『塊魂』高橋慶太氏×『ゲームゲノム』平元慎一郎D! 高橋氏最新作『to a T』の世界に迫る、ユルくてディープなT対談

『塊魂』高橋慶太氏×『ゲームゲノム』平元慎一郎D! 高橋氏最新作『to a T』の世界に迫る、ユルくてディープなT対談
 『塊魂』などで世界的に知られるゲームデザイナー、高橋慶太氏。その最新作となる『to a T』(トゥー ア ティー)がプレイステーション5、Xbox Series X|S、PCで配信中だ。

 ユルくてミョーにクセになる世界観とユニークなゲームデザインが特徴の高橋氏の作風にもれず、『to a T』もちょっと変わった作品。両腕が横に伸びたTポーズのまま暮らしている主人公“ティーン”と周囲の人々の波乱万丈な日々が描かれる。

 さて、その不思議な高橋イズムの根底に流れるものはなんなのか? 普段生活するアメリカ・サンフランシスコから日本に一時帰国中の高橋氏と、古今東西のさまざまなゲームを深く掘り下げる番組
『ゲームゲノム』の平元慎一郎ディレクターによるスペシャル対談が実現。その内容をお届けしよう。

 なお、本対談では『to a T』の一部ネタバレも含まれるため、未プレイの方はご注意いただきたい。
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高橋慶太 氏たかはし けいた

ゲームデザイナー。『塊魂』『のびのびBOY』などを手掛けた後、海外に進出。『Wattam』などを手掛ける。独創的な世界観やゲームデザインで知られる。最新作は自身のスタジオuvulaで開発した『to a T』。(文中は高橋)

平元慎一郎 氏ひらもと しんいちろう

NHK総合『ゲームゲノム』総合演出 兼 ディレクター。NHKラジオ『ヒデラジ∞』、TGS2024『NEW GAME +』、NHKスペシャル『ゲーム×人類』など、ゲームに関連した番組を数多く手掛ける。(文中は平元)

「『塊魂』はスティックが壊れるほど遊んだ」

――おふたりは初対面ということなんですけども、一時期『ゲームゲノム』の企画の話もあったそうですね。

平元
 そうですね、子どものころから高橋さんのことはクリエイターとして存じ上げていて、『塊魂』はもうアナログスティックが壊れるんじゃないかというぐらい遊び倒させていただいたんですけども。

 いまNHKで『ゲームゲノム』という、ゲームをひとつひとつ真正面から取り上げるという番組を作っているのですが、実はレギュラー化する前の「一本だけ作らせてください」というとき(※いわゆるパイロット版)の“今後のラインナップ”に『塊魂』を書いていたぐらいなんです。

 それで2年ほど前にいろいろな方に「どうやったら高橋さんに会えますか」みたいな話をしていて、その時はタイミングなどが合わなかったのですが、今日こうしてこ縁があって会わせていただいたという感じですね。

――2年前というと、このゲームの開発ではどのくらいのタイミングですか?

高橋
 絶賛開発中というか。『to a T』はスケジュールが多分2、3回延期になっていて毎年締切に追われている感じだったので、そのお話をもらったときも余裕がなかったんだと思います。僕なんかより上田さん(『ICO』『ワンダと巨像』などを手掛けた上田文人氏)がいいんじゃないかって……。

平元
 番組上は高橋さんにスタジオに来てお話いただきたかったりもしたので(出演が難しく)、「じゃあちょっとまた別のタイミングでもう1回お声がけさせていただいてもいいですか」みたいな形だったかなと思います。

「クリエイターの存在が気になるゲーム」

――平元さんから見た『塊魂』とか高橋さんのクリエイターとしての印象ってどうですか?

平元
 これはちょっと言いかたが難しいんですけど、“クリエイターさんの存在が気になるゲーム”と“気にならないゲーム”ってなんとなく僕の中にあって。どちらがいいとかっていうことではないんですが、やっぱり『塊魂』は圧倒的に気になったうちのひとつでした。

 それこそファミ通の記事とかを読んでゲームについて調べていく中で、「高橋さんって、いったいどうやってこれを考えついたんだろう」と。球を転がす、巻き込んで大きくしていくっていう仕組みがほかにない新しさだと感じたし、それでいて極めようとするとけっこう難しいゲームでもあったりするんですよね。

 ほかにも、ポップな絵柄で、転がして巻き込んで大きくするっていうわかりやすいゲームなのに、じつはちょっとシビアなところもあったり、主人公の王子と王様の関係性にちょっとピリッとする雰囲気もあったり。

 「これはどういう人が発想して、どうしてゲームにしようと思ったんだろう」という印象がありましたし、今回『to a T』をやらせていただいても、あのときとまったく同じ気持ちでした。遊びながら「このアイデアはどっから出てきたんだ?」と。

ゲームをあえて真っ正面から語ることに取り組んだ『ゲームゲノム』

――高橋さんは『ゲームゲノム』をご覧になったことは?

