視覚効果賞は“目指してはならない聖域”とされてきた中、山崎監督たちがいかにしてアジア初の快挙を成し遂げたのか、その裏側を紐解いていく番組となる。
映画『ゴジラ-1.0』快挙の舞台裏。山崎貴監督、20代クリエーターがスタジオに登場「ゴジラ、アカデミー賞を喰う~VFXに人生をかけた精鋭たち~」


「ハリウッドから20年遅れ」―VFXにかけた孤独な闘い、そして“豪腕”プロデューサーとの出会い
1970年代、少年時代の山崎貴さんが衝撃を受けたのが、スピルバーグ監督の映画「未知との遭遇」だった。「本当はUFOを撮ったんじゃないかって思うぐらいリアルだった。なんとしてもこの仕事に就くしかないってすごく思って」。日本でいち早くVFXを手がけていたスタジオに入社するも、現実は厳しかった。「ハリウッドの20年遅れ」と言われる中、日本ではまだほとんど使われていなかったソフトを独学で習得。そこに現れたのが、“豪腕”プロデューサーの阿部秀司さん。細部までこだわるその存在が、戦後の東京の町並みを精緻に作り上げた映画・「ALWAYS 三丁目の夕日」の大ヒットへとつながっていく。しかし、ハリウッドの背中はまだまだ遠かった…。



ハリウッドの背中を追いかけて。これまでにない才能を見つけるため、山崎さんたちは SNS でスカウトを始める。そして、YouTube などで VFX を学び、山崎作品のパロディを制作していた10代の学生と出会う。さらには“ひとりハリウッド”と業界で有名だった驚愕の天才とも。この精鋭たちとともに始まったのが、映画「ゴジラ -1.0」への挑戦だった。VFX の世界では“タブー”とされてきた“海”への挑戦。低予算・少人数を逆手にとり、トライアンドエラーの速度を極限まであげる山崎さんたち。しかしその先に、ある人物との別れが待っていた。
アメリカで、日本の実写映画史上、最高の興行収入を記録し、巨匠・スピルバーグ監督をして「3回観た」と言わしめた「ゴジラ-1.0」。その舞台裏で起きていた、日本の知られざる才能たちの物語。
山崎貴監督 スタジオインタビューより
一番大きいのは、僕らが楽しみつつ苦しみつつ一生懸命やってるっていう感じが、きっとVFXの黎明期に手作りで作ってた頃に似てたんじゃないかなって思うんですよね。クオリティーの高いVFXがいっぱい並んでいる中で、そのことに思わず票を入れてくれたんじゃないかなっていうふうに。どっちかっていうと、もっと頑張れって、おまえたちが一生懸命やってるのは分かったから、もっとすげえものを作れっていう賞じゃないかなっていうふうに、僕は思ってます。
■若い仲間とともに映画をつくることについて
どんどん天才が増えてきてるんで、ありがたいことです。僕、技術的に自分よりうまくできる人じゃないと、仕事したくないんで。自分でやったほうが早いから、そしたら自分でやりたくなっちゃう。でも、俺がやるより絶対うまいよなっていうレベルの人たちがそろってきてるんで、大変いいですね。
まさかこの年になっていろんな扉がばたばた開いて、挑戦することになるとは思ってなかったんで、まだこんな展開があったのかっていうので、楽しみです、これから。





















