『ANUBIS ZONE OF THE ENDERS:M∀RS』の限定版には、200ページを超す特製ブックレットが付属し、それには設定資料やアートがふんだんに収録されている。加えて、そうそうたるクリエイター陣が寄稿しているのだが、その顔ぶれである宮武一貴氏と石渡マコト氏の対談が、横須賀の“記念艦「三笠」”で実現! 日本のメカニックデザインを支えるふたりが、『ANUBIS』とメカデザインについて語り合う。

聞き手:志田英邦(ライター)

『ANUBIS ZONE OF THE ENDERS:M∀RS』発売記念! 宮武一貴氏×石渡マコト氏特別対談「メカニックデザイナーという仕事」_01

宮武一貴氏(みやたけかづたか)

スタジオぬえ所属のメカニックデザイナー。『マジンガーZ』や『宇宙戦艦ヤマト』、『超時空要塞マクロス』などの制作に携わり、日本のメカニックデザインの草分け的存在。作品の世界観を構築する、コンセプトデザインも手掛ける。

石渡マコト氏(いしわたまこと)

ニトロプラス所属のメカニックデザイナー。ゲーム『装甲悪鬼村正』や、アニメ『翠星のガルガンティア』、『機動戦士ガンダム U.C.0096 ラスト・サン』のメカニックデザインを担当。3DCGのモデリングやモーション制作にも精通。

『ANUBIS』がつなぐ、人生を変えられた者と変えた者

──おふたりは作品の世界観やメカニックなどを手掛けるデザイナーとして、数々のアニメ作品やゲーム作品で活躍されています。今回、『ANUBIS ZONE OF THE ENDERS : M∀RS』の特製ブックレットにおふたりが寄稿されたということで、おふたりに“メカニックや世界観をデザインすることのおもしろさや難しさ”を語り合っていただきたいと思っています。さっそくですが、石渡さんにとって、宮武さんはどんな存在ですか?

石渡僕の人生を変えた方(笑)です。

宮武ははは。これまでに、いろいろな方に「人生を踏み外させた」と言われてきました。

石渡自分はテレビアニメ『超時空要塞マクロス』が大好きだったんです。当時、自分のまわりでは可変戦闘機の“VF-1 バルキリー”のファンが多かったのですが、祖父が横須賀で船を作っていた影響もあって、自分は艦船が好きでした。それで、地球統合軍の“宇宙戦艦マクロス”であったり、“ブリタイ艦(ゼントラーディ軍の宇宙戦艦)”に注目していて。その中でも、地球統合軍の歩く砲台として活躍する“デストロイド・モンスター”が大好きになったんです。“モンスター”は一歩進むだけで、重すぎてマクロスの甲板を踏み抜いてしまう。その重量感溢れるシーンを見たときに、自分の心も踏み抜かれてしまいました。

宮武もう36年前の仕事ですね。デストロイド・モンスターは、当時アニメーターだった板野一郎くんと相談しながらデザインしたんです。「こんな重たいメカは動かせないぞ」と一度は言われたんですが、河森(正治氏・メカニックデザインと設定監修、脚本・演出も手掛ける)がカットを割ってでもいい、1カットでもいいから動かしてくれないか」と粘って。その結果、一歩踏み出して床(甲板)を踏み抜く、というカットができたんです。

石渡そうだったんですね。

──今回おふたりは『ANUBIS』のオリジナル“オービタルフレーム”のデザインをされています。おふたりの『ANUBIS』に対する印象をお聞かせください。

石渡『ANUBIS』は、最初にPVを見たんです。そのときにオービタルフレームが、装飾系に近いデザインをしていることが印象的で。それでありながら、乗り物としてきちんとデザインされている。そのバランス感覚がすばらしいなと思っていました。

宮武オービタルフレームはリアル路線のデザインなんだけど、全体の印象はスーパーロボットなんですよね。リアル系のメカは、リアルな記号をあちこちに入れ込むことで、現実味を増やしていくプロセスがあるんですけれど、『ANUBIS』はそういったリアル系とは違う作りかたをしている。むしろ、企画の段階から映像化の段階まで、“象徴”というものに対する徹底的な問い掛けがあるなと。そのアプローチがおもしろいなと思っていました。

──おふたりがおっしゃる通り、オービタルフレームは象徴性が強い。いわゆるエジプト神話の神々をモチーフにしています。そのあたりは、おふたりがオリジナルのオービタルフレームをデザインされるときもポイントになったのではないでしょうか?

