『スターフォックス』『F-ZERO』の今村孝矢氏が任天堂での開発の日々を振り返る。最新作『オメガ6』につながるレトロな作風の原点に迫る

byカイゼルちくわ

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『スターフォックス』『F-ZERO』の今村孝矢氏が任天堂での開発の日々を振り返る。最新作『オメガ6』につながるレトロな作風の原点に迫る
 シティコネクションから2024年7月25日に発売予定の、Nintendo Switch用ソフト『OMEGA 6 THE TRIANGLE STARS』(オメガシックス ザ・トライアングルスターズ)。その原作は2022年に漫画家としてデビューした今村孝矢氏の作品『OMEGA 6』であり、本作の全グラフィックもまた今村氏が担当するという。
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 今村孝矢氏と言えば、任天堂でスーパーファミコンのローンチタイトルのひとつである『F-ZERO』(任天堂/1990年)から始まり、『スターフォックス』(任天堂/1993年)などのさまざまな作品のアートを手掛けたクリエイター。スーパーファミコンからニンテンドウ64の時代を通ってきた筆者の世代にとっては、そのイラストタッチはじつになじみ深い。今作
『OMEGA 6 THE TRIANGLE STARS』(以下、『OMEGA 6』)のイラストを見て、今村氏が携わったタイトルを思い起こした人も多いかと思う。

 氏が漫画家としてデビューしたと伺った時点でも驚かされたが、そのデビュー作をコマンド選択式のアドベンチャーゲームという、レトロな作風でゲーム化するにいたった経緯も大いに気になる。今回は今村氏ご本人に、本作制作までの経緯や、氏が持つ“レトロフューチャー”作風の原点について、このタイミングだからこそ改めて詳しく訊いてみた。昔を知る人には非常に懐かしく、いまの若い世代には逆にそんな時代があったのかと新鮮に見えるであろう以下の内容、ぜひご一読いただきたい。

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今回のインタビューは今村氏に昔を思い起こしていただく意味も込めて、氏と同じく任天堂でご活躍されていた橋本徹氏が経営する隠れ家的会員制食堂“84”で実施させていただいた。

今村孝矢氏いまむらたかや

任天堂情報開発本部制作部に、1989年から2021年まで勤務。『F-ZERO』シリーズや『スターフォックス』シリーズ、『ゼルダの伝説』シリーズなど多数作品のアートディレクションを担当。任天堂退社後は大阪国際工科専門職大学にて教授職に就任しつつ、フリーランスイラストレーターとして活動。2022年10月に漫画家デビュー作『OMEGA 6』がフランスのOmaké Booksから発売された。以下、文中は今村。

今村氏の来歴と代表作にと、改めてルーツを探る

――まずは今村さんの来歴について、さかのぼれるところから改めて伺ってよろしいでしょうか。

今村
 もともと子どものころから絵を描くのが好きでして、さらに父親が漫画家だったんですよ。そのおかげで家庭にはこうした仕事にも理解があって、勉強もあんまり好きじゃなかったし、遊んでお絵かきばかりさせてもらううちに能力を伸ばさせてもらえたのかなと。

――すると、幼少のころから漫画家になりたいと思われていたわけでしょうか。好きだった漫画家の先生などはいらっしゃいましたか。

今村
 漫画家にはずっと憧れていましたね。好きな作家さんとなると少し困るのですが、それこそ手塚治虫とか、フランスの漫画家のメビウス(※)とかになってしまいますね。日本の漫画やアニメには、あまりなじみがなかったかもしれません。
※メビウス:フランスで40年以上に渡り、西部劇作品やSF、ファンタジー作品など多数の著作を手掛け、『エイリアン』などの映画にもデザイナーとして参加した漫画家ジャン・アンリ・ガストン・ジロー氏のペンネームのひとつ。『パンツァードラグーン』(セガ/1995年)製作陣に多大な影響を与え、同作パッケージアートを担当したことでも知られる。
――手塚先生までいくと、好きとかいう次元では扱えませんね。

今村
 そんな中で初めて洗礼を受けたのが、『スター・ウォーズ』(※)です。小学校6年生くらいにブームが来まして、一気にグローバルな目線になったんです。「外国すごい!」という感じで。

 ほかの少し前や同世代のクリエイターさんの多くもそうだったのではないでしょうか。任天堂なら宮本茂さんとか、漫画家なら鳥山明さんとか。
※スター・ウォーズ:1977年公開の第1作(エピソード4/新たなる希望)から始まり、いまなお新作が作られ続けているSF映画シリーズの金字塔。CGがまだ普及していない時代、模型や特殊効果による手作りで巨大な宇宙船や異形の宇宙人、未知の惑星などを表現し、全世界に衝撃を与えた。
――そうですね、世代的にはそうなりますよね。

今村
 そうして『スター・ウォーズ』を観るために劇場に何回か連れていってもらって、もっと観られるようになったのは高校生のころになります。ようやくビデオデッキが普及し始めて、初めて日本テレビで『スター・ウォーズ』を放送するという話になりまして(※1983年、水曜特別ロードショー)。それに合わせて、なんとかビデオデッキを買ってもらいました。

