『アナザーエデン 時空を超える猫』や『ヘブンバーンズレッド』などを手掛けるゲームブランド“ライトフライヤースタジオ”を運営するWFSが、2024年2月に会社設立10周年を迎えた。

 このWFSを率いているのは、2021年に代表取締役社長に就任した柳原陽太氏。“独創的なコンテンツで新しい驚きを届け、世界中の人の毎日をより良くする”、“その想いと誇りに責任を持った作り手を増やし、夢を叶えられる場所にする”をテーマに、組織作りやコミュニティ運営に邁進してきた。さらに、社長の身でありながら、ゲーム開発の現場に、現在も立ち続けている。その原動力となっているのはやはり、コンテンツへの愛だ。

 そんな柳原氏と、“海外出身であり、経営者であり、オタクである”という共通点を持つ、Yostarの代表取締役社長 李衡達氏が対談。ゲームやアニメなどのエンターテインメントを好きになったきっかけや、渡日を決意した理由、互いのコンテンツへの想い、今後の展望などをたっぷりと語り合った。両名の深いコンテンツ愛が本記事から伝われば幸いだ。

柳原陽太氏(やなぎはら ようた)

2012年に新卒でグリーに入社。データ分析、マーケティングなどを経てゲームプランナーに。2021年にゲームブランド“ライトフライヤースタジオ”を展開するWFS代表取締役社長に就任。

李衡達氏(り こうたつ)

コンサルタント会社やmiHoYo日本法人を経て、2017年にYostarの立ち上げに参加、代表取締役社長に就任。2020年に設立したYostar Picturesの代表も兼任している。

共通点は経営者であり、オタクであること

――ゲームを展開する企業の社長どうしということで、おふたりは以前から交流があったのでしょうか?

柳原以前、交流のためにWFSメンバーでYostarさんを訪問したことがあるのですが、僕は単純にYostarさんが好きだったので、そのときについていったんですよ。

そのタイミングから会社としてやり取りはさせていただいているんですけど、個人での直接のやり取りはそんなにありませんでしたね。こうしていっしょに取材を受けるのは初めてです。

――では改めて、おふたりがお互いの会社やタイトルに対してどのような印象を持っているのかを教えてください。

柳原Yostarさんは本当に、“俺たちのYostar”っていう感じですよね。僕はバリバリの“美少女ゲームクラスタ”(笑)。そんな僕から見て、Yostarさんは僕らの求めているものを的確に届けてくれる存在だなと思います。単純にかわいい、セクシーだというだけではなくて、感動させてくれるコンテンツを出されているので、僕はYostarさんの箱推しです(笑)。今後もたくさんの推しキャラができるようなゲーム、コンテンツをプロデュースしてもらいたいですね。

――いきなり、熱烈な愛が溢れていますね(笑)。ではもちろん、社長である李さんのこともよくご存じだったと。

柳原今回、ライトフライヤースタジオの10周年を記念して、どなたかと対談をさせていただくとなったときに、社内のスタッフから「社長はオタクだし、親しみやすいブランディングをしたほうがいい」と言われたんですよ。であればもう、相手は李さんしかいないと思いました。同じ経営者であり、オタクですから(笑)。

――(笑)。では、李さんはいかがでしょうか。

先ほどお話しした通り、会社としてご挨拶はさせていただいたんですけど、個人としての密なコミュニケーションはそこまでなかったんですよ。ただ、柳原さんのインタビューなどは読んでいて、ユーザーに支持され続けるコンテンツをどう作り上げるか、あるいはもっと根本的な部分の考えかたについて、自分と近いところがあるなと思っていました。たぶん、芯の部分というか、魂の色が同じなんじゃないかな、という風に思っています。同じ美少女ゲーム好きの人間ですし、『ヘブンバーンズレッド』(以下、『ヘブバン』)もすごく注目しているコンテンツなので、これからも課金して、応援していきたいと思います。

柳原ありがとうございます。

これは余談ですけど、このあいだの冬コミで、ビジュアルアーツさんのブースにも寄らせてもらったんですよ。列に並んでいたら、馬場(隆博氏。ビジュアルアーツ相談役)さんが写真を撮って、「現在はこれくらい人が並んでいます」みたいにX(旧Twitter)に投稿していたんですけど、その写真にピースしている僕が写っているんです(笑)。

――それはすごい!(笑)

マスクを着けていたので馬場さんにはバレませんでしたが、後でスタッフの方にはバレました。後日、社内のチャットグループにその写真を貼ったんですけど、社員から「自演乙」と言われてしまいました(笑)。

