『月姫』や『Fate』シリーズで知られるTYPE-MOONが制作し、2012年4月12日にPCにて発売されたゲーム『魔法使いの夜』。日常の延長線上で親しみやすい物語に美麗なグラフィック、そしてリッチな演出と、当時最高峰の完成度を誇ったビジュアルノベル作品だ。そんな同作がフルボイス&フルHD化されてNintendo Switchとプレイステーション4にて2022年12月8日に発売を迎えた。

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 今回は『魔法使いの夜』のシナリオと監督を担当する奈須きのこ氏、そしてキャラクターデザインや原画を担当し、グラフィック総監督を務めたこやまひろかず氏のおふたりにインタビューを実施。 PC版が発売されてから10年の時を経て、令和の時代に復活した本作の制作過程ではどのようなエピソードがあったのか、開発秘話について詳しく語っていただいた。

 なお、本記事は週刊ファミ通2022年12月22日号(No.1775/2022年12月8日発売)に掲載した『魔法使いの夜』発売記念特集内のインタビューに加筆・修正を行ったもの。特集では本作の世界観や主要キャラクターなどの情報をまとめるとともに、メイン背景美術を受け持ったゆうろ氏と音楽を制作した深澤秀行氏へのメールインタビューを実施。そちらも要チェックだ!

※インタビューは11月上旬に実施しました。

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『魔法使いの夜』の制作の核を担った奈須きのこ氏とこやまひろかず氏にインタビュー。「10年経ったいまでもTYPE-MOONの中で最高峰にある作品です」

奈須きのこ氏(なす きのこ)

ゲームブランド・TYPE-MOONを結成し、これまでに数々のノベル作品やアニメ作品を世に生み出してきたシナリオライター兼小説家。『魔法使いの夜』ではシナリオ制作と監督を担当している。(文中は奈須)

こやまひろかず氏(こやまひろかず)

TYPE-MOONのグラフィックチーフで、さまざまなキャラクターをデザインしているイラストレーター。『魔法使いの夜』ではキャラクターデザインや原画を担当し、グラフィック総監督を務めている。(文中はこやま)

フルボイス化によって増す『魔法使いの夜』の臨場感

――移植版『魔法使いの夜』がついに発売を迎えます。現在の感想をお聞かせください。

こやま正直、本作は移植なので、僕らは最前線に立って制作にあたっていたわけではないんです。実際は移植作業を担当しているスタッフを横目で見ながら、たまに上がってくる相談などに受け答えをしていただけで、ある意味気楽な立場ではありました。僕は原画担当なので、10年前の絵を突き付けられるのは少々しんどい部分もあったりしたんですけど(笑)。でもこうして再度お披露目できる機会をいただけてうれしい限りです。

奈須PC版の発売に合わせて公開したインタビューでは当時、「たぶん10年後も色あせないというか、ちょっと10年早すぎた」と言いましたが、本当に10年経っても色あせていなくて......。もう一度正しく『魔法使いの夜』をプロデュースできるということがうれしいです。10年前は声がないことにこだわっていて、 ユーザー が自身の脳内で再生する理想の声こそ至高と考えていた我々なのですが、さまざまな声優さんと仕事をこなしてきて、声の力が大きいことを改めて思い知りました。

 今回フルボイス化を成し遂げ、声優の皆さんの力で「臨場感も深みも増した」と感じました。より多くの人に楽しんでもらえる作品になったと思います。

――実際にこの移植企画が動き始めたのはいつごろになるのでしょうか?