石渡オービタルフレームには、必ず外してはいけない記号がいくつかあるんです。たとえば“股間にコックピットがあること”や“エジプト神話の神々をモチーフにしていること”。……それらを押さえつつ、自分のデザインを進めていきました。今回、自分は“スフィンクス”をオリジナルオービタルフレームのモチーフにしたのですが、題材にした“スフィンクス”そのものがよくわからないところもあったので、スタジオぬえさんがメカニックデザインした『勇者ライディーン』へのオマージュを込めました。

宮武自分は執筆の依頼を受けたとき、どことなく「ハメを外した感じでやってほしい」という意図を感じたんです。ならば、デザイン面では真面目にやって、どこかでバカバカしいことをやらなくちゃいけないなと。とはいえ、僕はプロになって50年間、真面目な顔をしてバカなことを平気で延々と続けてきましたので、いつものようにやればいいのかなと。

──50年来の変わらないスタンスのまま、今回のお仕事に挑まれたということですね。

宮武50年と言いましたが、自分は50年前の18歳のときに『2001年宇宙の旅』を映画館で見て、それでいつの間にかメカニックデザイナーになっていたという人間でして。(アーサー・C・)クラーク(SF作家/『2001年宇宙の旅』の原作者)と(スタンリー・)キューブリック(映画監督/映画『2001年宇宙の旅』の監督)に対する憧れと尊敬の念と感謝、そして恨みがあるわけです(笑)。今回、このふたりをネタに『ANUBIS』のトリビュートができないかと提案を受けまして。『SFマガジン』でかつて私が連載していた“スターシップ・ライブラリイ”というコラムの体裁で、文章とイラストで表現しています。私が描いたオリジナルオービタルフレームのモチーフは“ラー”なのですが、エジプト神話だけでは手に負えなくて、メソポタミア神話などのモチーフも取り入れてデザインしていきました。いかにもラスボスっぽいデザインになったので、そのデザインに加えて、できる限りバカっぽいことをやろうと、テキストを書かせていただきました。

石渡とてもよかったです。貴重なものを拝見させていただきました。

宮武いやいや。齢68にして、恥ずかしいテキストを書かせていただきました(笑)。

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宮武氏による特製ブックレット寄稿生原稿。本作に登場する戦闘支援AI“ADA”のストーリーが書かれている。

ふたりのメカニックデザイナーの共通のルーツとは?

──石渡さんは銃器から艦船、そしてロボットまでさまざまなデザインを担当されていますが、宮武さんの影響を感じることはありますか?

石渡そりゃあもう、ありますよ。ある企画で宇宙船をデザインしたときに、艦船の竜骨が、『マクロス』の影響を明らかに受けたものになっていました。“ブリタイ艦”をモチーフにしているような艦船をデザインしたこともあります(笑)。

宮武石渡さんが、もし何かに影響を受けているものがあるとすれば、私ではなく、“出身地である横須賀”だと思います。私も横須賀の影響は大きいです。私は小学生になる前の春休み、祖母に連れられて三浦半島中をスケッチ旅行で回ったことがあって。今回の対談場所の三笠のすぐそばで、木造の漁船を描いたんです。当時、この近くにひなびた漁港があったんですよ。そのとき、うちの祖母は絵心があったものですから、木造の漁船をすごく丁寧にスケッチしていたんです。でも、僕は幼かったこともあって、わけのわからない勝手な船を描いていたんですね。そうしたら、後ろから見ていた漁師の爺さんから声を掛けられまして。「婆さんが描いている船はキレイだけど沈む。坊やが描いている船はそのまま走るよ」と言われたんです。

──宮武さんの描いた船は、水上に浮く、構造的に正しいデザインになっていたんですね。

宮武気が付いたら、この道に進んでいました(笑)。やはり幼少期の記憶が、僕らの“モノの見かた”や“意識の持ちよう”を決めるんじゃないかと。たとえば、河森くんは自動車のデザインがすごく上手なのですが、彼の親父さんは、いすゞの自動車設計者で“フローリアン”などの自動車デザインに関わっていたんですね。だから、彼は幼少期のころから“クルマの見かた”を知っていて、自然と“クルマの描きかた”を身に付けていたわけです。だから、石渡さんも私の影響であるとか、スタジオぬえの影響だとかではなくて、石渡さんの生まれ育った環境が、いちばん大きな影響を与えているんじゃないかと思いますね。