――そのように、エンターテインメントへの愛がふだんの行動から伝わるところが、李さんがユーザーに支持されている理由かと思います。

ただ、正直なことを言えば、それはいいことばかりではなくて、怖い部分もあるんです。ユーザーさんに愛されているということは、過剰に注目されていることと同じだと思うんですよね。その大きな期待にお応えできるか、というのは正直ものすごく心細く思うところもあるんです。たとえばどこかでデータの設定ミスなどがあったり、あるいは期待されているのとは違った方向に広告戦略が展開したりしたときに、ものすごい反動で炎上するんですよ。ですので、愛されることが全部プラスとして捉えられるか、というとちょっと難しいところもありますね。

――確かに、期待が大きいと、その分ネガティブな気持ちも大きくなってしまうのかもしれません。それでも、おふたりともご自身のコンテンツ愛は隠さず、今後も突き進んでいくおつもりでしょうか。

そうですね。

柳原やっぱり、顔を出してお客さんの前に出ないと生まれない責任というものもあると思います。できる限り強い心を持ちながら、やり続けていきたいなとは思います。

コロナ禍になってからはメディア露出が減っていたんですけど、去年あたりからまた生放送やインタビューが活発になってきているので、その準備として体重を8キロくらい落としました。セルフマネジメントですね。

オタクの道に足を踏み入れたきっかけ

――ここからは、おふたりのルーツをうかがいたいと思います。自分がいわゆるオタクであると自覚されたのはいつごろですか?

柳原僕は、ナチュラルボーンオタクだと思っています。もう、生まれつきオタクだったんじゃないかなと。思い返せば、幼少のころから、どんなコンテンツもオタク的な目で見ていたと思うんですよね。

――子どものころに触れたコンテンツで、とくに印象に残っているものは?

柳原僕は20年間イギリスで過ごしてきて、日本語を覚えるきっかけが『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』だったんです。ゲームシステムとかも大好きなんですけど、ゲーム内で結婚できるという体験にとても驚かされたんですよね。

ビアンカとフローラのどちらを選ぶかで、ドロドロの争いになるやつですね(笑)。

柳原そうです(笑)。僕は最初、フローラを選んだんです。かわいい、可憐な姿にキュンキュンしていたんですね。子ども心にちょっと照れくさくもありました。ただ、スーパーファミコン版だと、青年時代の前半はフローラのレベルが10までしか上がらないし、コマンド入力できないじゃないですか。だから「やっぱりビアンカにしたほうがよかったのかな」なんて思っていたんですけど、パオームっていう象のモンスターにやられて自分が危険になったときに、フローラがベホイミをかけてくれたんです。

――そこにキュンときたんですか?

柳原正直、僕というか主人公はベホマでHPを全回復できるので、回復量は大したものじゃないんですよ。でも、かわいい奥さんが僕を回復させてくれた、ということにときめいたんです。それがキャラクター愛に気づいた瞬間でした(笑)。“言葉”ではなく、“心”でキャラクター愛を理解していました。

――ちなみに、当時はおいくつだったのでしょうか。

柳原5歳か6歳のころですね。そのころからキャラクター愛に気づいていたっていう。ですので、ほかのコンテンツに触れるときにも、つねにあのときのベホイミをかけられたときの気持ちを求めているところがあるんですよ。

――当時はイギリスに住んでいたとのことですが、ゲーム機などはご両親が日本のものを購入されていたのですか?

柳原そうですね。2歳上の兄がいて、もともとは兄向けに用意されたものでした。僕は小さいころからイギリスにいたので、日本語はわからなかったんですよ。でも、ゲームの中でなにかすごいことが行われているぞ、というのはなんとなくわかったんですよね。

そこの感覚は同じかもしれないですね。僕もカタカナが全然わからないままRPGを始めたので。日本の方がふつうにプレイするのとはまた違った雰囲気を楽しんでいた感じなんですよね。

柳原このフィールドを歩き回ってバトルをして……というのは絶対に楽しいんだろうな、というのを兄の背中を見て思っていました。でも、自分でやってみてもよくわからないので攻略本を見るんですけど、テキストはわからないから、とりあえずマップを頼りにその場所に向かうんですけど、フラグが立ってないから進めないんですよね(笑)。それで、両親にお願いして日本語学校に通わせてもらって、『ドラゴンクエストV』をクリアーできるようになったんです。その経験が、自分にとってのゲームや日本語のルーツになっているかなと思います。

――ゲームがなければ、日本語の勉強をがんばろうと思わなかったかもしれないと。

柳原思わなかったでしょうね。余談ですが、当時印象的だったのが、攻略本の下巻でキャラクターたちが防具を身に着けているイラストがあって、そのなかでビアンカが魅力的な防具を身に着けてて、それを見て「もう1回プレイしなきゃ」と思って、つぎはビアンカを選択するっていう。

――(笑)。李さんは、いつごろからエンターテインメントに触れていたのでしょうか?

