1996年12月6日、プレイステーション用ソフト『パラッパラッパー』(以下、『パラッパ』)が発売された。 発売当初はそれほど大きな注目を集めることはなかった同作だが、ラップを柱とし、“音ゲー”というジャンルの先駆けとなったリズムアクションのシステム、独特の世界観、ロドニー・アラン・グリーンブラット氏がデザインした個性的でかわいらしいペーパーキャラクターなどで徐々に注目を集めるようになり、やがては世界的なヒットを記録することに。

そんな『パラッパラッパー』の30周年を記念して、週刊ファミ通2026年7月2日・9日合併号では同作の特集を16ページにわたって掲載した。本記事では、同特集より、松浦雅也氏、伊藤ガビン氏、MC RYU氏という『パラッパ』開発の中心メンバーとなった3人のレジェンドが集ったインタビューを、加筆修正してお届けする。特集すべてを読みたくなった方は、ぜひ本誌のほうもチェックしてほしい。
※記事中の画像は2017年発売のプレイステーション4版『パラッパラッパー』のものです。松浦 雅也(まつうら まさや)
『パラッパラッパー』の生みの親で、七音社代表取締役。1985年に音楽ユニット“PSY・S (サイズ)”でメジャーデビューし、現在も第一線で活動を続けている音楽家でもある。ゲームクリエイターとしての代表作には『パラッパ』シリーズ以外にも『ビブリボン』、『メジャマジ・マーチ』、『たまごっちのプチプチおみせっち』シリーズなど。
伊藤 ガビン(いとう がびん)
『パラッパ』のシナリオ担当。元『ログイン』編集者で、書籍やWebサイトの企画・制作に数多く携わってきた。現在は京都精華大学メディア表現学部教授として活躍する一方、近年はエッセイ集『はじめての老い』(P-vineブックス)の出版や、ポッドキャスト番組『どこでも編集会議』を毎日配信中。
MC RYU(えむしー りゅう)
ラジオDJ、日米カルチャーコーディネーター。ロサンゼルス育ち。『パラッパ』では全セリフの英語化、全ラップパートの作詞、カルチャー/ボイス収録ディレクションを手掛け、“タマネギ先生”役でも出演。現在は日米をつなぐ活動を行う。

「I gotta believe!」の由来が明らかに……!
──まずは皆さんの制作時における“役割”について教えてください。
松浦
私は“制作上の”プロデューサーということになると思います。予算の管理などは沼田さん(ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時。以下、SCE)側のプロデューサー・沼田洋一氏)が行っていたので、現在におけるプロデューサーや監督のイメージとは少し違うかもしれませんね。
伊藤
ゲーム制作に関しては、間違いなく松浦さんが中心になっていたと思います。たとえばゲームデザインを誰がしたか、と振り返ってみると、僕たちを含めた合議制で多くを決めていた中で、キャスティングボートを握っていたのは松浦さんでしたから。
──ガビンさんはシナリオ担当ですよね?
