ゲームグラフィックスは過渡期を迎えている

ゲームの4K化やHDR対応にはまだまだ苦労あり? 最新ハイエンドゲームグラフィックスの先駆者たちによるパネルディスカッション【CEDEC 2017】_08

 2016年にプレイステーション4 Proが発売されたのを大きなきっかけとして、ゲームの世界でも“4K”や“HDR”といったキーワードをよく耳にするようになった。標準のプレイステーション4もHDRに対応したほか、Xbox One SもHDRに対応、そしてこれから発売となるXbox One Xも4KとHDRに対応する。テレビは新製品のほとんどが4K/HDR対応で、ゲーミングモニターにもその波が押し寄せてきている。ハード側の準備は着々と進んでいる感はあるが、ソフトの作り手側はどうなのか?

 今回のパネルディスカッションでは、4KやHDRに対応したゲームグラフィックスを制作するうえで、エンジニア、プログラマー、アーティスト、それぞれの観点からどういった問題や課題があるのか、この分野の先駆者たちが知見を公開。内容は技術的なものが多かったが、本稿では用語の解説とパネリストのコメントのピックアップにとどめ、「現時点でこんな苦労があるんだ……」ということがゲームユーザーに伝わるようなリポートにしたいと思う。

 パネルディスカッションの参加者は、週刊ファミ通誌上でもコラム“ゲームのムズカシイ話”を連載中のテクニカルジャーナリスト・西川善司氏、シリコンスタジオでミドルウェア開発を手掛ける川瀬正樹氏、バンダイナムコスタジオで新技術や発展的なテクニックを検証するR&D部門のリーダー・髙橋誠史氏、スクウェア・エニックスで『ファイナルファンタジーXV』のメインプログラマーや、ゲームエンジン“Luminous Engine”のリードプログラマーを務めた荒牧岳志氏の4名。西川氏がモデレーターとなり、三者からゲームグラフィックス開発の最新動向を聞き出すという形式で進められた。

 トークのテーマは、HDR、広色域、4Kの3つ。まずは、ゲームグラフィックスをHDRに対応させるにあたって、どんな課題があるのか語られた。

ゲームの4K化やHDR対応にはまだまだ苦労あり? 最新ハイエンドゲームグラフィックスの先駆者たちによるパネルディスカッション【CEDEC 2017】_01
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ゲームの4K化やHDR対応にはまだまだ苦労あり? 最新ハイエンドゲームグラフィックスの先駆者たちによるパネルディスカッション【CEDEC 2017】_04
▲テクニカルジャーナリストの西川善司氏。
▲シリコンスタジオ所属、ミドルウェア開発部リーダーの川瀬正樹氏。
▲バンダイナムコスタジオ所属、技術企画部クリエイション課係長の髙橋誠史氏。
▲スクウェア・エニックス所属、第2ビジネスディビジョン、リードプログラマーの荒牧岳志氏。

ゲームではHDR10が主流に? 輝度のキャリブレーション(調整)で大きな課題

そもそもHDRってなんだ?
 HDRとは“ハイダイナミックレンジ”の略語で、明るさの情報(輝度)の幅を拡大する技術のこと。従来のテレビやゲーム機の映像信号は、規格の関係で最大100nit(nitは明るさの単位)という輝度の範囲に抑えて記録したり、伝送していた。参考までに、太陽を直視した明るさは16億〜18億nit、直射日光下の地表は10万nit以上(季節や時間により大きく変動)、太陽光が射し込んだ室内では1000nit以上と言われ、自然界には幅広い明暗が存在している。これを映像では100nitを上限に明暗を圧縮しているわけなので、表現の幅としては圧倒的に足りていない。とはいえ、直視できないほどの眩しい光がテレビから出ても困ってしまうので、自然界ほどの輝度幅は必要ないが、それでも最大100nitではさすがに幅が狭く、太陽のような非常に明るいものは白く飛んでしまったり、暗い映像では光があまり当たっていない部分のディテールがすべて黒くつぶれてしまったりする。

 最近の液晶テレビはだいぶ進歩して、普及機の輝度は400nit前後、ハイエンド機では1000nit〜2000nit程度の輝度性能を持っている。こうしたテレビでは、100nitの映像信号をそのテレビの最大輝度に合わせて“いい感じ”に変換して表示している(こういう輝度変換をトーンマッピングと呼ぶ)。

 さて、規格として定められている100nitだが、この値はもともとブラウン管時代の決め事で、これを大きく拡張しようというのがHDRなのである(このHDRに対して、従来の規格をスタンダードダイナミックレンジ、“SDR”と呼んだりする)。次世代Blu-ray DiscのUltra HD Blu-rayで採用された規格“HDR10”は、ピーク輝度が10000nit。人間は0.001〜20000nit以上の光を認識できると言われているので、かなり見た目に近い映像表現ができることになる。従来の100nitの映像信号をデジタル処理して“高輝度風”に変換するよりも、映像信号そのものの輝度表現の幅が広いほうが、当然リアルというわけだ。

