文が弱いので、魔法使いや僧侶をあとあと司教に転職させるのがおすすめです。

――なるほど。盗賊は前に置くものなのでしょうか?

松山
 それを好まないプレイヤーが多いことも重々承知していますが、とりわけオリジナル版の#1での盗賊は後衛にいるとやることがないので。僧侶は盗賊よりもACを低くできますが、状態異常の治療役を前衛に置きたくないのです。あと前衛組はいちばんいい装備を効率よく使えるようにするために戦士を侍と君主、盗賊を忍者に転職させます。

ジャスティン
 ちなみに盗賊は今回のリメイク版で“隠れる”と“奇襲”が使えるようになったので、後衛に置いても大丈夫になりました。

――オリジナル版とは少し違った編成、配置ができるようになったと。松山さんはリメイク版をプレイしたのでしょうか?

松山
 ひと足先にアーリーアクセス版でプレイしました。“盗賊の短刀”を手に入れて早く盗賊を忍者にしたいのですが、盗賊のレベルがカンストしても短刀が出なくて……。あくまでアーリーアクセス版の話なので、発売される製品版ではそこまでの不運は起きないと願っています(笑)。

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――製品版も発売され、世界中のプレイヤーが本作に触れると思います。改めて本作でこだわっているポイントを教えてください。
ジャスティン
 本作に限らず私たちは、伝統的なゲームを現代でも遊べるようにリメイクすることを何よりも大事にしています。本作に関してはコンピューターRPGの礎を築いたゲームということもあり、ゲームの基礎部分はオリジナル版のままでも、十分現代で通用すると思いました。そのため、基本部分はイジらずに、ビジュアルやBGM、UI、オプションといった部分に力を入れるようにしています。

――マップ探索、戦闘、転職、育成、たしかにオリジナル版のころから完成されていますよね。

ジャスティン
 とあるコンベンションに参加した際、ブースにApple II版とリメイク版の『ウィザードリィ 狂王の試練場』を設置しました。その際ふたり組の親子がやってきて、父親がApple II版、子どもがリメイク版を遊んでいたんです。その光景を見て『ウィザードリィ』のゲームシステムは世代を超えて遊べるものだなと再認識させられました。

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――素敵なエピソードですね。
ジャスティン
 オリジナル版と言えば、Apple IIのタイトル画面を見た開発メンバーのひとりが「その猿はなに?」って言っていたのも印象的でした。

ロバート
 猿?

ジャスティン
 魔法使いが呼び出している悪魔が猿に似ていて「これは何? 猿?」といったやり取りがあったんですよ。

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――たしかに言われてみれば猿っぽいですね(笑)。そんなオリジナル版の魅力を強く反映させた本作を象徴するシステムと言えば “オールドスクール設定”がありますよね。なぜこのような機能を搭載したのでしょうか?
ジャスティン
 『ウィザードリィ 狂王の試練場』は長い歴史の中で、さまざまなバージョンがリリースされました。オールドスクール設定はApple II版、移植版、そして初めて『ウィザードリィ』をプレイするというすべての世代の人たちが懐かしさと遊びやすさを感じてもらえるように用意しました。

――ロバートさんはオールドスクール設定についてどうお考えでしょうか?

ロバート
 こういったプレイヤーの遊びやすさに寄り添ったシステムは大事だと思うし、本作で追加されたのは非常に喜ばしいことです。

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――松山さんはオールドスクール設定をイジってプレイしたのでしょうか?
松山
 アーリーアクセス版ではオールドスクール設定が変更できず、オリジナル版の難度でしかプレイできませんでした。だから敵の奇襲(先制攻撃)を受けたら、物理攻撃だけではなく、魔法も飛んできて・・・・・・。

――先制で魔法はツラそうですね。

松山
 先制の魔法はApple IIのときからある仕様です。それでずっとプレイして、とは言いませんが、ぜひその設定で一度遊んでみてほしいです。レベル10メイジの6人パーティーに襲われたら、その仕様の怖さがわかります。6回魔法が飛んできたら全滅するので。

――それは怖すぎです。

松山
 ぜひ皆さん、1回やってみましょう(笑)。この時代にこういった仕様で遊べるという点ではオールドスクール設定はすばらしい要素だと思います。

ロバート
 当時あった物理的な小技が使えないから、むしろ昔よりも難度は上がっているかもしれませんね。

――物理的な小技と言うと?

