昨年10月末でアクセスゲームズからの退社を発表したゲームデザイナー、SWERY(スエリー)氏。オリジナル作品として手掛けた『レッドシーズプロファイル』、『D4: Dark Dreams Don’t Die』(以下、『D4』)などで知られる同氏が、大阪に新スタジオとなる“White Owls”を設立したことを発表した(設立は2016年11月1日付け)。
 『レッドシーズプロファイル』で、足りない部分はあれど、一度その世界にハマったら抜け出せない中毒性により、ギネス世界記録のゲーム版に“最も評価が割れたサバイバルホラーゲーム”(Most Critically Polarizing Survival Horror Game)として掲載されるなど、海外でカルト的な人気を誇る同氏は、新スタジオでどう活動していくのか? White Owlsのオフィスで話を聞いた。


『レッドシーズプロファイル』、『D4』などでカルト的な人気を誇るSWERY氏が新スタジオWhite Owlsを設立。インタビューでその経緯を聞いた_06

SWERY IS BACK!!

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▲公式プロフィール写真にも白いフクロウが。

――独立という形になりますが、このWhite Owlsという会社で引き続きゲーム開発を手掛けられていくということでよろしいですか?
SWERY そうですね。今回こうしてわざわざ来ていただいて「会社を作りました」とお伝えする第1のポイントは、「SWERY is Back」。要は病気も治って(2015年末より療養に入っていた。詳細は後述)、ゲーム作りに本腰を入れて復帰をしますよ、ということで、White Owlsもゲームを作っていくための会社だと考えています。

――新スタジオの、White Owlsという名前の由来を教えてください。
SWERY 実はこれまで作ってきたゲームに、こっそりフクロウを仕込んできているんですよ。全部じゃないけど、一種のイースターエッグ的な感じですね。それは小さい時にカナダに行った経験があって、その時に「夜の森ってみんな怖がるけども、フクロウは知恵の象徴で、カナダでは賢い生き物と言われているんだよ」というような話を聞いたのが何となく自分の中に根付いていて、ちょっとずつ仕込んできたんです。『月華の剣士』とかでも、2(『幕末浪漫第二幕 月華の剣士 ~月に咲く華、散りゆく花~』)の刹那がフクロウを連れていたり。もちろん『D4』にも出てくるし。

SWERY それで新しい会社を作ろうという時に、「自分の一番底にあるものはなんやろなぁ」と書き出していった中で、いろんなキーワードがありました。コーヒーとか、レッドツリーとか。その中で一番躍動的だったし、フクロウの知恵の象徴という部分も、ゲームづくりのインテリジェンスな部分を象徴しているだろうと。それと実は猛禽類であるという部分も、アクションやアドベンチャーだったりといった、これまで手掛けてきたゲームの激しさを象徴していて、こんなピッタリの生き物はないと。
 そこにもう一声、神秘性をなんとか入れたいというところで、White Owlsのホワイトというのを足したんですが、シロフクロウではないんですよ。シロフクロウは英語ではSnowy Owlなので。そうではなくて、アルビノの神秘性としての白を入れてWhite Owlsというのが社名の由来です。

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▲イメージキャラクターのPrince Owlery。

――そもそもスタジオを再び立ち上げようとなったきっかけはなんだったんでしょう?
SWERY 休養した後に、体が回復してきて、海外に講演行ったり、自分のインプットを含め、結構いろんな活動ができたんですね。そこからまぁ「独立した方がいいかなぁ」とじわじわ思ってはいたんですが、実際に独立する決定打となったきっかけは、ティム・シェーファー(サンフランシスコのゲームスタジオDouble Fine代表)と会って話した時に、「日本のゲーム業界は実はこういう問題を抱えていると思う」と軽く相談してみたんです。そうしたら「そんな業界全体の問題なんか気にするな。お前が本当にそれがまずいと思っているのなら、独立してお前の会社を作って、お前だけが得したらいいんだよ」って言われたんですよ。「わからない奴がいるなら放っておいたらいいし、業界なんか変えなくていいよ」って言われて、それで肩の荷がスッと下りて、「独立か……」というのを考えるようになっていったんですよね。

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▲大阪の某所、雑居ビルの4階に新オフィスがあった。

SWERY そうして日本全国いろんなところをまわって、独立して自分のスタジオを作ってゲームを作った人の話なんかも聞きました。それでアドバイスを受けていく中で、ゲームだけじゃなくて会社のあり方も含めて、自分らしいものをやってみようと考えるに至って、今に至るという感じですね。