オタクって、自分からなるぞというものではなくて、気がついたらなっているものだと思います。とはいえ、今回の対談をするにあたって、きっかけが何だったかを振り返ってみたんですけど、たぶん僕がオタクになったのは、小学3年生か4年生のころに『魔神英雄伝ワタル』や『魔法の天使クリィミーマミ』を見たのがきっかけだったのかな、と思います。僕はもともと中国にいたのですが、当時は中国でも日本のアニメがよく放送されていたんですよ。若干タイムラグはありましたが。

――まずはアニメきっかけだったのですね。

まわりの同級生たちは、『聖闘士星矢』みたいなバトルものだったり、『ウルトラマン』みたいな特撮だったりを見てみんなでワイワイしているんですけど、僕はそういうものも見ながらも、一方で『クリィミーマミ』も見ていました。高田明美さんのキャラクターデザインがすごく魅力的で、いわゆる魔法少女ものとしてもすごく王道で、美少女に対する憧れみたいなものはこの作品で芽生えたと思います。音楽も素敵で、すごくマルチに楽しめる作品ですね。

――いろいろな面で魅力のある『クリィミーマミ』に惹かれたと。

その後、日本のアニメ作品が放送される本数は徐々に減っていったんですけど、今度はインターネット文化が普及してくるんですよね。そこである程度自分で作品を探せるようになって、僕は美少女好きであるとともにロボット好きでもあるので、『機動戦士ガンダム』も見ましたし、『きまぐれオレンジ☆ロード』や『めぞん一刻』にも触れました。完全に自分が“こっち側の人間”だと確信したのは、そのころだと思います。二次元の女性のタイプというか、性癖みたいなものはそのころに固まって、いまでも変わりません。『めぞん一刻』の響子さんみたいなタイプか、もしくは『きまぐれオレンジ☆ロード』のまどかさんみたいな、年上のお姉さんが好きです。

柳原僕も李さんと同じで、魔法少女ものもずっと見ていたんですよ。イギリスだとJSTVというサテライトテレビがあって、日本のアニメが同じくちょっと遅れて放送されていたんですよね。当時は『おジャ魔女どれみ』をやっていたので、「『ドラゴンボール』の後に放送しているから、「ついでに」って言い訳しながら見ていました(笑)。おんぷちゃんとどれみたちに仲よくしてほしい、と思いながら見ていた記憶があります。

――そういったアニメの影響もあり、日本語の勉強が進んだのでしょうか。

そうですね。僕はアニメとゲームで日本語を自然に身に着けたところがあるんですけど、日本語の知識が偏っていたせいですごくフランクな言葉遣いになっていて、日本に来た直後は、とても失礼な話しかたになっていました(笑)。

柳原すごくわかります。僕も、文章は当時の2ちゃんねるで学んだので(笑)。会社に入って文章を書く際に、「みんな、顔文字とかをふつうに使うだろう」と思っていたので、議事録に“\(^o^)/(オワタ)”と書いてめちゃくちゃ怒られました(笑)。

WFS柳原陽太社長とYostar李衡達社長が対談! “海外出身であり、経営者であり、オタクである”である共通点を持つふたりが、コンテンツへの愛や今後の展望を語り合う【ライトフライヤースタジオ10周年記念 特別対談】

社長ふたりのゲーム歴は?

――ゲームに関しては、どんな作品をプレイされていましたか?

柳原最初に『ドラゴンクエストV』を遊んだ影響もあってか、必ずしもRPGではないんですけど、ロールプレイができるような作品を触っていました。自分の人格を反映して、誰かになれるゲームが好きでしたね。『ドラクエ』や『FF』はもちろん、たとえば『実況パワフルプロ野球』のサクセスモードも大好きですし、『ウィッチャー3』なども好きでした。作品の中で特定のキャラクターと仲よくなれるゲームも好きで、それこそ『ペルソナ』シリーズのコミュなどは大好きです。ちょっと違う方向性のもので言えば、『ダークソウル』なども、自分が信仰キャラなら「聖職者の人たちと仲よくしよう」みたいなロールプレイができて好きですし、ファミ通さんだから言うわけではないですけど、当時エンターブレインさんから出ていた『キミキス』や『アマガミ』は、いまでもベスト・オブとして挙げられる作品だと思います。