奈須PC版を出した後、「もしコンシューマーで発売するときはフルボイスにしてみたい」というイメージが制作陣みんなの中に漠然とあったと思います。ただ、これといった機会がなくて、PC版の制作が終わった後に『月姫 -A piece of blue glass moon-』(以下、リメイク版『月姫』)の制作が始まったり、発売から2年経ったあたりで『Fate/Grand Order』(以下、『FGO』)のほうが忙しくなったりと......。『FGO』が軌道に乗るまでは、本当に嵐のような時期だったので、それ以外のことは何も考えられない状況だったんです。

――確かに、『FGO』は人気も上がって注目度も高まりましたから。

奈須それから『FGO』の第1部が終わって、1.5部という間章に入りながら第2部の予定を組んだとき、「このまま優等生な予定を立てても、あれもこれもできない」となりました。ちょっと無理して社内の企画を進めようと決めて、リメイク版『月姫』の開発再開と同時に『魔法使いの夜』の移植を進めることにしました。

 『魔法使いの夜』は完成されていて追加要素を入れられないので、かねてから夢想していた声優さんの演技の入った、「新しい空気感の『魔法使いの夜』にしよう」という話になりました。なので 、リメイク版『月姫』の開発再開と『魔法使いの夜』の移植企画はほぼ同時に始まったんです。『月姫』は2017年ぐらいからで、『魔法使いの夜』はスケジュールを立て始めたのが2018年ぐらいだったはずです。

――4年ほど前だったんですね。

こやまファイルを漁ってみたら、2018年3月に初めてファイルをやり取りしていて、 絵素材をどのようにアップコンバートするのか模索していたようですね。

奈須キャスティング自体は『魔法使いの夜』のほうがリメイク版『月姫』よりも先なんです。青子のキャストに関しては『魔法使いの夜』優先で選ばせていただきした。もちろん続く『月姫』の青子のイメージにも合うように、と考えてのものでしたが、どちらも文句なしの演技をいただけました。なのに、不思議な話なのですがリメイク版『月姫』と『魔法使いの夜』の声の収録は、ほぼ同時になりました。

――同時となると作業量がすごいことになり そうですが ......?

こやま奈須さんはとにかくたいへんだったでしょう。『FGO』のシナリオも書きながらの作業でしたから。

奈須『FGO』を書きながら、リメイク版『月姫』の制作をして、そのかたわらで2作の収録を監修してと、経験にない忙しさでした。この激動の2020年を超えるスケジュールはもうないだろうからなんとか耐えよう、と思っていましたが、2021年でもっとすごいことに......。それは置いといて、とにかく、充実した時間を過ごさせていただきました。

『魔法使いの夜』の制作の核を担った奈須きのこ氏とこやまひろかず氏にインタビュー。「10年経ったいまでもTYPE-MOONの中で最高峰にある作品です」

――実際に移植の作業に入り始めたのはいつごろなのでしょう?

奈須2018年です。キャスティングから始まって方針も決まって、キャストさんのスケジュールの調整をしつつ先に移植を始めてもらおうと。移植のアルファ版は2020年に完成しました。収録が始まる前にはもうNintendo Switchで動いていましたね。その後、収録を終え、録り終えた声のデータを反映したのが2021年。ベータ版に進んでから細かい微調整を加えていって現在にいたります。

――順調に進んでいたんですね。

奈須がんばればリメイク版『月姫』と同じ年に出せるかも、というスケジュール感だったのですが、無理に焦る必要はないのではということになりまして。いったん開発のペースを落として、2021年はリメイク版『月姫』、2022年に移植版『魔法使いの夜』を出そうとなったわけです。『魔法使いの夜』はクリスマスの話だから、 どうしても冬に出したいと。これもがんばれば8月には出せたのですが、そういった理由もあって12月発売に決めました。

こやまじつのところ、リメイク版『月姫』をコンシューマーへ落とし込んでいたスタッフと『魔法使いの夜』の移植を行っていたスタッフは同じなので、リメイク版『月姫』を優先するということで『魔法使いの夜』の移植はストップせざるを得なかったわけです。なので、時間はかかっていますが、そのあいだずっと動き続けていたわけではありません。

奈須逆に、アルファ版といえども移植し終わった後なので、そのノウハウがリメイク版『月姫』に活かされています。リメイク版『月姫』もまずPCで制作したものを移植会社さんに移植してもらっています。『魔法使いの夜』はスムーズに移植できましたが、リメイク版『月姫』は文量が多かったので、ちょっとたいへんでした。『魔法使いの夜』と比べて2.5倍の文量なので、これにはアニプレックスさんも驚いていましたね(笑)。

