『SAGA2015(仮題)』は“ふつうのロープレ”を目指して開発中! SQEX河津秋敏氏インタビュー【『サガ』シリーズ25周年記念企画】

『サガ』シリーズの生みの親である、スクウェア・エニックス河津秋敏氏へのインタビュー。河津氏と『サガ』シリーズの歴史、そして未来についてお話をうかがった。

●『サガ』25周年は、新たなスタート地点

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 『サガ』シリーズ25周年記念企画の最後を飾るのは、シリーズの生みの親であり、最新作『SAGA2015(仮題)』(プレイステーション Vita用ソフト。2015年発売予定、価格未定)でもプロデューサー・シナリオを担当している河津秋敏氏へのインタビュー。

 シリーズ作に関することはもちろん、河津氏がゲームクリエイターになるまでの経緯や、ゲームを作るうえで心がけていることなどもうかがった。『サガ』ファンはもちろん、そうでない人も必読の、見どころたっぷりのロングインタビューです。

※本記事は、週刊ファミ通2015年1月15日増刊号の別冊付録「SaGa Kaleidoscope(サガ カレイドスコープ)」に掲載されたインタビューに、加筆・修正を行った完全版です。
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■河津秋敏氏 プロフィール
開発の第一線に立ち続ける、スクウェア・エニックス所属のクリエイター。『サガ』シリーズのほか、『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』シリーズ、『ラスト レムナント』などを手掛ける。


●“ファイナルファンタジー”ってタイトル、長いよね

――本日は『サガ』シリーズに関するさまざまなお話をうかがいたいと思いますが、その前に、河津さんがなぜスクウェア(当時)に入ったのかをお聞きしたいのですが。
河津秋敏氏(以下、河津) そこからですか(笑)。じつは、特段理由はないんですよね。アルバイト雑誌をめくっていたら、スクウェアの求人広告を見つけたんです。プランナーを募集していて、未経験者でもオーケーと。当時、未経験者を受け付けているゲーム会社はほとんどなかったんですね。それで、スクウェアに電話をしたら、「一応、面接だけしまーす」と言われて、田中さん(田中弘道氏。『サ・ガ2 秘宝伝説』(以下、『サ・ガ2』)スタッフでもある)に面接していただきました。

――田中さんが面接官だったのですか!
河津 そのときは、Apple II(アップルが1977年に発売したコンピュータ)の話をしたり、「彼女いるの? いないと苦労するよ」なんてアドバイスをもらったり(笑)。それから坂口さん(坂口博信氏。『ファイナルファンタジー』の生みの親)にも面接していただいて、スクウェアに入りました。

――以前から、ゲーム業界に入りたいという想いがあったのでしょうか?
河津 そういうわけではないのですが、大学を卒業したので、「とにかくなんかしなきゃ、やばい」と。それから、ソフトウェア系の会社から内定をもらったので、「昔からゲームが好きだし、ゲーム会社も探してみようかな」と考えたんです。そうしたら、先ほど言った通り、スクウェアが募集していた。求人誌に載っていた、佐藤元さん(“さとうげん”、“松本美奈”などの名義でも活動しているアニメーター、マンガ家)の『水晶の龍』(スクウェアが1986年に発売したFC用ソフト)の絵が目にとまったんですよ、「どこかで見たことあるな」って。前はアルバイトで『Beep』(ソフトバンクが発行していたゲーム総合情報誌)にいたので、そのときに見ていたんですよね。

――『Beep』編集部で働いていたんですか! それは、初耳でした。
河津 『Beep』には創刊前から関わっていて、ライターをやっていました。『水晶の龍』以外にも、『ザ・デストラップ』とか『クルーズチェイサー ブラスティー』も、そのころに見ていましたね。

――スクウェアに入社する前からゲーム業界にいらっしゃったんですね。ゲームはいつごろからお好きだったのですか?
河津 それはもう、ビデオゲームが出始めのころから好きでした。アタリの『ポン』(1972年に登場したアーケードゲーム)を見て衝撃を受けましたね。テレビの中にあるものを動かせる! って。当時ゲーセンにあったゲームは10円で遊べたのに、『ポン』は50円でしたから、それも衝撃で。それからずっとゲームが好きでしたが、もちろんお金がないからハードは買えない。カセットビジョン(エポック社が1981年に発売した家庭用ゲーム機)もぴゅう太(トミー(当時)が1982年に発売した16ビットグラフィックコンピュータ)も自分では買えませんでしたが、大学に入ってできた友だちが、Apple IIを2台も3台も持っているようなやつだったので、彼からコンピュータゲームを借りて遊んでいました。

――スクウェア入社後は、まずどんなお仕事をされましたか?
河津 最初は放置気味で、ひとりで企画書を書いていたんですけど、坂口さんに『ハイウェイスター』のデータを手伝えと言われて、途中から参加して。その後、「RPGを作るぞ」と言われて、石井くん(石井浩一氏。『聖剣伝説』の生みの親)たちと参加したプロジェクトが、『ファイナルファンタジー(以下、FF)』になる作品でした。

――その後、『FFII』にも携わられていますが、『魔界塔士サ・ガ』(以下、『サ・ガ』)のプロジェクトは、どのようなきっかけでスタートしたのですか?
河津 当時の社長の宮本さん(宮本雅史氏)から、「今度、任天堂さんから携帯ゲーム機が出るから、何か作れ」と言われて。あっという間に、僕と石井くんで作ることになりました。