――昔は映画をビデオで予約録画して、何度も観るのがつねでしたね。

今村
 それはもう、テープがすり切れるのではないかというくらい観ました。セル(店頭販売)ビデオなんて、まだ20000円とかしていましたし。そのあと、レーザーディスクは永久に画質が落ちないという話を聞いて、「すげぇ!」って思いまして、入学祝いにデッキを買ってもらいました。パイオニアの、20万円くらいのでしたね。

――高かったですよね。ソフトのほうもかなりしましたし。

今村
 バイトをして、大阪・梅田の輸入レコードやビデオ、レーザーディスクを売っている店に行っていろいろ買っていました。映画の日本版というのはまだぜんぜん売っていなかったんですよね。それで観てみると、もう何を言っているのか、さっぱりわからなかったんですけどね(笑)。

――そうして学生時代は、いろいろと映画をご覧になっていたわけですね。

今村
 大人になってから、初めて自分のクルマを買ってうれしいと思うことがありますよね。僕にとってはレーザーディスクが、たぶんそれにあたったと思います。『スター・ウォーズ』2作目の『帝国の逆襲』のレーザーディスクを、すり減らないけどすり減るほど観ていました。

――当時映画のほかにも、なにかハマっていたものはあったのでしょうか。それこそゲームなどは?

今村
 ゲームももちろん好きで、高校のころからゲームセンターに通っていた世代です。ベタですけども、『ゼビウス』(ナムコ/1983年)とか『ギャラガ』(ナムコ/1981年)とか。もっと言えば、中学のころには『スペースインベーダー』(タイトー/1978年)ブームが来ていたんです。

――まさにインベーダー世代ど真ん中だったわけですね。

今村
 塾をサボって、親からもらったジュース代の100円や200円を持って、一発勝負のために遠くの駅まで行ってプレイしていました。あとは、人がやっているのをじーっと見ていたら、もう帰る時間だなって。

――アーケードゲームは当時からしばらくのあいだ、ゲームの最先端でしたよね。

今村
 昔は家庭用ゲームが、いかにアーケードゲームに近づくかということをゲーム好きの人たちはみんな考えていましたよね。プレイステーションやセガサターンが出たときには、「ゲーセンじゃないか!」と驚かされました。

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ゲーム中に登場する今村孝矢氏を彷彿とさせるキャラクター。そっくり!
――それを言ったら、『スターフォックス』も当時は、スーパーファミコンで3Dという時点で驚かされました。
今村
 ビデオゲームが2Dから3Dに変わっていく時代でしたね。『デイトナUSA』(セガ/1994年)とか、「テクスチャーマッピングすごい!」と感動しました。ゲームセンターに行ったら当時はレースゲームをよく遊んでいましたね。あとは『バーチャファイター』(セガ/1993年)も印象に残っています。

――お話をまとめるに、高校時代は映画とゲームにどっぷりだったようですね。

今村
 そうですね。『ギャラガ』はループさせて3時間くらいプレイしていたこともあります。敵を残して粘ると、つぎの面以降敵が一切弾を撃たなくなったんですよね。

――裏技もしっかり会得されていたんですね。そうした高校時代のあとには、大阪芸術大学へと進学されたのですね?

今村
 デザイン学科ですね。本当は映像学科に入りたかったのですが、親が「就職のことを考えて、デザイン学科だったら行かせてあげる」と言いまして。当時はデザイン学科がいちばん忙しくて難しくて、ひたすらがんばっていました。そんなところに来たわけですよ、『マリオ』のブームが。

――ああ! 1985年のファミコン版『スーパーマリオブラザーズ』発売ですね。

今村
 僕は当時寮に住んでいて、ファミコンは持っていなかったんです。寮の誰ぞが持っていて、彼のところへ行っては夜な夜なファミコンゲームに没頭していました。すごく楽しい経験でしたね。

――当時ファミコンでよくプレイしていたタイトルは何でしたか。

今村
 そう、それなんですよ。友だちが一生懸命『ドラゴンクエストII』(エニックス/1987年)をプレイしていまして、「アクションもなんにもない、字を選ぶだけ?」、「何がおもしろいの?」と思ったんです。それで友だちが「やってみれば?」と貸してくれたので遊んでみたら、それがめちゃくちゃおもしろくて! 「『I』もあるよ」と言われたので、「貸してくれ!」とお願いして、プレイしたのをよく覚えています。

――コマンド選択式のゲームも、ファミコンだとそのあたりから広く普及していったイメージですね。

今村
 ほかには当時みんなで遊ぶときは、ディスクシステムの『プロレス』(任天堂/1986年)や『バレーボール』(任天堂/1986年)、『アイスホッケー』(任天堂/1988年)などで圧倒的に盛り上がっていましたね。もちろん『マリオ』もめちゃくちゃ遊んでいました。

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クリエイター今村氏の誕生と、作風の確立

今村
 その時代についてさらに言うと、僕の中ではまだ“ゲームクリエイター”という言葉がない時代でもありました。ですので、頭の中で、「ゲームを作りたい」だなんてことは1ミリも考えていなかったんです。