――2.5倍と簡単に言いますが、すごいですよ。

奈須でも、演出なども含めるとほぼ同じボリュームのような気がします。

こやまそこまでですかね。やはりリメイク版『月姫』のほうがボリュームは多いように感じます......。

奈須リメイク版『月姫』も演出に力を入れていますが、日常シーンの演出をこだわり抜いた『魔法使いの夜』に比べると......。作業量的には、リメイク版『月姫』の分量を2とするなら移植版『魔法使いの夜』は1.5ぐらいだと思います。リメイク版『月姫』の制作には2年かかりましたが、移植版『魔法使いの夜』は1年半で完成しましたからね。

ボイスが付いても変わらない作品の上質な雰囲気

――おふたりにとって『魔法使いの夜』はどのような意味を持つ作品なのでしょう?

こやまよく訊かれますが、いろいろな感情がないまぜになっていて、こういうのを何と言うのだろうと思っていたら、“コンプレックス”なんですよね。

 PC版の『魔法使いの夜』は10年前の当時、いたらない部分も含めて自分の持てるものをすべて出してやりきったという自負がありますし、キャラクターデザインと原画のキャリアとしても代表作として胸を張れるものではあるのですが、10年経ったいまも全三部作あるとされる物語の続きをユーザーの皆さんに一向にお届けできていないところにずっと気持ちが囚われていて......。そういったものがずっとないまぜになってコンプレックスになっているんだろうな、と。

奈須自分もそうですね。もともと原案が学生時代に作ったもので、まだ“奈須きのこ”という人間が同人にも出ていなかったころに、自分のために書いたいちばん初めの習作なので、やはり思い入れはどの作品よりも強いです。2000年より前......もう1990年代なんて思い出せないですけれど、当時の自分が「いちばんおもしろい」と思ったものが詰まっていて。それがいまでも愛されているのはうれしくもあるのですが、同時にいまのオタクカルチャーは進んでいるので、「これはこれでもう“古典”になっているんだな」と思うところはあります。

――古典......ですか?

奈須古典です。当時に“新しい”と信じて積み上げたものはいまでは常識になっていますから。でも、だからといって「いま風にしよう」とか「さらに新しいものを入れよう」とかではなくて、そのころに輝いていたものをすばらしい素材でそのままパッケージングしたのが『魔法使いの夜』でした。たとえるなら“宝石箱”でしょうか。めったに開けないけれど、たまに開けるとうれしくなるという。

――宝石箱ですか。素敵な表現ですね。

奈須令和のいま、宝石箱と言われてもリアルじゃないというか、「それより機能性バツグンの携帯端末を!」と言われそうな気もしますが、宝石箱は思い描くこと自体がロマンティックというかノスタルジアであってほしい。『魔法使いの夜』はそんな時代の話ですしね。

『魔法使いの夜』の制作の核を担った奈須きのこ氏とこやまひろかず氏にインタビュー。「10年経ったいまでもTYPE-MOONの中で最高峰にある作品です」

――移植版のいちばんの魅力は何でしょう?

奈須声はもちろんですが、声を入れてもなお変わってない雰囲気でしょうか。そこはやはりイチオシです。

こやま僕もやはり声ですね。いちばん大きく感触が変わった点なので。

奈須声が入ることによって作品の上品さがなくなってしまうのではないかという恐れはありました。ユーザーさんも気になっていると思いますが、『魔法使いの夜』の雰囲気がフルボイスによって変わるようなことはいっさいありません。キャスティングの際に声優の皆さんには「とくにキャラ性は意識せず、 自然に演じてください」と作品全体の方向性をお伝えしたのですが、一発で合わせてくれる方たちだったので、そこはたいへん助かりました。

――収録では声に対して確かな手応えを感じていたのですね。

奈須収録前は100パーセント、すべてがうまくいくという自信はありませんでしたが、収録が始まってすぐに「これはうまくいく」と。

こやまちょっと生身っぽい声でお願いしたいなと意識して声優さんは選びました。

――キャスティングもおふたりが?