 ここで問題になるのが、テレビの性能差だ。前述の通り、一般に広く普及している液晶テレビの輝度は400nit程度。一方、HDR対応をうたうハイエンドモデルは1000nit〜2000nitだ(このクラスでも性能はまちまち)。テレビによって輝度スペックが異なるのに、ゲーム機が出力する映像信号の輝度をどのようにして決めるのか疑問になる。普及機の400nitあたりで最適な映像であっても、2000nitのテレビに映すと映像全体が暗くなってしまったりするのだ。こうしたHDR出力と非HDR出力の切り分けを始め、いくつかの質問が西川氏から投げかけられた。

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川瀬氏のコメントピックアップ
・HDRでテレビの輝度表現が上がったとはいえ、現時点のハイエンドなテレビでもせいぜい1000nitで、2000nitを出せるテレビは相当なものという状況。HDR10の規格では最大10000nitなので、現状のテレビに出力するにはなんらかのトーンマップは必要になる。そのマッピングの制限が、輝度の拡大によって以前よりも緩くなった、というイメージ

・HDR対応といっても、SDRのテレビがある以上、SDRを切り捨てられないので、HDRとSDRの(見た目の)互換を保ったトーンマップを用意することが重要。考えかたとしては、HDRは、基本的な見栄えはSDRと変わらないようにしつつ、最大輝度を上げる感じ

・トーンマップは、SDR用、HDR用のふたつだけでなく、もっと何段階も用意すべき。そのうえでさらにユーザーが調整できるようになっていないと、制作者側の意図した見た目にならない可能性がある

・従来は爆発や光などのエフェクトは“加算合成”という手法で作られることが多かったが、HDRで輝度の幅が広がったことにより光(白)が飽和せず、際限なく明るくなってしまうことがある。こうした問題はエンジニアというよりも、アーティスト側が工夫する必要が出てきている。このあたりの解決法はまさにこれから知見を広げていくところ

髙橋氏のコメントピックアップ
・テレビ本体の情報画面やHDMI経由で取得できるHDR表示特性(最大輝度や最小輝度などの数値)は、正直なところあてにならないので、実際にそのテレビがどのくらいの輝度を表示できるかは正確に調べる術がない。そのテレビの最適な輝度に調整するには、明るさをテストできる画面を用意して、ユーザーにキャリブレーションしてもらうのがもっとも確実

荒牧氏のコメントピックアップ
・『ファイナルファンタジーXV』のHDRは、10bitのHDR10で出力している

・SDRとHDRでぜんぜん違う見た目にしようとは思わなかった。SDRの最大輝度をだいたい400nit程度にし、それ以上の明るい色を表現する際にHDRを使っている

・『ファイナルファンタジーXV』でもHDRのための輝度テスト画面を用意したい。まだ実装はされていないが、必要だと思っている


 HDRはHDR10という規格が一応は定まっているものの、現時点ではまだ問題が多いことがわかった。三者で共通していたのは、HDRをよりよい状態で体験してもらうには、ユーザーによるキャリブレーションが不可欠ということ。テレビの輝度スペックもメーカーや機種によってまちまちで、さらにHDRとSDRが混在している現状では、HDRの恩恵のみをストレートに受けるのは難しいようだ。しかし、今後物理ベースレンダリング(実際の光学現象を再現したレンダリング)を取り入れた作品が増えていく中で、“光や色の再現”という観点においてはHDRは非常に有効な手段であることは間違いないだろう。

環境が作れるかが肝 広色域への対応

広色域ってなんだ?
 HDRとも関係の深い広色域(こうしきいき)。広色域とはその字面通り、広い色域のことで、平たく言えば、コンピューターで再現できる色の数が多いということだ。現行のテレビ放送はBT.709(sRGB)という色域規格で、自然界に存在する色の約74.4%を再現するのに対し、広色域と言われているBT.2020では、じつに99.9%をカバーする。このBT.2020は先ほどのUltra HD Blu-rayに採用されるほか、現在試験放送中のBSの4K/8K放送でも採用されている。HDRが輝度の拡張であるなら、こちらは色の拡張ということになる。これにソフト制作側が対応しようとしたとき、何から始めるべきか意見が交わされた。

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荒牧氏のコメントピックアップ
・『ファイナルファンタジーXV』制作当初はHDRも広色域もなかったため、制作自体はSDRを基準に、色域もBT.709を採用している

・レンダリングのパイプラインとしては、BT.709でレンダリングを行い、ポストフィルターの段階でBT.2020の色域で処理を行い、その後HDR化している

・最新のLuminous Engineでは、テクスチャーに色域のメタデータを持たせており、エンジン上でBT.709とBT.2020のどちらにもコンバートできるフローが用意されている