――たしかに、ここまでそういった話はまったく出てきていなかったですね。

今村
 ゲームを作れる人間というのは、理系のプログラマーだと思っていたんです。僕みたいな芸大でデザインを学んでいる人間が、ゲームを作るなんてことは想像すらしていませんでした。そのとき、大学のゼミの先生がイラストレーターもされていて、ひとつ上の先輩がKONAMIに入社したと教えてくれたんです。

――当時だとアーケード版『グラディウス』(KONAMI/1985年)などを出していましたね。

今村
 ゲーム業界というものがあるということを、初めて知った瞬間でした。イラストレーターなんてすぐ独り立ちできるものでもないし、どこかのデザイン事務所に入って働くか、おもちゃなども好きだったので、タカラやトミー、バンダイなどに入って、”ZOIDS”(※動物や恐竜をモチーフにしたデザインで、ゼンマイやモーターで歩行もできた組み立て式戦闘メカプラモデル)みたいなカッコいいデザインをしてみたいなと、当時はふわっと思っていたんです。

 でも、先輩がKONAMIに入ったと聞いて、「ひょっとして、自分もビデオゲームの会社に入れるのかな」と思い始めたんです。

――そういう職種があるということ自体を、そこで認識したということですね。

今村
 考えてみれば、パッケージイラストを描く仕事とかはあったはずなんですよね。生意気な芸大生だったので、そういうパッケージのお仕事とかは少し下に見ていたんです。当時イラストレーターは超花形の時代で、ペーター佐藤さん(※)とか永井博さん(※)とか空山基さん(※)とか、流行りのイラストレーターに憧れていたんです。
※ペーター 佐藤:エアブラシを用いた画法で、ニューヨークやファッション分野でも好評を博したイラストレーター。のちにジェームズ・ディーンや美空ひばりの人物画も人気となり、ミスタードーナツの商品パッケージイラストも担当した。 ※永井 博(ながい ひろし):グアム島を原点とした明るい作風で、サザンオールスターズや西城秀樹など、多くの有名アーティストのレコードやCDのジャケットイラストを担当したイラストレーター。 ※空山 基(そらやま はじめ):艶やかな女性型メカのイラストを始め、メタリックかつ質感の豊かな作品が好評のイラストレーター。ソニーのロボットペット”AIBO”のデザイン原画を手掛けた。
――本当にすごい方々が台頭していた時代だったんですね……。

今村
 そんな時代なのでパッケージイラストというのに興味はあまり持っていなかったのですが、よくよく見てみると『グラディウス』や『沙羅曼蛇』(KONAMI/ファミコン版は1987年)のパッケージイラストって、超かっこいいと思ったんですよ。

――『グラディウス』のパッケージは、『スター・ウォーズ』にインスパイアを受けていましたよね。

今村
 こんなかっこいいイラストを描かせてもらえるならいいかなぁと、だんだんゲーム業界に気持ちが向いていったんです。それで就職活動中、KONAMIと任天堂の両方に手紙を出しまして、先に任天堂さんに採用通知をもらったので、任天堂に入らせていただきました。

――場合によっては、KONAMIに入社していた可能性もあったわけですか。

今村
 最終選考までは行っていましたからね。でも、母親が「絶対に任天堂にしとき」と言うので。たぶん、株価がよかったからですね(笑)。

――それはもう、ファミコン以降のゲーム機が売れに売れていましたからね。任天堂に入社された当時の、思い出なども伺えますか。

今村
 まず、面接官が宮本さんだったんです。時代ですよね。たしか2次面接で、仲のいい友だちと受けに行ったのを覚えています。彼もまた入社して、いまも任天堂でずっと『マリオ』シリーズの背景などを担当しています。

 その面接のときに課題の作品のほかに、未完の漫画も持って行っていまして、宮本さんがそれをずっと読んでくれたのを覚えています。
『OMEGA 6』のルーツ的な漫画で、まだ未熟だったのですが、宇宙を冒険するキャラクターの作品を作りたいと思って描いた作品を、何となく持って行ったんです。

――漫画を通じて、宮本さんと同調するところがあったのかもしれませんね。

今村
 そんな感じで入社しました。同期が50人くらいいましたね。そのうちの4人くらいが情報開発部という、立ち上がってから2、3年目の宮本さんの部署に配属されました。その年は1989年で、ゲームボーイが発売された年だったのですが、「君らにはスーパーファミコンをやってもらうで!」と言われて(※1990年発売)めちゃくちゃテンション上がったのを、いまでも覚えています。

――発売前から、社会現象レベルで盛り上がっていた新機種でしたよね。

今村
 当時、雑誌のファミマガとかで「これが予想図だ!」とか「画面の回転機能がすごい!」とか記事でやっていたときにこの話でしたからね。ネットがまだ普及していなくて情報がまったくない状態でしたから、開発現場で動く画面を見たときには心底驚きました。

――ファミ通が、まだファミコン通信だった時代ですねぇ。そうして初めて手掛けられたゲーム作品、『F-ZERO』につながっていったと?