奈須自分とこやま、武内(武内崇氏。TYPE-MOON代表)が中心です。最終的にはアニプレックスさんと会議するのですが、基本的にはこちらのイメージに合った声優さんたちを揃えていただき、皆さんからいただいたデモテープを聴いて選抜しました。そこから希望を出して承諾が得られたら本決定という流れです。やはりスケジュールの問題で声質や演技がぴったりでも時間がとれない、ということがありますので、そういう意味でも今回は私たちの第1希望のキャスティングがすべて通ってよかったですね。

よりよいものを作り出すためのこだわりと苦労

――ビジュアルノベル作品のフルボイス化&フルHD化にはかなり苦労されましたか?

奈須収録は毎日、朝の10時から夕方6時までのローテーションで臨みました。それでも『魔法使いの夜』は2ヵ月くらいかかったと思います。リメイク版『月姫』の6ヵ月と比べるとかわいらしいものですが。 ユーザーさんには伝わりにくい部分ですが、「収録はたいへんなんだよ!」と(笑)。声優さんたちは世代的に若い声優さんが多く、2000年から2002年くらいに流行したギャルゲーというか恋愛ゲームを体験されていないので、おそらくあそこまで長い収録は経験がなかったと思います。

――声優さんたちもかなりたいへんだったでしょうね。

奈須テレビアニメやソーシャルゲームの収録に比べて『魔法使いの夜』は長かったでしょう。それもあって声優の皆さんは体力配分を気にされていて。時代の変化を感じましたね(笑)。

――こやまさん側ではどのような苦労が?

こやま僕はとくに苦労らしい苦労はなかったと思います。絵素材をフルHDの解像度にアップコンバートしなくてはいけないわけですが、きちんとキレイに仕上がるのか、仕上がらなかったらどうしようと心配していたのですが、すべて杞憂でした。

 膨大な絵素材を検証して仕分けて、それぞれ最適な画像になるよう複数パターン設定したアップコンバートに通して、最後に間違いがないかひとつひとつチェック、なんて地獄が待ってるんじゃないかと気が遠くなりそうだったのですが、とにかくアップコンバートが優秀だったおかげで、仕分ける必要もなく一括で行ってもらえました。

――素材ひとつひとつを検証していたら、発売日が変わっていたかもしれませんね。

こやまその作業をしていたら苦労は尋常ではなかったと思います。

奈須そこまで苦労するなら止めていましたね。ちょっと割に合わない。

こやまリメイク版『月姫』の制作中でもあったので手が回らなかったでしょうね......。

奈須移植作業は「PCであるものをそのままコピぺするだけでしょ」と思われがちなのですが、実際はPCというお手本をもとに移植会社さんがイチから作っているんです。それでできたものを、今度はTYPE-MOONのスタッフが両方を再生しながら、監視員のように両方の画面を見比べて「ここが違う」、「ここにモアレ(CG処理の際に発生する縞模様)がある」と、こちらが引いてしまうくらい細かくチェックしてくれて(笑)。それを移植会社に返して直してもらって......これをずっとくり返しました。

――執念と愛を感じますね(笑)。

奈須苦労という点ではそこがいちばんです。本作の制作を始める前に入った新人さんがもともとPC版の『魔法使いの夜』に入れ込んで「こんな仕事をやってみたい」と希望していた子なので、問題がないか細かくチェックしてくれて助かりました。

――苦労とは逆に「これは楽しかったな」と思われたことはありますか?