・アーティストの制作自体はAdobe RGB(sRGBより色域が広い)で作業を行い、レンダリングエンジンに持ってくる段階で色空間を変換する

川瀬氏のコメントピックアップ
・レンダリングの段階でBT.2020になっているのは理想的だが、まだ敷居が高く、大手メーカーでないと対応は簡単ではない。そのおもな理由は制作環境で、現状は広色域を表示できるディスプレイの選択肢があまりない。さらに、作業を行うアーティスト全員がBT.2020の環境に移行する必要がある

髙橋氏のコメントピックアップ
・広色域を活用するうえで、テクスチャーやイメージベースドライティング(画像を光源として利用する手法)の素材の段階からカメラRAWを使うのが有効。カメラRAWは、ふつうの写真(sRGB)と比べて色域が広い。ただし、カメラRAWはメーカーによって色空間にクセがあるので、よく調べたほうがいい


 広色域については、何より環境構築の問題が大きいようだ。アーティストの制作の段階からBT.2020で作業を行うには、相応の投資が必要。外注の協力も得ようとすると、さらにハードルが上がる。

ネイティブ3Kのアップスケールも選択肢としてはアリ?

4Kってなんだ?
 今日の3つのテーマのうち、もっともなじみがあるのが4Kだろう。4Kとは、一般的に3840×2160ピクセルの解像度のことを指し、フルHD(1920×1080ピクセル)と比べると4倍の面積がある。画素数が4倍ということは、同一のゲームをフルHDから4Kにする場合、単純に4倍の性能が必要になる。しかしながら、プレイステーション4 Proは標準のプレイステーション4の4倍のグラフィックス性能は持ち合わせていないため、旧ハードの移植作やシンプルなタイトル以外はネイティブの4K描画にはなっていない。そこで使われているのがチェッカーボードレンダリングと呼ばれる特殊なレンダリング法で、アップスケールなどとは根本的に異なる方法でネイティブ4Kに匹敵する映像を実現している。チェッカーボードレンダリングのほかに、もっとシンプルなジオメトリレンダリングというのもあるが、品質的にはチェッカーボードレンダリングのほうが上だ。ただし、チェッカーボードレンダリングのほうは実装に少し手間がかかる。4Kの普及はそれほど遠い未来ではないように思うが、開発者はどのように考えているのだろうか。

ゲームの4K化やHDR対応にはまだまだ苦労あり? 最新ハイエンドゲームグラフィックスの先駆者たちによるパネルディスカッション【CEDEC 2017】_07

荒牧氏のコメントピックアップ
・『ファイナルファンタジーXV』の4K対応については、プレイステーション4 Proはチェッカーボードレンダリング、PC版はネイティブ4Kでレンダリングしている。PC版を4Kで動作させるには、GeForce GTX 1080Tiが必要なくらい、ハイスペックな仕様になっている。Xbox One X版は方式を検討中

・プレイステーション4 Proでの4K化にあたり、ネイティブ3Kのアップスケールとチェッカーボードレンダリングを比較した。正直、パッ見で違いはわからない。テクスチャーのディテールをよく見ると、違いがわかる程度。3Kのネイティブ描画と4Kのチェッカーボードの処理負荷は同じくらい。簡単に実装したいなら単純な解像度アップ、時間に余裕があるならチェッカーボードなどにチャレンジするのがいいと思う

・チェッカーボードレンダリングは、『ファイナルファンタジーXV』の設計的に組み込みやすかったので、初期の実装は1週間程度だった。しかし、ほかのところ(レンダリングのパイプラインなど)で問題がたくさん起こった。けっきょく、いちばんQA(品質保証)のコストがかかってしまった

髙橋氏のコメントピックアップ
・現世代(4K)はまだまだ続くので、チェッカーボードレンダリングは研究の価値がある。

川瀬氏のコメントピックアップ
・アップスケーリングの技術が優秀になってくれば、(チェッカーボードレンダリングなどに頼らなくても)けっこういけるかもしれない


 チェッカーボードレンダリングは、ネイティブ4Kほどの処理負荷がなく、それでいて品質はネイティブ4Kに肉薄する。ただし、特有の問題が起こることもわかっており、これによってかかるコストは悩みどころのようだ。ただ、この特殊な4K化の問題はマシンパワーによるところが多く、つぎの世代になればネイティブ4Kの描画が当たり前となり、枯れてしまう技術かもしれない。しかし、ゲームが8Kに対応する可能性もゼロではなく、そうなるとまた同じような問題が起こるのは想像に難しくない。

 現世代は、HDRとSDR、BT.2020とBT.709、そして4Kと2K(フルHD)と、多くの技術が過渡期にある。まだまだプレイヤーの体験としてはSDR、BT.709、2Kが主流だろうが、新しい技術に置き換わるのは時間の問題だろう。今回の記事でHDRや広色域、4Kに興味が出てきたゲームファンは、ぜひ4Kテレビとプレイステーション4 Pro、そして来たるXbox One Xを導入して、最新のゲーム体験をしてみてはいかがだろうか?