『キミキス』と『アマガミ』は相当フェチ度が高いですよね。赤裸々なエロではなくて、フェチがヤバいんです。

――『キミキス』でもかなり攻めていましたけど、『アマガミ』でさらにギアを上げてきた感がありましたね。

柳原そういう風に、自分の人格を反映させながらプレイできる作品が好きで、けっこう幅広くやっていますね。ただ、去年は『Slay the Spire』をかなりプレイしましたし、学生時代はサッカーがまったくできないのに『ウイニングイレブン』をよく遊んでいたりもして。ゲームはもう、呼吸するように遊んでいます。

――最初に“自分は美少女ゲームクラスタ”と語られていましたが、かなり幅広いジャンルを遊ばれていますね。

柳原ただ、幼少期の体験があるのでほとんどのゲームに対して美少女的な何かを感じられるんですよ。

一時的に美少女ゲームに没頭して、ある程度年を重ねていろいろなゲームを遊んだ後で、初心に戻る、みたいな感じはありますよね。

――李さんはどのようなゲームをプレイされてきたのですか?

自分もわりと、幅広く触っていますね。昔から任天堂のゲームが好きで、『スーパーマリオブラザーズ』や『ゼルダの伝説』、『ドクターマリオ』などを遊んでいました。ただ、僕らの世代ではメガドライブが主流になったので、硬派なアクションゲームなどもプレイしていました。プレイステーションの時代にはロボット魂が一段と燃えていたので、『スーパーロボット大戦』や『Gジェネレーション』シリーズなどのロボット系シミュレーションゲームとか、シミュレーションRPGを中心に遊んでいましたね。中学に入ってから大学卒業くらいまでは、基本的に美少女ゲームしかやらないという時期がありました。もう何本遊んだかわからないくらい。日本に来てからはまたふつうのゲーマーに戻って、いろいろな作品をやっています。

――最近は、どんな作品をプレイされましたか?

最近だと、『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』ですね。超時間がかかったんですけど、110時間くらい遊んでプラチナトロフィーもゲットしました。多分、この10年間で唯一プラチナを取ったゲームだと思います。昔に比べるとアクションゲームが難しくなった、というより自分が下手になったので、アクションをプレイするのはちょっと辛くなってきたんですよ。ですので、いまはシミュレーションゲームやターン制RPGをメインに遊んでいます。

――『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』をそれほどまでに遊んだのは、好きなキャラクターがいたからですか?

そうですね。町医者の武見妙というキャラクターがいるじゃないですか、ちょっと地雷系にも見える。彼女にひと目惚れしたんです。新しいキャラクター像を広げてくれるのは、いい作品だと思います。

ゲームを見る側から、運営する側に回った理由

――それぞれの国でオタクライフを満喫されていたおふたりですが、いまは日本でエンターテインメントに関わるお仕事をされています。そういったお仕事に就きたいと思われたのはいつごろだったのでしょうか。

僕は、じつはそういう風に思ったことがないんですよ。就活のときにも、あえてエンターテインメントやゲーム業界は外していました。唯一、任天堂さんの合同説明会に行ったくらいですね。そもそも、僕は趣味を仕事に持ち込みたくないタイプなんですよ。いま、Yostarはアニメ事業も手掛けていますけど、アニメを30年以上見てきたからと言って、ここの作画がどうだとか、あそこのコンテが物足りないとか、細かい指摘は一切しませんし、気にもしていません。

――仕事と趣味はハッキリ分けているんですね。

ふつうに楽しみたいんですよね。業界内の人間になった途端に、どれだけ素人であっても基礎知識などは勉強しないといけないじゃないですか。そうなるとものを楽しむ視点もガラリと変わってくるので、そういうことはそもそも望んでいませんでした。コンテンツビジネスに参入したいという気持ちが芽生えたことはなくて、ゲーム会社に入ったのは、前職のオタク友だちに誘われたのがきっかけだったんですよ。当時のこの業界って、すごく盛り上がってたじゃないですか。だから、転職してちょっと給料を上げよう、くらいの気持ちだったんです。

――以前はコンサル関係の会社にお勤めだったんですよね。そこから転職されたのは、給料のためというのが理由だったと。

そうですね。前職ではちゃんとスーツを着て仕事をしていました。だからいまでも、チャンスがあるなら一歩引いて、純粋にゲーマーやアニオタとしてコンテンツを楽しむ立場に戻りたい、という気持ちを持っています。僕は柳原さんと違ってクリエイターでもないので、ものを作りたいという熱意があるわけでもなければ、そもそも才能もないんです。それは自分自身よくわかっているので、自分にできること……マーケティングとかガバナンスとか、そういった方面に力を入れています。こういう雰囲気のコンテンツを作りたい、みたいな情熱はなくて、こういうコンテンツを楽しみたいな、くらいの気持ちなんです。そこは柳原さんとけっこう違うんじゃないかなと思います。

