『P5X』レビュー:“ソシャゲ”を避けてきた私は、ジョーカーを好きすぎるあまり遊び続けた
そして何より、ジョーカーというキャラクターだ。黒髪に眼鏡、少し陰のある雰囲気をまとったイケメン主人公。ふだんは静かで目立たないのに、怪盗としての姿になった瞬間、圧倒的な存在感を放つ。そのギャップがあまりにもよすぎる。ジョーカーは、私の好みのド真ん中に“刺さった”のだ。

さらには『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』(スマブラ)の追加コンテンツとamiiboも買った。ちなみに、私は『スマブラ』をまったく遊ばない。遊んでいるのはおもに息子たちである。それでも買った。ジョーカーだからだ。結果的に長男がジョーカー使いになってくれたので、かなりうれしい。
そんなジョーカーが登場する『P5』のシリーズ作品として発表されたのが、本作『P5X』である。X(Twitter)でたまたま情報を見かけたときは「ソシャゲか……」と一瞬ためらったが、ジョーカーが出るとわかっていて見逃すわけにもいかない。ひとまず事前登録を済ませた。
スマートフォンで遊ぶことに抵抗があったのも事実だ。だが、そんなことではジョーカー熱は止められない。しまい込んでいた低スペックのゲーミングPCを引っぱり出してプレイ開始。キーボード操作は苦手なのでコントローラーも用意した。ジョーカーのためなら、“ソシャゲを避ける”というポリシーすら覆るのだ。
『P5X』は思っていた以上に生活へ入り込んできた。ジョーカーをガチャで迎えてからはとくに毎日が楽しい。戦闘中に「もう一度!」、「いただいていく!」、「フィナーレだ」というセリフが出るたびに、「はぁ、かっこいい。好き!!」とつい口走ってしまう。夫と子どもたちには完全に呆れられている。

欲望に支配された『P5』、欲望を奪われた『P5X』――どちらも“自分を取り戻す”物語
ちなみに我が家では、ルフェルのことを“テバサキ”と呼んでいる。長男が私のゲームプレイを見て「なに、この鳥。テバサキじゃん」と言ったのがはじまりだ。本人(?)に聞かれたら怒られそうだが、いまではすっかり家族内で定着してしまった。どう見ても手羽先ではないのだけど。

だからこそ、『P5X』を始めたばかりのころ、私は少し戸惑った。
ワンダーは、ジョーカーとはあまりにも境遇が違う。雑司が谷にある立派な一軒家で暮らし、仲のいい両親のもとで何不自由なく暮らしてきたように見える。転校初日から犯罪者のレッテルを貼られ、居場所を奪われかけていたジョーカーとは、置かれている状況がまるで違う。

しかし、考えてみれば『P5』は2016年の作品。当時といまでは社会の空気は大きく変わっている。
ジョーカーは最初から反逆したかったわけではない。抗わなければ尊厳を守れなかっただけだ。声を上げても簡単には届かないような当時の閉塞感も反映されていたのかもしれない。
およそ10年後。『P5X』が映し出す現代では、非道な出来事はSNSを通じて可視化されやすくなったように思う。すべてが正しく裁かれるわけではないが、悪事は表に出やすくなった(少なくとも体感としては)。ある意味で見通しがよくなった時代だからこそ、悪に対してより強い怒りを抱くこともあるだろう。“一見すると充たされた世界なのに、何かが欠けている”という『P5X』の不足感が、より鮮明に浮かび上がる。
歪んだ欲望に支配された世界で、尊厳を奪われた者たちが立ち上がる『P5』。欲望そのものを奪われた世界で、自分が何を望むのかを思い出し、取り戻していく『P5X』。向き合っている問題の形は違う。敵の見えかたも、世界に満ちた切迫感も異なる。だが、根っこにあるものは同じように感じられる。
それは、“自分で選ぶ力を取り戻す”ことだ。
誰かに決められた役割を生きるのではなく、自分の感情に気づき、自分の意志で一歩を踏み出す。『P5』が描いた反逆の心は、『P5X』では“欲望を取り戻す物語”となって確かに受け継がれている。そう感じられたことが、『P5』ファンの私にとっては何よりもうれしかった。
昼は学生、夜は怪盗。『P5X』に受け継がれる『P5』らしさ
“昼は学生、夜は怪盗”。本シリーズの生活サイクルはしっかり残っている。学校に通い、授業を受け、街を歩き、人間パラメータを上げ、仲間や街の人々と交流する。こうした要素は、『ペルソナ3』から受け継がれてきた大切な軸でもある。『P5X』でも“日常と非日常を行き来する感覚”は健在だ。
ときどき驚くこともある。授業中に問題を出されると、不正解でも人間パラメータが上がるのだ。『P5』では不正解ではパラメータは上がらなかった。たとえ間違えても学びにつながるということだろうか……。なんだか急に教育的だ。
さらに、通学中に電車で座れると、“優しさ”などの人間パラメータが上がることもある。いや、なんでやねん。そうつっこみたくなる場面も含めて、細かなイベントの積み重ねが、日常生活を送っているんだなと感じさせる。