奈須Nintendo Switchでプレイしたテスト版の『魔法使いの夜』が新鮮だった点と、声優さんたちの収録ですね。台詞ひとつひとつにどんな意味合いがあるのかをライターは知っているので、本当にいち台詞ずつ集中してチェックする。ニュアンスが違っていればそのように調整して録り直しをしなくてはならない。とても小さなことですが、 塵も積もれば作品のクオリティーにかかわります。その反面、こちらの予想の上をいく演技・感情を聞けることも多く、ハードながらも楽しい時間でした。

こやま僕も収録に立ち会うことが何度かあったのですが、ディレクションする責任を負っていないので、半ば興味本位でも非常に刺激的で楽しかったです。とはいえ、奈須さんが細かくディレクションするのですが、それは僕にとってもキャラクターや世界観の学びになるので貴重な時間でもありました。コロナ禍でなければ土日の収録も全部参加したかったくらいです。

奈須当たり前のことですけど、そのキャラクターの世界観や、台詞ごとにどんな感情を持たせているかは、書いた本人しかわからないことですからね ......。個人差はあると思いますが、収録はライターにとっても神経を使う作業です。とはいえ収録1日目、2日目は神経質にチェックしていましたが、だんだんキャストの皆さんも慣れてきて、3日目以降は自分も「いい声じゃのう」とリラックスして監修していました。

『魔法使いの夜』の制作の核を担った奈須きのこ氏とこやまひろかず氏にインタビュー。「10年経ったいまでもTYPE-MOONの中で最高峰にある作品です」

アニメではなく邦画のような声を求めて

――主人公の青子はリメイク版『月姫』でも登場します。声優も引き続き戸松遥さんが担当されましたが、高校生のころの青子と大人になった青子でどのような演技を指導されたのでしょうか?

奈須収録はリメイク版『月姫』が先でした。リメイク版『月姫』はアニメテイストで、『魔法使いの夜』の演技は邦画テイストで行きたいと決めていたので、「のちのちの青子は違いますが、 今回の大人になった青子はこういう状況でこんな精神状態です。あくまでOBとして、いろいろな悩みというか人間成長から卒業したひとりの先輩として演じてほしい」とリメイク版『月姫』の収録時にお願いしました。

 そして、リメイク版『月姫』の収録がまだ3分の2ぐらいの時期に『魔法使いの夜』の収録が始まりました。そこで今度は戸松さんに『月姫』のことは忘れてください、こっちの青子はイチから作りましょう」と話しました。

――キーキャラクターである有珠と草十郎のキャスティングはどのような基準で決めたのでしょうか?

奈須有珠に関しては、こやまさんの強い希望があって。

こやまもとより有珠に花澤香菜さんが合うのではないかと考えていたのですが、オーディション次第では別の方にお願いする可能性はありました。ですが、テープオーディショ ンを聴いたときに、僕が考えていた以上に花澤さんの声が有珠としてでき上がっていると感じました。ディレクションが入ったわけでもないのに、すでに大きな屋敷にひとりで住んでいる人の声になっていて、バックに柱時計の音が聴こえてくるのではないかと思えるくらい。声というか、話すスピードや間の取りかたですかね。

『魔法使いの夜』の制作の核を担った奈須きのこ氏とこやまひろかず氏にインタビュー。「10年経ったいまでもTYPE-MOONの中で最高峰にある作品です」

――選ばざるを得ないくらいの声だったんですね。

こやま草十郎役の小林裕介さんですが、草十郎は当初からイメージしていた方はとくにはいなくて。オーディションは難航して、喧々諤々いろいろな意見が出るだろうなと思っていたんです。僕のイメージとしては、初めて草十郎と相対して声を聞いたときに、第一印象の見た目よりも少し低くて落ち着いていて、ほんの少しギャップがあるけれど、すぐに慣れてなじむような声がいいと思っていました。その感じが小林さんにぴったり合っていたんです。

奈須キャスティングは投票制度で決めていました。基本的に選ばれた方の投票数はトップなのですが、じつは草十郎は同率トップがもうひとりいたんですよ。どちらが合っているかは悩みましたが、演技のクセというか空気感というか、なんでもない台詞を素朴に語るときの雰囲気が自分の中の草十郎に一致していて、最終的に小林さんにお願いしました。あと、花澤さんが選ばれた理由がもうひとつあって。青子役の戸松さんが先に決まっていたので、それに合う方という意味で花澤さんがいいなと。

こやま生身っぽい声のニュアンスで、ということですね。青子が戸松さんではなかったら花澤さんは選ばれなかったかもしれない。これは先に青子が決まっていたからという話で、逆もあり得た話だと思います。

――ちなみに戸松さんはどなたかに推された形ですか? それとも投票で?