今村
 そうなりますね。ディレクターの清水一伸さんと僕の趣味が合っていまして、当時映画だと『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』と『バットマン』(ティム・バートン監督版)が上映されていて、世間でもふたりのあいだでも話題になっていたんですよ。

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『F-ZERO』(任天堂/1990年)
――前者は空を飛ぶクルマのタイムマシン“デロリアン”が、後者は重厚な専用車“バットモービル”が人気を博していましたね。
今村
 バットモービルがとくにカッコよかったですよね。そのあたりにも我々は強く影響を受けていて、ディレクターとしてもゲームでやりたかったんだと思います。ベースの世界観はディレクターが作っていて、僕はそこにデザインやキャラクターを足したりした感じです。

――いまだからこそわかりますが、当時から完全に今村さんのテイストを体現したキャラクターたちでしたよね。続いてスーパーファミコン最初の『ゼルダ』となる『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』(任天堂/1991年)の開発に参加されたと。

今村
 『F-ZERO』と並行してずっと作っていたタイトルです。僕はボスなどをやってと頼まれていました。

――『ゼルダ』シリーズではそのまま、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』(任天堂/2000年)や『ゼルダの伝説 風のタクト』(任天堂/2002年)などに携わっていかれるわけですね。

今村
 『風のタクト』については、お手伝いした程度でした。『スターフォックス』や『F-ZERO』を抱えていましたから。

――その『スターフォックス』では、これまでのお話にも出てきたSFの世界観が全面に出ていたと思います。いま改めて、なぜ動物が主人公になったのか伺ってもよろしいでしょうか。

今村
 僕は当初『F-ZERO』のときみたいに、いかつい欧米風のキャラクターを考えていました。そこに宮本さんがスタスタと来て、「キャラクター、動物にしない?」と言ってきたんです。バリバリのポリゴンな感じの世界に動物を乗せるという、違うものを組み合わせてインパクトを作る手法がうまいという任天堂の特徴が発揮された一例ですよね。

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『スターフォックス』(任天堂/1993年)
――主人公がキツネになった由来についても、改めて伺えますか。
今村
 伏見稲荷神社が近かったから縁起もよさそうと、宮本さんがキツネにしようと発案したのがきっかけです。和風の由来つながりから、“鳥獣戯画”でウサギやカエルが描かれていたのもその一環になっています。

――のちにニンテンドウ64に開発現場が移って、『スターフォックス64』(任天堂/1997年)にも携わられましたね。

今村
 最初から最後まで、心血注いで手掛けたタイトルですね。

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『スターフォックス64』(任天堂/1997年)
――当時は初代プレイステーションで、ムービーを挿入したタイトルが全盛だったと思いますが、そのあたりはどう感じておられましたか。
今村
 当時はゲーム画面にムービーが流れ、「プレイステーションの画面はキレイだなぁ」と感じていて、ユーザーの皆さんがムービーではなくて、ゲーム画面として捉えていたんですよね。そこをなんとか変えたいという気持ちは僕らにもあって、『スターフォックス64』ではムービー的な演出として、しゃべったり音楽を豪華にするという手法に加えて、インタラクティブであることに注力しました。ムービーは流れるけど、ステージによっては結果が変わったりルートが変わったりするところにすごくこだわったんです。

――ゲームの展開や画面全般が、とにかくシネマティックになっていましたね。のちに同作は、ギネスブックにも登録されました。

今村
 それも長らく言われていたのですが、ソースはどこかわかっていなかったんですよね。最近になって、Xでそのあたりを教えてもらいました。大学へお仕事で入るときに著書などはないので、実績として出したゲームなどといっしょにギネスのことも書いたのですが、向こうで「調べたけど、ないです」って言われまして。

――海外のギネス登録がソースですから、日本の記録協会のデータベースなどだと見つからなかったのかもしれませんね。

今村
 『スターフォックス64』以降、ゲームキューブ時代になると現場よりもプロデューサー寄りのお仕事にシフトしていきましたので、僕自身が描いて作ってという仕事は極端に減ってしまいましたね。自分は職人という自覚はあったので、自分の手で作りたいと思っていたのですが、そうもいかず。

――とはいえ、セガのアミューズメントヴィジョンなど、他会社とも関わって幅広くお仕事をされていましたよね。

今村
 確かに、セガ開発の内部の内部まで入らせてもらってお仕事をした任天堂社員は、後にも先にもほかにはいないかもしれませんね。ナムコさんにも通うために、週に3日、4日は関東にいるという時期もありました。レア社さんとお仕事するために、イギリスにも最長7週、合計で半年くらいはいましたし。

――『スターフォックスアドベンチャー』(任天堂/2002年)の件ですね。

今村
 レア社さんはイギリスのかなり郊外にあって、ロンドンから電車で2時間以上かかったんですよね。真っ暗な駅についたらめちゃくちゃ飛ばすタクシーに乗って、『ルイージマンション』みたいなホテルに向かうんです。そんな珍事もありましたが、レア社とのお仕事は本当にいろいろといい経験になりました。

――そうして近年にかけてはプロデュース面のお仕事が増えていらっしゃった印象ですが、こちらは改めてやってみたいと思われて幅を広げていったわけでしょうか。

今村
 『スターフォックス』などのシリーズを見てきた経緯もあって、そういう立場に自然となっていたという感はあります。ただ、これは最近大学で学生さんに教えている中で自問自答の機会も増えた結果出てきた答えなのですが、けっきょく僕は絵を描くのが好きということです。ただ、決して芸術家などではなくて、人にものを伝達するためにもっとも得意としているのが絵なんですね。

