2001年に第1作が発売された『逆転裁判』は、2021年で20周年。これを記念して特別企画を掲載。

 20年前、ディレクターとして企画を立ち上げ『逆転裁判』を世に送り出した巧 舟氏。シリーズを重ね、時代を駆け抜けた巧氏が20年を経て思うことを訊いた。話の中には作品のネタバレ的な部分もありますのでご注意を!

巧 舟氏(たくみ しゅう)

カプコン『逆転』シリーズディレクター。『逆転』シリーズのディレクション&シナリオを担う、生みの親とも言える存在。『逆転裁判』1作目から4作目、『大逆転裁判』シリーズ、『ゴースト トリック』などを手掛ける。最近ハマッた作品はアニメ『オッドタクシー』。(文中は巧)

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※『逆転裁判』20周年記念インタビュー記事は以下の関連記事をチェック!

20年を振り返る

『逆転裁判』20周年、巧 舟氏インタビュー。「考えかたを逆転したら、すべての線がつながったんです」(巧)【逆転裁判20周年特別企画】

――『逆転裁判』は、第1作の開発当時に「10年経っても遊べるゲームを作ろう」という意気込みでスタートされたそうですが、初代作品の発売から20年経っても愛され続けていますね。

さすがに当時、20年は考えていませんでした(笑)。最近は、親子2代にわたって遊んでくれているという方も増えてきて、ファン層が厚くなったなあと感じています。本当にすごいことですよね。感謝しています!

――開発当時、巧さんは20代?

第1作を作っていたのが20代最後の年ですね。「20代のうちにシナリオを書き上げる!」とがんばったのですが、結局30歳に10日ほど食いこんでしまったという(笑)。まさに21世紀に突入した年でもありましたね。ミレニアムとか、懐かしいです。

 『逆転裁判』の企画は、当時、ゲーム作りの師匠である上司から「半年あげるから好きにゲーム作っていいよ」と言っていただいて。それでぼくを筆頭に若手スタッフの育成が目的で始まったプロジェクトでした。ぼくはミステリーのゲームを作りたくてこの業界を選んだので、これはまたとないチャンスだと夢中で作っていました。当時のノートを見ると、2000年9月に制作が始まって、まずチームで“裁判見学ツアー”に行ったみたいです。それから2ヵ月後の11月に最初の試作版ができたんです。

――えっ、2ヵ月で形になるものなのですか?

プロジェクトのコンセプトが“少人数、短期間で作る”ということで、最初に与えられたスケジュールは、なんと半年だったんですよね。みんな若かったので「はいッ!」って作り始めたんですけど、いろいろあって、最終的に制作期間は7人のチームで10ヵ月でした。それにしても、いまでは考えられないような、とんでもないスピード感ですよね。

――当時はゲームボーイアドバンスも発売前で、プロトタイプのむき出しの基盤で制作していたとも聞きましたが。

懐かしいですね。じつは、最初の計画ではゲームボーイで作る予定だったんです。でも、「任天堂の新ハードが出るよ」というニュースとともに、カプコンに開発中のゲームボーイアドバンス試作機が届いて。その液晶の美しさに強烈なインパクトを受けました。これでゲームが作れるんだと、みんなで大いに盛り上がりました。

――企画自体は進んでいたのですね。最初のロムの出来栄えもイイ線行っていたのでしょうか。

それが、ぜんぜんおもしろくなくて(笑)。「何をするゲームかわからない!」と大不評でした。先ほど話に出た師匠からも「このままではチーム解散!」とのきびしいお達しがあって……とはいえそれは、本当に解散させるつもりではなく、発破をかける意味の“愛のムチ”だったと後でわかりました。

 でも、実際に完成度が低かったのは本当で、それをキッカケに、最初からゲームの仕組みを徹底的に練り直すことにしたんです。いまできるアクションは何かを画面に表示したり、ムジュンを探すタイミングを“尋問”という形で切り分けてみたり、つきつける証拠品の情報を最小限に絞ったり……とにかく分かりやすいゲームになるよう調整して、完成版の裁判のシステムが見えてきたのが、年末くらいでしたね。

『逆転裁判』20周年、巧 舟氏インタビュー。「考えかたを逆転したら、すべての線がつながったんです」(巧)【逆転裁判20周年特別企画】
初代『逆転裁判』(ゲームボーイアドバンス)

――『逆転』シリーズの基本となる部分が。

いま、 記録を見ると自分でも目を疑うのですが、翌年2月に第2話“逆転姉妹”、3月に第3話“逆転のトノサマン”、4月に最終話“逆転、 そしてサヨナラ”、5月に完成って書いてあるんですよ。