――もう一回シンプルに自分のクリエイティブと向き合おうと。
SWERY そうですね、それもありますし、日本の会社さんって、アクセスゲームズ時代には自分もそれが正しいと思ってたし、そうしてきたけども、「これはやってはいけませんよ」というきっちりしたルールの中でのサラリーマン生活が中心になると思うんですけど、北米・欧州の人たちと会社の形について話していると、「プロセスも大事だけど、それよりも結果じゃないの」と言うんですよ。
 結果主義だからこそ、そこに至るためにここの部分は今日は休んだほうがいいんじゃないのとか、今日は家に帰ってこういうことを勉強して明日また来たらいいんだよとか、考え方が根本的に違った。でも僕は日本では何社か経てアクセスゲームズだったけども、どこでも根底に流れるルールは一緒だったんですよね。これはやっちゃいけないこと、これはこうあるべきという。そこから「でもそれって誰が決めたんやろう?」という疑問にぶちあたって、会社の形も、もうちょっと“らしさ”って出せるんじゃないかと考え始めた、独立という点ではそこも大きなポイントかもしれないです。

皆さんが想像するようなあたりを作るのは間違いない

――ゲームと言っても色々あって、SWERYさんの場合って、特に名前を前面に出してやられているものだと、ストーリーが強いゲームが多いと思うんです。ただ独立すると、会社を回さなければいけないといった理由もあって、テイストが変わる人もいるじゃないですか。その辺はどうですか?
SWERY 独立した大きな目的の一つとして、この大阪で作っているものを世界に発信したいというものがあります。なので、独立して僕がそれまでとまったく違うことをあえてやるというのは違うと思うんですよ、すでに期待して待ってくださっている方もいるでしょうし。僕がどんなことをするか、皆さんが想像するようなあたりがありますよね? そのラインであることは間違いないです。ただそこ(想像)は超えようという考えでやっていきたいと思います。

――オリジナルの近作としては3Dグラフィックのアドベンチャーというイメージが強い人も多いと思いますが、先ほど出てたように、実は格闘ゲームやアクションなども手掛けられていますよね。
SWERY そうですね、これから作ろうとしているものの内容についてあまりはっきり言えないですけど、ストーリーがあるものというのに違いはないと思います。ただ、デモが長いとかいう意味ではなくて、まずストーリーがあるもの。最近で言うと僕『人喰いの大鷲トリコ』クリアーしましたけど、あれもストーリーはあるけど、デモがずっと長いわけではないじゃないですか。そういう形式にはなります。ゲームジャンルとして、それが指先のテクニックを競うものなのか、あるいは“ウォーキングシミュレーター”(※)みたいに“場所を探す”性質のものなのかはまだちょっとお伝えできないですけれども、ストーリーを追いかけて行って、そのストーリーに従ってゲーム自体が動いていく……というものを作ろうと思っています。

※ウォーキングシミュレーター:アドベンチャーゲームのサブジャンルのひとつ。探索・散策に特化し、特定の空間を歩き回る体験に意味合いを持たせていることが多いのだが、逆にアクション面だけで語ろうとすると“フィールドを歩く(=ウォーキング)ことのシミュレーター”になってしまうことから、皮肉的・自嘲的にこう呼ばれる。

――プラットフォーム感などはいかがでしょうか? コンソール(家庭用ゲーム機)でやるんだとか、あるいは『D4』のようにPCということもあり得ますよね。スマートフォンというのも選択肢で、その中でもスマートフォンでもやっぱり基本無料でやるとか、あるいは売り切りだとか色々あると思いますが。
SWERY ビジョンが今ふたつあって、その両方がうまく回れば色んなプラットフォームで提供できると思っています。ひとつのビジョンは、やっぱりSteamでPCベースで作るのをメインで考えていく、いわゆるインディースタイルですよね。そのゲームっていうのは、やっぱりいろんなマシンで動かないといけないから、それなりのスペックをターゲットに作るじゃないですか。それでちゃんとしたゲームをひとつ作ろうと思っているんですよ。であればそれはコンソールでも移植可能ですし、上手くいけばスマホでも動くようになる時代が来るかもしれないですよね。
 それとは別に、同じPCでも、これは例え話で、実際作れるかどうかは別ですけど、『フォールアウト』シリーズみたいなカリカリチューンのものもビジョンとして持っています。その二方向って、どちらも新しいと思うんですよ。インディーでありながらコンソール移植もスマホ移植もやるというのは技術がないとできないし、カリカリチューンの方も新しい技術がないとできないじゃないですか。なので最先端のことを触れながら作っていくという二本の柱を考えています。