 もともと僕はお話や世界を創る、作家的な人間なのだと思います。子どものころにそういうのを想像するのが好きで、それがそのまま続いているのではないでしょうか。

――任天堂に入社されたころからいままで、根幹は変わっていないんですね。

今村
 任天堂だと、世界観やIPの設定などから入るのではなくて、ゲームとしてのおもしろさを設計してからどんな世界を乗せるという設計手法が主だったんですよ。僕としては、その辺は少し噛み合わない部分があったかもしれません。どうしても、「SFをやりたい!」と思ったりする部分があるわけでして。

 ただ、そうした部分も含めて任天堂では「ゲームとは何ぞや」と多くのことを学べたと思っています。学べたというか、身に沁みているんです。ですので、訊かれてもうまくお答えできないんですよね。

――30年以上の時間をかけて身についたものということですね。それは確かに、言語化は難しいかと思います。

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漫画家デビューとゲーム化の経緯とは

――まだまだ過去作についてお聞きしたい話もあるのですが、そろそろ最新作『OMEGA 6』のお話に入らせていただきます。まずは『OMEGA 6』の原作漫画を描くにいたった経緯を教えていただけますか。

今村
 なんとなく子どものころの夢とかを聞かれることもあるのですが、強く思っているだけでも人間ってそちらの方向に進むものだと思うんです。自分も子どものころから表現するものを作りたいと考えていた方向に、50歳を過ぎてから進んでいく形になりました。

 そこで改めて出てくるのが、漫画家の話なんです。50代で会社的にはつぎの世代が育っていますし、いつまでも僕が出しゃばることもないなと思いまして。この辺りは、宮本さんの鉄人っぷりを見ていると勘違いしてしまいそうになるんですけどね。

――さすがに規格外過ぎるお方ですから。

今村
 そこでセカンドライフについても考えてみると、やはり人生の中で1回くらいは大作漫画を描いておきたいな、と思ったんです。ふと思い出してみると、構想自体はずっとあったんですね。それで10年スパンで物事を考えていくと、区切りとして55歳くらいがいいなと思っていました。

――そこでほかのゲーム会社への再就職などはお考えだったのでしょうか。

今村
 ちょうど運よくほかのゲーム会社などの友だちからそういう話はいただいていたのですが、それなら任天堂を辞める必要はないな、と思いまして。どうせならまったく違うことをやりたいけど、いきなり漫画家になれるわけじゃないしなあ、などと考えていたところで、「これから創立する大学でITの学科を作り、CGやゲームのことを教えられる人がほしい」というお話が来たんです。

――大阪国際工科専門職大学ですね。

今村
 タイミング的にも、僕が55歳になるちょうどその年に開講するということで、これはもう乗るしかないと転職しました。ところが大学自体が出来立てで、僕が3、4年生の担当だったので、まだ1年生しかいないときだと時間があったんです。それでもらった研究室で、ずっと漫画を描いていました。そのまま1年半から2年くらいで描き上げました。

――まさかの大学の研究室で生まれた作品だったとは。そんな『OMEGA 6』が、フランスで発売された点も気になっているのですが。

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ゲームに収録されているデジタルコミック。フランスで発表された原作コミックを全編和訳している。
今村
 フランスで刊行することになったのは、フロランさんというフランスの出版社の社長さんと知り合いだったという経緯がありまして。この方がものすごいゲームコレクターで、以前からお知り合いだったので、任天堂からの退社時に報告したときに、「じつは漫画を描いている」と、少しお伝えしたら「もし完成したらフランスで売りたいです!」と言っていただけたんですよ。実際に発売するときにはトゥールズ・ゲーム・ショーというイベントにも呼んでもらいました。

――トゥールズ・ゲーム・ショーというのは、コミコンのようなポップカルチャーの総合イベントですね。

今村
 そこからはパリのいろいろな書店を巡らせてもらってサインも書かせていただいたりして、すごくうれしかったですね。いきなり漫画家になるという夢がかなった体験でした。

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トゥールズ・ゲーム・ショーの模様より。
――執筆の時点で、この漫画をゲーム化するという構想はあったのでしょうか。
今村
 描いている時点ではそういう構想はまったくなくて、とりあえず漫画を描きたかったという想いで完成させました。ゲームについても、大学の業務をやる合間にカジュアルなゲームをいつかは作れればと思っていましたが、同じ大学の同僚の先生がゲーム関連の派遣会社を運営されていて、「何かやりましょう」というお話をいただいたところ、以前にハッピーミールさんと『ミステリー案内』シリーズを手掛けたというお話から「そういうアドベンチャーゲームみたいな作品ならできます」と伝えたんです。

――昔のファミコンのミステリーアドベンチャーのような、レトロな雰囲気がある旅情ミステリーを送り出しているシリーズですね。

今村
 僕の描いている漫画もそういったレトロフューチャーなところがありますし、アドベンチャーゲームならキャラクターを前面に出して、お話を語れるじゃないですか。やりたいことに近いゲームジャンルだと思いまして、アイデアを出し合っているうちに『OMEGA 6』を原作にしようという話になったんです。まだ日本で売ってもいない、海のものとも山のものともわからない漫画で本当にいいのかと当初は思いましたが、原作をいちから考えて作るよりはと、そこから1年半くらいかけて完成にいたりました。