高橋 
『ストリートファイター』の回を観ました。ゲームがこんなNHKの番組になるなんてすごいな、21世紀だなとすごい感銘を受けています。

平元
 ありがとうございます! コンセプトとしては、真面目な番組として作っているんですよ。真っ正面から丁寧に「このシステムはこうで、こういう歴史があって、(プレイヤーは)こういう気持ちになるんじゃないか」という切り口でゲームを扱う番組はこれまでなかったんじゃないかなと思って立ち上げたのもあって。

 ゲームってそもそも「遊んでてなんかおもしろい」というだけでもいいと思うんです。だけど、それをあえてああいうふうな形で真面目に語っちゃおうみたいなところをやっているんですが、どうでしたか?

高橋
 あぁでも「言っちゃいけないこととかはさすがに言わないんだな」とか(一同笑)。まぁ、それはそうですよね。だけど、ゲーム作りってすごい大変だし、絶対に辞めたいときとかもあっただろうから、そのあたりのクリエイター側の自問自答や葛藤も聞きたいなと、そんな感じですかね。会社にやらされてるのか、本当に自分がやりたいのかとか。できればそこまで聞きたい……けど、絶対言えないと思いますが。

“不思議”が“当たり前”になっていく不思議なゲーム

――平元さんは、今回『to a T』をプレイされての感想はいかがでしたか?

平元
 そうですね、なんていうか、やっぱり“不思議なゲーム”だなと。

高橋
 (意外そうに)マジですか、不思議ですか……。

平元
 今日はその“不思議”に感じた部分をちゃんと説明したいなと思っていろいろ考えてきたんですけど、まずこれは“気付き”のゲームだなって思ったんですね。

 ティーンの日常を追いながら次第に自分の価値観なんかを重ね合わせていくと思うんですけど、最初はちょっといろいろギョっとするというか。なんでTなんだとか、部屋から出るときにいきなり引っかかってスティックを倒さないと出られないとか、そこに(Tポーズがゆえに普段からそうしていることを示す)足でこう蹴ってドアを閉める動きも入ってたり。
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平元
 そのあとシリアルを食べる場面があったかと思ったら、学校行ったらちょっといじめられていたりして。そもそもの主人公の設定自体にところどころ不思議なところがあるから、まずそこに驚きがある。

 でもそれが、ゲームの中でティーンをインタラクティブに動かしてシリアルを食べたり、歯磨きしたり目ヤニとかを取るのを体験していくうちに、最初は戸惑いもありつつも、自分がティーンに“なっていく”ことで少しずつわかっていくというか。
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平元
 そうするとまた気づいていくことがあって、キリンとかがふつうに住人としているわけですよね。でもそういうことが当たり前にある街なのに、なぜかティーンがTになっていることだけからかわれている不思議さとか。

 でも、「ティーンもティーンで偏見を持っているな」とも思うんですよ。僕はRPGとかで町にいる人全員に話を聞きたいタイプなのでこのゲームでもそうしたんですけど、ちょんまげっぽい髪型している人に、ティーンが「あなたはお侍さんですか」って聞いちゃったり。その人に「いや、好きでこの髪型やってるだけだよ」って言われて、まぁティーンも外見で決めつけてるよなぁって。誰しもにその人だけの“ふつう”や“当たり前”があって、当然なんですけどそれがみんな違うということにも少しずつ気づいていくのがステキな時間でしたね。
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そういうことあんまストレートに言うもんじゃないよ、的な。
平元
 だんだんTであることがプレイヤーにとって当たり前になっていって、物語の中でも仲間が増えていってプレイの幅が広がっていく中で、最初に感じていた戸惑いとか違和感みたいなものがどんどん“当たり前”になっていく。

 それでゲームを終えて日常の世界に戻ってくると、ここでいう当たり前とか偏見って身の回りで言えば何かなって思い始めて、ちょっとドキってする。そんなことを思いましたね。合ってるかな? 僕はそう思った、っていうだけなんですけど。

高橋
 ありがとうございます。それぞれの受け止めかたがあるし、正解なんてないですからね。

――先ほど平元さんが「不思議なゲーム」とおっしゃったときに意外そうというか、「そう捉えられるんだ」というような反応をされていた気がするんですけども。

高橋
 もういくつもインタビューとか受けていて、そのたびに「変なゲームだね」とか言われていたんですけども、僕の中では設定としていままで作ったゲームの中でいちばんわかりやすくて、ふつうというか……“ふつう”って言葉は好きじゃないですけど、“変わってはいない”という思いで作っていたので。

 別にネガティブな感じではないですけど。確かに「なんでキリンがいるんですか」とか、「なんでデカい鳩が」みたいなこともあるんですけど。でもなんというか、キリンみたいな人とかいるじゃないですか。この人カバみたいだなとか、キャップ被ってたらハトみたいだなとか。そういう擬人化じゃないけど、そういう発想は普通にあって。

 僕ももういい歳なんで、あと何年ゲームを作れるかわかんないから今回はもうやりたいようにやろうと。変に制限をつけないで自分が表現したいことをやってしまえばいいじゃないか、みたいな。そういうリミットを外した部分も多少はありますね。
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インタラクティブという呪い/作品で人を笑顔にするということ