伊藤
そうですね。もちろん実際に書いてはいたのですが、ゲーム中のセリフは全部英語じゃないですか。だから僕が書いた文章そのものは1文字も出てきていないんです(笑)。
一同 (笑)
伊藤
日本語の字幕はあるんですけどね。僕が書いていったシナリオは、すぐにRYUさんが英語のセリフに直して使っていました。じつはラップの歌詞も、ネタはおもに僕が提供しているんですが、それを歌詞の形にしていくのはRYUさんがやっていたんですよ。
松浦
でも、ガビンさんはステージの設定作りでもっとも重要なアイデアを出してくれているんですよ。それがタマネギ先生のカンフー道場です。「カンフーをラップのゲームにできるんじゃないか」と提案してくれて。
RYU
パンチ、キック、チョップ……「それはラップじゃないんじゃない?」なんて声もありましたが、実際に試してみると「これはゲームにできそうだ」という雰囲気になっていったんです。最初はこのゲームをどうやっておもしろくするのか、まったく先行きが見えなかったんですよ。
それがガビンさんの提案でステージ1がしっくりくるようになって、そこからはこの3人と、ロドニーも含めてのケミストリーができて順調に転がっていったんだと思います。
松浦
ほかにもさまざまなアイデアを出していただいていたのですが、とにかくタマネギ先生のカンフー道場は『パラッパ』にとって大きなブレークスルーになったんですよ。
伊藤
覚えてないなぁ(笑)。

──RYUさんは英語のセリフ作りのほかに、キャストとしてのタマネギ先生役など、いろいろなところに名前が出てきていますよね。
RYU
私はもともと「ヒップホップを広めたい」という思いを抱いて活動している中で、「ラップのゲームを作る」ということで声が掛かったんですよ。もっとも、最初は「(ゲームショップの)レジの横に置く企画商品だ」とか「違う商品のオマケでつけるゲームだ」とか言われていたので、軽い気持ちで参加させていただいていたんですが。
松浦
そうそう、最初はそんなことも言われていましたね。
RYU
そんないきさつがあって参加しまして、私はガビンさんが書いてくれた見事なストーリーをそのまま英訳しつつ、一部で「アメリカだったら文化的にこういうふうに言う。高校生だったらこういう口調になる」みたいなことをフィードバックしていました。
松浦
でもRYUさんの最大の功績はあの名ゼリフですよね。「I gotta believe!」。
──あれはRYUさんの発明だったのですね。
RYU
私のオリジナルというわけではなく、ハイスクール時代に入っていたアメフトのチームのモットーだったんです。そのチームは先日、卒業40周年の集まりがあって、「『パラッパラッパー』ってゲームに「I gotta believe! 」って入れたんだよ」とみんなに教えたら、すごく盛り上がってくれました(笑)。

──RYUさんはほかにも、英語ボイスの収録にも立ち会われているんですよね。
RYU
はい。開発期間の中ではだいぶ後の話にはなるのですが、ニューヨークでディレクションをやりました。たいへんでしたね……。前提として、まず収録の前に一本全部、私の声で演じたバージョンを作っているんですよ。
──いわゆる“仮歌”のようなものですか?
RYU
まさにそれです。
松浦
僕は“ラフテイク”と呼んでいました。それでなぜラフテイクを録ってもらったかと言うと、たとえば当時のアニメーション制作などでは絵コンテを描いて映像を作って、そのうえでボイスを乗せていると思うのですが、僕らは違う手法で作っていたんです。
絵コンテを描くところまでは同じなのですが、そこからラフテイクを先に収録し、そのタイムラインに合わせて映像を作ったんです。
RYU
だから、正式バージョンの声もこのラフテイクに合わせて、タイミングがズレないように録らなければいけなかったんです。私もたいへんでしたし、声優さんたちもたいへんだったと思いますね。
──声優という声のプロでなければ、もっとたいへんだったかもしれませんね。
松浦
それがですね。プロはいなかったんですよ。ほぼ全員、ミュージシャンでした。
RYU
俳優ですらない(笑)。
松浦
皆、ラップはできるし歌もできたのですが、キャラクターになりきって演技してもらうというのがいちばんたいへんでした。
RYU
パラッパ役のドレッド・フォックスにいたっては、オーディションに遅刻したか何かで参加できなかったんです。それが僕らが帰った後にホテルに電話を掛けてきて、「どうしてもオーディションをやらせてくれ」と言ってきたんですよ。仕方がないからそのまま電話越しに演技してもらうことにしました。
松浦
ブルックリンの公衆電話から掛けてきたらしく、後ろの騒がしい声も聞こえていました。そんな中で必死に「I gotta believe! 」とか演技してくれたんですよ。そのシチュエーション自体がまさにパラッパのキャラクターに合っていると感じて、彼を起用することにしたんです。
──そんな奇跡のようなエピソードが!?
松浦
これは後でわかったのですが、性格も超博愛主義で、そんなところもパラッパのイメージに合っていましたね。
RYU
でも身長はものすごく高くて、見た目だけはパラッパと真逆でした(笑)。

30年越しに公開された!? 『パラッパ』の採点システム
──そもそも『パラッパ』を作ろうと考えたきっかけは何だったのでしょうか?