――なるほど。なぜいまの世にレトロなコマンド選択式アドベンチャーなのかとお訊きしたいところだったのですが、そういうことだったんですね。

今村
 昨今のレトロゲームブームもありますし、スーパーファミコンは僕のキャリアの中でも重要なキーワードになっています。16ビット風というのも、じつにいいなあと思いまして。当時のことを思い出しつつ、色数はこんなもんだったかなと記憶を蘇らせて作っていきました。

――色数も調整されているんですね。映像からだけでもレトロな雰囲気が伝わってくる理由がわかりました。

今村
 制限を実際にかけると製作時間が増えてしまうので、意識してテイストを盛り込んだ感じです。あとは『ミステリー案内』シリーズと異なる点としては、コマンド選択式ではありますが、インタラクティブ性も盛り込んでいます。アドベンチャーというよりは、さまざまなアイテムやバトルのエンカウント、育成要素があったりと、RPGっぽい作品ですね。

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――一本道でストーリーを読んで、それで終わりという作品ではないということですね。PVを拝見するに、バトルの面ではじゃんけんのカードバトルを採用しているのが気になったのですが。
今村
 ディレクターの関さんのアイデアですね。RPGっぽいけど、がっつりとしたレベルアップや複雑なシステムの導入は避けたかったんです。あくまでアドベンチャーということでアイデアを出していく中で、誰もがわかりやすいじゃんけんであり、カードデッキで出せる手が決まることで相手との差を生み出そう、という形になりました。

――たしかに、スキルなどのシステムが入ると一気に煩雑さが出てきますね。

今村
 それをやりだすとどんどん掘り下げてしまって、どこで線を引くか難しくなってしまうと考えたんです。RPGの感じは出したいけれど、そこで経験値をもらったりといった話になると、ストーリーを楽しむよりも、キャラクターを育てる時間のほうが長くなってしまったりしますよね。そのあたりの割り切りは、うまくいったと思います。

――あくまでRPGではなく、RPG風のアドベンチャーゲームなわけですね。むしろ遊びやすくなった印象です。あと、PVには盆栽のようなものも映っていましたね。

今村
 盆栽で“パー出し”のフルーツとか、そういった果物を育てられるシステムになっています。じゃんけんカードバトルでパーを出しきってしまい、相手がグーのカードばかり持っているといったときに役立つアイテムですね。カードバトルをうまく運べるようになる要素です。

――さきほどインタラクティブ性というお話がありましたが、アドベンチャーゲームではあっても一本道のシナリオにはなっていないということでしょうか。

今村
 まず、プレイヤーが舞台となる3つの惑星を攻略する順番は決まっていません。途中で攻略をあきらめてほかの惑星に行くこともできますし、攻略ルートはかなり自由に選べるように作りました。ふつうにアドベンチャーゲームと聞くと、つぎのシーンへ行くためにどれだけ正解のコマンドを選ぶことになるのかというイメージが浮かぶかと思いますが、今回はそういった一本道の感じは避けたかったんです。

――正解のコマンドを選ぶだけで、ゲームが進んでいくというわけではないんですね。

今村
 探索要素もあり、キャラクターが100人以上出てきて図鑑に登録されるシステムもあります。ほかにも特定の敵と何回戦ったかなどのトロフィーも用意されていたりしまして、やり込み要素もぜひ入れたいと考えました。

――ストーリーとしては、原作漫画『OMEGA 6』と同じ展開なのでしょうか。

今村
 最初は原作と同じにすることも考えたのですが、けっこう膨大になるかと思われまして。主人公たちは人造人間で、新たな新天地を求めて何百年も旅をしている存在なので、いろいろなエピソードが組めるということで、ゲームはそのうちのひとつの話として独立したストーリーにさせていただきました。

――本作ではレトロフューチャーという部分も前面に打ち出しているかと思いますが、ゲームで表現するうえでとくに気を付けた点などはありましたか。

今村
 ブラウン管の解像度でドットを描けば、レトロフューチャーな雰囲気は十分出せると考えました。根本的に、昔「センスが古いな」とか言われたことがありまして、僕としても百も承知だという話なんですよね。

――そこで最新のセンスを追い求めるのではなく、今回はレトロに振り切ったということでしょうか。

今村
 いまの最先端のものに追いつくのは、たぶん無理だと自分では思っていまして。逆に、古いものならいけるなと。あえてレトロというキーワードで自分を縛っておけば、いろいろとゆるい表現なども生み出せるものでして。これは今作を完成に漕ぎつけるうえでも、大事な要素だったと思います。レトロフューチャーという世界観と、スーパーファミコンの16ビット風という作風が、キーワード的にぴったりハマったんですね。

――音楽を天宅しのぶさんに依頼されたのも、そのあたりの世界観などと関係するのでしょうか。

今村
 天宅さんはひとつ下の後輩で、『ワイルドトラックス』(任天堂/1994年)で音楽を全部やってくれました。任天堂を退社されてからはあまりお会いできていなかったのですが、昔は頻繁にいっしょに遊びに行っていたメンバーのひとりでもありました。

