見たことがないはずなのに、なぜか知っている。初めて足を踏み入れたはずなのに、ずっと昔にもここにいたような気がする。映画『バックルームズ』がもたらす恐怖の根には、そんな記憶の錯覚がある。 黄色い壁紙、蛍光灯、湿ったカーペット、どこまでも続く無人の部屋。映画のイメージソースとなっている“Backrooms”は、日常の建築によく似ていながら、どこか決定的におかしい空間へ迷い込むというインターネット発の怪異。その感覚は、人が本来いるはずの場所から人の気配だけが抜け落ちたときに生まれる“リミナルスペース”の不穏さとも重なる。営業時間外の無人の店舗に、放課後の学校。そして深夜のオフィスといった、日常であなたも眼にするようなありふれた場所が、ふとした瞬間に知らない世界の境界へと変わるという不穏な予感。
Web掲示板に投稿されたたった一枚の写真から生まれたBackroomsのイメージを、巨大なSFホラーの迷宮神話へと発展させたのが、“Kane Pixels”ことケイン・パーソンズ氏だった。16歳のころ、2022年に彼がYouTubeで公開した『The Backrooms (Found Footage)』を起点に、ファウンド・フッテージや企業映像、実験記録などの断片を積み重ね、謎の研究機関“Async”と、彼らが“The Complex”と呼称する異空間を巡る、独自の映像世界を物語ってきた。
ケイン・パーソンズ氏 YouTubeチャンネル
そんなケイン氏は、17歳で『SAW』や『死霊館』シリーズで知られる、かのジェームズ・ワン監督とA24に抜擢され、映画『バックルームズ』を制作することとなる。
そこで起きたのは、奇妙な反転。これまでパーソンズ監督の頭の中とデジタル映像の中に存在していた迷宮を、巨大な実物セットとして現実に作って撮影を敢行。YouTubeシリーズ同様に、自ら作中の音楽も手がけ、4年もの歳月を費やして映画は完成。ついに、新たなBackroomsの迷宮譚が、9月4日より日本でも劇場で公開することに。
ケイン・パーソンズ監督の頭の中にある構想が、どのようにわたしたちの現実を蝕み始めるかのような映像体験へと結実したのか……本インタビューで、その創作の迷宮の奥へと足を踏み入れよう。
※本稿は電撃オンラインに掲載されたインタビューを転載したものです
プロフィール

ケイン・パーソンズ監督(ケイン・パーソンズ)
映像作家・監督。YouTubeでBackroomsの世界を映像化し、長年にわたって独自の世界観を構築してきた。最年少で単体作品の歴代興行収入No.1の記録を樹立。

脳内の迷宮が、現実の空間になった日
――映画では、YouTubeで見てきたBackroomsが「本当にそこにある」と感じられることに興奮しました。
ケイン
ありがとう。よかった。
――YouTubeでファウンド・フッテージ的に物語られてきた一連のBackrooms動画で見られる迷宮空間は、BlenderやAfter Efectなどの映像制作ツールで制作されたと伺いました。
ケイン
はい。頭の中にあるイメージを、それらのツールで3D表現として作っていました。
――今回の映画では、そんな監督の頭の中のBackrooms空間を“実物のセット”として作り上げて撮影をされたそうですが……監督ご自身は、作者として巨大なBackroomsの空間へと足を踏み入れた瞬間は、どんな感覚があったか覚えていますか?
ケイン
そうですね。あらためて思っても、今までで最も非現実的な体験でした。セット自体は、徐々に出来上がっていったんです。
――Backroomsの空間が、現実世界にだんだん拡張されていくのをご覧になっていたようなものですよね。
ケイン
ええ。セットには入り口となるオフィスをはじめ、いくつかのステージがあって、それを行き来しながら少しずつ組み立てられていったんですが。気持ちはじわじわと高まっていきましたね。
――そうですよね。長年デジタルで描いてきた頭の中の空間が、現実に物質として現れるわけですから。建築家のような気持ちを想像します。
ケイン
そうかもしれません。とくに、「セットが完成した日」っていうのがありまして。その日は、わたしは外のロケーションの映像を撮っていたタイミングだったんです。でも、ちょうどセットデザインの人たちが完成させてくれたと教えてくれたので……初めて足をそこに踏み入れたんですね。そのときばかりは、自分と仲間たちが思い描いてきた“あの空間”が、目の前にあるという事実に驚きとともに、急になんだか「やり遂げたな」っていうような気持ちが湧きました。