松浦
その話をするには、まずCDと僕の関わりから話すことになります。CDという媒体は1982年に製品化されて多くの音楽ソフトが発売されていったのですが、そのうちに音声以外の用途として、コンピューターのデータを記録するものとしても開発が行われるようになりました。
そしてソニーとフィリップスが規格をまとめたのがCD-ROMでした。僕は音楽家としてデビューしたのがソニーだったという縁もあって、初期からCDの仕様などを勉強していたんですよ。
──楽器や録音機材に長けているミュージシャンはたくさんいると思いますが、録音する媒体にまで学習の手を伸ばす人はなかなかいないのではないでしょうか?
松浦
そうですね。当時、僕は芝浦に住んでいたのですが、自宅の近くにそういった技術を研究する施設があって、そこに出入りさせていただいたりして独自に勉強を重ねていました。そのうち、CDの可能性にどんどん惹かれるようになっていったんです。そんな中、プレイステーションの発表会があって……。
──そこでゲーム開発に興味を持たれたと。
松浦
いえ、逆に引いてしまったんです。リスキーな挑戦はちょっとな、と。
一同 (笑)

松浦
そういう経緯があって、しばらくプレイステーションには縁がなかったのですが、ハードが売れ出してから声が掛かることになりました。もともと当時のソニー・コンピュータエンタテインメントのメンバーはソニーミュージックで働いていた人が多かったので、音楽系の人材から掘り起こそうという動きがあったみたいですね。
RYU
今度は受けたの?
松浦
ここでようやく(笑)。何かゲームのアイデアがあったわけではなかったのですが、数あるフォーマットの中から実験を経て手応えをつかんでいて、「これは絶対に使おう」と考えていたのが、プレイステーションも対応していた“CD-ROM XA”というフォーマットでした。
これを使えば、ゲームをプレイしている最中にリアルタイムでオーディオトラックを切り換えることも可能になる。そこから『パラッパ』につながる企画を考えたんです。“Cool”、“Good”、“Bad”、“Awful”とコンディションが変わったら音楽も変わる。そこが出発点でした。
RYU
その仕組みって、『パラッパ』の後、ほかのゲームはやらなかったの?
松浦
やっていないと思います。当時も、僕ひとりだけが“GoodがBadになったり、BadがAwfulになる過程”を楽しんでいました。

伊藤
僕は当時、セガサターンのゲームなどにも携わったりしていて、各ハードの違いをひしひしと感じていたのですが、その中でもこの技術はすごいなと感じていました。それもプログラマーが作り出したというのではなく、松浦さんが企業の研究室などに出入りしながら学究的な探求を重ねて生み出したものですからね。
あとは“Cool”になったら突入する“マスターコース”や、その採点に対するこだわりにも驚きました。それが松浦さんにしかできないものだったからこそ、ほかの音ゲーで採用されなかったのかなと思っています。
松浦
“音ゲー”と呼ばれるジャンルには、僕が望んでいたものとは違う要素だけが残ってしまったんですよね。
伊藤
そうそう。その最たるものが“お手本”の仕組みですね。これに関しては、『パラッパ』でも開発期間の終わりごろまでずっと試行錯誤をくり返していて、最終的にああいう形になりました。
でも松浦さん、いま音ゲーは形は違えど、画面に表示されるアイコンに対してただリアクションをするだけ、音を再現するだけのものがフォーマットになっていますが、この状況には忸怩たる思いもあるんじゃないですか?
松浦
それはあります。あとは自分で作っておいて言うのはいけないかもしれませんが、音楽は採点するものではないんですよね。
RYU
そこは私たちもとくに論議を重ねた話題でしたね。最終的には松浦さんが「これはゲームだから、そこは我慢して乗り越えよう」と言って、全員が納得したうえで採点システムを作り上げました。
松浦
僕にとっても複雑な記憶です。ただ『パラッパ』の採点のシステムは、自画自賛になりますが、うまくできたと感じています。仕組み自体はすごく単純なんですよ。ただ、絶対にミュージシャンでないと思いつけないものです。
当時、仕事が詰まってものすごくしんどそうにしていたプログラマーさんが、この仕組みのアイデアを伝えた瞬間、「それだ!」と目を爛々と輝かせて、あっという間に実装してくれたのを覚えています(笑)。
──『パラッパ』の採点は、具体的にはどういう仕組みなんでしょうか?
