Morpheusの発表、2000億円の買収……大きく動きを見せたVR
2014年は、VRが普及に向けて一気に現実感を帯びた年だった。3月にGDCでソニーがPS4向けのVRヘッドマウントディスプレイ“Project Morpheus”を発表。翌週にはFacebookがOculus VRを約2000億円で傘下に収め、TGSにも出展。Morpheusも単独での体験会を実施して、盛況を収めた。ダンボール製のビューワー“ハコスコ”が法人化&発売されたり、同じくダンボール製の“Google Cardboard”が発表されたのも今年。2015年にこの流れがどうなっていくのか、今から楽しみだ。
さて、Samsungが12月に発売したVRヘッドマウントディスプレイ”Gear VR”を入手したのでご紹介しよう。正式名称“Samsung Gear VR Innovator Edition”は、約200ドルでアメリカ国内の発送限定で発売中。Oculus Riftの開発者キットと同様、開発者やガジェット好きを対象にした機器という位置づけだが、購入にあたって開発者ライセンスなどは特に必要ない。
なお、「VRヘッドマウントディスプレイってそもそも何?」という人は割と置いてけぼりになっちゃうと思うので、今年3月に書いた解説記事「Project Morpheus発表に、Facebookによる巨額買収――なぜ今VRがアツいのか、そしてなぜ体験すべきなのか」をまず参照してから読んで欲しい。
とにかく簡単で結構綺麗。非力さはソフトウェアでフォロー
Gear VRは(少なくとも今のところ)、同社のスマートフォンGalaxy Note 4(以下Note 4)専用のハードウェアで、レンズや各種インターフェースが付いたヘッドマウント部に、ディスプレイとしてNote 4をはめ込む形で使用。処理などは、Note 4のプロセッサーで行う。
ヘッドマウント部はそれなりに大きいが、処理能力も含めてケースに入れて持ち運び可能なサイズで、カチャッとハメれば電源すらなしにどこでもVR体験できるというのは大きい。今回、記者は日本に一時帰国した際にキャリングケースでいろんな所に持ち歩いてみたのだが、喫茶店や居酒屋、空港、さらに機内でも、老若男女、あらゆる国籍の人に体験してもらうことができた。
しかし当然のことながら、いくらNote 4がハイエンド寄りのスマートフォンとはいえ性能には限界があり、ゲーミングPCなどでOculus Riftを使ったり、PS4でProject Morpheusを使う場合と比べると、スペック面で非力なのは厳然たる事実だ。Gear VR版が公開されているVRハッキングパズルゲーム『Darknet』の開発者E McNeil氏は、VR専門ブログRoad to VRへの寄稿で、Gear VR向けの開発について、ゲーム開発そのものが持つ難しさに、「(性能に制約がある)モバイル向け開発の難しさ」、「(体験を阻害しないための独自の注意点が多い)VR向け開発の難しさ」が加わり、三重のハードルを乗り越える必要があると語っている。
VR体験では人間の頭の動きに可能な限り高速に反応して描画を追従させることが重要とされ、秒間75フレーム以上の描画が理想とされることもあるのだが、例えばOculus Rift界隈でもよく知られているデモ『Titans of Space』のGear VR版は、最適化がまだ進んでないこともあってか、秒間60フレームを若干下回り、シーンによっては40台に落ちることもある(オプションにあるコックピットの3D表示とFPS表示を有効にした状態で確認)。
そこまで複雑なモデルやグラフィック処理がない『Titans of Space』でこの数値というのにがっかりする人もいるかもしれないが、Gear VRはここからがポイント。Gear VRは昨今のVRブームを牽引するOculus VRとの共同開発で設計されており、同社のCTO(技術統括)であるジョン・カーマック氏(そう、FPSの生みの親である)が編み出したタイムワープ法などの技術が盛り込まれている。
タイムワープ法では、イメージのレンダリング中に動いた顔の動きに応じて補正をかけてから描画する。こうすることで、僅かなレンダリング時間の間にも生じる、「仮に現実であればこう見えるべき像」と「(一瞬前の頭の位置を基準にレンダリングした)VRとして実際に描画する像」のイメージのずれを低減しているのだ。
こういった努力の成果あってか、現状でGear VR向けにリリースされているコンテンツについては、Note 4の処理能力でも十分にスムーズな体験ができていると思う。ちなみに、頭が動いてからその結果が反映されるまでの時間(motion-to-photon)は、Oculus Rift同様に20ミリ秒以下の遅延で実現可能としている。