ロバート
 昔はパーティーが全滅する前にフロッピーディスクを抜くと、全滅を回避できるという小技がありました。

松山
 僕もやっていました。

ジャスティン
 でも今回はそれができないから、よりシビアになっていると思います。

――そういった小技はさすがに再現できませんものね。

ロバート
 デジタルで再現してほしかったかもね。ピンチになったら画面上に昔のディスク画像が表示されて、それを素早くクリックしたら全滅回避とか(笑)。

――そういう裏モードがあったら話題になりそうですね。松山さんは本作でモンスター図鑑のテキストを担当されていますよね。そのオファーが来たときの印象を教えてください。

松山
 当初は『ウィザードリィのすべて』(※2)の記述をそのまま載せようという話でした。しかしあの本は、ファンタジーのモンスターや世界観を知らない人のためにゼロからその存在を説明するという趣旨で書いたものです。そのため、それを現代でそのまま掲載すると、ちょっと違うかなと。とくにリメイク版はグラフィックも変わっていて、モンスターへの印象も異なるのでリライトすることにしました。
※2:1989年にベニー松山氏が手掛けた『ウィザードリィ』の攻略本兼考察本。[IMAGE]
――かなりボリュームがあって読み応えもすごいですよね。
松山
 本作ではメジャーダイミョウやレベル 6 ニンジャの性別が女性になっています。モンスター図鑑ではなぜ女性になっているのか、などの考察も盛り込んでいて、一般的なモンスター図鑑とは違ったおもしろさを感じてもらえると思います。

――ロバートさんはベニー松山さんを含め、いろいろな方が『ウィザードリィ』シリーズにまつわる作品を開発したり、執筆したりしていることについては、どのような想いがあるのでしょうか?

ロバート
 『ウィザードリィ』という作品をさまざまな形で作り続けてくれることが非常にうれしいです。作る楽しさを味わっていただきながら、本シリーズの世界観をもっと広げていただきたいです。またベニー松山さんとお会いできたように、数年おきに何かのきっかけでこうしてシリーズに関わっている人と出会えるのも非常に感慨深いです。

松山
 じつは昔、小説を書いたときに“Benny”という刺繍が入ったウィザードリィジャンパーを贈っていただいたことがあるのですが、あれはロバートさんが贈ってくださったのでしょうか?

ロバート
 はい。そのジャンパーは数個しか作らなかったものです。

松山
 そうだったんですか、ありがとうございます。これからも私の宝物として大事にします!

――こういったエピソードを聞いていると『ウィザードリィ』はほかのゲームにはない特別な何かがあるような気がします。ロバートさんが考える、『ウィザードリィ』シリーズが持つ魅力、ほかのIPとの違いとはなんでしょうか?

ロバート
 私は『ウィザードリィ』を作った側の人間なので、先入観などのバイアスが強すぎて違いを語るのが難しいですね。おそらくプレイヤーの皆さんのほうが魅力の違いは詳しいと思います。私が言えるのは『ウィザードリィ』という作品は、当時のツールでベストを尽くして作ったものということです。

――ちなみに、もしもいま好きなゲームを開発できるとしたらどのようなゲームを作りますか?

ロバート
 いまはもう「こういうゲームを作ってみたい」という想いはないです。昔の話になりますが、1989年にロー・アダムズ(※3)とともにゲーム開発のために日本を訪れたことがありました。その際、多人数でいっしょに遊べるMMOのようなゲームシステムを考えていたのですが、それに近いようなものはプロジェクトとして興味深いかもしれませんね。
※3:ロバート氏とともにen:AnimEigoを設立した人物。
――ゲーム開発はできなかったのでしょうか?

ロバート
 はい。バブルが崩壊したため、ゲーム開発をすることなく帰国しました。でも何年か経って、あちこちでMMOのようなゲームがリリースされたのを見て、「もしもあのときにゲームを開発していたらすごく売れたのでは?」と、ちょっとうれしくなりました。

――そのゲームを現代の技術でぜひ作ってほしいですね。

ロバート
 いまは開発の環境が非常に進化しているし、販売戦略もワールドワイドになっているため、売り込みやプレゼンテーションなど、いろいろなことを視野に入れながらゲームを開発しなければいけません。自分はそういうことを気にせずにゲームデザインだけに集中したいタイプなので、仮に「ゲーム開発を自由にしていいですよ」と言われても、いまの大規模な開発体制に私が追いつけないと思います。小規模なタイトルなら何とかなるかもしれませんね。

――ありがとうございます。では最後に日本のファンに向けてメッセージをお願いします。

松山
 今回、モンスター図鑑を担当させていただきました。遊び込んで図鑑をコンプリートしていただけたらうれしいです。

ジャスティン
 ファンの方々が求めるしっかりとした『ウィザードリィ』に仕上がっていると思いますのでぜひ楽しんでください。

ロバート
 新しくなった『ウィザードリィ 狂王の試練場』をぜひ買ってください。買ってくれれば開発チーム皆の懐が潤うからね(笑)。

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