柳原でも、じつは僕と李さんはそこまで異なっていないんじゃないかなと思います。もちろん、めちゃくちゃ情熱を持ってゲーム開発をしていますが、僕もキャリアの最初はゲームを作る立場ではなくて、もっと外側から始まっているんですよ。グリーに入った当初は、データサイエンティストという役職で、SNS関連の編成ロジックを考えるようなことをやっていました。コンテンツ作りからはまったく離れたところから始まっていたんですよね。

――そうだったのですね。

柳原そもそも日本に来たのは、インターネットが爆発的に流行り出したのがきっかけです。ニコニコ動画が流行り始めたころから、『東方プロジェクト』が一気に盛り上がってきたじゃないですか。自分はそれまで、コンテンツは個人で楽しんでいましたが、「日本には、いいコンテンツだと思ったものを、こんなにみんなで盛り上げようとする文化があるんだ」というカルチャーショックみたいなものがあって。俺みたいな奴がたくさんいるぞ、と(笑)。日本にいたら自分もひとりじゃないかもしれない、日本で暮らしてみたいな、という気持ちが生まれたんです。

そこは完全に同意ですね。

柳原とはいえ、クリエイターとしてやっていける自信はなかったので、なんならニートをやっていたかったんですよ。

(無言で拍手)

――静かな賞賛を得ていますね(笑)。

柳原実際、大学を卒業してからはニートをしていたんですけど、親からの目がきびしくなってきたので、2日間だけ就活をしたんです。

――2日間だけ、というのがまたすごいですね。

柳原それでボストンのキャリアフォーラムに行って、ゲームのことなら準備をしなくても喋れるかなと思って、ゲーム関係の企業にエントリーシートを出したら受かり、日本で働けるならそれもいいな、と思ってグリーに来たんです。

――そして、まずはデータ分析のお仕事を始めたということですが、そこからどういった経緯で開発に関わるようになったのですか?

柳原「ゲーム事業の利益を最大化するために分析をしてくれ」という配置転換があったんです。でも途中で気づくんですよね。分析と改善より、まずはゲームそのもののおもしろさが大切だと。そしてそのとき、じつは一度会社を辞めようとしたんです。

――それを思いとどまった理由とは?

柳原当時の事業責任者に「ウチでそういったゲームが作れるようにがんばろうよ」と言われまして、そこからは、開発者がおもしろさに向き合えるような環境を整えていくことに力を尽くすことにしたんです。そんなある日「お前は本当は何がしたいんだ?」って言われたんですよ。そのときはじめて「ここまで来たら自分にもゲームを作らせてくれないですか」という話をしました。

――組織のことを考えるうちに、自分でもゲームを作りたいという想いが生まれていたんですね。

柳原分析をしていく中で実現したいアイデアが思いついていたんですよね。それで実際に作らせてもらったタイトルが、時代の流れなどもあってヒットしたこともあり、徐々に人をまとめる立場に立たせていただくようになりました。ですので、もともとクリエイターとしての情熱があったわけではなくて、そのときの会社の状況だったら自分が貢献できるんじゃないか、というタイミングで動いただけで、たまたまだったんですよね。

――でも、いまでも開発のお仕事を続けているのですから、やはり情熱があるわけですよね。

柳原クリエイティブな会社を率いているので、作っていないと感覚を忘れてしまうというか、「経営者の顔だけをしてしまうな」と思うんですよ。だからいまもめちゃくちゃ現場に入っています。社長であると同時に、チーム内では現場の一員として「スクリプトの仕事を振ってください」みたいなスタンスですね。僕の書くコードが微妙で、「もうちょっときれいに書いてくれませんか」と言われたりもするんですけど(笑)。

――社長なのに(笑)。

柳原とはいえ、「絶対に前線に立ってやる」というよりは、自分がお客様や製品のために貢献できるところに尽力していきたい、という感覚です。もちろん、情熱と執念を持ってやっていますが、初めからクリエイティブ職を志していたわけではないので、李さんの話にも共感できました。ただ、一度ものづくりを経験すると、その沼からは抜け出せないなとも思いますね。僕もコンテンツを楽しみたい派ではありますが、「見ているよりも作っているほうが楽しいかもしれない」というのに気づいてしまいました。いまはむしろ、自分自身がゲームを作りつづけられる環境を整えるために、社長をやっているような感じですね(笑)。

――自分がゲームを作りつづけるために、社長をやっていると。

柳原社長としてみんなが利益を出せる環境を作りつづけられれば、会社の隅っこでスクリプトを書いていても許されるかな、みたいな気持ちでいます。

我々も、基本的に赤字を出さない限りは何をしてもいいというスタンスなので、そこは似ている気がしますね。

WFS柳原陽太社長とYostar李衡達社長が対談! “海外出身であり、経営者であり、オタクである”である共通点を持つふたりが、コンテンツへの愛や今後の展望を語り合う【ライトフライヤースタジオ10周年記念 特別対談】

ニコ動に刺激を受け、仲間を探しに日本へ

――柳原さんが「ニコニコ動画などのネット文化に触れて日本に来たいと思った」と語られた際、李さんも同意されていましたが、やはりニコニコ動画はよく見ていましたか?

