モデレーターは遠藤雅伸氏

 2015年8月26日~28日のあいだパシフィコ横浜にて開催されていた、ゲーム開発者向けカンファレンス“CEDEC 2015”にて、最終日となる8月28日に、話題のバーチャルリアリティー(VR)デモ『サマーレッスン』に関する3つのセッションが催された。ここではその最後、開発者たちが揃って語った “「サマーレッスン」が誘う非現実のリアル(3) 開発者デスカッション編”をリポートする。

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 このディスカッションのパネリストは、ここまでのふたつのセッションでスピーカーとなっていた面々。チームを率いる原田勝弘氏を始め、プロデュースとディレクションを務める玉置絢氏、アートディレクターの吉江秀郎氏、リードアニメーターの森本直彦氏、リードプログラマーの山本治由氏、サウンドディレクターの中西哲一氏。以上6名のバンダイナムコチームと、モデレーターとして、ナムコOBでもある東京工芸大学教授の遠藤雅伸氏の7人が登壇した。

『サマーレッスン』実在感はどうして生じるのか? ~プレゼンスと見立ての文化と~ 開発者ディスカッション【CEDEC 2015】_01
▲モデレーター(全体の調整や裁定をする司会)を務めた遠藤氏。
『サマーレッスン』実在感はどうして生じるのか? ~プレゼンスと見立ての文化と~ 開発者ディスカッション【CEDEC 2015】_02
▲大先輩とメインホールの聴衆を迎え、いくぶん緊張気味。左から中西氏、山本氏、森本氏、吉江氏、原田氏、玉置氏。

 セッションは各人の自己紹介から始まったが、サウンドディレクターの中西氏はこのセッションが最初の登壇だったため、長めの自己紹介に。氏はここで『サマーレッスン』のサウンドコンセプトとして“パーソナルスペースの内側にいかにこだわるか”を挙げた。これまで『エースコンバット』シリーズを手がけてくるなど、10キロ単位でのサウンド製作をしてきた中西氏だったが、この『サマーレッスン』では10センチ単位、ときには1センチ単位の調整を体験。キャラクターが近づいたときの緊張感を衣擦れの音で表現するのに、衣服の上部と下部で分けたり、足音、息づかいなどを用いて、どう演出しようかと試行錯誤の連続だったと語った。

一度生じたプレゼンスの維持が大切

 セッションはTwitterで #サマーレッスン のハッシュタグを利用して進行。あらかじめ定めたテーマについてディスカッションをすると同時に、ハッシュタグ経由で寄せられたコメントや質問にも言及していくスタイルだ。

 最初のテーマは“『サマーレッスン』のプレゼンスとは?”。まずはモデレーターの遠藤氏から、VRにおけるプレゼンスという言葉の定義が語られた。

『サマーレッスン』実在感はどうして生じるのか? ~プレゼンスと見立ての文化と~ 開発者ディスカッション【CEDEC 2015】_03

 VRにおいて没入感というのは、その装置の中に深くいるような感じを指すが、一方、その世界がバーチャルであることを頭では理解していながら、意識や身体が本当にそこにいるかのように誤認してしまうもう少し踏み込んだ状態。これを“プレゼンスが生じている”という言葉で遠藤氏は解説。このプレゼンスをどう維持するかがVRにおいて「いちばん大事なこと」(遠藤氏)と語った。さらに、日夜いろいろなVRコンテンツが登場しているなかで、「『サマーレッスン』がいちばんプレゼンスを維持することに成功している」(遠藤氏)とも。

 ではこのプレゼンスはどうやって生じるのか? 『サマーレッスン』で最初に女の子が登場したときは、「あ、CGだな」としか思わないが、ある一定の距離の内側、いわゆるパーソナルスペースに、「わかりやすく言うとATフィールドの内側」(遠藤氏)に女の子が踏み込んできたときに、とても近さを感じ、「そんなに近づいていいのかよ」と焦り、それによってその子が実在していると脳は誤認し、プレゼンスが生じていく仕組みであると遠藤氏。それが『サマーレッスン』の開発現場では、意図的ではなく、試行錯誤の過程で生まれ、強い効果だとわかったと説明した。