――ゲームボーイが出る前ですね。RPGを作ることは、いつごろ決めたのでしょうか。
河津 言われたときから決めていました。当時は『テトリス』が流行っていたので、宮本さんは「パズルゲームを作れ」と言ったのですが、我々は「ロープレだよね」と。ユーザーが遊びたいのは、携帯ゲーム機になってもロープレだろうと思ったんです。それで企画を押し通して。そのとき、『FFIII』の開発がすでに始まっていましたから、同じようなロープレを作ってもしょうがないので、毛色が変わったものにしようと思いました。

――『サ・ガ』というタイトルの由来は?
河津 チームのみんなと、「“ファイナルファンタジー”って長いよね」と話をしていて(笑)。とにかく短くしよう、アメコミの“ズガガガ”、“ドバババ”みたいな音のように、勢いのあるものにしよう、と。『FF』はきれいなもの、というイメージがあったので、我々はもうちょっとサブカルっぽいものにしたい、という思いもあって。でも、なんで『サ・ガ』になったのかは、よくわからないです(笑)。

――叙事詩という意味の“サガ”から取ったわけではないのですか?
河津 そういう意味じゃないんです。だから、あえて中黒を入れているんです。


いきもののサガか

――ゲーム内のセリフにある、生き物の“性(サガ)”、という意味でもない?
河津 あれは、後から付け足したものです(笑)。プレイした人がみんな「そういう意味だったのか」って言うんですけど、その場で考えただけです(笑)。植松さん(植松伸夫氏。作曲家)にも「よくできてるじゃん」って言われたんですが、タイトルと合うしな、と勢いで書いたものなんですよ。


●『魔界塔士サ・ガ』の続編を作るつもりはなかった

――『サ・ガ』については、出来栄えに自信はありましたか?
河津 『サ・ガ』は非常に満足度が高かったですね。初めてディレクションを任されたもので、気負っていた部分もありますが、ゼロからシステムやストーリーを設計して、パッケージに落とし込むことが狙い通りにできたので。『FF』でやりきれなかった部分や、オリジナリティーが足りないと思っていたところを消化できましたし。ほかにはないスタイルのゲームになったと思っています。

――では、2作目を作ることは、すんなりと決まったのですか?
河津 自分たちとしては、『サ・ガ』が完成度が高いものだったので、「これ以上、何もすることがない」と思っていました。2作目を作るように指示があったときは、「ええーっ」と思いましたね。でも、『サ・ガ2』には田中さんが参加してくれて、完成度は格段に上がりました。さすがは田中さんです。

――『サ・ガ2』の後も、期間を空けずに、つぎの作品の開発に取り掛かっていますよね。
河津 本当は、石井くんと「正統派のロープレを作りたいね」という話をしていたんですよ。石井くんは『聖剣伝説』を作っていて、自分は『サ・ガ2』を作っていて、お互い終わったら、何かやろうと言っていたのですが、石井くんがなかなか『聖剣伝説』が終わらなくて、合流してくれなくて(苦笑)。しかたないので、新しい『サガ』を作ることにしました。

――『サ・ガ3 時空の覇者 完結編』(以下、『サ・ガ3』)と『ロマンシング サ・ガ』(以下、『ロマサガ』)は、同時期に開発されていますが、これはどのような理由から?
河津 これも経営陣からのオーダーで、スーパーファミコンでもゲームボーイでも作れと言われて。ただ、自分では同時に2本は作れないので、ゲームボーイでは藤岡さん(藤岡千尋氏。『サ・ガ3』プロデューサー)が作ってくれることになりました。タイトルについてはけっこう揉めたんですけど、なんで“完結編”って付けたのかわからない(笑)。

――(笑)。
河津 あのときは、「『サ・ガ』はこれで完結にするからええやないか」と思っていたんですが、いま思えば、藤岡さんに『サ・ガ4』、『サ・ガ5』と作ってもらえばよかったなあと。まだまだ若かったですね。

――『ロマサガ』のほうは、タイトルはどのように決めたのですか?
河津 “ロマンシング”を考えたのは、イノノブさん(井上信行氏。『ライブ・ア・ライブ』などを担当)です。『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』という映画があるので、たぶんそこから引っ張ってきたんだと思うんですよ。僕としては、その映画のイメージが強くて、微妙だなあと思っていましたが(笑)、結果的にはよかったですね。小林智美さんの絵やイトケン(伊藤賢治氏)の曲と合わさって、最終的には“ロマンシング”なイメージになりましたから。


ロマサガイメージビジュアル

――小林さんは『ロマサガ』からの参加となりますが、新たに小林さんを起用した理由を教えてください。
河津 本格ロープレっぽいイメージのキャラクターを描ける人を捜していたんですよ。アナログな時代ですから、神田で本屋巡りをして、置いてある本の絵を見ながら捜しました。その日は決まらなかったんですが、翌々日ぐらいに惣水くん(惣水清貴氏。宣伝担当)が「この人どうでしょう」と持ってきたのが、小林さんの絵だった。もし、そのとき惣水くんが別の方の絵を持ってきていたら、みんな違ったキャラクターになっていたでしょうね。

――小林さんは『ロマサガ』が初のゲームのお仕事だったとのことですが、小林さんが描いたキャラクターを見て、どう思われましたか?
河津 ぴったりで、かつ想像の上を行くものでした。主人公に関しては、ジャミル以外は一発オーケーでした。ジャミル以外も難しいはずなんですけどね。スルッとイメージ通りのものが上がってきました。

――小林さんの絵の魅力は、どんなところにあると思いますか?
河津 「この絵がゲームになります」と言ったら、誰でも黙らせる力がありますよね。みんな「おおーっ」と言いますよ。