松浦
ほとんどの音楽は、音符的な意味で最高の解像度が16分音符で、1小節には16分音符が16個入ります。この16個が、鳴っているのか、それともお休みなのかでリズムが決まるんですね。
そしてゲームでは、16分音符ふたつのあいだ、つまり8分音符ぶんの時間にどのような入力があったかを評価するのですが、この中には4つのパターンしか存在しません。ふたつ鳴る、頭だけ鳴る、裏(裏拍)だけ鳴る、何も鳴らない。これだけです。そしてこの4つのパターンのどれが実行されたかで点数が決まるというわけです。
──それがお手本通りにしっかり鳴らせていれば得点が入るということですね。
松浦
いえ、お手本もこの仕組みで点数化することができます。ですので、お手本を完全に再現してもその点数になるだけですが、お手本通りでなければ、お手本を超える点数になることもあるわけです。ただ、いちばん重要なのは、僕が“採点する”ということに対してどう抗ったか、なんです。
4パターンのうち、頭を鳴らすのは簡単なので8点。ふたつ鳴らすのはそのつぎくらいに簡単だから16点。裏だけ鳴らすのはちょっと難しいから32点。そして僕は“何も鳴らない”というのをもっとも高い48点に設定しました。
もちろん、ただ鳴らないだけで点数が入るなんてことはなく、“前後2拍のあいだに4つすべてのパターンが登場しているときだけ”という条件が入るのですが。コンボ的な状態になっているときだけ“何もしない”と48点入る。だから『パラッパ』は連打をしてはダメなんです。
RYU
30年経って初めて知った(笑)。
松浦
だから本当に上手な人たちは、連打などしないでうまく休んでいるんですよ。休まないと点数は上がらない。
──それは日本人の性格的に難しそうですね。「空きは許せない、何とか埋めよう」みたいに考える人は多いと思います。
松浦
おっしゃる通りで、だからこそこの仕組みを思いついたときに「これはゲームになったな」と感じました。仮にお手本が48点だったとして、お手本通りにプレイしても48点にしかならなくて、5割増しくらいの得点が必要な“Cool”にはならない。だから絶対に何らかの工夫を入れないといけないんです。
──そこを理詰めで考えるのか、センスにまかせてやるのかは人によってわかれそうです。
松浦
僕はそこにはまったく関知していなくて、どんなやりかたでもすべてを受け入れています。音楽ってそういうものですから、作り手として「こうしてほしい」というのはありません。

3人の出会いと“模造紙ミーティング”
──そもそも、この3人が初めて揃ったのはいつごろなのでしょうか?
松浦
1995年の前半くらいだと思います。
──どういったきっかけで出会うことになったのでしょうか?
松浦
じつは『パラッパ』の前から、ガビンさんとは『ログイン』の取材か何かで面識はあったんですよ。それが再びつながったのは、『パラッパ』でのとあるスタッフさんとの打ち合わせがきっかけでした。
その人に「絶対ストーリーがあったほうがいい」と言われて、「わかった、誰がいいだろう?」と聞いてみたら、ガビンさんの名前が出てきたんです。じつはそのスタッフさんは、のちにタマネギ先生のモデルになったんですが(笑)。
伊藤
僕のほうには、当時SCEにいた知り合いのプログラマーから電話で連絡が来たんです。「ガビンさん、シナリオとか書けますか?」と聞かれたので「書きますよ!」と即答しました。……本当は書いたことないのに(笑)。僕の社訓として「誤発注は必ず受けろ」みたいなところもあって、それでおもしろそうだと話を聞きにいったんですよ。
あとは支倉さん(当時SCE所属の支倉朋洋氏)の存在も大きかったかもしれません。『パラッパ』のディレクターで、得体の知れないところがあるのですが切れ者で、いつも大事なことを言ってくれる人でしたね。

──RYUさんとはどのように知り合ったのでしょうか?