石渡どうなんでしょう。自分はやはり宮武さんの影響が大きいと思いますけど(爆笑)。

宮武そうですか(笑)。参考として私の話をさせていただくと、小学校2年の冬に軍艦を見た経験が、のちの自分にとても大きく影響していると思っています。当時、海上自衛隊がまだ海上警備隊だったころに、アメリカ軍からフリゲート艦を2隻供与されたことがあるんです。その2隻は“あさかぜ”と“はたかぜ”と命名されたんですが、その“はたかぜ”が横須賀港から横浜港へと体験航海を実施したことがありまして。私は祖父といっしょに乗りに行ったんですね。港に行ったら、目の前に巨大な軍艦がそびえ立っていて、視界の一面が鉄の壁だったんです。スケッチをしようにも、こんなに巨大なものをどうやってスケッチすればいいんだろうと途方に暮れてしまいました。上を見上げると、何本かの対空砲が空に突き出ていて、遠くにはレーダーがぐるぐると回っている。目の前には、太いリベットが打ち込まれた分厚い鉄の壁がある。オイルとディーゼルエンジンの匂いが漂っていて、船体を手で触れば、そのまま手が貼り付いてしまいそうになるくらい冷たい。そういった視覚、聴覚、嗅覚、触覚の情報が一度に頭の中に飛び込んで来たんです。あまりにも強烈だったので、たちまち頭に染み付いてしまいました。このときの経験が、『宇宙戦艦ヤマト』の仕事で活きるわけです。

石渡お話をうかがっていて、自分もいろいろと思い出したことがありました。自分も幼いころに自衛隊の艦に乗ったことがあります。いまだに匂いを覚えているし、当時の感覚も覚えています。確か、3回乗ったんです。自宅の前にアメリカ軍の港があって、そこに空母が停泊していて。自分の幼少期はミッドウェイがいたのですが、そういった艦船を日常的に見ることができる生活をしていたというのは、のちの自分を形成しているのかもしれません。自分の源泉になっていると思います。

──横須賀という土地が、おふたりのメカニックデザイナーの基礎を作り上げたんですね。

石渡子どものころの経験が、作品をデザインするときの安心感になっているんですよね。たとえば、メカニックデザインで砲塔を描くときに、そのサイズ感は、実際に見たことがない人にはわからないと思うんです。しかも、サイズ感を出すためには、砲塔だけではなくて、そばに比較するものを置かなくてはいけない。そういう見せかたも含めて、いまの自分には役立っていますね。

対談場所・三笠がふたりに与えたもの

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──今日の対談はおふたりのご自宅のそばにある“記念艦「三笠」”で行われています。おふたりは、この三笠についてはどんな思い入れがあるのでしょうか?

宮武今回の対談の会場になっている三笠に、私には深いつながりがありまして。昔、三笠のすぐそばに学校がふたつあったのですが、そのうちのひとつに私は通っていたんです。そのころに、アメリカ軍に接収されていた三笠が日本へ返還されて。私は毎日のように三笠の甲板に上がって、遊びました。まだ甲板上には何もなかったのですが、副砲を回転させたり、甲板の上を走り回ったり……。三笠は私の遊び場のひとつだったんですね。おかげで三笠の過去についても調べましたし、関係者にいろいろな話を聞きました。現在展示されている形になる過程もいろいろと知っています。いまは修復されて残っていませんが、日本海海戦でバルチック艦隊に撃ち込まれた砲弾によって艦体の分厚い鉄板がめくり上がっている傷跡も見たことがあります。艦隊戦で砲弾を受けると、こういうふうに艦が壊れるんだ、と知ることができました。そういう知識があったから、『マクロス』を作るときも板野くんと鉄板の壊れかたについて何十分も語り合うことができたんです。

石渡宮武さんと時代は違いますが、自分にとっても三笠は遊び場のひとつでした。

宮武そうでしょう(笑)。

石渡自分が遊んでいたころの三笠は、すでにいまと変わらない状態になっていました。三笠公園はいまのようなキレイな場所ではなかったですけど(笑)。幼い自分はいつも船首のほうに行って、ペタペタと船体を触って、鉄の厚みを肌で感じていました。いまでも年に5〜6回は触っています。