奈須投票が始まってすぐに戸松さんだよね、となりました。

――テープオーディションはどのように行ったのでしょうか?

奈須いちキャラクターあたり20人ぶんのテープを事前に聴いておきます。それから集まって、みんなの所感を確認して投票結果を見て、違うと思ったら話し合って......というやり取りをくり返しました

――全員ぶんのテープを聴くだけでもたいへんそうですね。

奈須ひとりあたり5分と考えても2、3時間はかかりました。その後に10人ぐらいまで絞り込んだらテープを聴き直して、キャラクターに合っている、演技の方針が作品に合っている、滑舌がいいとかいろいろ考えて、最終的に3人ぐらいに絞って、先ほどの投票に入ります。実際のスタジオオーディションに比べればやさしいほうですよ。始めに「いい」と思った人も、4時間後には印象が薄れている。「この人がいいんじゃないか」と思っても、よく見たら同じ評価点を付けている人がすでにいたりとか。

――テープで聴くのと実際に演技してもらうのとでは変わってくる部分もあると思いますが、そのあたりはいかがでしたか?

奈須戸松さん、花澤さんはスタジオでもデモテープの声とぴったり合わせてきて、さすがの貫禄でした。小林さんはまだ少しキャラクターについて迷っているところがあったので、そこは初日によく話し合いました。というのも、草十郎の場合は『魔法使いの夜』本編では語られていないことが多すぎたので、そのあたりをまるっと説明して、小林さんに理解を深めてもらいました。草十郎のいろいろな秘密を伝えたときの小林さんの第一声は「難しいですね」と「がんばります」でした。そんなところもすごく草十郎っぽかったです(笑)。

こやま草十郎は難しいと思います。ふつうの会話でも草十郎の内面と我々の内面が乖離している場合があるので、それを逐一理解しろと言うのは......。僕も奈須さんのディレクションを聞いて「え!? そうだったの?」と内心思ったりしたことがありました。

奈須草十郎の場合は、「何気ない草十郎の言葉が青子と有珠を傷付けた」だから。「素朴な言葉がふたりを追い詰めた」とか、「じつはボケのように見えてこいつツッコミなのでこのへん鋭くしてね。何を言っても敵意はなく、害意はないからね」とか。小林さんもやればやるほどキャラクターをつかんでいってくれて、最終日はとてもいい演技が生まれたんです。
 
 でも最後に「まだまだ草十郎はわからないですね」と言ってもらえたことがうれしかった。これで「わかった」とか言われても困るし、そういう真面目な小林さんだからこそ草十郎に合ういい演技ができたんだと思います。

『魔法使いの夜』の制作の核を担った奈須きのこ氏とこやまひろかず氏にインタビュー。「10年経ったいまでもTYPE-MOONの中で最高峰にある作品です」

しっとりとした深く没頭できる物語

――『Fate』シリーズなどから『魔法使いの夜』を知った方もいると思います。そんな方々へ向けて事前に知っておいてほしい要素などはありますか?

奈須『魔法使いの夜』はTYPE-MOON作品の入門編としていちばん向いていますが、 それでも情報量に頭がパンクすることもあるかも?

こやまいまだったらリメイク版『月姫』を遊んでいれば理解しやすいかと思います。

奈須そうですね。『Fate』はサーヴァントとマスターの物語ですが、『魔法使いの夜』にはサーヴァントはいっさい出てこないので。当時、『魔法使いの夜』のPC版を出したときにいちばん言われたのが「サーヴァントは出ないの?」ということなんです。

 当時は『Fate』のインパクトが大きくて、TYPE-MOONと言ったら活劇ものだろう、『Fate』だろう、となっていたので。『魔法使いの夜』は戦闘が少ない、サーヴ ァントもいない、英霊もいない。思っていたものと違うという意見をいただいたときに、いまのユーザーにとってTYPE-MOONは『Fate』なんだと感じました。