松浦
RYUさんとは『パラッパ』で初対面で、僕のCBSソニー時代のディレクターが、別のプロジェクトでRYUさんの友人のドラマーさんとお仕事をしていた関係で紹介していただきました。
RYU
当時ソニーでデビューしていた、ロサンゼルス時代のハイスクールの同級生から声が掛かったんです。「ラップのゲームを作ろうとしている日本人が英語のラップを書ける人を捜している。お前どうだ?」みたいな感じでした。
それを聞いて「音楽でゲーム!?」と正直驚いたのですが、ヒップホップを世に広めたかった自分にとってチャンスだと思ったので、一も二もなく話を受けました。
──初対面のときの印象は覚えていますか?
松浦
初対面のときは覚えていませんが、当時は僕だけが大阪人で、ふたりが東京に住んでいたのに、いまは僕だけが東京住まいで、ガビンさんは京都、RYUさんはロサンゼルス在住なんですよね。不思議な気持ちです。でも当時、この3人では“模造紙ミーティング”を数え切れないほど行っていて、その思い出はずっと残っています。
──模造紙ミーティングというのは?
松浦
ガビンさん、RYUさんに、ときどき当時のマネージャーや支倉さんも参加して、オフィスの一室で、みんなで大きな模造紙に落書きというか、思いついたアイデアや設定を書き込んでいくというミーティングです。
たとえばガビンさんが「こういうバーガーショップがあって、そこに人が入ってくると……」と書き込んだら、RYUさんが「そういうところではだいたいこんなものがあったりするんですよ」と書き加えたりして。
伊藤
僕が日本文化的なノリで書くと、「(アメリカには)そういうのはない!」と言われてしまったりして。(『パラッパ』ではステージ2に登場する)自動車教習所なんかもそうでしたね。それで「じゃあどうしよう?」と言ったら「路上教習にしよう」となったり。
松浦
あとはニワトリ先生の料理番組も、アメリカですごく有名な料理番組のパロディーなんです。
RYU
タマネギ先生のキャラクターも、僕がアメリカに住んでいるころに観ていた香港映画がもとになっています。カンフーをやっている細身の人の声を、アメリカ人の野太い声の声優が演じていたんですが、その演技がまた見た目と合っていなくて(笑)。
──(笑)。そんな模造紙ミーティングは、どのくらいの頻度で行っていたのでしょうか。それこそ毎週のように、とか?
松浦
毎週“のように”ではなく、本当に毎週やっていましたね。
伊藤
だから準備が間に合わないこともあって、それでも「しっかり考えてきましたよ」みたいな顔をして参加していました(笑)。
RYU
皆が意見を出し合って、新しいものができていく感覚というのがいつもあって、私も刺激を受けていました。
クリエイター・松浦雅也氏の「絶対に譲らないぞ」モードとは
──話は戻って、当初の企画案では、どういったゲームにすることを考えていたのでしょうか?
松浦
まずは“リズムで遊ぼう”みたいなテーマがありました。その中でもとくに、“英語のラップで遊ぶ”ことを考えていましたね。当時、すでにミュージシャンが作ったソフトはいくつか発売されていましたが、どれもゲームの体は成していなかったんですよ。
でも企業側としてはそれでもよかったみたいで、僕もソニーとの打ち合わせでは「ゲームじゃなきゃダメ」とは言われませんでした。
RYU
“音ゲー”なんて言葉もなかった時代ですからね。
伊藤
実際『パラッパ』も、最初はゲームだとは思われていなくて、「音楽に合わせてボタンを押して、何が楽しいんですか?」なんて言われたこともありました。
──数ある音楽ジャンルの中でも、あえてラップを使おうと考えたのは、どのような理由があったのでしょうか?