一方で、Galaxy Note 4のディスプレイ解像度は1440p(2560×1440ピクセル)あり、Oculus Rift DK2(第2世代開発キット)やSCEのProject Morpheusなどよりも高く、視野角もDK2に近い96度をカバーしている……のだが、網戸越しに世界を見ているようなドットとドットの間の網目感(スクリーンドア効果)は結構ある感じ。特に特定の場所を注視するようなコンテンツでは、目が慣れてくるまではそれなりに気になる。
可能性を感じさせるコンテンツと、標準搭載の補助機能たち
Gear VRでプレイするコンテンツは、Oculus Storeというストアから入手することが可能。Oculus Storeには、Galaxy Note 4上で使えるOculusの統合アプリからでも、VR内からでもアクセスできる。執筆時点では配信されているソフトはすべて無料で、冒頭のみのデモだったり、今後開発していくコンテンツのサンプルだったりといった感じ。今はそれでも十分に楽しいが、今後の充実を期待したい。
配信されているアプリの内容は、Uber Entertainmentが開発中のアドベンチャーゲーム『Ikarus』などのゲームや、風景や音楽ライブなどを360度撮影したもの、CG世界に没頭するタイプのアプリなどさまざま。ちなみに映画「パシフィック・リム」のシミュレーターを体験できる「Pacific Rim: Jaeger Pilot」なども収録されている。これは、今年のコミコンで限定公開され、連日チケットが瞬殺になっていたデモをGear VRに移植したもの。
これらのアプリの操作にはBluetoothコントローラーを必要とするものもあるが、本体側面についているタッチパッドとバックボタンだけで十分に操作できるものがほとんど。
VRモードでのホームアプリOculus Homeでの操作を例に挙げると、選択したいものが中心に来るように注視し、タッチパッドで選択。ページを進めたり戻したい時はスワイプで実行するといった感じ。Gear VRならではの携帯性を最大限発揮するためにも、今後もできるだけこの傾向が続いてくれるとありがたいなぁと思う。
というのも、Oculus Riftの開発者キットがVRが普及する未来を開発者とともに目指すための、ハードコアな「わかってる人向け」のデバイスだとすれば、Gear VRはスマートフォンと同じぐらいのわかりやすさや手軽さを追求したハードだからだ。モバイル性についてはすでに触れたが、眼鏡を外して簡単に体験できる設計になっていることからも、そういったコンセプトが貫かれているのがわかる。
そういったハードにおいて、ゲームコントローラーがいくら細かい操作に向いているとはいえ、「ゲーマーがそれに慣れている」ことに引き摺られてしまって、「ゲームをしない普通の人」が置いてけぼりになってしまっては本末転倒なのである。
ちなみに、使用時のQoL(生活度)を下げないような仕組みはこの他にもあり、メール到着時などのNote 4側のポップアップメッセージはGear VR内にオーバーレイ表示可能。
さらにバックボタン長押しで表示されるメニューで電池残量などが確認できるほか、本体のフロントカメラを通じて外部を見ることもできる。暗い場所では結構厳しいが、それなりに光量がある場所では「使用中に喉が渇いたので外部カメラに切り替え、コーラが入ったコップを掴む」といった一連の作業を、Gear VRを脱ぐことなしにできる。
17年の時を経て、クリスマス前にVR親孝行。
Gear VRの入手は結構大変だった。というのも、アメリカでもNote 4自体がオンライン以外でそんなに出回っておらず、特に地元サンフランシスコのストアにはストックがあまりなく、1ヶ月以上探しまわってようやく「白ならあるよ」と発見。
さらに「12月初頭に出る」と言われていたGear VRがなかなか発売されない! 結局、日本への帰国ギリギリの発売だったので「サンフランシスコの友達の家に発送→後でおごる代わりに日本に転送してもらう」という面倒な方法を取ることに。
そこまでしたかったのは、原稿のため……というよりも、家族に体験してみて欲しかったからだ。「なんかゲームについて書く仕事をしてて、それが高じてサンフランシスコに移住してしまった結婚する気配のない長男」が実際にどんなものを追っているのか、家族の誰も知らないし、自分もちゃんと話したことがない。ゲームの枠を超えて、映画やテレビ並に幅広く普及することを目指すVRなら、なんかわかってもらえるんじゃないだろうか?
