このゲームは実在の開発者があなたに語りかけることから始まる

 「やぁ、僕はDavey Wreden。今日はこれから僕の友達コーダが作ったゲームを見てもらいたいんだ。すごく変わってて面白い作品ばかりで、僕もすごく影響された。彼はいろいろあって今はゲーム作りをやめてしまったんだけど、こうして作品集の形にして多くの人の目に止まれば、また復帰してくれるんじゃないかなと思って」

 Davey Wreden氏による新作『The Beginner’s Guide』は、そんなWreden氏本人のナレーションから始まる不思議なゲームだ。というかゲームなのかも怪しい。
 なんせその内容は、“アマチュア時代に地元のインディー開発コミュニティで知り合ったらしいコーダという人物が残したゲーム(のようなもの)を次々とプレイさせていく”というもの。しかもゲームの体験そのものよりも、Wreden氏が製作者や当時の背景について解説していく“無名の開発者の未完成に見える作品のオムニバスのコメンタリー”がメインであって、単なる作品集ですらないのだ。

謎なゲームの数々と、コメンタリーによるフォロー

 各エピソードは2008年から2011年にかけて作られたという作品群を時系列順に追っている。各ゲームはバグが放置されたままだったり、ゴールがなかったり、あるいはゴールはあるのにゴールまでルートが通じてなかったりもするし、そもそもゴールがある場合でも、それがなぜゴールとされているのか一切不明。複数の作品にわたって繰り返される、どうやら作者にとって何か意味があるらしいモチーフやパズルはあるのだが、そこにこめられた意図は見えてこない。
 Wreden氏はそんな、説明なしにプレイさせられたら確実に2分でゴミ箱行きにするだろう奇妙な作品群を、推測を交えつつ自分なりに解説していく。そしてプレイヤーに語りかける。自分がいかにコーダのことを理解しようとし、この厄介な天才型の仲間に助言し励ましていたのかを。

あるアマチュア開発者が残した未完成ゲームの山とともに始まるビデオゲームメタフィクション『The Beginner’s Guide』_02
▲前に歩けないゲーム。後ろを向いて後ろ歩きすることで進め、壁に書かれたメッセージを読める。
あるアマチュア開発者が残した未完成ゲームの山とともに始まるビデオゲームメタフィクション『The Beginner’s Guide』_03
▲暗い道をひとり歩いていると「あなたは立ち入ろうとしています」と書かれた看板があるだけのゲーム。
あるアマチュア開発者が残した未完成ゲームの山とともに始まるビデオゲームメタフィクション『The Beginner’s Guide』_01
▲進んでいくと牢屋に閉じ込められるゲーム。「オリジナル版は一時間待たないと開かなかったんだけど、今回は僕が開けよう」とWreden氏が開けてくれる。

 章を重ねるに連れて、Wreden氏による解説で次第にコーダが作品を通じて表現しようとしていた方向性がうっすらと見えてくるのだが、Wreden氏とコーダの仲が長くなるに連れて、中盤以降はダークでどこか解釈を拒絶するような内容が増えていき、物語はWreden氏が『The Beginner’s Guide』をまとめるにいたった真意を告白する衝撃的な結末へと向かっていく。

 『The Beginner’s Guide』はビデオゲーム開発のアマチュアコミュニティに舞台を設定しているが、それ以外のモノ作りのコミュニティでも通用する話だ。小説でも漫画でもイラストでも現代アートでもいい、もしあなたの周囲に、自分だけは理解してあげたくなるような独特な表現を持った無名の天才、「もうちょっとだけ世間に対して“上手くやる”のを覚えればブレイクできるのにな」って友達が周りにいるとしたら、『The Beginner’s Guide』はあなたのための話だ。

 さて、ここまでで何やら面白そうな匂いを嗅ぎつけた人は、ここから先はもう読まずにゲーム本編をチェックしてみて欲しい。『The Beginner’s Guide』はSteamでPC/Mac版が980円で発売中。なお言語は英語音声をベースに英仏独西露の字幕を収録しているものの、日本語には非対応。ただし字幕表示が可能だし、そこまで難しい単語は出てこないので、割とガッツで乗りきれると思う。