――毎月、1話のシナリオを完成させていたのですか! 月刊『逆転裁判』状態。

さすがに各シナリオの原形は用意していましたが、恐ろしいスピード感でした。そのペースでないと間に合わなかったんです。

――“お達し”が追い風になったのでしょうか。

追い風であり、同時に崖っぷちだったのかな。そういえばその年末に制作部の忘年会があって、ぼくはなぜか手品の舞台をやったのですが、そんなことをやりつつ、気持ちは真っ黒でした(笑)。

――「ハト出してる場合じゃねえ!」って(笑)。

スケジュール的にもう1日も休めない、というタイミングで風邪をひいてしまい、医者へ行って点滴を打ちながら涙が止まらなくなったのもいい思い出です(笑)。“逆転のトノサマン”のシナリオを書いていたころだったかな。

――開発は1作目から壮絶だったのですね。シリーズも長く続いていますが、開発でいちばんたいへんだったところは、解散になるかもというところでしたか。

そうかもしれないですが、どの作品も毎回たいへんではあります。なかでもシリーズの節目となった『逆転裁判4』や『大逆転裁判』は、いつもと違うプレッシャーがありましたね。

『逆転裁判』20周年、巧 舟氏インタビュー。「考えかたを逆転したら、すべての線がつながったんです」(巧)【逆転裁判20周年特別企画】
『大逆転裁判 ~成歩堂龍ノ介の冒險~』。明治日本と大英帝国・倫敦(ロンドン)を舞台に、成歩堂龍一のご先祖成歩堂龍ノ介が活躍する。世界的大探偵のあのシャーロック・ホームズも登場!

とくに『大逆転裁判』は壮絶でした。“新しい『逆転裁判』を作る”というコンセプトで、ぼくが昔から大好きだったシャーロック・ホームズさんをお迎えできることになって、気合が入りすぎて。最初の半年で物語全体の流れができたのですが、詰めこみすぎてしまって。

 制作の終盤、スケジュールの都合で、「どうしても物語を切らないとおさまらない」という痛恨の事態になったんです。そのときは胃がもげそうになりましたね。実際、2回ほど入院してみたり(笑)。『大逆転裁判 ~成歩堂龍ノ介の冒險~』の開発終盤で1回と、『大逆転裁判2 ~成歩堂龍ノ介の覺悟~』の終盤でも1回。

――入院!? 大丈夫だったんですか。

こうして無事退院できているので、大丈夫と言っていいのではないかと(笑)。結果的に『大逆転裁判』は2作に分かれましたが、最初の想定をはるかに超えて物語が膨らむことになりました。また、遊んでくれた皆さんの反響を受け、流れを大きく変えた部分もあります。たとえば、○○○がじつは○○○○○という展開とか。

――ええっ。では、あの再登場は最初から決まっていたわけでは……。

最初に作ったプロットは違いましたね。本当にいろいろありましたが、チームのみんなの力で、もっともよい形にまとまったと思います。

プロットづくりとシナリオ制作

『逆転裁判』20周年、巧 舟氏インタビュー。「考えかたを逆転したら、すべての線がつながったんです」(巧)【逆転裁判20周年特別企画】
留置所で真宵ちゃんと面会。成歩堂は孤独な身の上となってしまった彼女の力になるべく、弁護を引き受ける。

――やはりシナリオ執筆では、伏線の張りかたや、プロット作りが難所になりますか?

そうですね。最初のころは何も考えずに書いていました。第1作の“逆転姉妹”とか。でも、逮捕された真宵ちゃんに、なるほどくんが「ご両親は?」と尋ねる場面で、ふと手が止まったんです。「そう言えば、この子のご両親ってどうなってるんだ?」と、そこで書けなくなってしまって。

 それ以来、プロットを作るようになりました。でも、アドリブというか、ライブ感で書いた部分もあります。あの最終話のオウムとか、プロットの段階ではいなかったんですよ。直前に書いたばかりの“トノサマン”の九太くんが好評だったので、ほかに変わった証人は……と考えて、思いついたのがあのサユリさんだったという。

『逆転裁判』20周年、巧 舟氏インタビュー。「考えかたを逆転したら、すべての線がつながったんです」(巧)【逆転裁判20周年特別企画】
オウムのサユリさんは、飼い主であるボート小屋管理人の灰根に、重要な言葉を教え込まれているよで……?

――重要な証人ですよね(笑)。話を書きながら設定を加えていくことのほうが多いですか?

逆転裁判2』以降は、基本的に細かい構成を作ってから書いています。ただ、『逆転裁判3』の最終話だけは、どうしてもプロットができなくて。「これは……未来の巧さんが何とかしてくれるだろう」と、目をつぶって丸投げしてみたり。

――オシシ仮面方式!