松浦
『パラッパ』の企画を考える直前くらいのタイミングで、ある雑誌の企画でギター型のコントローラーをパソコンにつないで遊ぶ、教育ソフトのような音楽ツールをプレイする機会があったんですよ。それがとんでもなくつまらなくて(苦笑)。
お手本のタイミングに合わせてボタンを押すだけで、ゲームですらないんです。そのことがあって、「音楽のゲ―ムを作るなら、おもしろいものを作って、皆が笑顔になるものにしなければならない」という思いが強くなりました。
──まずはおもしろいものを作るということが第一だったわけですね。
松浦
それで、僕は学生時代に“フェアライト”という、現在で言うところのサンプリングマシーンを手に入れていろいろ研究していたのですが、人間の声をサンプリングして聞かせてみるとなぜか皆が笑ってくれたんですよ。
その記憶が強く残っていて、これを利用すれば、皆を笑顔にできるようなゲームが作れると考えたんです。とはいえ「こんにちは」などの単語だけではゲームになりませんが、長時間使えるラップならいいのではないかと。
RYU
松浦さんはつねに「おもしろくしよう」という気持ちをすごく感じさせるんですよ。模造紙ミーティングでもそれはいつも感じていました。
伊藤
ステージ5でパラッパがトイレを我慢しているシーンがありますが、あれはけっこうみんなに反対されましたよね。でも松浦さんが貫き通して、結果としてすごくおもしろいものができ上がりました。

松浦
じつは僕は『パラッパ』の前に、ピピンアットマークというハードで、『チューニン・グルー』という子ども向けの作品を出しているんです。それはボタンを押したら何か音が出る、という内容なのですが、とくに多くの人に人気があったのが、“トイレットペーパーを出す音”、“トイレを流す音”、“扉を開け閉めする音” ……。
RYU
何となくわかりました(笑)。
松浦
みんなよっぽどトイレが好きなんだな、とわからされました。
RYU
でもこのとき、松浦さんの何がすごいと思ったかというと、トイレのおもしろさがわかっているということよりも、「譲らないところは絶対に譲らない」ところでしたね。そこは“クリエイター”の気質だと思いました。
──松浦さんが「譲らないぞ」モードに入ったとき、皆さんはどう対応するんですか?
RYU
オーケー、オーケー。わかりました、と(笑)。
伊藤
反対しても仕方がないので、まずは実現する方法を考えよう、でしたね(笑)。
松浦
(苦笑)。トイレのエピソードでは、RYUさんもすごく活躍してくれました。パラッパがカーステレオのスイッチを入れるシーンがあって、すると「我慢できないぞ」というヘンな音楽が流れるという設定にしたんです。
じつはその時点ですでに楽曲は録り終わっていたのですが、どうしてもこのシーンのための音楽が欲しくて、RYUさんに「“我慢できないよ”というテーマのラップを作ってくれ」と。
──とんでもないムチャ振りですね!
松浦
だからあそこだけ、RYUさんの声になっているんです。僕もあの曲はいっしょうけんめいに作りました。いや、ほかの曲で手を抜いたわけではないのですが(笑)。

──『パラッパ』のストーリー面でもお話をうかがいたいのですが、まずはパラッパというキャラクターがどのように生まれたか、ということを教えていただけますか?
松浦
まず「ロドニーさんのデザインでやりましょう」、「ラップのゲームにしましょう」、「『パラッパラッパー』というタイトルにしましょう」ということが先に決まっていました。それをロドニーさんに伝えたら、大量のデザインが送られてきたんです。
エビとか、驚くようなモチーフのキャラクターもある中で、「このワンちゃんがかわいいね」ということになって、メインのパラッパが決まりました。皆さん、パラッパたちはペーパーキャラクターで正面からのイメージしかないかもしれませんが、最初のデザイン画の時点では横向きに描かれていたんですよ。
──ロドニーさんに決まったのはどういう経緯があったんですか?
松浦
ソニー・クリエイティブプロダクツさん(※『タマ&フレンズ~うちのタマ知りませんか?~』などで知られるグループ企業)に近い人から紹介していただいたんです。ロドニーさんはちょうどソニー・クリエイティブに企画を出していたところで、サニーちゃんなどはもともとその企画のためにデザインされていたキャラクターだったようです。
──ペラペラのキャラクター表現もロドニーさんからの提案だったのでしょうか?