“人と関わることが大事”を免罪符に、やりすぎになりがちなのが恋人関係である。『P5X』は恋人にできる相手が多い(うれしい)。『P5R』は最大10人の相手と恋人関係になれたが、『P5X』ではそれを上回る人数と恋人になれる。そしておそらく、今後さらに増えていくだろう(うれしい)。私は、シリーズのいちファンとして、胸を張って「ひとりに絞らず、全員恋人にする!」を実践している。現在の恋人の数は12人。
『P5R』のバレンタインイベントで、ジョーカーが10股して恋人たちにボコボコにされるシーンは、個人的にめちゃくちゃ好きだ。『P5X』のバレンタインイベントでも、複数人と恋人になるとワンダーがボコボコにされるシーンが見られ、「『ペルソナ』はこうでなくっちゃ!」とニヤニヤしてしまった。2027年のバレンタインデーが楽しみである。

もちろん、『P5X』は『P5』とは異なる物語だ。主人公も違えば、物語の構造も違う。それでも、ワンダーとともに積み重ねた日常生活は自分をこの世界に引き込んでくれた。ここにも、私が『P5X』を1年にわたって続けられた大きな理由がある。
期限に追われない怪盗生活。『P5X』が生んだ“続いていく日常”
『P5』では、1年間という限られた時間の中で物語が展開していく。何月何日までにパレスを攻略しなければゲームオーバーになる。このタイミングまでに人間パラメータを上げておかないと見られないイベントがある。期限を意識しながら慎重に選択する緊張感があった。
対して、『P5X』には同じ意味での期限はない。カレンダーの中を進んでいくというより、その日その日を重ねていく感覚に近い。人間パラメータは時間をかければ上げられるし、お金も稼げる。イベントの途中であっても、いったん離脱して日常に戻れる。

『P5X』の時間感覚には別の魅力がある。ワンダーの日常は終わらない。学校へ行き、街を歩き、仲間と交流し、必要ならば怪盗として動き出す。まるで、いまの生活が永遠に続く子どものころの錯覚のような。
『P5』は“青春を駆け抜ける”物語であり、『P5X』は“続いていく青春”の物語なのだと思う。どちらが優れているという話ではない。明確な終わりがあるからこそ輝く『P5』と、終わらない日常の中で物語が積み重なっていく『P5X』。“昼は学生、夜は怪盗”という同じ構造を持ちながら、プレイヤーが味わう時間の質は大きく異なる。
季節イベントやコラボイベントにも、運営型タイトルだからこそのおもしろさが光る。肩の力が抜けた日常のやり取りを見られるのは『P5X』ならではだ。
個人的に気になって仕方なかったのは、『ペルソナ3 リロード』コラボ中での真田先輩との距離感である。ワンダーは「真田先輩」と呼びながら、わりとしっかりため口で話していた。先輩なのか、対等なのか。敬意があるのか、ないのか。絶妙な距離感が妙におもしろかった。

『P5X』には、本編では描かれなかった日常や、あり得たかもしれない寄り道の楽しさがある。これが、続いていくからこそ描ける、『P5』のもうひとつの形なのだろう。ワンダーたちの日常生活そのものが、いまの私にとっては大きな楽しみになっている。
“推し”一点集中なら無課金・微課金でも楽しめる。『P5X』のガチャとの付き合い方
私はソーシャルゲームのガチャ文化にあまり慣れていない。欲しいキャラクターが登場し、期間限定でピックアップされ、そのときの蓄えや課金で引くかどうかを判断する。その仕組み自体は理解できるものの、買い切り型のゲームを中心に遊んできた身としては、いまだに少し戸惑う。
とくに悩んだのは、やはりジョーカーを引くときだった。私はジョーカーが好きすぎる。ジョーカーのために課金するべきかどうかは、かなり本気で考えた。
いったん冷静になる。時間をかけて仲間を育てる過程が好きな私にとって、お金で一気に強化できる仕組みはあまり大きな魅力ではなかった。好きなキャラクターをもっと強くしたい気持ちはあるが、それ以上に、毎日少しずつ素材を集め、できる範囲で育てていくほうが、自分の遊びかたには合っているように思えたのだ。
そのため私は、基本は無課金で遊び、どうしても必要だと感じたときだけ少額課金するくらいの距離感を大切にすることにした。限られた範囲で迎えた仲間を育て、愛着を持って使い続ける。そのスタイルのほうが、『P5X』を長く楽しめると感じたからだ。