「この角の先にも廊下が続いている」――境界を現実として歩く
――長年、頭の中で想像して画面の中に作ってきた架空の場所へ、映画のおかげで自分の身体ごと入っていく体験がもたらされたわけですよね。監督は、そこで壁や床に触れ、匂いまで感じられる身体性から、何かそれまでのBackrooms像に変化は起きましたか?
ケイン
そうなんですよね。Backroomsはずっとその思い描いてきたコンセプトです。何年もYouTubeの中で自分で描いてきた空間ではあったんですけれども……そのように実際に自分自身の足を踏み入れて、誰もいない空っぽの空間を歩き回っていたときに、気づいたら自分でこう言い聞かせていたんですよね。「これはあのデジタルの空間ではない、本当に、現実に、あるんだ」って。
――あの裏側のような世界は、本当に存在する空間だと感じられた。
ケイン
あそこの角を曲がったら撮影用のブルースクリーンがあるのではなくて、ずっと廊下が続いているんだっていうような……そういう感触があったんですね。感触や、匂いを感じ取っていました。強烈な体験だったので、さらにそこから何かアイデアが生まれてこないだろうかと、アイデア出しも試しましたし。
――監督にとっても、新しいアイデアが生まれそうなほどに強烈な体験だったんですね。
ケイン
実際に、わたしの中でBackroomsに対するさらなる理解やアイデアはあのセットとは思えない広大な空間から湧いてきました。果てしない空間にいる、という心理状態っていうものも、自分で映画の撮影を通してセットに足を踏み入れていたからこそ、本当に感じ取ることができた。より直感的にあの空間を理解することができたのだと思います。それは壁紙の柄であったり、どことなく漂っている匂いや、カーペットの汚れであったり。デジタルの世界では決して発見できなかった細部を感覚的に拾っていこうと歩き回りました。それは、次のプロジェクトに生かせるのではないかと思ったのです。

現実に出現し、翌日には消えた3万平方フィートの迷宮
――聞いていると、怖いのに実際にその迷宮へ入ってみたくなります。ファンとしては、「あの空間」を自分の記憶にも刻んでみたいという気持ちがあります。
ケイン
きっとそうですよね。ちなみに、あのセットは3万平方フィートの空間だったのですが、できることならばもう10万平方フィート分くらいは作りたかったな、とか思っていました(笑)。でも、残念ですが完成したセットは撮影の翌日には壊してしまったんですよね。
――そうなんですか!
ケイン
ええ。なので本当は、もっと多くの人に見てもらえればよかったなって、少し後悔しています。
映画館を出ても終わらない――映像を見ることで掘り起こされてしまう記憶
――セットの存在感は、今回の映画といつか監督の新作で体感できるのを楽しみにしています。そういえば、映画の影響なのか、観賞後には人のいない広い場所や廊下を見ると、ついそこもBackroomsの一部に見えてしまったような感覚がありました。つまり監督の頭の中にあった架空の空間が、観客の記憶に入り込み、現実の見え方まで変えてしまうような。こうした反応は、ほかの観客からも聞いていますか?

ケイン
そういう感想をよく聞けてうれしいです。 ちょっと意図的な部分もあるのですが、その狙いがとても効果的に響いているのだと思います。本当に映画を見てくださったお客さんたちの個々のレベルで、現実世界にある建築構造や都市の景観の“細部“に目が行くようになるというか。
――たしかに、無人の空間なので風景の印象が浮き彫りになりますよね。
ケイン
そう。そうした景色は、自分の中の無意識的な部分と直結して、どこか昔の記憶のような何かが蘇ってくるというのか……自分では気づかなかった部分へと意識が向く。それこそが、あえて今まで口にしてこなかったのに、この映像を見ることによって掘り起こされてしまうような感覚をもたらすのかもしれません。
――映画は、物語でも記憶や現実世界について考えを巡らせるようなものになっていたのもとても印象深いものでした。ネタバレになるので詳しくは書けないのですが、YouTube版を見てきたなかで映画はどうなるのか気になるところですが、心理とあの空間がどこか入れ子のようにも感じられました。
ケイン
映画版はキャラクターも登場するのですが、建築や家具といった物質主義的な世界観が舞台装置でもあります。おっしゃる通り、こうした空間に対しては、キャラクターの内面も描きつつ、自分の中の無意識の障害や障壁も表現しているんです。かつ、自分と社会との関わりといったところも脚本では掘り下げていったんですよね。なので、とてもサイコロジカルな部分もありつつ、有形で物質的なところもある。この 2つを軸にストーリーを組み立てていきました。
――なるほど……!
ケイン
脚本については、ゴーサインが出るように改善に改善を加えて、最終的にこのバージョンしかないというバージョンが出来上がったものでした。脚本そのものはウィル・スーディック氏が手がけていて、わたしとふたりで作り上げて完成させたものではあるのですが、オリジナルのYouTube版を知らない初めて見るお客さんも楽しめるような、映画的なストーリーとしても楽しめるものにしよう、っていうふうには決めていたんですね。なので、何度も何度も推敲して、誰もがBackrooms的な体験をしてもらえるところを目指していました。
「現実」とは何か――Backroomsが揺さぶるリアリティ