松浦
平面ポリゴンをダイナミックに動かすアイデアは、もともとSCEサイドにあったものです。そのために、PS1にはmime(マイム)という特殊な3d formatが用意されていました。ただし、編集ツールがニチメングラフィックス(現・ヒビノグラフィックス)の製品、確かN-Worldという名前でしたか……それしかなかったためか、これを大々的に使ったゲームは、おそらく『パラッパラッパー』以外にはなかったのではないかと思います。
我々のほうからも、 平面にテクスチャを貼った平面キャラクターとして見せる方法がうまくいくんじゃないか、という提案をして、それを最初のプレゼンで使わせてもらいました。 ロドニーさんのデザインが具体的に決まったのは、その後の話ですね。
──ロドニーさんとも何度もやり取りをしていたとうかがいましたが、どういった話をされていたのでしょうか?
松浦
ラップ、ヒップホップに対する我々との認識の違いだったり、キャラクターの相関関係だったり、イメージを擦り合わせる作業がメインでした。
RYU
ここは私も気を遣ったところで、たとえばラップの歌詞に汚い言葉を使わないようにしたりしていました。あるとき1ヵ所だけ汚い言葉を使ってしまった歌詞を提出したら、すぐにアメリカからファックスが届いて……。
松浦
きちんとチェックされているし、そのうえでさまざまなディスカッションをオープンにしました。そのときの内容はいまでも覚えていますね。
──日本で全編英語のゲームを出すというのは、文化の違いもあるし難しいですよね。
伊藤
皆が国内向けのゲームばかりを作っている中でこういったゲームを出して、どう受け止められるだろうかという話は、よく皆でしていました。ほかにも“U-Rappin' Cool”など、文法的に間違っている言葉を日本から出してどう思われるか、よく議論しました。
RYU
これは日本語にすると「おめえ、うめーじゃん」というニュアンスなんです。ネイティブの人にも「日本人が間違えて書いたんじゃないの?」とは思われないくらいのレベルかな。これがもう少し稚拙な感じを出して「うめーぢゃん」になるとアウトですね。
松浦
ガビンさんからは“わざと間違えている”言葉をたくさんアイデアとして出してもらったのですが、いちばん印象的だったのは“苺を食らわば皿まで”というフルーシ道場のモットー。あれはこのゲームのいい意味での“ユルさ”の決定打だったと思います。
RYU
誰も指摘しないけど間違っている(笑)。

──『パラッパ』ではタマネギ先生のほかにも各ステージで先生が登場しますが、それらはどのようにして作ったのでしょうか?
松浦
最初は「カンフー、つぎは運転」と模造紙ディスカッションでテーマと、それぞれの先生の設定を決めていって、あとはロドニーさんに動物へと置き換えたデザインに描き起こしてもらった感じですね。ロドニーさんも設定があるからか、作業がスムーズでした。
RYU
たとえばムースリーニは、「おばちゃんで、ちょっと怖い感じ」と伝えたらあのデザインが出てきたんです。「鹿にして」なんて注文はしていません。どれも私たちのイメージ通りのキャラクターが出てきました。
伊藤
フリースワロー(カエル先生)など、先生によっては「音楽をどういう感じにしようか」という話になったりはしましたね。

松浦
楽曲については“難易度”を優先したところもあります。ただ、難易度のデザインは自分が想定した通りにはなっていなかったようで、発売後にはいろいろと言われました。難易度のカーブはステージ3までが一定の上昇幅になっていて、ステージ4以降はシンコペーション(あえてアクセントをずらしたりしてリズムを生み出す技法)の世界に入って、裏を打たなければならなくなるという構造になっています。ステージ6はご褒美的な内容でちょっとラクになっていますけどね。
──何だかんだで、どのステージもコツを必要としていますからね。
松浦
ステージ6の最後には私からのメッセージも込められていて、最後にシュプレヒコールのコールアンドレスポンスがあるのですが、最後のワンターンだけは先生ではなくパラッパが先にやらなければならないんです。「お手本をなぞるな」と。ただ、そこを評価してもらったことはないですね(苦笑)。
──そのほか、いまだから言える“秘密”のお話などはありますか?
