サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2021年9月10日に新たな育成ウマ娘“ヒシアケボノ”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』におけるヒシアケボノ

公式プロフィール

  • 声:松嵜 麗
  • 誕生日:2月27日
  • 身長:180センチ
  • 体重:超大幅増
  • スリーサイズ:B99、W64、H88

食べるの大好き、食べさせるのも大好きな、おおらかな料理好き娘。穏やかな性格で、いつもほのぼのと、みんなの笑顔を見守っている。外国生まれで生粋の相撲マニアだが、角界ではなくレースでのがっぷり四つを選んだ。
幼少の頃の夢は『ちゃんこ鍋』だったらしい。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介
【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介
【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介

ヒシアケボノの人となり

「大きいことはいいことだよー☆」(『うまよん』より)

 身長はもちろん、その食べっぷりやパワーなど、すべてが型破りな大きさを誇るウマ娘、ヒシアケボノ。性格は穏やかでやさしく、これまでカレンチャンの育成シナリオ(“新設! URAファイナルズ”)やイベント“花咲く乙女のJunePride”でもトレーナーたちをほっこりさせてくれた。なお、『ウマ娘』の世界では料理系の“ウマスタグラマー”として有名な存在らしい。

【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介

 アニメではSeason1の『BNWの誓い』で、ビコーペガサスとともにヒーローショーに出演していた。史実でも長きに渡って激戦をくり広げてきたビコーペガサスとはアニメでも名凸凹コンビで、Season2でもプールのシーンでセットで登場している。

 ちなみに、ふたりの身長差は36センチ。レース中に並ぶと、そのあまりの体格差に驚いてしまう人は多いことだろう。たしかにビコーペガサスは小柄なのだが、ヒシアケボノの大きさは群を抜いている。『ウマ娘』公式サイトのプロフィールページでも、上の“CHARACTER”枠まで頭がはみ出している、唯一のウマ娘である。

【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介
画像は『ウマ娘』公式サイトより引用。

 ゲーム内のイベントでは、怪力な一面も見られる。整地中に故障で止まってしまった整地車(ハロー車)をひとりでどかしてしまったり、クルマからハローを外して自分で整地してしまったりと、底知れないパワーを発揮している。

 パワーを表す単位として“馬力”という言葉があるが、1馬力は1秒間につき約75キロの物体を1メートル持ち上げる力のことを指す。ハロー車が2トンくらいとすると、ヒシアケボノは20馬力を優に超えるパワーを発揮していることになるのだ。ちなみに、リアルの馬の最高出力は3馬力くらいと言われている。

ヒシアケボノの能力

 今回実装された[ボーノ☆アラモーダ]ヒシアケボノ。ボーノはイタリア語で“おいしい”、アラモーダは同じくイタリア語で“おしゃれ”という意味だ。ヒシアケボノが料理好きというのは、“アケボノ”と“ボーノ”の引っ掛けから来ているのかも。

 戦法や適性はというと、短距離路線を逃げ・先行で勝ち進んだことから、短距離適性がA、逃げ適性がB、先行適性がAとなっている。成長率はパワー20%の根性10%。短距離ウマ娘でスピードに補正がないのはやや珍しいか。

【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介
【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介
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競走馬のヒシアケボノ

GI史上最高体重で優勝

 ヒシアケボノは1992年2月27日、アメリカ合衆国生まれ。幼駒のころから「大きい」と評判で、現地のセリで購入された後もアメリカに留まり、2歳の春まで育成されてから日本にやってきた。

 所属厩舎は滋賀県の栗東だが、デビュー戦は1994年11月5日、東京競馬場の新馬戦(芝1600メートル)に遠征。ただ、このレースはまだ体が出来上がっていないうえにスタートで出遅れてしまい、4着に敗れてしまう。なお、馬体重はこの時点で552キロあった。日本の競走馬の平均体重は470キロほどで、500キロあるとやや大きめ。つまり、552キロというのはとてつもなく大きいということなのだ。

 同条件の2戦目で果敢に逃げるも勝ちきれずに2着に敗れると、腰に疲れが出たため休養することに。そして年が明けて春にトレセンに帰ってきたヒシアケボノは、見違えるような姿になっていた。

 激ヤセしていたのである。

 ゼイ肉が取れてスッキリした結果なのか、単純に痩せすぎたのか。どちらかはわからないが、とりあえず前者と信じて陣営が3戦目に選んだのは、東京競馬場ダート1200メートルの未勝利戦。「血統的にもダートなら走るだろう」ということで、ここから3戦ダートを走ることになる。