――リミッターを外すと、高橋さんの言うオーソドックスな方向に行くのが意外な気もするんですけども。

高橋
 ああ……僕は大学で彫刻を勉強していて、そのときに気付いたというか、「彫刻って本当に不必要なものだな」ってずっと思ってたんですね、入ったときから。だけど立体物を作るのは好きで、じゃあどうやったら物を作ることを許されるのかという巨大な疑問に立ち向かおうと4年間かけて出た答えが「人を笑顔にする物を作れるんじゃないか」ということだったんです。

 アーティストにはなりたくなかったので就職活動もして、自分がそういう人を楽しませるものを作れる業界ってなんだろうって思ったら、ビデオゲームじゃないかと。で、実際ビデオゲーム業界に入ったら……想像と違った(一同笑)。

 当時は1999年か。その段階で、もうなんか同じようなゲームばっかり、という印象を持ちました。「でもゲーム業界に入ったんだったらアーティストじゃなくてゲームを作んなきゃもったいない」って、それで、ぜんぜんゲームを作ったこともないのに最初からゲームのアイデアをずっと考えていて。

 で、「ゲームってなんだろう」ってそのときは考えていたんですね。それはもちろん“操作してインタラクティブ”なこと、そこを肝にしない限りはおもしろいゲームなんかできないってずっと思ってて。その結果、『塊魂』とか『
のびのびBOY』(2009年)とか、ほかにもそういう“動詞のゲーム”ですよね。転がしたり、引っ張ったり伸ばしたりっていうものにフォーカスしてたんですけど。

 『
Wattam』(2019年)を作った後に、大学時代の葛藤していた時期を思い出したんですよね。それで、僕がしたかったのは別に操作してどうこうじゃなくて、そもそもは人を笑顔にすることのほうがプライオリティが高かった、僕はいままでインタラクティブにやるという呪いにかけられていたんだ、と。
高橋
 初心に戻ってとくにメカニクスとかジャンルとかそんなところは気にせずに、自分がやりたいことをやってみたらいいんじゃないかと思ってやったと、そういう次第でございます。

――……という説明を聞いてみていかがですか。

平元
 大半のゲームはジャンルでくくれてしまうしそれで伝わるものもあるけど、『to a T』に関してはティーンとして日常を体験していくという以外、「これはなんとか型のなんとかゲームです」みたいなジャンル分けがそぐわないと感じて、そういう意味でも不思議なゲームだなと思いましたね。

いろんな人が当たり前にいる世界/大人がティーンにできること

――いきなりキリンがいるのもそうなんですけども、「あ、この動物はしゃべれるのか」とか、そういった部分にも高橋さんらしさが溢れていると思うんですけども、世界観の構築ってどうされているのか不思議で。

高橋
 だいぶ前のインタビューで、僕自身は別にゲームメカニクスみたいなアイデアを思いつくよりも、そういう“世界”を作るほうが得意だなという話をしましたよね。

――はい。PAX(2018年、アメリカ・ボストンで行われたPAX EAST 2018)でしましたね。
高橋
 僕が影響受けているのはホントに日常生活のことで……キリンが町でサンドイッチを売ってる世界は、動物が何を考えてるのか知りたいし、話してみたい、という自分の願望から始まり、キリンみたいな人もいるからそのままゲームに出しちゃおう、という軽いノリです。この軽いノリを、多様性という言葉を使って話すのはちょっと違うと思うんですが、人という漢字がふたりの人から成り立っている、と教えられてきた僕としては、他者を排除する方向に進んでる世界には抵抗を感じます。
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――最初は「障がいの隠喩かな」とか「Tっていうからにはトランスジェンダーを意識してるのかな」とか考えるんだけど、犬ちゃんやお母さんの視点なんかも入ってくることで普遍化されていって、結局ティーンという個人の物語として体験したうえで「いろいろあったほうがいいよね」というのでスッと入ってきた。そのバランス感覚がいちばんすごいなと思ったんですよ。

高橋
 うん、そこだけがテーマじゃないから。

――だけじゃないからだと思うんですよ。あくまで一部だったのがたぶんよかったのかなと。

高橋
 そうだね。いまだに何を言いたかったのかって言われたら正確には答えられないし、いろいろあるんだけど。ひとつでかいのは、子どもの世代に対しての罪悪感があって。

 とくに地球環境がおかしくなってきている中で、自分たちの子どもにはそんなところに住んでほしくないから子どもを作らないとかZ世代の子らがSNSで言っていたのを目にしたのがすごいショックで。たしかにそれに対して50歳の自分は何をしてきたのかと。

 別にこのゲームで若者の声を代弁するなんてまったく思ってないですけど、何かしら子どもたちが言っている声をすくい取ってゲームの中に出さないと人としてダメなんじゃないか、みたいな感覚があって。それで設定をティーンエイジャーにしたっていうこともあります。そしてこのゲームを遊んだら多少の人が何かに気づいてつぎの世代のために何かやってくれるかもしれないという無責任な期待を込めてます。

 街の中にお店があって洋服とか買えるんですけど、お話を進めるうえではその要素はとくに必要ないんです。だけどゲーム終盤で「中学生なんだから友だちといっしょに遊んで街をぶらぶらしたい」、ってことを主人公に言わせたいためだけにお店を無理やり残しました。いまふつうにできていることが、ふつうにできなくなるような未来は嫌だな、と。
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平元
 どの時代も複雑混迷だと思いますけど、でもやっぱりいま「これどうなの」ということが多いこの社会とか世界とかの中で、高橋さんがお話しされたことに近いあれこれは折に触れて考えますね。