宮武触ると鉄の厚みがわかるんですよね。

石渡そうなんです。

宮武そうやって、戦艦は鉄の塊であることを肉体で感じることが大事なんです。

石渡三笠に来ることができない日は、自宅でプラモデルを作っていました(笑)。

──そういった鉄の厚みを感じることや、船体に触ることは、メカニックをデザインするときの基礎体力になるのかもしれませんね。

石渡そういう体験をしておくことは、メカニックデザインに実存感を出そうとするときに手掛かりになりますね。実物をたくさん見ていると、細かい描写もいろいろとこだわることができるんです。たとえば、砲撃した後にバレルの中から煙がポッと出るんです。あれがカッコいい。それなのに、アニメではあの煙を描写している作品はほとんどなくて。あの煙が出ないと空砲を撃っているように見えてしまう。そこが気になることもあります。

宮武そこまで気になるんだったら、アニメの制作現場に行って、アニメーターにそう描かせるしかないね(笑)。私は『マクロス』のときに現場に行って、いろいろなお願いをしていました。たとえば、戦艦の中ってつねに低いエンジン音が響いているんです。宇宙要塞マクロスの中でも、そういう低音を常に響かせてほしいと演出スタッフに要求して、環境音を入れていただきましたからね。そういう指摘はすごく大事で、知っている者じゃないと指摘できないものなんです。

クリエイター板野一郎が示した“暴走することの可能性”

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石渡最近、個人的には、そのあたりのサジ加減が難しいなと感じているんですよね。たとえば、アニメでわかりやすく表現しようと思ったら、砲台のバレルの煙はないほうがシンプルな描写になるわけです。でも、煙があるとリアリティーが出る。そのこだわりのバランスに悩んでいます。

宮武表現者の悩み、ですね。手間と予算がかかってしまう表現だとしても、作品にとってプラスになる表現なら、上のスタッフに「この表現は入れたほうがいいと思いますよ」と主張し続けることが、デザイナーの仕事の一部であると思っています。

石渡やはり、そうですか!

宮武音の入りかた、一瞬の光といった、とてもデリケートで細やかなニュアンスの表現は、ふつうのスタッフは見落としてしまいがちです。でも、その細部のディテールを入れた作品と、入れていない作品では結果としてぜんぜん違ってしまう。そうである以上、それを知っている我々は、指摘しないといけない。我々が演出スタッフに、新しい意識を持たせないといけないんだと思います。

石渡じつは、まだ発表されていないロボットのメカニックデザインの仕事があるのですが、ボルトのサイズを全部JIS規格にして、これまでにないリアルを追求してみようかと考えているんです。でも、こだわり始めるとキリがなくなる。そのサジ加減が難しいなと。

宮武僭越ながらアドバイスをさせてもらうと……そういうときは“やっちゃう”んですよ(笑)。私が『マクロス』を作っているころは板野くんがいたので、彼が“やっちゃう”んです。あるとき、彼が「ステンレス鋼と鉄板の複合素材が破壊されたときの資料はありませんか?」と言い出して。確かに鉄の割れかたとステンレスの割れかたは違うわけですが、当時はそれをアニメーター側から要求してきたんです。その割れかたの違いを描いたとしても、アニメはセルに描くわけだから、板野くんがたいへんなだけで制作コストは変わらない(笑)。それでこだわった表現が実現していたところがあります。

石渡板野さんとは、自分もアニメ『BLASSREITER』(板野一郎監督作品)という作品でいっしょにお仕事をしたことがあるんです。最終話に登場するICBMをデザインさせていただきました。自分は『マクロスプラス』も好きだったので、それに登場する“ゴースト”と呼ばれる“X-9”をモチーフにしたことがありまして。そうしたら、板野さんが「『マクロスプラス』がやりたいのか!」とおっしゃって、ミサイルが飛んでくるシーンで板野サーカス(アクロバティックなアクション作画)を描いてくださったんです。

宮武ははは。『マクロスプラス』のときは、板野くんと河森くんが「実際の空中戦を経験しなくては、本当の演出はできない」と言って、アメリカに行ってドッグファイトを体験してきたんです。それぞれ練習機に教官とともに乗って、空中で戦ったわけですが、河森は“ブラックアウト(重力加速度によって目が見えなくなること)”をする直前に、「これは死ぬ」と思って加速を緩めたんですよ。でも、板野くんは「ブラックアウトを体験しなきゃ演出はできない」と言ってさらに加速し、操縦桿を引いた。それでブラックアウトしてしまって、全身ゲロまみれになって帰ってきた、ということがありました。