――ユーザーとしてはそう感じるのかもしれませんね。

奈須TYPE-MOON作品の中で『魔法使いの夜』は物語的にいちばんしっとりとしていて、深く没頭できるというか、親身に感じられるものです。そこからもうちょっと伝奇感が増えたのが『月姫』。さらに、自分の日常の延長ではありませんが、冒険活劇好きなら楽しめるのが『Fate』という感じです。

――体験版ではそういったシーンが散りばめられていましたね。

奈須内容はPC版の体験版と同じです。あまり体験版の段階から物語に入ってほしくなくて、登場人物たちの断片を見てほしいと思ったのであの形にしました。なので、つながりはよくわからないとは思うかもしれませんが、空気感を味わっていただければと思います。

――PC版の体験版とまったく同じ内容だったのですね。

奈須微妙に変わっているところもあります。たまにコアなファンの方がTwitterで「ここが変わっている」と言っているのを見ますが、「よく気付くなぁ」と(笑)。本当に細かい部分なのですが。

こやま収録では、「しゃべり口調としてはこっちのほうが自然」と、その場でちょこちょこ直されていましたね。

奈須「この台詞は長いので言い回しを変えよう」とか、「センテンス的にはこっちのほうが聞きやすいからこっちにしよう」とか、収録で生の声を聞いて微調整できたのはよかった。

『魔法使いの夜』の制作の核を担った奈須きのこ氏とこやまひろかず氏にインタビュー。「10年経ったいまでもTYPE-MOONの中で最高峰にある作品です」

――PC版の雰囲気を大事にされていることが伝わってきました。逆にあえて変えた部分などはありますか?

奈須驚くほどないですね。

こやま絵は10年以上前に描いたものなので、直したいところが山のようにありました。極端に言えば、時間とお金が湯水のように使えるのであれば全部直したいぐらいで。絵描きの人ならうなずいてくれると思うんですけど、さすがにそのようなわけにもいかず、最低限ここだけは直したいという部分を厳選してちょこちょこと直しました。でも、ほとんどの人は気付かないレベルだと思います。

――本当に忠実に再現してそのまま移植されているのですね。

こやまそうですね。一部だけ絵柄が変わって違和感が生じても本末転倒ですので。気付いてもらってはいけないという意味では本当に間違い探しレベルです。

奈須10年前の名作古典が声の入った最新版になったよ、というくらい。

――最後に発売を楽しみにしているファンの皆さんへメッセージをお願いします。

こやま先ほどの話と少しつながるのですが、リメイク版『月姫』を遊んで青子が気になった方、『空の境界』やほかのTYPE-MOONの作品に登場する橙子が気になっている方は、そのふたりが登場しますのでお楽しみに。あと、TYPE- MOON作品の、奈須さんが描く世界の“魔法”や“魔術”に興味がある方にも入門編としてオススメです。この作品はビジュアルノベルゲ ームなので、ひたすら読み進めて絵と曲と声で演出された物語を純粋に楽しむだけで難しい操作などは必要ありません。ぜひ多くの方々に楽しんでいただければなと思います。

奈須『魔法使いの夜』というゲームは自信作と言いますか、当時のTYPE-MOONができるマックスの作品でした。当時「もうしばらくこれは超えられない」と言った通り、10年経ったいまでも自分たちの中では頂点にある作品です。『魔法使いの夜』はパッケージそのものが完成されていて、それを美しい箱に詰めて作ったものが今回のフルボイス版『魔法使いの夜』です

 仕事の合間、一日が終わった後、気持ちをすごく穏やかにしたいときとかに楽しんでもらえるものを10年前に出しました。本作はさらに完成度が高まっているので、令和ではありますが、かつての黄金時代を味わっていただければと思います。1980年代、こういう時代があったんだよ、と。『FGO』で少しTYPE-MOONの世界がわかっている方はさらに楽しめますし、10年前に遊んでくれた方もフルボイスでより鮮明に蘇るかと思います。タイムスリップするような気持ちで楽しめる『魔法使いの夜』。贅沢にじっくりと楽しんでいただけたら幸いです。