 子どもという目線で言えば、純粋にその社会が残酷じゃなければいいなっていう風に思っていて。いい世の中を作るのか政治なのか教育なのか、はたまたゲームなどのエンタメや芸術なのか……いろんなやりかたや角度があると思うんです。当然、我々マスメディアにも大きな責任がある。

 それで『to a T』を遊んですごくシンプルにグサッときたのは、やっぱりエピソード仕立てになっていることですね。オープニングとエンディングのテーマ曲が流れることで、これはお話(物語)として受け取ってもいいんだっていうこと。「ティーンとして日常を生きていくゲーム」って先ほど言いましたけども、ある種のお話であり、ちょっと童話的でもあるというか。

 そしてやっぱりそこに高橋さんだからこその、押し付けがましくない「このエピソードの中でちょっと気付く人は気付いたりするよね」というような部分が確かにあると僕は感じていて、それが最後にオチもついて丸い枠が出てきてシュッとなって終わる、エンディングテーマが流れるみたいなのは、これ失礼な表現にならないか昨日悩んでいたんですけど、ちょっと“Eテレ感”がありますよね。
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Eテレ的よさ/テレビ番組化もワンチャン?

――『to a T』は今回買い切りのゲームですけども、Netflixなどサブスクの映像サービスと紐付いたゲーム配信が出てきている中で、気がついたら子どもがやってたというような日常の中に溶け込むようにあのゲームがあったらすごくステキだなと思ったんですよね。それで、話数的にはもっと広げられるような構想ってお持ちだったりするんでしょうか?

高橋
 もちろん、そうやりたいなと思っていて。あれはイントロであって、そこから違う方向に広げられたらおもしろいなと思うんですよね。

平元
 見てみたいです! もしテレビっていうものがもっとインタラクティブだったら、もうこれこのまんまでいいじゃんみたいな。「これをEテレでやってください、コントローラー付きで」みたいな、そういったことはすごく思いましたね。

 なんでかって考えたときに気づいたのは『to a T』の住人たちってみんなちゃんとエゴイスティックというか。みんなやりたいことをやってて、それはうまくいかないこともあるんですけど。すごくいいアイデアだと思ったから海の上に店を作ったらお客さんぜんぜん来ない、みたいな。でも偏見でこうなんじゃないかって決めつけてたことがちょっとしたことで「なんかそれかっこいいじゃん」ってなるとか。

 俺にはできない、私にはできないっていうことを認め合って、なんかワイワイやっていけばいいじゃない、そういうことを気付いていく。この言葉自体はあまり僕は好きじゃないんですけど、それはすごく“教育”的なものを感じました。教育テレビとかEテレみたいなニュアンス、空気感があるというか。

――CGアニメの番組だと思ってみてたら、これじつは元はゲームらしいぞ、的な。

平元
 そう。シーズン1にあたるものがゲームなのだとしたら、シーズン2みたいなのはテレビ番組になって、シーズン3はまたゲームで……ってなるとすごくおもしろそうかなと。

高橋
 やりましょうよ。ディレクターなんだからできるでしょう?(笑)

平元
 「また平元がわけわかんないことを言ってる」って言われるだけですよ(笑)。でもそれでいいか。一回ちょっと考えてみます。(高橋「いっぱい考えてください」)一回だけじゃなくていっぱい考えます(笑)
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“無駄なこと”へのこだわり

――いろんな視点があるからこそ気付くことって『to a T』の中で結構ありますよね。

平元
 本当にそうだなと思いました。一見ほかの人から変に見られることが、状況とか会う人の関係性とかのちょっとしたきっかけで認めてもらえるとか。もしくはいままで誇っていたものが別の世界に行ったらぜんぜん見向きもされないとかってよくある話だと思って。

 だからストーリー上もいろんな気付きがあるし、一輪車が手に入ったシーンは本当に高橋さん天才だなって思いましたね。乗ったときに「そうだ、だって僕らこうする(両腕をTの形に広げる)じゃん」そこでピタッと整合性がつく。ゲームで乗り物を手に入れてなんか移動が速くなるってことはありますけど、「ここまでピタッとハマることある?」みたいな。
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高橋
 それは考えすぎですよ。ってか“整合性”って言葉はおもしろすぎ。

平元
 いやいや、ティーンのTがここまでハマることあるかなって驚きましたよ。それまでシリアル食べるのとかであれだけ苦労してたのに、あれは「こう乗るよね、だからバランス崩さずにスイスイ乗れるのか」と。別にそう説明されるわけじゃないからわからないですけど、いろんなことに気付いていく感じがありますね。すいません、変な話して(笑)。

高橋
 いやいやいや。ポーズメニューに入ると鳥が来るでしょう? あれも一度、不具合がいっぱい出たんで却下しようって話になったんですよ。でも僕が頑なにそれを拒否して。