僕は“ニコマス”(ニコニコ動画内における『アイドルマスター』関連の動画)と『東方プロジェクト』、あとはマッチョなお兄さんたちの動画をめっちゃ見ていました。

柳原兄貴たちの動画ですね(笑)。

ニコマスなんかは王道の美少女コンテンツだと思うんですけど、兄貴たちの動画に触れて、身をもってサブカルチャーという単語の意味を体験できたかなと思います。ひとつのコンテンツでもいろいろな角度から楽しめますし、新しい見かたを発見できたりするので、ニコニコ動画は好きですね。ほかのオタクたちの考えかたや思想、好みなんかを見ながらコンテンツを楽しめるので、すごく印象に残っています。それと、『電車男』のテレビ版を見たこともきっかけで、「本当に自分みたいな人が日本にはたくさんいるんだ、仲間探しに行きたいな」という気持ちが生まれて、旅立ちました。

柳原仲間探しというのはいい言葉ですね。まさにその通りかもしれません。

――身近にはなかなかそういう想いを語り合える方がいなかったんですね。

当時、2005年くらいだとそうでしたね。これが10年後だったら、たぶん違った選択をしていたかもしれません。いまは中国でもコミックマーケットと同規模か、もしくはもっと大きいくらいの規模で同人フェスが開催されていて、当時とはまったく状況が違うんですよ。

柳原あと、あのころはまだゲームやアニメ、サブカルを好きでいると恥ずかしいみたいな気持ちもありましたよね。僕も向こうに日本人の友だちはいましたけど、口が裂けてもニコニコ動画に入り浸っているとは言えませんでした(笑)。美少女ゲームもそうですね。友だちが家に来るときは本棚の美少女ゲームを隠しておこう、みたいな。でも日本だったらそういうことをしなくてもいいかな、と思ってやってきたんです。オタクであることを、どの国でも公言しやすくなったいまの時代だったら、また違ったかもしれないですね。

影響を与え合う『ヘブバン』と『ブルアカ』

――視聴者やユーザーだった立場から、開発や運営を行う立場へと変わると、これまで触れてきたコンテンツの見かたもやはり変わりますか? ご自身の仕事の参考にする部分も大きいかと思います。

柳原ありますね。ありすぎるくらいです。スマートフォンゲームであれば、触ったうえでお客さんを見ることが多いですね。単に自分でプレイして楽しかったかどうかだけでなく、どんな話題作りをしているか、ゲームの情報をどう発信して、お客さんがそれをどう受容しているか、という部分を見るようになりました。そういう意味だと、Yostar作品はめちゃくちゃ見ています。単純に、僕はバニーガールが大好きなんですけど。

――真面目な話になったかと思いきや、また唐突に(笑)。

柳原いえいえ、相当真面目な話ですよ(笑)。美少女ゲームではよくバニーガールの衣装が出てくるのですが、その中でもいちばんうまくやっているのは『ブルーアーカイブ』(以下、『ブルアカ』)だと思います。あれだけSNSなどで絵をたくさん見るIPが、スマートフォン発のゲームで生まれたというのは、本当にすばらしいなと思っています。だから『ブルアカ』のことはずっと研究させていただいています。

――という柳原さんの感想を聞いて、李さんとしてはいかがですか?

『ブルアカ』と『ヘブバン』はローンチタイミングがそこまで違わないので、同級生のような存在かなと思っているんです。我々も基本的に『ヘブバン』のことはしょっちゅう見ています。これはいいな、じゃあ我々も負けないぞ、みたいな話はデベロッパーさんともよくしています。ただ、宣伝まわりに関しては昔ほど露出度を高くできなくなってきている部分もあるんですよね。

柳原時代とともに変化していますよね。

正直、その壁とは真正面から戦いたい気持ちもあるので、できるところまで攻めていこうというスタンスです。キャラクター作りからビジュアルまで、『ヘブバン』に負けないようなサービスを目指さなければいけない、と思いながらチャレンジを重ねている感じですね。

――お互いに刺激を受けていると。

柳原そういう話は社内でもよくしていますね。Yostarさんの作品は、幅広い層の方からの人気が高いじゃないですか。たとえばコスプレイヤーさんから見て「このデザインを着てみたい」と思えるとか、絵描きさんからみて「描いてみたい」と思えるなど、多様な要素を満たしているからこそ、いろんな方に「かわいいキャラクターだ」として受容されているんだと思うんです。Yostarさんの作品からは学びが多いですね。

WFS柳原陽太社長とYostar李衡達社長が対談! “海外出身であり、経営者であり、オタクである”である共通点を持つふたりが、コンテンツへの愛や今後の展望を語り合う【ライトフライヤースタジオ10周年記念 特別対談】

この10年、業界を見てきて思うこと

――今回の対談はライトフライヤースタジオ 10周年を記念するものですが、この10年のゲーム業界の変化についてはどう感じていますか?

