サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2022年2月8日に新たな育成ウマ娘“★3[クリノクロア・ライン]メジロアルダン”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のメジロアルダン

公式プロフィール

●声:会沢紗弥
●誕生日:3月28日
●身長:162センチ
●体重:秘密♪
●スリーサイズ:B87、W56、H85

儚く、優しく、思慮深く、そして高貴な深窓の令嬢。
ガラスのように繊細な脚』といわれるレースに不利な体で生まれるが、それを悲観することはない。
幼いころから体が弱く、遊び慣れていないので、放課後のお喋りなどが大変新鮮らしい。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

【ウマ娘】メジロアルダンがケガとの戦いの中で見せた“刹那の飛翔”。その能力は実質“平成四強”とも言えるものだった。現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

メジロアルダンの人となり

 トレセン学園の美浦寮に所属し、思慮深く、お茶会を愛するウマ娘。名門メジロ家の令嬢でもあり、そのたたずまいと言動はまさに“お嬢さま”だ。闘志は静かに燃やすタイプらしく、勝てない日々が続く中でも勝利のイメージは失わず、ライブのレッスンに励んだりしている。

 オグリキャップらと同じ世代のひとり。リアルでもクラシック前半戦でヤエノムテキやサクラチヨノオーとしのぎを削り、その後もバンブーメモリー、オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンらと死闘をくり広げた。

 「姉様」と呼び慕う、実の姉が存在する。リアルでは日本初の牝馬三冠を達成した伝説の名牝・メジロラモーヌである。また、ほかのメジロ一門のウマ娘(とくにメジロパーマー、メジロライアン)との絡みも多く見られる。

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 青い髪の由来は不明だが、リアルでは黒いたてがみが美しい馬だったこともあってか、勝負服のカラーは黒色が基調となっている。また、メジロの勝負服である緑のカラーリングは、スカートの裾やブーツなどに差し色のような形で反映されたようだ。

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メジロアルダンの能力

 [クリノクロア・ライン]メジロアルダンの成長率は、スピード+10%、賢さ+20%。適性は芝A、中距離A、先行Aとなる。

 固有スキル"一期の夢、刹那の飛翔”は、「最終直線で後ろのウマ娘との距離が近いと この瞬間に懸け持久力をわずかに使い 少しの間速度がすごく上がる」という能力。

 レアスキルとしては、先行用回復スキルの”レースプランナー”と、中距離レースのラストスパートの直線で好位置にいると速度が上がる”決死の覚悟”を持つ。

【ウマ娘】メジロアルダンがケガとの戦いの中で見せた“刹那の飛翔”。その能力は実質“平成四強”とも言えるものだった。現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介
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競走馬のメジロアルダン

メジロアルダンの生い立ち

 1985年3月28日、北海道伊達市のメジロ牧場にて生まれる。父はアスワン、母はメジロヒリュウ。ふたつ上の半姉に、前述のメジロラモーヌがいる。また、ひとつ上の半姉メジロマーリンからは、重賞2勝馬の牝馬メジロランバダが生まれている。

 超絶美少女と絶讃された姉ラモーヌほどではないが、アルダンも立派で美しい馬格の持ち主だった。

 また、アルダンはじつは双子だった。サラブレッドでは「双子は走らない」とされており(母馬にかなりの負担が掛かり胎内での発育が悪くなる、などの理由)、現在では双子だと判明したら片方を堕胎するケースが多い。実際、双子妊娠が継続すると87%が流産、死産、虚弱子となると言われている。ただ、アルダンの場合はもう一方の胎児が死産となり、結果として単独で生まれることとなったようだ。

 しかし、やはり双子として生を受けたからだろうか、アルダンはとにかく体が弱かった。2歳のころから骨膜の状態が万全ではなく、けっきょく新馬戦の開催期間に間に合わないという事態に。その後も、骨折や屈腱炎などで約3年半もの競走馬生活のうち半分以上を療養で過ごすことになる。

 なお、片方が堕胎させられた双子の有名な例はアドマイヤベガ。また、中央競馬では双子がともにデビューした例はたったひとつしかない。それがアイネスフウジンの母テスコパールが生んだリアルカストールとリアルポルクスなのだが、2頭とも未勝利に終わっている。