そしてそれは想像以上だった。特に強力だったのは、初期状態でインストールされた360度写真を見るビューワー「Oculus 360 Photos」と、同じく映像版の「Oculus 360 Videos」に入っているSamsung制作のアイスランドの風景映像集。そう、別に超凝った3DCGやVRコンテンツではなく、ただの全球映像とか風景写真だ(火星の夜景とか、絶対に行けない場所のものもあるけど)。
だが、これが旅行番組が好きな、もっと言えば「よその風景を見るのは好きだけど旅行は嫌い」(本人談)な母親にはドンピシャだった。17年前に発売されたFPS『Quake II』をやり続ける記者に「早く寝なさい」と言っていた母親に、同じジョン・カーマックが技術の限りを注ぎ込んだGear VRに熱中する中「あの、そろそろ寝たほうがいいと思うんだけど……」と切り出すハメになるとは!
「あと一枚、あと一枚」とか「これいくらするの? 欲しい!」と食いつきまくる母親に「ここまでか」と若干引いたりもしたのだが、年配の人にとってのキラーコンテンツであるのは間違いなく、成田空港で「あなた、それは何?」といぶかしげに聞いてきた年配の女性に薦めた際も、「あらすごい!」と絶叫。
そしてFPS神ジョン・カーマックその人に感謝の言葉を贈ると、同氏からは「ハードコアゲーマー層は、全球写真や動画がいかにVRにとって重要なものとなるのか、ただ単にわかってないよね」(意訳。原文は以下。当方のツイートの文法がぐだぐだなのはスルーされたし)と返事が。すべてはお見通しだったのだ!
@ntheweird the hard core gaming crowd just does not understand how important pano photos and videos are going to be for VR
— John Carmack (@ID_AA_Carmack)
2014-12-20 11:41:38
映画が生まれた時、リュミエール兄弟による「ラ・シオタ駅への列車の到着」は、ただの汽車が到着する風景でありながら、当時の人にとって十分な破壊力を持っていた。そして初期の映画は、「見たことのないもの、行ったことのない場所」を伝えるメディアとして機能していた。新たな視覚体験は、シンプルで力強いものであればこそ、人を限定することなく広まっていくのだろう。
Oculus Storeに公開されているソフトには、ゲームだけでなく、シルク・ドゥ・ソレイユの公演をありえない場所(ステージ上。周囲をキャストが取り巻いている)で収録したものや、ポール・マッカートニーやコールドプレイのライブを撮影したデモなどがすでに用意されていて、こういった「VRツーリズム」体験の可能性をすでに示している。
安価な撮影機器が広まりさえすれば、あらゆる人がカメラを持って撮影しシェアする現代の流れと合体して、世界中の光景が体験できるようになるのではないだろうか。禅寺の静寂を、バーニングマンの狂騒を、グランドキャニオンの壮大さを、あらゆるまだ見ぬイベントの盛り上がりを体感できる日は、意外と近いのかもしれない。