――だからこそ、映画館を出たお客さんたちがそれぞれに現実の見え方が変わったという感想を抱く物語になったのかもしれませんね。ところで、そうした認知や世界についての映画を作っていく中で、監督自身の「現実とは何か」という感覚も揺さぶられたのではないかと思ってしまいます。ゲームの世界ではシミュレーション仮説のような発想もよく語られますが、Backroomsを作るなかで、監督自身の現実感やリアリティの捉え方に変化はありましたか?
ケイン
いえ、むしろさきほどのセットの話もそうですが、映画制作を通じて、強烈に現実の物体の存在感や身体性というものを意識したせいもあってか、自分ではリアリティを追求していたので、この世界がシミュレーションであるとは感じてはいません。でも現実という概念は、あくまでも自分の目を通して認知しているにすぎないものなので、そういう意味では、抽象的なものではありますよね。
8歳の記憶に棲みついた『Portal 2』という巨大迷宮
――そういえば、監督は『Portal』『Portal 2』がお好きだと伺いましたが、Aperture Scienceも、果てが見えないほど巨大で、空間そのものに過去の記憶が刻まれた場所ですよね。
ケイン
はい。とても大きな影響を受けています。記憶といえば、小さい頃、自分の家ではあまりゲームができない環境だったんです。……たぶん、8歳ぐらいでした。ちょうどその頃、友達の家で発売間もない『Portal 2』を初めて遊んだんですね。それで、あの独特の空間への理解が拡張されるような体験と雰囲気にすごいハマってしまって。

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――8歳で『Poral 2』だなんて、たしかに常識がくつがえるような強烈な印象になりそうです。
ケイン
忘れられなくて。なのですぐその年の誕生日に『Portal 2』を買ってもらって、そこから遡るように初代作もプレイしたんです。いま話していて思いましたが、やはりもっとも強烈に印象に残っているのが、細部にわたる描かれ方や、環境全体の表現、それから、見ているものの裏側があるといった全体のストーリーテリングですね。もちろん、当時はまだ幼かったので、そこまで理解はしてなかったと思います。でも、サイエンスフィクションの物語と、認識が崩壊していく感じとか、その人間とAI との関係、それから、迷ってしまうほどに巨大な施設に、惹かれたのだと思うんですよね。
――ケインさんの追求する世界観に通じますよね。
ケイン
自分は、常に何を作るにおいても、あの衝撃に戻って参考にしていますから。クリエイティブのその自分の原点とも言えますし、Backroomsにも大きく影響していると思います。
取材・寄稿:全領域百鬼夜行観測室
映画紹介
9月4日(金) TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
『バックルームズ』は、ケイン・パーソンズ監督がYouTubeで構築してきた同名世界を映画として描く作品。無機質でどこまでも続くような建築空間の恐怖だけでなく、人間の記憶や心理、トラウマ、社会との関係までを重ねながら、人間の根源的な不安を呼び覚ます、重厚な物語が展開されていく――。
映画Backrooms 公式サイト
■コピーライト
(C) 2026 Backrooms Rights LLC, PC Films, LLC. All Rights Reserved.
■配給名
配給:ハピネットファントム・スタジオ
■作品クレジット
- 監督:ケイン・パーソンズ
- 出演:キウェテル・イジョフォー、レナーテ・レインスヴェ、マーク・デュプラス、フィン・ベネット他
- 2026|アメリカ|126分|英語|5.1ch|原題:Backrooms|字幕翻訳:佐藤恵子 | 映倫:G |