柳原2010年ごろからモバイルが勃興し、2017年くらいからSteamも台頭してきて、市場が変化してきているな、というのは感じます。無限にコンテンツがある中で、自分たちのコンテンツを選んでもらうのは難しくなってきていますよね。コンテンツとしても会社としても、推されるに足る何かが必要になってきていると思います。ただおもしろい、ただいいものを作るだけではなく、その生き様やものづくりへの姿勢に対する共感や憧れを持ってもらって、会社全体、ブランド全体を箱推ししてもらえるようにしないと、誰の手にもものが届かなくなってきたな、と。

――無限のコンテンツの中から“選ぶ”作業は、消費者にとってもたいへんなことですから、選びやすくする何か、理由が必要ですよね。

柳原最終的には、どれだけお客様と作品に集中できるかだと思うんです。自分たちが本当にいいと思っているものを届けられるかどうか、それが大事だと思います。市場の変化に対して危機感を感じないわけではないですが、常に本質的なところに向き合いながら、箱推ししてもらえるよう、ブレずにいいものを作っていきたいですね。

――李さんはいかがですか?

スマートフォンゲームに関しては、僕が業界に入った2014年ごろから比べると、あのころの“何をやっても人気が出そうな雰囲気”はなくなって、市場も熟成してきていると思います。ゲームとしていいコンテンツを作らないと生き残れない、というのが当たり前になっているので、その流れもきびしく見ていかなければいけないと思います。我々の会社もいつか窮地に陥るかもしれないので、元気なうちにさまざまなサービスやマルチ展開などにチャレンジしなければと思います。そうしないと市場から淘汰されてしまいますからね。そういう危機感を感じながら日々仕事に臨んでいます。

――確かに一時期の、スマートフォンゲーム市場におけるバブルのような雰囲気はなくなりました。

ちょっと話の軸は変わりますが、僕が日本に来たのが2010年の夏ごろで、当時はある意味、美少女ゲームの最後の輝きがあった時期だと思うんです。この十数年で、正直美少女ゲームというジャンル自体が昔ほど元気ではなくなっていますよね。それはものすごく悲しいと思う一方で、当時のクリエイター集団はみんなスマートフォンゲームなどに戦場を移しているじゃないですか。それがうれしい半分、悲しい半分で、複雑な気持ちを持ってその流れに注目している感じですね。

――確かに、美少女ゲームを取り巻く環境は、大きく変化したもののひとつです。

本当にそうですよ。そんな中、『ブルアカ』は全盛期だったころの美少女ゲーム風のシナリオや演出、選択肢の表現なんかにもこだわっていて、いい文化を残せているかなと思います。残すべきものはしっかり継承できているのではないかな、と。手前味噌にはなるんですけど。

――『ヘブバン』もKeyさんの世界観を大切にしていますよね。

柳原うちも麻枝さんを始めとするKeyの皆さんといっしょに『ヘブバン』をやらせていただいていますが、スマートフォンゲームというメディアで、最新の3D表現なども活かしながら作品を作らせていただくことによって、Keyさんの物語をより多くの方に届けられたのかなと思います。ただ、Keyさんのファンとしましては、ぜひPCでフルプライスゲームを作り続けてほしいという想いもあります。

そうですね。それはやり続けてほしいと思います。

これからも、自分たちの道を突き進む

――両社の今後のお話も伺いたいと思います。2024年はどんな展開をしていきたいと思われていますか?