 今回サウンドをどうするかというときに、せっかくなので16ビット風でレトロな感じでできる人を……ということで考えたときに、天宅さんがパッと思いついたので、連絡を取りました。

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今村氏のレトロの根源を『OMEGA 6』で体感しよう

――そのレトロフューチャーについて、かなり抽象的ではありますが、魅力を人に語るとしたらどう伝えられるでしょうか。

今村
 わかりやすい、ですかね。

――まさかのひと言にまとまりましたね。

今村
 SFにおいては、最近のアニメなどでは専門用語とかも多くて小難しいし、煙に巻いて凄さを出しているような作品もあるかと思います。『OMEGA6』はそうではなくて、直感的にわかりやすいのがいいのではないかと。

――それと、今村さんの作品群を追っていくと、ほとんどの作品で『スター・ウォーズ』のように大冒険をくり広げているのも特徴かと思われます。これもルーツに根差した部分なのでしょうか。

今村
 『スター・ウォーズ』がルーツのような話は先ほどしましたが、実際にはもっと昔にルーツがあるようにも思います。昔観た円谷の作品、『ウルトラマン』シリーズ(1966年~)とかは観ていて“怖かった”という記憶があります。昔の子ども向けのテレビ番組って、怖い描写も多かったんですよね。『仮面ライダー』(1971年~)の第1話とか、トラウマものじゃないですか。

――たしかに、子ども向けと謳いながらそういう番組は多かったですね。

今村
 怖いのですが、毎回見たいという葛藤が毎日あったんですよね。『怪奇大作戦』(1968年~)とかも、超怖過ぎて。

――『ウルトラQ』(1966年~)など、当時からその流れはありましたね。

今村
 そのあたりがルーツになっている気もしまして、でも洗礼を強く受けたのは『スター・ウォーズ』という感じなんですよね。『宇宙戦艦ヤマト』(1974年~)とか、『機動戦士ガンダム』(1979年~)とかのアニメは観ていましたし絵も描きましたが、あまり夢中にはならなかったかなあ。

――宇宙を舞台にした冒険活劇や怖さを含むSF要素となると、『ヤマト』や『ガンダム』はだいぶ作風が遠いですね。むしろアニメなら、『銀河鉄道999』(1978年~)などのほうがしっくりきたのでは。

今村
 そのあたりの松本零士さんの作品には、影響を受けていたかもしれません。毎回異なる惑星に行って……という形式はストーリープロット的にも作りやすい気がしますし。そもそも、僕らが聞かされて育ったおとぎ話も『ガリバー旅行記』とか、そういう話が多かった。貴種流離譚(※)ですね。
※貴種流離譚:民俗学者の折口信夫氏が提唱した、物語の類型のひとつ。若い神や英雄が故郷と異なる異邦の地をさまよい、試練を乗り越えることで尊い存在になるという物語の流れを指す。
――ああー、言われてみれば。日本のおとぎ話にはとくに多いですね。

今村
 映画としても、たとえば『スーパーマン』シリーズでも、主人公が地球という故郷とは異なる星で育ったりするというシチュエーションが、当時は多かった気がします。その作品群で育ったことが、自分のルーツにも深く関わっているのかもしれません。映画で言えばほかにも、当時は『宇宙からのメッセージ』(1978年)とかも好きでした。

――『2001年宇宙の旅』(1968年)などから続く、SF映画ブームの流れですね。怖さや異郷の感覚も、たしかにありました。

今村
 こうなるとたぶん、『スタートレック』シリーズ(1966年~)も入ってくるんですよ。子どものころにテレビで見て、なんて気持ちの悪い宇宙人が出てくるんだって思っていました。メインキャラクターでもミスター・スポックの怖さとか、ふつうに小さい子どもは泣きますよね。『スタートレック』は、話はよくわからないながらも、当時何とも言えない魅力を感じていました。人間が転送されるシーンとか、エンタープライズ号のわけのわからない形とか……。

――まだ幼少期で内容を理解はされていなかったかもですが、入口としては『スタートレック』も大きかったのかもしれませんね。

今村
 そして、『スター・ウォーズ』でよりへんてこりんな世界がよりリアルに広がりましたよね。自分のルーツを考えてみると、やはりこの流れがあったのかもと思います。

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――そういったルーツを色濃く受け継いでいると思われる『OMEGA 6』は、いまの世ではかなり目立つ作品になりそうな気がしています。
今村
 若い人が逆に新鮮に感じて、遊んでくれればそれもうれしいですね。

――教壇に立たれて、ゲームクリエイターを目指す若者たちと接することも多いかと思いますが、いまと昔だとゲーム開発に向けての意識も異なるものなのでしょうか。

今村
 いまとなっては人気職業になりましたからね。それで改めて思うのは、人手が足りない足りないと、売り手市場ではありますが、なかなかなれる職業ではないということです。第一線で活躍するには、高い能力が要求されますよね。

――プログラミングなどもそうですが、プランナー関連はとくに難しそうですね。

今村
 相当人前でしゃべれて、物事をきっちり考えられて、伝達能力もないといけないでしょうね。たいへんな道のりの過程で、一助になれるように、今後も一生懸命教えていきたいと考えています。

――ちなみに学生さんたちとは、ゲームの好みは合うのですか?