 あれはティーンがTポーズであることで人間には受け入れられないかもしれないけど(止まり木を探している)鳥には受け入れられるという貴重な瞬間なので、そこを削除するのはありえないって言って。
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高橋
 なんかそういう、あまりゲームとは関係ないところで「いや、絶対にこれはなくせない」っていうのが結構ありましたね。あれもね、最初は“場所によって寄ってくる鳥が違っていてレアな鳥を探す”みたいな仕掛けを考えてたんですよ。

 そういうどうでもいいことをやりたいがためにゲーム作ってるんだけど、なかなかできなくて。本当にAAAタイトル(※予算のデカい超大作のこと)とか羨ましいですよね。そういう無駄なことに時間をかけられる。

――でもそのぶん、我慢しなきゃいけないことが増えますから。話は変わりますが、レビューでカメラが固定でやりづらいという評価が一定数あったようですが。

高橋
 カメラね……あれは完璧じゃないのはもちろんわかってるし、すごい苦労はしてるし、もうちょっとチューニングはできるんですけど……ホントに、右スティックをカメラにしか使わないみたいな、そういう固定観念が本当に嫌で、そこにまだ抵抗しているっていう感じですかね。

 よりよい、もっといいアイデアとか見せかたができれば、こんな言いわけくさくない感じになるのかもしれないですけど。『Wattam』のときもあったんですよね。あれはどうやってカメラ操作するか忘れたけど(※PS配置の場合、L1/R1でズーム、L2/R2で回転)、あれは右スティックで(カメラではなく)操作対象にするキャラクターを選べる。
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高橋
 その時から本当に、カメラが後ろから追いかけてくるゲームを見た時点で「あぁもうぜんぜんやりたくない」と思うぐらいの……もうなんかそういうフォーマットから早く脱すればいいのに。

 わかりますよ、なんかこのボタン押したらパンチとか、このボタン押したらジャンプっていう、そういうわかりやすいフォーマットもいいんですけど、なんですかね、(スタンダードな操作を採用することで)ゲームプレイまで固定しちゃうようなフォーマットをそのまま受け入れるのは残念だな、そこにはもうちょっと違う余地があるのに、っていうのはつねに思っちゃいますね。

――カメラアングルは全般的にかっこよくて好きでしたけどね。

高橋
 まぁね、いいところもあるよね。でも僕がやってても、「うわ、ここやだな」と思うところはあるし、いまももうちょっといいやりかたがあるだろうとは思いますけどね。

平元
 僕もすごい好きですけどね。絵本的、童話的な見せかたになっていて。もちろんゲームとしてインタラクティブに操作してティーンになっているということと、横位置(横視点)でいまティーンが学校に向かっていくという見せかたがある種僕らの(映像番組的な)画作りにも近いというか。しかもシームレスでカットシーンではないですから、ティーン自体は自由に動かせる。

高橋
 それはありがとうございます。よかったです。

――通学路で道から外れてみるとカメラが追っかけない場所があって、ティーンがどんどん遠くに行っちゃうのとかもおもしろかったですね。

平元
 そうそう。結構そういうシーンだと思ってやってみたりしましたね。あれもすごい素敵でした。

――会話シーンだとカメラの切り替えができて、ティーンと相手側のどっちの視点にもできたりするじゃないですか。

平元
 あれもびっくりしました。

高橋
 え、なんで。びっくりするんですか?

平元
 ふつうはないですよね。毎回パカパカ切り替えるわけではないですけど、たとえばキリンとの会話で、(キリンが)ティーンに何か伝えたいことがあるというときに切り替えるとやっぱりそれは印象が変わってくる。それはハッとさせられましたね。それをプレイヤーに委ねているところもちょっとおもしろいというか。
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――ディレクターズカットというか“自分カット”的に、自分の中で気持ちいいアングルをなんとなく選んでおくとかありますよね。

高橋
 そうなんだ。そこは自分の中ではふつうというか「これは当たり前でしょ」って思いながら作ってたんですけど、そこに驚かれるんですね。

 海外のメディアに「なんでこんなに違うんだ、お前のゲームは」みたいなことを言われて、「僕がゲームやらないからじゃない?」って言ったらもう「その通りだな」って言われましたけどね。だからたぶん、僕自身本当に知らないんですよ。こういうのがあるとかないとか。

 だけどかろうじて知ってたのが、アドベンチャーゲームでテキストが固定のウィンドウで出るじゃないですか。ああいう定形ではなく、吹き出しでやりたかった。なぜならマンガ好きだから。でも吹き出しの場所やレイアウトも考えたカメラアングルをやらなきゃいけなくなってしまって、超大変でした。

――そういったなかで、会話中の視点の切り替えもあったほうがいいという判断で。

高橋
 そう。さっき“インタラクティブという呪い”にかけられたって言いましたけど、やっぱりけっきょく多少は心配なんですよ、会話が多いと。黙って見てる瞬間はつまんないじゃないかなって。だから何にせよ動かせるようにしたいっていうのはありますよ。

日常をゲームにする

――それがあるからこそ、さっき言ったように自分でしっくり来るカットを選んでみたりっていうことが味わえるんだろうと思います。たとえば目ヤニを取るにしても、最初はやらなきゃいけないんだけど、つぎからやらなくてもよくなって、選択できる自由もありつつ、ついそのままやるとか、逆にやらずに飛び出て「やっぱ汚れてるな、ふつうの会話してるけどバレてないかな?」っていう不安のおもしろさなんかもあって。

高橋
 あれはゲーム的に強制したくないっていうのがあったけど、お母さんも言ってるように「もう13歳でいい大人なんだから自分で決めろよ」っていうメッセージのほうが本音かな、僕からしてみると。

――逆に実生活で習慣になってないことをゲームの中で習慣としてやってましたからね。平元さんはどうでしたか?