『サマーレッスン』実在感はどうして生じるのか? ~プレゼンスと見立ての文化と~ 開発者ディスカッション【CEDEC 2015】_04

 玉置氏も、それを裏づけるように、「当たり前に目の前にも見馴れたのがある状態をVRで再現しても、それと同じ程度の衝撃しかないが、現実でもまれだが何回か体験はあるという程度に人が接近しているという行為だとちょうどよく、これが「そこにある」という感覚を思い出させ、VR上でのプレゼンスにつながる。そういう流れなのだと思っています」と補足した。

 さらに遠藤氏は、すでにわかっていることとして、ある程度近い距離にある物体が、遠いものと比較されるとプレゼンスを生じやすく、逆に自分が動いてしまうとプレゼンスが剥がれやすいという例を挙げた。これを「自分が動いているという視覚的な情報と、身体が感じる加速度とのあいだに差分ができたときに、プレゼンスは剥がれていってしまう」と解説。その点『サマーレッスン』は、座っている状態で進行するのでプレゼンスが剥がれにくく、女の子がある程度の距離まで近づいた瞬間に生じたプレゼンスによって、その後に女の子がある程度離れたとしても、実在するものと脳が誤認した状態のままになるという。

 また遠藤氏は、その昔、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)とともにバーチャルリアリティーという言葉が生まれた当時は、HMDを着けて歩き回らせるコンテンツが多かったが、座って落ち着いた状態で環境の中に自分が本当にいる感覚を得られるものが“新しいVR”とし、『サマーレッスン』は初めてそういうものを意識させる、とてもよくできたプレゼンスの生成例と語った。

二次元にプレゼンスは感じられるのか?

 ここでTwitterからある話題を遠藤氏がピックアップ。それは「アニメの中にプレゼンスを感じられるか」ということだ。氏は、世界はリアルなCGでリアルな没入感を感じようとする方向に進んでいるが、日本人はアニメなど架空のものの中にいてもきちんとプレゼンスを作り得るのか、というところに興味があり、それが叶ったときに、本当に俗に言う2.5次元、自分が2.5次元になれた感覚というものが生まれるのでは、と示唆。いずれアニメの中にプレゼンスが作れるだろうと解説した。

 実際、原田氏が玉置氏らとプロジェクトを進めていたときに、その要望は挙がっており、『アイドルマスター』のキャラクターを『サマーレッスン』の仕組みで表示させてみたが、遠くからはともかく、近づくと目の大きさなど頭身や比率が大きくて恐ろしく違和感があり、「アニメでやれないんなら、ぼく辞めます」という山本氏たちを説得しつつ、いまの表現で進めてもらったという。

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 一方、制作中、勉強のためにコリジョン(当たり判定)がなくて貫通できるコンテンツをいろいろ体験した山本氏が、VR上で胸に板が突き刺さったときに得た感覚がとても不快だったと披露。二度とそこには近寄りたくなくなったという話や、だとしたら見た目がアニメ調のものなどでも、一度プレゼンスを感じればプレイヤーは馴染んでいくのでは? という話、さらには『鉄拳』や『ソウルキャリバー』のキャラクターを表示させたがやはり目が大きいので、5%づつ差分モデルを作ってバランスを研究した吉江氏の話などが挙がった。

 とりわけ、差分を作ってバランスを詰める過程をそのままの流れで突き詰めれば、キャラクターが2次元にたどり着く可能性があると玉置氏は指摘。だが「根本的に引き返して、違う方法を試さないといけないのかも。正解はまだ見えない」とも語っている。

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「フォトリアルを追及してゴツいおっさんを作ってほしい」というTwitterの意見に原田氏は、「それは製作者が陥りやすい」罠のひとつと指摘。定義だけで考えると、プレゼンスにはフォトリアルが合いそうだが、あくまでも製品としての出力を考えると、対象層のニーズに合わせたものが必要で、たとえば『鉄拳』の三島一八がVRの中で風神拳のステップで寄ってくると、むしろ嫌いになるくらい怖いという例を挙げ、ゴツいおっさんと対峙するという体験をしたい人にとってはいいかもしれないが、たいていはそうでなく、ニーズの話とプレゼンスの定義の話は少し違ったものなので、製作者として気をつけたいと回答した。

 さらに「女性の反応は?」という問いには、登場人物の性別がどうであろうと、人と接する距離にいるという臨場感や緊張感という体験は性別で変わらないため、怖い動物が寄ってきたら誰もが怖いのと同様に、臨場感に対する興奮度は変わらないし、ふつうに感心すると答えていた。