松浦
そういえば最初の企画書では、タイトルが違ったんです。“ッ”がひとつなくて『パラパラッパー』だったんですよ。
RYU
そうだったの!?
松浦
そうしたら、ある女性スタッフが「“ッ”がなかったらダサいですよ」ときびしい言葉を投げかけてきて。でも言われてみるとたしかに“ッ”があったほうがしっくりくる。
──“パラパラッパー”でリリースしていたらどうなっていたか気になりますが、いまや“パラッパ”以外は考えられませんね。
松浦
あとはブルックリンでのレコーディングの日々もよく覚えています。すごく楽しい毎日でした。
RYU
あのときの松浦さんのディレクションには驚かされましたね。松浦さんはアーティストに対して決して「ダメだ」とか「気に入らない」という言葉は使わないんですよ。
松浦
僕はテイクにきびしい人間なので、そんじょそこらのデキではオーケーを出さないのですが、だからといって毎回ネガティブなことを言っていたらアーティストもテンションが下がってしまうじゃないですか。
そこで僕が使っていたのが「One problem exists.」という言葉です。それをRYUさんにすごくホメてもらいました。その問題は“あなたのパフォーマンスにある”のではなくて“存在する”んだと。
RYU
何回もやり直しを要求するんですけど、この言いかただと、アーティストもイヤな顔をしないんですよ。「お前のせいじゃない」、「こっちに問題があるからもう一度やろう」みたいに感じるからですかね。だから「ああ、そうか」という感じでやり直してくれる。
松浦
さらにRYUさんからは「“We have one problem”と言ってみたら?」とアドバイスももらいましたね。
RYU
たしかに言いました! 30年も前のことなのにハッキリと思い出せるものなんですね。
――シナリオに関しては「これはうまくいったな!」というものはあったりしますか?
伊藤
印象深いのは、サニーちゃんのお父さんの“ジェネラル・ポッター(General Potter)”。あれは「すごくいいもん出したな」という手応えがありました。厳格である一方、弱いところもあって……。
RYU
私も「すごく強い軍人なのか、弱い父親なのか」でセリフを書くのに苦労したのを覚えています。
伊藤
彼も後から作ってロドニーさんに追加でデザインしてもらったキャラクターでしたね。

――皆さんが30年経ってもつい最近のことのようにエピソードがスラスラ出てくるのは、すごいですね……。
松浦
僕はいまでも年に数回ライブをしているのですが、『パラッパ』で挿入歌的に扱っている『funny luv』という曲のタイトル部分をよく演奏しています。去年は『パラッパラッパー2』の『come a long way』を演奏したんですよ。
RYUさんのラップ部分は、AIに文字起こししてもらったら、けっこう間違っていました(笑)。もう30年も経っているのですが、音楽的には自分の中ではぜんぜん変わっていませんね。
※『funny luv』は2024年、『come a long way』は2025年のソロライブで演奏された。いずれもライブ映像がAmazon Prime Videoにて配信中。──話は尽きませんが、最後にファンの皆さんへメッセージをお願いします。
RYU
皆さまには……言いかたがヘンかもしれませんが、『パラッパ』を通じて“国際的な”感覚を身に付けていただけたらうれしいです。すごくいい入り口になると思います。音楽的にも、文化的にも、言語でも無理なく入れると思いますので、何も考えないで、まっさらな気持ちでプレイしてみてください。
伊藤
『パラッパ』はユルい部分が魅力の作品でもあるので、そこも楽しんでいただけたらと思います。ほかの作品をプレイしたことがない人は、ケイティ・キャットとかがフィーチャーされている『ウンジャマ・ラミー』のようなものもありますので、そちらもぜひ遊んでみてください。
松浦
あっという間に30年も経ってしまったんだなと、すごく不思議な気持ちです。そんな中、いまも遊べるような状態でいてくれるというのがすごくありがたいと思っています。私も自分の作った音楽が過去のものにならないよう、リアルタイムの表現として続けていけたらと考えています。