作品に作者を見出してしまう病

 『The Beginner’s Guide』は、プロローグ含めて全18章のステージからなるインタラクティブストーリーだ。一人称視点アドベンチャーゲーム『Stanley Parable』のメインクリエイターであるDavey Wreden氏の第2作にあたり、もちろん『Stanley Parable』と同じく、ビデオゲームの構造を逆手に取ったビデオゲーム・メタフィクションだ。

 『Stanley Parable』は、ゲームデザイナーの化身であるナレーターが「スタンリーは左の扉を通った」と語るのに対して、無視して右の扉を通ったりすることで話が崩壊していく、ゲームデザイナーとプレイヤーの関係性そのものをテーマにした作品だった。では今回の『The Beginner’s Guide』はどんな問題を扱っているのか?

 キモとなっているのは、最初に書いた通り、本作の主軸がコーダ作の作品群ではなく、今回の語り部であるWreden氏のコメンタリーであること。プレイヤーは問題の作品群をそのまま受容するのではなく、常に作者本人ではない解説者のコメンタリーを通じて理解しており、常に第三者のフィルターが入っている。さらに作者本人にとってテーマの核心となる部分が隠されているケースでは、Wreden氏がハックして中身を見せてしまうことで、作品の有り様は変えられてしまう。

あるアマチュア開発者が残した未完成ゲームの山とともに始まるビデオゲームメタフィクション『The Beginner’s Guide』_04
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▲階段があるだけのゲーム。途中で極端にスローになり、登れなくなる。Wreden氏がハックして中にたどり着くと、そこにはコーダのゲームのアイデアが隠された部屋があった。

 確かに、本作のプレイヤーは理解不能なゲームの山を前にして、Wreden氏による翻訳を通じてゲームの「メッセージ」を理解し、シュレディンガーの猫を箱から取り出す呪文を唱えること(ハック)で、「正解」を知ることができる。Wreden氏による解釈にはいくつかハッとさせられるものがあり、コーダが確かに才能を秘めた孤高のビデオゲーム芸術家であるかのように思えてくる。
 だが、それは正しいことなのだろうか? シュレディンガーの猫は箱に入っていて生死不明なことにこそ魔法があるんじゃないだろうか?

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▲繰り返し出てくる扉のパズル。解法は他愛もないものなのだが、どんな意味があるのだろうか?
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▲しかしパズルの先の終点にあるのは何もない部屋だった。しかしWreden氏が壁を消し去ると、そこには無数の通路が。「これは対称的だ。階段のゲームは凡庸な外壁が豊かな内面を包んでいたが、このパズルのゲームでは凡庸な内壁が素晴らしい外の世界を隠していた」という名解説。

 もうひとつの問題は、作品と作者の混同だ。制作意図を探ること自体は作品を深く理解することに繋がるが、作品に対する批評と人物史的な本人の問題を混同するのは誤解の元となる。人物に引き摺られて「あいつだからあいつのああいう部分の問題を投影しているに違いない」とか、作品に引き摺られて「こういう表現をしているってことは実際にこう思ってるんだな」と捉えてしまうと、両者を見誤りかねない。
 しかしWreden氏は近すぎたが故に、コーダの作品が持つ魔法のような何かに影響されすぎたが故に、新作の内容を解釈しては心配し、周囲にコーダの作品を見せて回ったりしてしまう。その延長上に本作『The Beginner's Guide』があるのだが、それは往々にして「大きなお世話」だ。特に、発表を目的としていない芸術家や、隠すことに意味があると考えるような表現者にとって。

 残した作品の数と性質を考えるに、コーダという人物は創作の産みの苦しみそのものを日記のようにゲームにする、特異な表現者であったのかもしれない。しかしその正解が得られる日は来ない。コーダなる開発者は存在せず、現実に存在するのは、創作とその解釈にまつわる多重的な問題をビデオゲームの手法を使ったメタフィクションとして表現した、Davey Wreden氏による『The Beginner’s Guide』という作品だけだからだ。
 さて、プレイヤーであるあなたはこの作品をどう解釈するだろうか?(もちろん、メタフィクションの魔法を解いてしまったこの文章は、『The Beginner's Guide』におけるWreden氏のようにナンセンスかもしれない。でも、あなた個人の解釈は常に誰からも自由なものだ)