平元
 毎回取ってましたよ。というのも一度あるエピソードの中で、仲間とエモーショナルな感じの展開になっているときに(汚れが)気になっちゃって。ティーンエイジって自分ができること、やりたいこと、でもできないこと、がんばりたいこととかいろいろある中で、「自分で自由にすれば」とか言ってくれる人たちもいるというような時期だと思うんですよね。

 大体が失敗して後悔することばかりですけど、いま話したこと(感傷的なシーンなのに目ヤニが汚い)とかも、プレイヤーとして半分ティーンになっている自分としての後悔というか。ちょっとしたことなんだけども、そういうこともティーンエイジャーならではのことだし、それがゲームとして表現されてる。しかもそれが目ヤニとかで気付かされるっていうのは、それは高橋さんじゃないと思いつかないなとか、そんなことを思いました。

――顔を洗ったり歯を磨いたりっていう行動を入れたのはなぜですか?

高橋
 ゲームって大体ボタン押してアクションするでしょう? 大体のゲームだとジャンプとかパンチ、キック、撃つとかそういうシンプルでクイックなアクションでしょ。

 それはいいんだけど、ご飯食べたり歯磨きするのをゲームの中で表現するのってすごく難しいなって思ってたんですよ。すごい複雑だし、しかも結果はおもしろくないし。腕を伸ばして歯磨き粉を取って、キャップを開けて置いて、右手で歯ブラシを取って、歯磨き粉をぎゅっとやって……もうこれだけでエンジニアとアニメーターが3ヵ月だか4ヵ月取られる。
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高橋
 しかも一連の流れのシーケンスにしかできない。途中でやめて違うことをしようとかまでは絶対できない。それは本当にやりたかったんだけど。日常生活のなかでやっているこの複雑なこと、それをゲームの中で再現したいと思っていたんですよね。キックとかパンチとか人を殺すアクション以外の表現で勝ちたいっていう、対抗心みたいな。

 でも悲しいかな、そこにはカタルシスがないじゃないですか。たとえばドッジボールにはシューター(FPS/TPS)と同じで狙って当ててやったっていう瞬間があるけど、歯磨きにはそういうカタルシスがない。
 
 そこで『to a T』のTポーズにハマるというアイデアをひらめいて、(Tポーズなら)複雑な動きをもうちょっとシンプルにできて、かつそこにゲームっぽい要素を入れれば、いい感じにまとめて表現できるんじゃないかって思ったんですよ。

 歯磨きとか顔を洗うのをシミュレートしてるだけだから「それもひとつの新しい表現」というほどではないですけど、可能性は広げられるのかなって思って……やってみたらいちばん時間がかかった。

 理想としては朝ご飯食べるときもミルクとかシリアルの箱とかを持って注いで、途中でやめたりしたいんですよ。それで食べてみよう、うん、やっぱもっと食べたいってやれるような本当にフレキシブルなものにしたかったんだけど、それをやったらもう開発が終わらないので。ブレックファースト(朝食)シミュレーターなだけになっちゃうから。

――でも、シリアル入れてる途中で「もういいかな?」って思うと、ティーンが「もっと」って言ってくるのすごくよかったです。「はいはい」って入れたくなります。

高橋
 あれは不思議ですよね。僕も作ってて「そうだね」ってなります。なんでしょうね、うまく説明できないですけど、あの感覚はいいですよね。

――平元さん、そのほかに不思議だったポイントはありますか? エンドロールでゲームできるの気付きました?

平元
 え、気付きませんでした。エモい気持ちでただただ鑑賞しちゃってました(笑)。

高橋
 お話が終わってエンドクレジットが流れるの覚えてますか? あれが全部インタラクティブでゲームになってるんです。主題歌が流れている3分間ぐらい。歯磨きとか着替えとか全部短いカットでつながってるんですけど。

 あれもナラティブなゲームだから、最後どうやって終わらせようかなっていう悩みがあったんだけど、いわゆる“ザ・ゲーム”な感じだと最後にスカッとした気持ちで終わるとか。

 やっぱりそこで操作して終わりたい。けっきょくね(インタラクティブ性に)呪われてるから。最初は単なるカットシーンで終わらせようと思ってたんだけど、お話が続いていく後半でさらにムービーをただ流してるだけだったら、僕自身ちょっと嫌だなと思ったんで、あれも無理やりエンジニアに言って「全部つなげよう。そうしないとパッケージとしてよくない」って。