 しかし、結果は3着、4着、5着とさっぱり。コテコテのダート血統に思われたヒシアケボノ、ダートは向いていなかったのだ。そうこうしているうちに、もう6月である。中央競馬の規定で、未勝利戦が終了する夏開催いっぱいで勝てないと、引退もしくは地方への転厩を余儀なくされてしまう……。

 そんな心配をよそに、暑さなどものともせず体重を530キロに戻し、さらに適性のある芝短距離戦に戻ってきたヒシアケボノは、ここから怒濤の快進撃を見せる。7月8日の未勝利戦から、中1週で4戦4勝。中京→小倉の輸送もなんのその、連戦や輸送をすると多くの馬が痩せてしまう中、逆に10キロプラスである。何という強メンタル、強ボディーなのだろうか。

【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介

 こうして“夏の上がり馬”として話題になったヒシアケボノは、9月の京王杯オータムハンデ(GIII)で重賞に初めて挑戦する。ここでは3着に敗れるも、手応えは十分だったようだ。まだあきらめていなかったダート戦を挟んで迎えた10月のスワンステークス(GII)では、ついに馬体重556キロに到達。

 さらにここから、夏のあいだ愛用していた“逃げ”作戦をやめて、好位差し(先行)作戦に変更している。もともとスピード能力の高さから逃げていただけで、どんな作戦にも対応できる性格のよさがあったためにできた作戦変更。これが功を奏し、スワンステークスでは当時の日本レコードで1着に。

 続く初GIのマイルチャンピオンシップでは距離の壁か、最後粘りきれずに3着に敗れるが、勝負はベスト距離(芝1200メートル)のスプリンターズステークスだ(※)。

※当時スプリンターズステークスは冬に開催されていた。

 前走から自己最重量を更新する560キロで登場。このとき、主戦の角田晃一騎手(現調教師)は「太っているわけではなく、全体にバランスよく筋肉がついてきた」という主旨の発言をしており、これがベスト体重だったのだろう。最終コーナーで外に持ち出し、まさに横綱相撲で全馬をねじ伏せて勝利した。560キロでのGI勝利は、現在も破られていない最高記録である。

 なお、このとき2着に入ったのは馬体重432キロのちびっ子ビコーペガサス。体重差はじつに128キロ! 両者は前走のマイルチャンピオンシップの初対決から、じつに10回にわたって激闘をくり広げていく。ゲームでも絡みが多いのはこういった背景からだろう。

【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介

1995年 スプリンターズステークス(GⅠ) | ヒシアケボノ | JRA公式

 こうして、未勝利だった7月から、わずか5ヵ月で短距離路線の頂点を極めたヒシアケボノ。芝1200メートルは全勝ということで、1995年のJRA賞最優秀短距離馬に選出された。アニメでの「短い距離なら負けないよ」というセリフはそこから来ているのだろうか。また、驚くべきは3歳時(当時で言う4歳時)だけで12戦もして、ケガもなくケロッとしていたこと。大型馬にありがちな脚の故障とも無縁だった。

 しかしその先は、苦難の道のりが続く。年が明けてシルクロードステークス(GIII、芝1200メートル)、高松宮記念(GI、芝1200メートル)、安田記念(GI、芝1600メートル)というローテーションで挑むも、すべて3着に終わる。芝1200メートルでは初の敗戦を喫し、歯車は狂い始めていた。父や母父らの“早熟”さを受け継いでしまったのか、3歳時に走りすぎたのが原因だったのか、それはわからないが、前年の輝きは消え失せ凡走をくり返したのである。

【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介

 そんな中で秋のスワンステークスに登場したヒシアケボノ。彼の馬体重を見たファンからは、「おお……」というざわめきの声が上がった。それもそのはず、電光掲示板に表示された数字は580(+30)というもの。“天高く馬肥ゆる秋”とは言うが、それにしても巨大化したものだ。ここを11着と完敗すると、続くマイルチャンピオンシップはさらに2キロ増えて自己最高の582キロになり、自己ワーストの15着。何とか16キロ減らしたスプリンターズSは4着と持ち直したが、完全に悪いスパイラルへと陥っていた。