今村
 このまえ、研究室でゼミ生のみんなと『8番出口』を研究名目でプレイしましたよ。ひとりでプレイするとぜんぜん解けないのですが、4人で遊ぶとあっという間にクリアーできたりしました。このゲーム、設計した人は本当にすごいなぁと感心しました。

――たしかに、ゲームとしての要素を大胆にそぎ落とした作品でしたね。

今村
 タイトル画面もない、UIもない、説明もない。掴みもなくて、最初いきなり立っている。最初は本当に「何がおもしろいのか」と思わせるのですが、実際にやってみると僕からしてもおもしろくて、世間でも話題にもなっていると、衝撃を受けました。僕がゲーム作りのうえで持っていた方程式が、ひとつも通用しないんです。

――ほかにも最近のゲームで、遊ばれたタイトルを伺えますか。

今村
 『龍が如く8』とかボリュームすごすぎて、遊んでも遊んでも進みませんよね。まだお母さん見つかっていません(笑)。『ストリートファイター6』とか『モンスターハンター』シリーズとかもめちゃくちゃやりますし。最近はドラマの影響で『Fallout 4』もまたやりたくなって、始めてしまいました。あとは『ウィッチャー』とか『スカイリム』とか。

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――長編のゲームが多いですね。ちなみに『OMEGA 6』のボリュームはどれくらいなのですか?
今村
 ふつうにプレイしていただくなら15時間くらいでクリアーできるかと思います。やり込めばもっとかかりまして、キャラクター図鑑やトロフィーを埋めるとなると、その倍くらいかかるかもしれませんね。

――周回を重ねるのではなくて、1周の物語のあいだにやり込んでいく感じでしょうか。

今村
 自由に惑星を行き来してストーリーを進められるというあたりで、2周目、3周目も意識して作っています。また、ちょっとしたマルチエンディングの条件もあります。

――『OMEGA 6』の新情報も伺えたところで、まだまだお聞きしたいことは尽きませんが、そろそろお時間ということで。最後に読者の皆さんにメッセージをいただけないでしょうか。

今村
 本作についてはレトロ、レトロと言っていますが、逆に新鮮に目に映るという人も、若い方にはたくさんいらっしゃるかと思います。

 また、うちの学生にコンペでキャラクターを4体デザインしてもらったりもしました。これは若い皆さんとの懸け橋になる要素になるかと思いますし、彼らにゲームを遊んでもらったところ、おもしろいと、すんなりと受け入れて遊んでもらえました。そもそも、古臭いと思ったりする感覚がないみたいなんです。

――たしかに、レトロと感じるのは古いものを我々が体感しているからこそですよね。

今村
 ドット絵などを見てもそれはひとつの表現であり、古臭いと思う世代ではないんです。このように世代によっては新しいものとしても遊んでいただけるかと思いますので、受け止めてみてもらえるとうれしいです。

イベント”OMEGA 6展 in 秋葉原 TOKYO VIDEO GAMERS”が6月14日、15日に開催

 シティコネクションは、『OMEGA 6 THE TRIANGLE STARS』の完成&発売決定を記念して、イベント”OMEGA 6展 in 秋葉原 TOKYO VIDEO GAMERS”を6月14日、15日にビデオゲームカフェ&バー”TOKYO VIDEO GAMERS”で開催する。会場では、漫画、イラスト、設定資料などの展示やオリジナルグッズを販売。15日20時からは開発者トークショーなども行われる予定だ。

【”OMEGA 6展 in 秋葉原 TOKYO VIDEO GAMERS”概要】
  • 開催期間:2024年6月14日(金)~15日(土) 11:00~23:00
  • 場所:ビデオゲームカフェ&バー「TOKYO VIDEO GAMERS」→こちら
  • (JR秋葉原駅電気街改札口より徒歩3分「SEEKBASE AKI-OKA MANUFACTURE」内)
  • 内容:・漫画、イラスト、設定資料などの展示  ・オリジナルグッズの販売  ・コラボドリンク(ノベルティ付)

■スペシャルイベント "夜の"『OMEGA 6』開発者トークショー
  • 日時:6月15日(土)20:00~
  • 出演:今村孝矢(原作/グラフィック)、関純治(ディレクター)、吉川延宏(プロデューサー)
  • サイバーでレトロフューチャーな秋葉原の夜のバーにて、ここでしか話せないマル秘トークが炸裂(!?)。参加型企画やサイン会も実施予定!
※スペシャルイベントへの一般参加は、専用フォームより予約(無料)が必要です。

【製品情報】
  • タイトル:『OMEGA 6 THE TRIANGLE STARS』(オメガシックス ザ・トライアングルスターズ)
  • 対応機種:Nintendo Switch
  • 発売元:シティコネクション
  • 開発元:ハッピーミール/プリオシーヌ
  • 発売日:2024年7月25日発売
  • 価格:通常版 3850円[税込]、特装版 8470円[税込]、豪華版 16500円[税込]、ダウンロード版 2980円[税込]
  • ジャンル:アドベンチャー
  • 対象年齢:CERO 12歳以上対象
[2024年6月6日22時20分修正] 『スターフォックス64』の画面写真の説明文に誤りがあったため、該当の文章を修正いたしました。読者並びに関係者の皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。
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