「ティーンがTであることを特別視したくはなかった」

高橋
 話で奇妙だなと思ったところとかありませんでしたか? お父さんが宇宙人だみたいなところって素直に飲み込めました? ハンマー投げの選手だったとか。

平元
 いやあのあたりまで行くと(高橋「麻痺してる?」)麻痺してる。本当にそうですよ。高橋さんのゲームだから、どの角度からどの体の部分をグサッと刺される(ような意外性)かわからないみたいな感覚で臨むんですけど。

 今回はそもそもの設定のユニークさとポップさみたいなのがあって、いろんなものに気付いていく中で自分の感覚もそこにリンクしていくといううちに、そのころにはできあがってましたね(笑)。

 やっぱりというまでは行かないですけど、「そういうことだったんだ、そっかそっか」というような気持ち。ゲームとかお話のエキセントリックな部分はもう、そこに地続きの当たり前感ができあがっているというか。

高橋
 それはおもしろいですね、なるほど。

平元
 たとえば序盤でキノコが黒魔術をたしなんでいることをみんな当然のものとして受け流すじゃないですか。あのへんはまだこちらの準備ができてないから「これはみんなスルーするんだ?」みたいな感じですけど、中盤以降はどんどん自分の中で受け入れ体制ができているっていうのも、やっぱりこのゲームをプレイしていく中で人間として感覚がちょっと違ってくるっていう所がありましたね。
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――自分はTになった理由があるんだというのも驚きましたね。もしかしたら何も説明がないんじゃないかと思っていたので、ちゃんと理由があったんだと。

平元
 それは僕も思いました。ティーンがTであるっていうことは「そういうものだから」でそのまま行くのかなって。

高橋
 ああ、そうなんですか。でもエピソード2で隕石が落ちてきたり風車が飛んでいったりしたじゃないですか。あれはなんだと思いました?

平元
 お母さんが「そろそろ言わなきゃ」みたいなことを言ったりもするけど、それはそれで別の伏線じゃないかなとか。しばらくそのあたりのフリも出てこなくなって、もっと地続きのティーンの心情変化とかが中盤しばらくぐらいまで描かれているから。

 こっちもある意味麻痺して、もはやティーンがTの字であることに何の疑問も持たずに毎回ゲームを起動しているので。そこで伏線として回収されるんだと。

高橋
 でも、だんだんTであることの意味性とかそれを活かしたゲーム性がなくなっていくから残念とかおもしろくないみたいなレビューやプレイヤーの反応もあったりして、それは100パーセント理解するんですけど。

 ティーンはTの形であることが当たり前だから、そこを僕としては最後まで特別視はしたくないんですよね。それは当たり前のことで、そこに絡めた何かを最後までしつこく持ってくるのは、まぁゲームとしては正解なのかもしれないですけど、お話としては僕はそれを選ばなかった。ゲームデザイナーとしては50点なのかもしれないけど。

――ただ世界の中で受け入れられて、むしろTであることがかっこいいみたいな存在になるなかで、ゲームシステムとしてことさらにそこを取り上げていたら逆に悪目立ちしてしまうということもあったんじゃないですかね。

高橋
 そうかもしれないですね。もうちょっといいまとめかたがあったのかもしれないなとは思いますが。まぁそれはまた今度ですかね。

――プレイヤー的にTポーズであることの引っ掛かりがなくなっていくのはおもしろかったですけどね。教室に入るときとかに最初のうちはいちいち引っかかるからちょっとパズルアクションみたいな頭で角度調整とかするんですけど、終わりのころになってるともうティーンの日常が自分自身の日常みたいに慣れてるから、そこは気にせずストーリーに没頭してる。

平元
 学校で生徒にぶつかっちゃったりすると申しわけないんですけど、だんだん避けるのもうまくなるんですよね。日常になってくる。それが最後まで貫き通されてるのはやっぱり意図されていることなんだろうと思いながらプレイしてましたね。

高橋
 言わずとも伝わっていてありがたいです。

――相棒としてとても頼りになる存在の犬ちゃんはどうでした?

平元
 これも高橋さんマジックなんだなと思ったんですけど、Tポーズであることは揶揄されたりもするけどキリンやDJの鳩がいるのは普通という、なんとなくこれはすでに受け入れられていることで、ここはまだというのが混在している世界で、犬ちゃんはずっとそのあいだを行き来している感じがあったんですよね。

 つまり具体的なコミュニケーションは取れないのに、なんか僕らプレイヤー側にはすごい指示をしてくれる。かと思えば犬ちゃん主体のエピソードが入ってきて「やっぱり人間の言葉はわかってなかったんだ」ってところで頭がぐちゃぐちゃってなるんですけど。

 ゲーム的なことになってしまうんですが、主人公に感情移入したりしなかったりするなかで、横にいる犬ちゃんの姿勢だけは絶対変わらないんですよね。ここは吹き出しで説明してくれるけど、基本的なコミュニケーションは「ワンワン」しか言わないという感じ。普遍的で曖昧な存在というか、ここまではコミュニケーション取れるけど、これ以上は取れないんだっていうところで、ひとつあいだをつないでいる存在なんだろうなって思いながらやっていました。

――犬ちゃんは開発の初期から入れていたんですか?

