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発売記念 ロンドン・カンファレンスwebプレビュー Vol.2 ヴィクトリア朝専門家が世界観を解説!
公開日時:2015-11-12 16:00:00
リー・ジャクソン氏が語る、発展していくロンドンの闇†
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▲ヴィクトリア朝専門家 リー・ジャクソン氏 |
自分は、ここ10〜15年ほど、ヴィクトリア時代の社会について研究している歴史家です。私は様々なwebサイトなどで、19世紀のロンドンについて、新聞や日記、地図など多くの資料を検索し、書籍やこの時代のロンドン・ウォーキング・ガイドなどを執筆してきました。
最近では、ヴィクトリア時代のロンドンの暗い部分を描いた『ダーティ・オールド・ロンドン』(エール大学出版)を出版する予定です。この本は、ヴィクトリア時代の都市の汚れた現実を扱ったものなのですが、今日は『アサシン クリード シンジケート』で体験できる内容に沿って、このような、当時のロンドンの姿と現実について、お話したいと思います。
爆発的に増加する人口†
まず、ヴィクトリア時代のロンドンは著しい成長を遂げていたことに注目しましょう。19世紀初頭は、この狭い地域に約100万人が住んでいたが、 19世紀の終わりには、600万人に膨れ上がった。こうした爆発的な人口増加で、ロンドンは1830年代に、北京に代わり世界最大の都市となったのです。
では、どうしてそんなに人が集まったのか?
その理由のひとつは、砂糖、コーヒー、ゴムなど、ありとあらゆるものが大英帝国の首都ロンドンの港に集まってきたからです。
当時のそうした活気に満ちた埠頭のなごりは、『アサシン クリード シンジケート』をプレイして、“テムズ川”に行けば、目の当たりに出来るでしょう。こうした港に集う物資は、莫大な富を生み出します。そうして、ロンドンは国際通商を支える、金融の中心となっていたのです。
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急速に発展、変貌する帝都†
ロンドンを支配する人々は、都市を“帝国”にふさわしい場所にするべきであると話し合いました。道路はもっと立派にしなくてはならない。鉄道も、拡大する全国鉄道網として施設しなくてはならないと。
そして国際ネットワークの一部として、ヴィクトリア時代のインターネットともいうべき“電信網”は、大西洋を超え、なんとインドまで伸びていたのです。当時、この電信網は、“時間と空間を消滅させるもの”と呼ばれました。つまり、すべてのものがスピードアップする“近代”の始まりでした。
これらは、いずれも帝国時代のロンドンのパワーを世界に示すものでした。19世紀半ばのロンドンは、帝国の首都となるべく驚くべき速さで変貌していった……まさに工事現場そのものだったとも言えます。
ゲーム中で、工事現場を目にすることがあったら、こうしたことを思い出してもらえると、急速に変化していく時代のダイナミックな空気を感じられるかもしれませんね。
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貧富の差と人々の暮らし†
ヴィクトリア朝時代のロンドンには、こうして資金が集まり、商業目的で周辺地区を開発するため、中産階級の土地や市場、広場やガーデンなどが買収されていきます。
19世紀には投資も始まり、鉄道実業家、株式ブローカー、銀行家などの富裕層が住むための贅沢な住宅が建造されました。こうした建物は6階建てタウンハウスが典型的でした。富裕層は大邸宅を維持するために必要な従業員たちも、屋敷の広大な地下スペースに住まわせたほどでした。
ゲームでは、ロンドン西側のウェストミンスター地区で、富裕層の暮らしを目にできるでしょう。
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その一方、貧民層は、ロンドンの北エリア、ホワイトチャペル地区に代表されるような貧民街での生活を余儀なくされました。ロンドンには何千人もの人々が移住してきたのですが、この中でも、手に職を持った人たちは比較的良い生活を手にいれることができましたが、逆に、肉体労働者たちは、最後の行く先が低所得者住宅になってしまったほどに苦しい生活を強いられることになります。ひとつの家族が、家の中のたった1室で暮らしていました。さらに、多くの人たちは水道もなく、ねずみがはびこる非常に不衛生な状況に置かれていたのです。
物資が集う埠頭では、他で仕事を得られない人々が並び……微々たる日銭を稼いでいました。安定して日銭が得られる者は羨まれたことでしょう。
それだけ過酷な環境だったこともあり、19世紀半ば、ロンドンの東側、貧民街イーストエンド近辺の男性平均寿命は40歳くらい。そして、1歳までに死亡する子どもを加えると……なんと、平均寿命は25歳でした。
ゲームをプレイして街を歩くと、あなたはきっと、いたるところで貧しい子どもたちの姿を目にできるでしょう。ヴィクトリア朝時代、ロンドンの子どもたちは労働者だったのです。子どもたちは、人が歩く先々の道を掃いて小銭をもらい、ゴミの中から石炭を見つけて売るなどの仕事をしていました。
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犯罪とギャング†
もちろん、すべての人がこれほど貧しいわけではありませんでした。ですが、貧富の差が大きかったことは明らかで、当時の人々はスラム街での犯罪の増加を心配していました。なにしろ、当時の人口の10%が犯罪者、浮浪者、売春婦など、社会の底辺にいる人々だったのですから。
路上犯罪も増加していました。ギロチン・パニック(1人が喉輪攻めをしている間にもう1人が私物をひったくる)と呼ばれる強盗が横行していました。
もしかしたら、ゲーム中であなたもこうした行動をとるのかもしれませんが(笑)。
とにかく、こうした人口増加で貧民が溢れたことで、貧民街はスラムと化します。治安が急激に悪化した結果、中産階級の人たちは刀やピストル、棍棒などの武器を隠し持って、自衛するようになったのです。
『アサシン クリード シンジケート』では、そのタイトルのとおりに“ギャングのシンジケート”を率いることになりますね。ちなみに1890年代になると、犯罪はこうした路上犯罪からギャングへの恐怖に変わっていきました。当時のロンドンには、自称ブラック・プリンスを名乗るボスが率いた有名なギャングがいたのですが、彼らは指輪強盗として知られており、なんとターゲットの指輪が外れない場合は、手首を切って持ち去ったそうです。
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ゲームでは、あなたは逆に“ギャング”のシンジケートの力でこうした貧民たちを解放していくというのは、考えてみるととても興味深い設定ですね。ですが、このようなギャングという存在こそ、富裕層に搾取された貧民層が生んだ、弱肉強食のスラムから生まれた……本作を象徴するものでもあるのです。
(Vol.3 続・19世紀、ヴィクトリア朝専門家編に続きます)
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