柳原今後もしっかり、ちゃんと地に足をつけてやっていきたいなと考えています。無理に変化球を狙うのではなくて、シンプルにお客様の期待に応えて、それを超え続けるようなものを作っていければと思っています。どんどんゲームを作っていって、それが誰かの人生に少しでも刻まれたら、ファンになってくれる方がひとりずつでも増えてくれるんじゃないかな、と。もちろん、存在を知ってもらわないことには触れてももらえないので、今回のような10周年などのタイミングでは、自分たちがやってきたことをしっかり発信していきたいと考えています。そのうえで、コンテンツのよしあしについては実際に触れて判断していただけるとすごくうれしいですね。

――李さんはいかがでしょうか。

これまでやってきたことをさらに磨いて、王道のやりかたで突き進んでいくと思います。今後も日本やグローバルに向けて発信できるコンテンツを見つけて、しっかりとローカライズをしたうえで皆さんに良質なコンテンツを提供できるよう、現在の事業を継続していきたいです。上海のほうでは自社開発を行っていますが、まだまだ葛藤している最中ですので、まずはパブリッシングに引き続き力を入れていきます。

――パブリッシングがメインということですが、クリエイティブにも関わっていますよね。

それはそうですね。Yostarができる部分で協力しつつ、デベロッパーと二人三脚でやっています。

――『雀魂』が日本でかなり盛り上がっているのも、Yostarの皆さんの力が大きいと感じています。Vtuberの皆さんが『雀魂』で試合をする神域リーグの盛り上がりは、日本ならではのものですし。

『雀魂』に関しては、我々が日本のマーケティングを一生懸命勉強して、しっかりと戦略を練りました。Mリーグの追い風も受けて、総合的にいい流れを作り出せたと思います。

――最後に、余談にはなりますが、おふたりが今後楽しみにしているコンテンツがあれば教えてください。

僕は、『魔神英雄伝ワタル』の新作ですね。1作目と2作目が本当に大好きだったので、期待もありつつ不安もありつつ、ドキドキしています。あとは、残り数話にはなりますけど、『王様戦隊キングオージャー』もいいですね(※)。綺麗な終わりかたに期待しています。黄色の子がかわいいんですよ。

※本インタビューは2024年1月に実施

柳原今後、というかいまいちばん推しているのが、『ひろがるスカイ!プリキュア』なんですよ。

キタァァァーーー!!

一同 (笑)。

柳原キュアバタフライというキャラクターがいるんですけど、彼女は新成人、19歳のプリキュアなんですね。1話から登場している重要キャラなんですけど、変身するまでに18話かかっているんですよ。

――それはかなり長いですね。

柳原それで彼女はどういうキャラかと言うと、オタクに優しいギャルなんですよ。いや「オタクに優しい」は僕の願望なんですが。

ここ数年間の旬ですよね、オタクに優しいギャル。

柳原彼女は保育士になるために、主人公たちが住む街に引っ越してきたんですけど、プリキュアに変身するときに、「プリキュアも保育士も両方がんばっちゃう、最強の保育士になる」と言ってプリキュアに変身するんですよ。で、僕はいま子育ての真っ最中で、1歳半の娘がいて、まさに仕事と子育ての両立に悩んでいるところなんですよね。

僕にも2歳半の娘がいます。

柳原キュアバタフライはギャルマインドを持っているので、敵の攻撃とかも「アゲアゲな私には効かないよ」とか言うんですよ。僕もこんなに明るく、仕事も子育てもしたいな、ゲーム開発も社長もどっちもがんばってライトフライヤースタジオを最強の会社にしたいなと思って、18話を見てボロボロ泣いちゃったんです。そこから、2023年でいちばん推していたのはキュアバタフライです。

 残念ながら『ひろがるスカイ!プリキュア』はもうすぐ終わっちゃうんですけど(※)、やっぱり『プリキュア』はずっと応援していて、キャラクターや物語が好きというだけじゃなくて、その裏にある思想まで推せるなと思うんです。次回作の『プリキュア』でもどういうプリキュアが出てくるのかも楽しみですね。

※2024年1月28日に最終回を迎えた。

――改めて振り返ってみると、本当におふたりは共通点が多いですよね。海外から日本に来て、社長をやりつつオタクでもあり、お子さんがいて。チャンスがあれば社長のお仕事は引退したいと思っている……というところも共通しています(笑)。

社長どころか、仕事から引退したいですからね。柳原さんはニート志望だったって言っていましたけど、僕はヒモ志望ですね。妻がバリバリのキャリアウーマンですし。僕は家事全般できるし、料理もうまいので、ヒモになりたいです。『天体戦士サンレッド』のサンレッドとか、いいですよね。あれが僕の理想像ですね(笑)。

柳原すばらしい会社の代表をやらせてもらえることに誇りを持っていますが、できることなら、ずっとゲームだけを作り続けていたいというのが本音ですね。作品とお客様に向き合い続けることが、やっぱり一番好きなんです。

――おふたりの夢が叶うのをお祈りしています(笑)。本日はありがとうございました。

WFS柳原陽太社長とYostar李衡達社長が対談! “海外出身であり、経営者であり、オタクである”である共通点を持つふたりが、コンテンツへの愛や今後の展望を語り合う【ライトフライヤースタジオ10周年記念 特別対談】