高橋
 いちばん最初に考えていたのは、お母さんがDIYに長けた発明家で、ロボットとかを自分で作ってティーンを助けているっていう設定を考えていたんですけど、それじゃつまんないな、ぜんぜん現実味がないなって。

 Tポーズをしている時点である程度現実味がないので、より一層現実味が薄れるなと思い、それでサービスドッグとかいるじゃないかと。介護犬ですね。そのほうがかわいいし、フレキシブルだからそうしようと。

――先ほど平元さんがおっしゃっていましたけど、犬ちゃんの視点になったときに「人間の言葉は伝わってなかったんだ」とわかるのは、当たり前だけどちょっと衝撃がありました。
平元
 それでもなおいろいろなシチュエーションでお互いが求めていること、なんとなくこうしてほしいんじゃないかと察するようなのって、人間と人間でもあることだと思うんですけど、そういうことの象徴にも思えたし、「わかってない」とはいえ「伝わってる」こともあるというのも同時に思ったんですよね。
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「人間、よくなれるじゃん」という一種の人間讃歌

――高橋さんから平元さんに聞いておきたいことなどはありますか?

高橋
 どのキャラクターが好きでした?

平元
 キリンですね。サンドイッチ屋のキリン。プロモーション素材でスクリーンショットとかが出たときに、集合写真みたいな1枚絵のなかで、キリンだけ首を曲げて映ってたんですよね。そうしないと映り込めないからなんですけど、なんかああいうところに何かが宿っているんだと思うんです。写真撮るよっていうときに中腰で画角に入ろうとしてくれる人とかっているじゃないですか。
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平元
 僕が『to a T』をプレイして思った“気付いていくこと”とか、それを受け入れるか受け入れないかは人それぞれだと思いますし、何が好きで嫌いかとかは価値観としては自由に選択したらいいと思うんですけど、誰かの何かしてほしいとか気付いてほしいとか認めてほしいというようなことに対してアプローチする方法ってすごくたくさんある。それに気付かされるゲームだと思ったんですけど。

 もちろんティーンがいちばん印象に残ってるんですけど、発売前からずっと気になっていたのは集合写真を撮るときにちゃんと首をあそこまで曲げるキリンなんです。勝手にそこにすごい高橋さんらしいメッセージを感じてしまって。

 あと、服を着替えて歯を磨いて家に出ていちばん最初に出会うのがキリンで、「え、キリンいるの?」という戸惑いと、そこで「これはこの世界ではふつうだよ」というのを最初に教えてくれるキャラクターでもあると思っていて、なんかそれが印象に残っています。

高橋
 僕はコーラス隊と、“働鬼益男(はたらきますお)”と、あの忍者たちが。忍者は1回しか出てこないし本当に無駄でたいへんだったんですけど、いいですよね。ペンギンが腕を鍛えているのは空を飛びたいからという、なんて深いメッセージでしょう……。
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平元
 僕はあと、先生たちのぶっ飛んでる感じがどれも好きですね。白鳥先生とかは生徒たちを電車と競争させる授業をやりますっていうことを言いわけせずにストレートに「じゃあはい」と出してくるような感じ。自分の夢を速攻でティーンに重ね合わせちゃうみたいな。

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高橋
 超ピュアなんですよね。

平元
 そうですね。このゲームに出てくるキャラクターたちがみんな持っているのは、ピュアとエゴの表裏だなと思っていて。みんなそういうやりたいこと、逆にやりたくないことを素直に伝えていいんだよっていうのはゲームで何度も出てくることで、なんだったらいちばんそこに奥手だったのがティーンだったとも言えるんじゃないかと。

 それがどんどん変化していく、そういうきっかけにあるのがああいう、すごくピュアでエゴな思いを持っていて、「いいこと思いついた」ってなったらすぐにいっしょにやろうと言えちゃうような人たちが、自分や周囲に新しい気付きや変化をもたらしてくれるのかな、とか。

高橋
 そうですね。あえて人間のいいところしか描いていないですよ。

 もういいバイブス、人間いいじゃん、クレイジーだけどわかる、みたいな人間讃歌でもあるし、人間の奇妙さを理解しなきゃいけないんだけど、それを理解したうえでやっぱり人間いいじゃんというところはありますよね。いいじゃんっていうか、よくなれるじゃん、楽しめるじゃんって。

平元
 『to a T』なのか、僕の学生時代のアイドルである『塊魂』なのかはちょっとわからないですけど、また企画を練って、『ゲームゲノム』でお声がけをさせていただけたらと個人的には思っています。ずっと続けていきたい番組だと思っていますので。

 新作としては2025年7月27日(日曜・土曜深夜)に『
MOTHER2 ギーグの逆襲』の拡大版を放送しますので、もしよかったらご覧ください。

――『ゲームゲノム』はさらにつぎの展開も?

平元
 この記事の段階では詳しくはお伝えできないんですけど、『ゲームゲノム』のチームとしてはまた皆さんに新しい何かをお届けできるように準備しております。いくつかあって……けっこう驚いてもらえると思いますので楽しみに待っていただけたら。高橋さん、今日はありがとうございました。

高橋
 ありがとうございました。楽しかったです。
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      集計期間: 2025年07月12日20時〜2025年07月12日21時