メッサーの発表には心が揺らいだ。華やかな美少女★5キャラクターが続く中、斜に構えた雰囲気の男性キャラクター。その佇まいが妙に気に入り、思わずガチャを引いた。
実際に使ってみて、さらに好きになった。物理攻撃で付与する継続ダメージ“出血”がなかなか強い。気づけば敵が大きなダメージを負っていることも多く、横で見ていた子どもたちが「理不尽すぎる」とよく言っている。“出血”は、付与されている敵が倒されると別の敵に移るため、本当にものすごく理不尽な攻撃である。ワンダーたちはもっとひどい理不尽にさらされているのだから、これくらいは許してほしい。

私のようにガチャに慣れていないプレイヤーでも、選んだキャラクターに愛着を持ち、自分のペースで遊び続けられる。『P5X』にそうした余地があったからこそ、私は1年間、本作を続けてこられたのだと思う。
優等生すぎる主人公ワンダーに感じた違和感と『P5X』らしさ
周囲から明確に追い詰められていたジョーカーとは異なり、生活環境にも人間関係にも恵まれた、かなり“優等生”な主人公として描かれている。

考えてみれば『P5X』が描くのは“欲望を奪われた世界”だ。ふつうなら世界を救う物語のきっかけは“悪を倒したい”という主人公の欲望のはず。それが欠落しているからこそ、求められる主人公像が従来作と変わるのは、むしろ自然なことなのかもしれない。
『P5』におけるジョーカーの“反逆”は、境遇に対するものだった。世界に怒りをぶつける行為とも言える。一方で、ワンダーが向き合ったのは、おそらく自分自身の内面にある空白。
この主人公像は、現代の空気とも重なる。SNSや周囲の反応に影響され、自分の意志がどこにあるのか見えにくい世の中。強く抑圧されているわけではないのに、“何かが足りない”、“何者かになりたい”という不安が心に渦巻く。
ワンダーの“優等生”的な主人公像は、運営型タイトルに合わせて設計されたのだろうか。いつまでも物語を続けていくために、あえて明確な終着点を持たない主人公として描いている可能性はある。

ジョーカーのように、外側からの抑圧に正面から抗うヒーローは確かにかっこいい。私自身、そこに強く惹かれてきたひとりだ。けれども、いまの時代に求められる主人公像は、必ずしも“怒り”や“反逆”だけでは語れない。
むしろ、周りと協調し、ときにぶつかりながらもしなやかに乗り越えていくワンダーこそ、“いま”の時代にふさわしい主人公のようにも見える。『P5X』は『ペルソナ』シリーズがこの先どのような若者像を描いていくのかを示す、ひとつの分岐点なのかもしれない。
この考察の答えは、今後の『ペルソナ6』によって、少しずつ明らかになっていくのだろうか。そうであってほしい。『P5X』を1年遊び続けたいま、私はその未来をとても楽しみにしている。
ジョーカー愛から始まった『P5X』との1年。今後の物語と怪盗団の行方にも期待

欲を言えば、もう少しイベントとしての広がりも見てみたかった。リズムゲーム要素は楽しめたものの、サイドストーリーやキャラクター同士の掛け合いがもっとあれば、さらに印象に残るコラボになったはず。ここでしか見られない関係性も見たいのだ。
そして何より、今後のメインストーリーはどこへ向かうのだろう。ワンダーはこの先、自分の欲望とどう向き合っていくのか。『P5X』の怪盗団はどのような形で世界に欲望を取り戻していくのか。そして、ジョーカーをはじめとした歴代キャラクターたちとワンダーたちの物語はどのように交差していくのか。
『P5X』は単なるスマートフォン・PC向けの『P5』ではなかったのだと改めて感じる。『P5』のスタイリッシュなUIや音楽、学校生活と怪盗活動を行き来する構造を受け継ぎながらも、テーマは別物。欲望に支配された世界ではなく、欲望を奪われた世界。明確な反逆ではなく、失われた主体性を取り戻していく物語。そこには、現代に合わせて再解釈された“もうひとつの『P5』”がある。
ジョーカー愛から始まった『P5X』との1年。きっかけは、たしかにジョーカーだった。しかし、1年ほぼ欠かさず遊び続けたいまは、ジョーカーだけではなく、『P5X』そのものを見届けたい気持ちも強くなっている。これが、ワンダーに取り戻してもらった筆者の欲望だ。