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メジロアルダンの血統

【ウマ娘】メジロアルダンがケガとの戦いの中で見せた“刹那の飛翔”。その能力は実質“平成四強”とも言えるものだった。現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

 父アスワンは当時種牡馬として人気絶頂だったノーザンテーストの産駒で、競走馬としてはケガもあって6戦3勝で引退した。当時はグレード制の導入前で、GI級レースの制覇には手が届かなかったが、京成杯とNHK杯に勝利している。生まれつき両前脚が内向しているなど、足元が弱かった。

 母メジロヒリュウは現役時代、平場、障害合わせて5勝を挙げ、繁殖牝馬としてもメジロラモーヌを輩出したメジロ牧場期待の繁殖牝馬だった。さらにその母はメジロ牧場を代表する3頭の基礎繁殖牝馬の一角でもあるアマゾンウォリアー。ちなみに3頭のうち残る2頭は、メジロマックイーンの祖母アサマユリ、メジロライアンの祖母シェリルである。

 なお、メジロパーマーの祖母プリンセスリファード(こちらもメジロ牧場が輸入した繁殖牝馬)は、メジロラモーヌの父であるモガミの全姉。さらにパーマーの父メジロイーグルの母はアマゾンウォリアー。メジロ一族はいろいろなところでつながっているのだ!

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 アルダンの姉であるラモーヌは、繁殖牝馬としては直仔で活躍馬を出せなかったが、ひ孫世代に至ってフィールドルージュが2008年の交流GI川崎記念を制し、グローリーヴェイズが2019年に海外GI香港ヴァーズに勝って、久々にメジロ血統の勇名を轟かせた。

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メジロアルダンの現役時代(表記は現在のものに統一)

 
 アルダンは、姉ラモーヌも手掛けた奥平真治調教師の厩舎に入る(奥平師は後にライアンも担当)。

 アルダンは体が弱く、入厩後も骨膜炎に悩まされて調教をこなせなかったため、なかなかデビュー戦の日程が決まらなかった。

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3歳(クラシック級:1988年)

 デビュー戦の日程が決まらないうちに、なんと新馬戦の開催期間が終わってしまうことに。

 ただ、当時はまだ“4歳未出走(現表記では3歳)”という実質新馬戦のようなレースが設けられており、アルダンは新馬戦開催が終わった翌週の3月27日、東京競馬場ダート1200メートルのレース“4歳未出走”でデビューを飾ることになった。

 まともに走れさえすれば素質は段違い。生涯唯一のダート戦で恐らく適性もなく苦戦はしたものの、何とか半馬身差で勝利を収める。

 2戦目は東京競馬場芝1800メートルの山藤賞。名手岡部幸雄騎手が騎乗し、クビ差ではあるが悠々と逃げ切り勝ち。その勢いに乗って3戦目は当時ダービートライアルだったGII・NHK杯への挑戦が決まった。

 このレースでは先行策で臨むも、マイネルグラウベンに競り負けて2着。なお、3着はコクサイトリプル。4着には、1番人気だったサッカーボーイ(マンガ『ウマ娘 シンデレラグレイ』におけるディクタストライカのモデルと言われる)が入った。

 マイネルグラウベンには負けたものの、ダービーへの出走権を手にしたアルダン。そして迎えたダービーは、まさに死闘となった。

 残り200メートルを切って、インコースから先行したサクラチヨノオーを捕らえたアルダンが半馬身前に出るが、ゴール直前でチヨノオーが差し返してクビ差逆転。アルダンは惜しくも2着に敗れた。

 なお、3着はNHK杯でもアルダンと戦ったコクサイトリプル。4着は皐月賞馬のヤエノムテキだった。

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 このダービーは従来のレコードタイムを0秒2更新する高速バトルとなったが、激戦の反動か、アルダンは骨折で長期離脱を余儀なくされる。また、勝ったチヨノオーも屈腱炎が判明し、約1年の休養に入ることとなった。