石渡あはは(爆笑)。

宮武実際にそこまで体験して演出したから、『マクロスプラス』のケタ外れのドッグファイトシーンが描けたわけです。

スタジオぬえの遺伝子と、それを受け継ぐニトロプラス

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──おふたりの共通のクリエイターが、板野さんだったということが怖いですね。

石渡『BLASSREITER』以来、自分たちは毎年“板野会”という会合を催して、板野さんとお会いしています。

宮武そうですか。板野くんを私に紹介したのは河森くんですが、ね。おもしろいふたりです。私は河森くんが高校1年生の春休みから面倒を見ていたんです。いまや彼は大監督になっちゃいました(笑)。

──そんな河森さんを見て、宮武さんはブレーキをかけなかったのでしょうか?

宮武私はアニメスタジオがどれくらいの予算とスケジュールで作品を作っているのかを理解しているつもりです。だから、限界もわかる。言ってしまえば、アニメの現場は、やっちゃいけないことだらけなんです。だから、そこはおのずとブレーキをかけていくわけですが、それを気にせずにブレーキをかけずに突っ走るのが板野くんと河森くんでした。でも、そんなふたりの気持ちはよくわかります。視聴者は一度すごいフィルムを見てしまうと、つぎから同じ表現では納得しない。もっとすごい映像を求めるんです。そうなると、作り手側ももっとすごいものを追求しなくてはいけなくなってくる。私が所属しているスタジオぬえでも、板野くんのような荒武者を近くで見つつ、ハラハラしながら応援していました。河森くんも年中だなあ(笑)。たまに、やりすぎてしまうときがあって、そういうときは“藪をつついてぬえを出す”、通称“藪ぬえ”と言われたこともありましたけど(笑)。

石渡ウチ(ニトロプラス)も似たようなところがあるかもしれません。そもそもウチの社長(でじたろう=小坂崇氣氏)はスタジオぬえに出入りしていた時期があるわけですし。

宮武そうですね。小坂くんが高校生のころに、スタジオぬえに遊びに来ていたんですよね。我々(スタジオぬえ)とニトロプラスが似ているところがあるとするなら、我々は挑戦者だということです。以前、富野由悠季さん(アニメ監督)から「モノ作りには先駆者と収穫者がいる」という話を聞いたことがあるんです。先駆者は世の中よりも数年先を走って、新しいビジョンを作ってしまう。その先駆者が作ったビジョンを、収穫者は丸くまとめて商売にする。そのとき富野さんからは「スタジオぬえのビジョンは5〜6年どころか20年ぐらい先行しているから、君たちは絶対に収穫者になれない」と言われたんです。まあ、それでもいいのかなと。世の中に追い付かれるのは嫌ですからね。

石渡アニメの仕事をしていると、2年後にオンエアされるという作品が多いので、自分たちも2年後に受け入れられるようなデザインをしなくてはいけないなと思っているんです。でもまさか、20年経っても追いつかれないものをデザインしようとは考えたこともありませんでした(笑)。

──宮武さんが所属しているスタジオぬえの遺伝子を、石渡さんが所属しているニトロプラスは受け継いでいるのかもしれませんね。

石渡そう……ですね。うちは烏合の衆といいますか(笑)、みんな好き勝手にやっているんです。だからこそ、僕もどこまで踏み込むか悩んでしまうんですが……。

宮武踏み込むことを迷っていらっしゃるのもよくわかるんですが、プロデューサーや監督は“誰かが暴走するのを待っている”ところがあると思いますよ。新しいものを作ろうと考えている監督さんは、いつも誰かが突き抜けてくれるのを待っていて、そこから新しい方向性を作ろうとするものなんです。そういう暴走するスタッフが出たときに、監督は立場上、一応は文句を言うでしょうけど。内心では喜んでいるはずです。新しいものを作るには、いい意味で、ハメを外すことが大事なんだと思います。

石渡そういうものですか?

宮武怒られているうちは、まだ大丈夫。まだ限界に達していない。怒られても少しぐらいは突き進んでいいと思います。本当にダメなときは、止められますから(笑)。板野くんはそれでも突き進むけれど(笑)。だから、デザイナーは怒られることを恐れてはいけないんです。自分がおもしろいと思っているなら、“やりすぎる”くらいのほうが、人の心に訴えるものになると思います。

──おふたりの今後発表される作品も楽しみにしております。

宮武よろしくお願いいたします。

石渡自分にとっての“神”である宮武さんとお話しできて、とても光栄でした。今日はありがとうございました。