ドラえもん』のフニャコフニャ夫先生ばりに(笑)。そしてその半年後、いざきちんと書き出す前日になって、物語の着地点が急に見えるという奇跡が起き、なんとか完成しました。

――人物の思惑が複雑に絡み合う話なので、そのように書かれたとは思いませんでした。

あのエピソードで難問だったのは、“法律で裁くことのできない存在である犯人に、決定的にギャフンと言わせるにはどうすればいいか?”というポイントでした。この答えがどうしても見つからなかったのですが、ギリギリまで追いつめられて、ふと考えかたを変えてみたんです。

 それまでは、まずトリックや状況から物語の筋道を考えて、そこにキャラクターを当てはめていたのですが、それを逆転させてみました。つまり、ある状況に置かれたとき、「このキャラクターならどうするだろう?」という考えかたですね。「ピンチのとき、真宵ちゃんならどうする? きっとあの人に相談するはずだ。そしてあの人なら、どんな助言をするだろう?」……そうやって考えていったとき、犯人に鉄槌を下す唯一の方法が閃いて、すべてがひとつの線につながったんです。

――おお! まさに“発想の逆転”ですね。

そうですね。いま思えば、祝杯をあげてもいい記念すべきできごとだったんですけど、当時の記録を見ると「これでやっと書き始められる、やれやれ」と書いてありました(笑)。

お楽しみは最終調整

――ハードな制作過程も垣間見えましたが、楽しい工程というのはあるのですか?

楽しいのは最終調整ですね。なぜかと言うと、やればやるほどおもしろくなっていく。

 仮シナリオをもとに、キャラクターやアクション、音楽などの素材を制作して、ゲームの形に組み上げていくのですが、仮組みした状態のものをぼくが引き取って調整するんです。キャラクターに合わせてセリフを修正したり、アクションの指定、効果音や音楽のタイミングなどを細かく設定する。これがもう、永遠にやっていたい幸せな時間です。じっくり作りこむほど完成度が飛躍的に上がるのが、ひしひしと感じられるんです。

――最終調整段階でぐっとよくなった具体的な場面で覚えているところはありますか?

『大逆転裁判2 ~成歩堂龍ノ介の覺悟~』の最終話で、真犯人が崩壊する場面は、じつは最初のシナリオでは存在しなかったんです。でも、最終調整をしながら「やっぱりここは見せ場がほしいね」となったとき、スケジュールがきびしい中、チームのみんなが「やろう!」と言ってくれて、あのクライマックスが生まれました。

――最後まで手を抜かないことが肝要。

プロットやトリックがいくらよくできていたとしても、実際に遊ぶ製品版でおもしろさが伝わらなければ、それは失敗ですよね。皆さんに「おもしろかった」と言わせるには、やっぱり自分が「最高だ!」と思えるまで作り込みたいです。

『逆転』トリックのレシピ

――自身の考えたトリックや仕掛けの中で、お気に入りのものはありますか?

『逆転裁判』の第4話“逆転、そしてサヨナラ”の、湖とボートのトリックは気に入ってます。トリックを考えるとき、これまで読んできたミステリーからアイデアを拝借して組み合わせて作ることが多いのですが、このトリックはシンプルだけど自分で生みだしたオリジナリティーを感じているんです。さらに、「せっかく舞台が湖なら謎の怪獣を出したいな」と思っていたところに、たまたまテレビのニュースで、ボンベが爆発して民家に飛び込んだ……というのを見て「これだ!」と結びついたりして。

――ヒョッシーにそんな由来が(笑)!

『逆転裁判2』第3話のサーカスのトリックも個人的にはとても気に入っています。賛否両論あるというウワサもちらほら聞きますけど(笑)。トリックが明かされるとき、ハデなドラムロールが鳴ってサーカスのショウっぽく見せたり、そんな演出も合わせてよくできているのではないかと(笑)。

――確かに『逆転裁判』らしさがよく表れているトリックでしたね。無茶に思えるところも妙に納得してしまうというか……。

『逆転裁判3』の最終話のトリックは悩みました。吊り橋から考え始めたんですけど、我ながら無茶だと思いましたね。でも、天流斎マシス氏にすべてを託しました。ヤツならなんとかしてくれる、と(笑)。

『逆転裁判』20周年、巧 舟氏インタビュー。「考えかたを逆転したら、すべての線がつながったんです」(巧)【逆転裁判20周年特別企画】
『逆転裁判3』第5話“華麗なる逆転”で、天流斎マシスこと矢張のスケッチがトリックを破る大きなきっかけとなった。

――キャラクターの持つ力は大きいものなのですね(笑)。今回、キャラクターデザイナーの塗和也氏にもお話を伺っていますが、印象深いことといえば?