 ダービーの出走前、アルダンについて岡部騎手は奥平師に対し「途中で止めるかもしれません」と告げていたという。100%のデキではなく、無理はさせられないと感じていたのだろう。それでもダービー勝利の目前まで迫ったその力は本物だった。

 ちなみに、岡部騎手もダービーの1ヵ月後に落馬事故で騎手生命を脅かすほどの大ケガを負っている。華やかな舞台の影で、騎手もまた命を懸けて戦っているのだ。

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4歳(シニア級:1989年)

 岡部騎手はアルダンのケガがようやく癒えた後で調教を担当し、その状態を見極めていた。調子が戻ってきたように見えて陣営が「そろそろ使えるんじゃないか」と尋ねるたびに、「まだまだ」と首を横に振っていたという。

 首を長くして待っていた陣営に、岡部騎手のお許しが出たのはあのダービーから数えて363日後。東京競馬場で行われるオープン特別のメイステークスが復帰戦となった。

 このレースでアルダンと人気を分け合ったのは、NHK杯、ダービーとアルダンに迫る戦いをくり広げていたコクサイトリプル。アルダンの離脱中も、セントライト記念3着、日経賞2着と実績を重ねてきた。さらに鞍上は岡部騎手のライバル、柴田政人騎手である。相手にとって不足はない。しかし結果は、ブランクを感じさせないアルダンの完勝だった。

 次戦は7月9日の高松宮杯(当時はGII、芝2000メートル)。ここで同い年のバンブーメモリーが立ちはだかった。この年の4月に芝路線に転向するや、3戦目の安田記念を10番人気で制し、一躍スターホースの仲間入りを果たした馬だ。後年にスプリンターズステークスを制するなどスプリント・マイル路線で力を発揮したが、2000メートルまでは守備範囲であり、翌年のこのレースには勝利している。しかし、アルダンの実力はそれ以上だった。バンブーメモリーほどの実力者ですら、レコードタイムで圧勝するアルダンの背中を2馬身半後方から眺めるしかなかったのである。

 遅ればせながら重賞ウィナーとなったアルダンのつぎの目標は“秋の盾”、天皇賞(秋)。当時の競馬界の頂点を争っていたオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの“平成三強”とぶつかる時が来たのである。

【ウマ娘】メジロアルダンがケガとの戦いの中で見せた“刹那の飛翔”。その能力は実質“平成四強”とも言えるものだった。現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

 毎日王冠では、“三強”からオグリキャップとイナリワンが出走。このレースで中団後方に位置したオグリキャップとイナリワンは、最終直線からぴったりと並走し、壮絶な叩き合いをくり広げながら先行集団を飲み込みにかかる。結果としてはハナ差でオグリキャップが勝利するのだが、その白熱ぶりは、1989年のベストレースのひとつとして挙げられるほどだった。なお、アルダンは健闘するも、前の2頭から少し離れた3着だった。

 アルダンのつぎのレースとなる天皇賞(秋)には、スーパークリークも参戦。最後の直線ではスーパークリーク、オグリキャップ、そしてメジロアルダンによる、こちらも壮絶な叩き合いがくり広げられた。

 結果は、スーパークリークが1着、オグリキャップがクビ差の2着、アルダンがさらにクビ差の3着だった。アルダンは敗れはしたものの、上位2頭に引けを取らない実力を見せており、4着のヤエノムテキや6着のイナリワンには完勝。平成三強と並ぶ、実質的な平成“四強”に数えてもいい強さだった。

1989年 天皇賞(秋)(GⅠ) | スーパークリーク | JRA公式

 しかしレース後、アルダンは不運なことに屈腱炎を発症。またしても長期休養に入ることになる。

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5歳(シニア級:1990年)

 復帰は9月のオールカマー。1番人気に支持されたものの、ここは調整の意味合いもあったのか、4着に敗れる。

 アルダン陣営にとっての本番は天皇賞(秋)である。新たに新鋭・横山典弘騎手を鞍上に迎えたこのレースには、同い年のライバルであるオグリキャップ、ヤエノムテキ、バンブーメモリーに加え、この年の宝塚記念を制した1歳下のオサイチジョージも参戦しており、群雄割拠の様相を呈していた。