 5歳時は、オープン特別に出走するなど、陣営が手を変え品を変えヒシアケボノにもう一度やる気を取り戻してもらおうと工夫を凝らしたが、連闘で挑んだCBC賞でゲートを壊したのが話題になったくらい。輝きは最後まで戻らず、スプリンターズステークス9着を最後に引退した。30戦6勝、獲得賞金3億2426万円。購入価格が55000ドルと考えると、かなりの馬主孝行な馬だったと言える。

 なお、ヒシアケボノが引退した1997年に頭角を現したのがタイキシャトル。マイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークスを制覇した彼は、翌年フランスへと羽ばたいていく。3回の直接対決はいずれもタイキシャトルが圧勝したが、馬格の雄大さではヒシアケボノの完勝だろう。

【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介

 ヒシアケボノは引退後の1998年より、千葉県のJBBA日本軽種馬協会下総種馬場で種牡馬に。その後2007年に茨城県の東大農学部付属牧場に移動したが、翌年惜しまれつつ16歳で亡くなっている。

ヒシアケボノの生い立ち

 先述したように、ヒシアケボノは1992年2月27日、アメリカ合衆国で生まれている。父はウッドマン、母はミステリーズ(父シアトルスルー)。祖母(ウッドマンの母)のプレイメイトはヒシアケボノを生んだ後の1994年に、20歳で輸入されている。

 ヒシアケボノの名前の由来は、第64代横綱の曙太郎氏より。大柄でアメリカ生まれという共通点などから名付けられたようだ。これが相撲マニアや、夢はちゃんこ鍋、料理好きという設定につながったのかも。これに、前述した“ボノ”と“ボーノ”の引っ掛けなどが合わさって、勝負服もパティシエール風になったのだろうと推測される。

 また、“ヒシ”の冠名からわかるように女傑ヒシアマゾンとオーナーが同じで、“ヒシ”軍団の勝負服である白と青の縞模様のデザインが、ウマ娘としての勝負服にも反映されている。さらにヒシアケボノはナリタブライアンなどと同じでシャドーロールという馬具をつけていたが、それも白色だったので、『ウマ娘』で首に巻いたリボンなどのアクセサリーも白いのだと思われる。

【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介

 ヒシアケボノは3つ下の弟に、1999年のアベイ・ド・ロンシャン賞(仏GI)と2000年のジュライカップ(英GI)というふたつの海外GIを制したアグネスワールドがいる。こちらはデビュー時470キロで、最高でも518キロ。518キロは競争馬としては大柄だが、ヒシアケボノの激ヤセ時と同じ重さである。

ヒシアケボノの血統

 父は、大種牡馬ミスタープロスペクターの産駒であるウッドマン。通算5戦3勝、GIには手が届かず(1戦0勝)、3歳で早々に引退したミスプロ産駒にはありがちの早熟の短距離馬だった。

 一方で種牡馬としては上々の成績を上げている。日本でも有名なのはへクタープロテクター、ティンバーカントリーあたり。いずれも、産駒で早熟のダート短距離馬という傾向が強く、ヒシアケボノも当初はこの系統だと考えられていたようだ。

 母はミステリーズ(父シアトルスルー)。現役時は未勝利だったが、母としてはヒシアケボノとアグネスワールドを生んだ名牝として名を残している。ちなみに、ミステリーズの母父に大種牡馬リファールが入っていて、ヒシアケボノが芝の短距離馬だったのはこのあたりの隔世遺伝が入っている可能性もありそう。

 さらに祖先にさかのぼると、ヒシアケボノには“グラマー”という名前の馬の4×5のクロス(※)が入っている。これがウマ娘のダイナマイトボディーに影響……していると考えるのはやりすぎか!?

※クロスとは、血統表に同じ名前が存在すること。4×5という数字は、【自身を1代目として数えた場合に、父方の4代目×母方の5代目】という意味である。

【ウマ娘】ヒシアケボノはリアルでもありえないくらいデカかった。ビコーペガサスとの激闘や相撲好きの理由など、ゲームの元ネタを紹介

 競馬史に残る個性派、ヒシアケボノ。走る馬にありがちな気の強さもなく、とにかく性格がよく、丈夫で手の掛からない馬だったという。そんな稀代の愛されキャラクターは、ウマ娘としても多くのトレーナーに愛されている。

著者近況:ギャルソン屋城

 リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。誕生日:9月5日、身長:168センチ、体重:微減(虫歯の治療中)。

 累計課金額は5880円(パック更新忘れ期間含む)の、王道微課金プレイヤー。「ストーリーを楽しむエンジョイ勢だから」とつねづね口にしているが、本当は勝ちたくてしょうがないらしい。

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