塗くんは『逆転裁判 蘇る逆転』からの付き合いで、 それから『逆転裁判4』、『レイトン教授VS逆転裁判』、そして『大逆転裁判』と、いちばん長くいっしょにやってきた仲間ですね。初めて彼の席に行って紹介されたとき、すでになるほどくんと真宵ちゃんの絵を描いていて。

 すごくきれいな絵を描く人だなーというのが第一印象です。しっかりしたオトナだけど、仕事にはすごくこだわりがあって。その情熱こそがゲームのクオリティーを支えてくれるわけで、とてもありがたい存在ですね。

――塗さんとはどんな風にデザインのやり取りをされていたのですか?

初期のころは細かくやりとりをしていましたが、『大逆転裁判』のころからは、メインキャラクター以外は、基本的に塗くんにおまかせすることが多かったです。シナリオを読んでもらい、イメージを話し合って。龍ノ介の髪型とか、絶妙ですよね。明治時代の男子のイメージを崩さず、成歩堂家の象徴であるギザギザ要素をどう入れるか、難問だったと思います。物語の面でも重要なアドバイスをたくさんもらいました。シリーズを支えてくれたメンバーですね。

――シリーズを支えた方といえば、歴代のプロデューサーの方々もいますね。

そうですね、プロデューサーは時に心強い味方、時には圧倒的な権力を握った手強い敵、だったりしますね(笑)。とくに第1作の制作総指揮だったぼくの師匠は、新人のころからきびしくゲーム作りの基礎を叩き込んでくれて、『逆転裁判』を作るチャンスをくれた、人生の大恩人です。20年前、 完成したバージョンを初めて最後まで遊んでもらったとき、 ひとこと「おもしろかった。グー」と言ってくれたのは、いまでも忘れられない思い出です。

 『逆転裁判』は、デザイナーの塗くんや岩元くんを始め、作り手との出会いにも恵まれたシリーズだと思うのですが、音楽も忘れられませんね。一度聞いたら耳に残る強烈なオリジナルの世界を作ってくれた杉森くん(杉森雅和氏)、その世界を音楽的に一気に広げてくれた岩垂さん、そして『レイトン教授VS逆転裁判』から『大逆転裁判』へ、格調高いというか、なんだかすごい北川さん。ゲームの場面を思い浮かべるとき、頭の中にまず浮かぶのは、大好きな音楽だったりします。

コラボ網羅で、残るはハリウッド!?

『逆転裁判』20周年、巧 舟氏インタビュー。「考えかたを逆転したら、すべての線がつながったんです」(巧)【逆転裁判20周年特別企画】

――この20年で『逆転』シリーズは幅広いジャンルとコラボされてきましたね。比較的最近ではテレビアニメ化が印象的でした。

第1作の発売から15年も経ってアニメ化。考えてみると、放映された2016年、2018年って、ゲーム内の時系列とピッタリ合ってるんですよね。不思議な巡り合わせだと思います。じつは正直、最初は不安もありましたけど、渡辺歩監督、脚本家の富岡淳広さんたちとじっくり時間かけて脚本を練って、梶裕貴さんを始めとする声優陣のパワーも印象的でした。ゲームでは描けなかった、なるほどくんたちの少年時代のオリジナルエピソードも作れて楽しかったですね。こんな機会をもらえたことに感謝しています。

――メディアミックスでは、宝塚歌劇団の公演もインパクトがありました。

『逆転裁判』にとって最初のコラボが宝塚歌劇だったんですよね。いまになって思うと、これが最初でよかった。じつは、個人的に『逆転裁判』はゲームでプレイするからこそおもしろいものだと考えていて、正直、コラボには消極的だったんです。

 でも宝塚の舞台を観て認識が変わりました。『逆転裁判』って、徹底的にリアルを排除して、ミステリーのおもしろさを抽出した、いわばファンタジーなんですよね。一方、宝塚もまた、すべての物語を女性たちが歌い踊って演じる、徹底的に非現実な夢の世界。その浮世離れした感じが、じつは親和性が高かったんです。演出もパンチが効いてましたね。朗々と歌う御剣さんのまわりに、さらに5人の御剣さんが駆け寄ってきて、総勢6人の御剣さんが華麗に踊ってみたり。