 レースは1000メートル通過が58秒2と、前年を遥かに上回るハイペースで進む。先頭集団にはオグリキャップが入り、ヤエノムテキやオサイチジョージ、アルダンはその後ろ。バンブーメモリーは後方にポジションを取る。

 そして直線では、インコースに進路を取ったヤエノムテキがいち早く抜け出す。一方、アルダンやオサイチジョージは失速する逃げ勢に進路を塞がれて抜け出すのに手間取ってしまう。バンブーメモリーはまだ後ろ。

 残り100メートル、抜け出したアルダンが一気に追い詰める。しかしあと100、いや50メートル足りなかった……。ダービーではクビ差、今回はアタマ差及ばず、2着に終わる。
 
 ヤエノムテキに乗っていたのは、かつてアルダンの手綱を取った岡部騎手。4コーナーでの好判断で、ヤエノムテキに皐月賞以来2年半ぶりのGIタイトルをもたらした。

1990年 天皇賞(秋)(GⅠ) | ヤエノムテキ | JRA公式

 なお、ヤエノムテキが勝った皐月賞は、中山競馬場の改修に伴い東京競馬場で実施されていた。前年の天皇賞(秋)でも4着に入っていたことを考えると、ヤエノムテキは東京芝2000メートルのコースがやたらと得意だったのかもしれない。

 さて、アルダンはこの後、有馬記念に向かった。しかし激闘の疲れが残っていたのか、オグリキャップの奇跡の復活劇の裏で10着に沈んでしまう。なお、このときの2着はメジロライアン。じつは、アルダンとライアンはここで出会っていたのだった。

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6歳(シニア級:1991年)

 有馬記念後も引き続き厩舎に留まり日経新春杯へ参戦するが、4着に終わる。その後、屈腱炎が再発していたことが明らかになり、3回目の長期離脱へ。11月の富士ステークス(当時はオープン特別で芝1800メートル戦)で復帰するも6着に沈み、続くジャパンカップでも見せ場なく14着。なお、ジャパンカップに勝利したのは外国馬のゴールデンフェザント。日本馬最先着は、アルダンの僚友であるメジロマックイーンの4着だった。

 このレースを終えて、アルダンの引退が決まる。才能を見せ続けていたアルダンだったが、ついにGIタイトルを手にすることはなかった。現役の4年間で14戦4勝、獲得賞金は約2億4千万円だった。

 足元が弱くデビューが遅れたうえに、デビュー後も骨折や屈腱炎で長期離脱をくり返すことになり、その短い活躍期間でGIの勲章を掴み取れなかったアルダン。しかしメイステークスから翌年の天皇賞(秋)までに見せた輝きは、同世代のライバルたちにも劣らない。競走馬の中にはサイレンススズカやナリタブライアン、グラスワンダーなど、「ケガがなければ……」と悔やまれるものが数多くいるが、アルダンは間違いなくその1頭だった。

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メジロアルダンの引退後

 1992年に種牡馬生活がスタート。勝ち上がり率などは悪くなかったが、重賞制覇までは届かなかった。代表産駒は、供用初年度産駒のメジロスティード。じつはこの馬には重賞戦線で何度か戦い、そのたびに煮え湯を飲まされた同い年のライバルがいた。その名はサクラエキスパートといい、なんとサクラチヨノオーの息子である。親子2代で……無念。

 アルダンは、2001年からは中国の北京龍頭牧場へ移籍。しかし、その1年後の2002年、種付け中に心臓麻痺で急死してしまう。享年17歳だった。

 自身の血統(父系)は日本では途絶えてしまっているが、中国本土の競馬においては2002年に生まれた牡馬ウーディ(日本語で“無敵”の意)が大活躍。現在も種牡馬としても元気でやっているようで、その血を伝えている。いつか日本にアルダンの子孫たちが訪れる日が来るかもしれない。

著者近況:ギャルソン屋城

 リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。誕生日:9月5日、身長:168センチ、体重:微減。
 
 競馬を見始めて30年、馬券歴は20年以上。同い年には池添謙一騎手やリアルシャダイ(ライスシャワーの父)、アスワン(メジロアルダンの父)などがいる。

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