――「ルール、私が決める」と歌う場面ですね。

『逆転裁判』20周年、巧 舟氏インタビュー。「考えかたを逆転したら、すべての線がつながったんです」(巧)【逆転裁判20周年特別企画】
宝塚歌劇団の蘭寿とむが成歩堂ことフェニックス・ライトを熱演。御剣を主役とした『逆転裁判3 検事マイルズ・エッジワース』 も作られた。

あれは仲間うちでも「素敵!」と大騒ぎになって、みんなで歌ってました(笑)。すばらしい公演でしたね。幸運にも、脚本・演出を担当してくれた、宝塚の鈴木圭先生も『逆転裁判』が大好きな方で、それがいい方向へ実を結んだのだと思います。

 また、舞台版もありましたね。ぼくが関わったのは『逆転裁判 -逆転のGOLD MEDAL-』で、脚本家・斎藤栄作さんと真剣勝負を重ねて物語を作りました。新作舞台は残念ながら延期が続いていますが、いつか世間が落ち着いたら日の目を見てほしいです。

『逆転裁判』20周年、巧 舟氏インタビュー。「考えかたを逆転したら、すべての線がつながったんです」(巧)【逆転裁判20周年特別企画】
2019年1月に東京・北千住にて公演された舞台『逆転裁判 -逆転のGOLD MEDAL-』。成歩堂役に加藤将。岩元辰郎氏描き下ろしのオリジナルキャラクターも登場した。

――各業界に『逆転』ファンがいるというのもうれしいですよね。

数々のコラボが実現したのは、そういった幸せな出会いがあったのが大きいですね。『レイトン教授VS逆転裁判』も、レベルファイブの日野晃博さんから『逆転裁判』に熱い声をかけていただいたことで始まったプロジェクトでした。制作はたいへんでしたが、おもしろいゲームになったと思います。

 リアル脱出ゲームで有名なSCRAPの加藤隆生さんとの出会いも非常に刺激的でした。 いい作り手は、 相手の意図を的確に見抜いて意思疎通できて、 それはお互い心地よい瞬間です。いままで、そうやっていろいろなコラボをしてきましたが、いちばんうれしいのは、お互いのファンにクロスオーバーが起こることです。双方のファンが、それまで知らなかったコンテンツに興味を持って、好きになってくれたりするのは、ぼくたちにとって最高に幸せなことですね。

――今後、コラボしてみたいジャンルは?

うーん、マンガや小説にもなったし、後は歌舞伎か……ハリウッド進出でしょうか(笑)。

――カプコンには前例もありますし!(笑)

いっそインド映画で踊るのもいいかもしれないですね。 個人的には、『大逆転裁判』は時代や衣装、音楽が宝塚向きだと思うので、鈴木先生のご連絡をお待ちしています(笑)。

――巧さんご自身の活動として、今後チャレンジしてみたいことはありますか?

いまは20年前と状況が大きく変わって、誰でもクリエイターになれる時代で、斬新な発想のゲームがインディーゲームにも溢れていますよね。そんな時代に、カプコンのような大きい会社で自分の思うおもしろい作品を作るというのは、ますます難しくなっているように感じます。

 もちろん、そこには会社だけでなく、遊んでくれる皆さんの求めるものや、時代の流れもありますよね。そんな中で、奇跡的に生まれるプロジェクトに巡り会えたら、そこでまた全力を尽くしたいと思います。

――ではもし、『逆転裁判』の制作当初のように「半年あげるから好きに作っていいよ」と言われたらどうしますか?

趣味のような小さい作品を作ってみたいと思ったりしますね。最近、自分でプロトタイプを作ってみようと思って『RPGツクール』を買ってみたんですよ。でも、ぼくの技術では、村人を満足に歩かせることもできなくて挫折しました(笑)。そういえば昔、新人のころに、スーパーファミコンの『RPGツクール』でミステリーのゲームを作ったことがありました(笑)。

――なんと(笑)。どこかで遊びたいものです。では最後に、20周年を迎えた現在の心境を伺って、インタビューの締めとしたいと思います。

「10年遊べるゲームを」と思って作ったものが、気がついたら倍の20年も経っていました。いま改めて遊んでみると、ひとつひとつ、その時代ごとの自分がまるごと凝縮されているような感じがします。「このセリフはこのときじゃなきゃ書けなかったな」なんて思ってみたり。

 ぼくたち作り手にとっては、作ることが生きること。完成したゲームには、自分のすべてが注ぎ込まれています。そうやって胸を張って人様にオススメできるゲームを作ってきて、こうして長い時が流れて、いまも皆さんに遊んでもらえる……作り手として、最高に幸せなことです。遊んでくれたファンの皆さんの応援と後押しのおかげで、こうして感謝の気持ちで20周年を迎えることができました。いつも、本当にありがとうございます!