――まずPCで、というのは海外へのデジタル配信のやりやすさも含めての部分ですか? インディースタイルだとパッケージ流通は後回しということもありえますよね。
SWERY デジタル配信でワールドワイドに出すならPCは必須だと思ってますし、まずPCでやるというのは、僕たち小さいデベロッパーだと、最初からマルチプラットフォームで開発というのはやっぱり辛い。その時にまずPCで作っておけば、例えば自社パブリッシングだったら売れそうな所に最初に移植すればいいし、パブリッシャーさんがつくんだったらパブリッシャーさんが売りたいプラットフォーム最優先で移植すればいい。そういう意味で、PCがコアにあるという方が戦略としては正しいかなと思っています。
 ただ『レッドシーズプロファイル』とか『スパイフィクション』でも、実はPCで開発しているんですよ。当時まだゲームエンジンという概念があまりまだなかった時代から自社でツールを作って、配置とか企画職がデザインできるような状態にして、PCで作ってまずはPCで動かしていたというのが最初なんです。そこからコンシューマー移植に結構苦労はしたんですけど、それも今だったら賢いエンジンとかあるから、より良くなるんじゃないですかね。

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▲2003年にサミー(当時)より発売された『スパイフィクション』は、アクセスゲームズの第1弾タイトルだった。

少数精鋭で“らしさ”を追求する

――ゲームを作る場合もいろいろな形があると思います。例えば個人事務所的に最低限のスタッフでディレクションだけやって、実際の開発は外部と組むとか、スタッフをちゃんと抱えて内製していくとか。
SWERY White Owlsの場合は、僕の目の届く範囲のコアスタッフを雇おうと思っています。はっきり言っていいかわからないですけど、Max20人ぐらいの開発会社を作ろうと思っていまして、基本的には全職種揃えます。ただサウンドだけは場所とか時間とかいろんなものがタイミング的に開発の進行とずれてくるところもあるので、ここは今まで一緒にやってきた人たち、例えば『D4』でサウンドディレクターをやっていただいた人とか、その時に演奏していただいた人とかと組みながら外に出していく。

SWERY それで20人でまかないきれないリソースに関しては、これまでゲーム業界でもう20年やってますので、日本だけじゃなくて海外にもアウトソーシングを受けてくれる先があります。なので中規模ぐらいのゲームだったら自社で最後まで全部作れるぐらいの会社で、もっと大規模なものは外と協力しながら作っていくという形にしたいと思っています。
 その理由は、目の届く範囲で仕事をした方が質の高い物ができると思うし、前の会社(アクセスゲームズ)の時はどんどん会社を大きくしていって、それによって大きい仕事をとってくるというやり方をしてみたんですけど、最終的に僕が面接をしてないスタッフとか、1年に1回しか喋らないスタッフとか増えてくる。そうするとぶっちゃけ、カルトなゲームは作れないんですよね。だから目の届く範囲、そしてここで開発するためにこそ少数精鋭で、と考えています。

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▲いわゆる“社長室”的な部屋はなく、フラットなオフィス空間の中にSWERY氏の机と、プロット執筆時に必要だというベッドが置かれていた。

――先程エンジンの話が出ましたが、Unityなり、あるいは『D4』みたいにUnrealなりの商用ゲームエンジンを使っていくのか、あるいは内製で極めて行くみたいなこともあると思いますが、その辺りは。
SWERY 基本的には、あり物(既存の商用ゲームエンジン)で最初行こうと思っています。今はUnityもUnrealもどんどん良くなっているし、他の選択肢も出てきているじゃないですか。その中で自社で挑戦するよりは、その分をゲーム作りに力を入れたいと思います。

――ちなみにアクセスゲームズのファウンダーでもあったんですよね。
SWERY そうですね。最初の発起人として株も出してますし、立ち上げのメンバーでもあります。その時には「ゲームを沢山作れる会社を作ろう」、「そのためにはもっと人もいるだろう」とか、今と比べると若かったし、目標がもうちょっと違っていたんですよ。今は、もちろん数も作りたいですけども、一個一個の質がどうなのという所まで自分の考えが変わってきたので、どちらかと言えば「質の高いものを作れるだけ作りたい」と考えた時に、質の高いものを作るためにはクリエイティブな環境が必要だと思うんです。そういう意味で今回は、北米のスタジオや欧州のスタジオを見た時に「彼らはなんでこれが両立できているんだろう」となる所も含めて、チャレンジしてみたいところですね。

大阪から世界中の“あなた”へ

――海外という点で行くと、『スパイフィクション』の頃から追っているファンもいると思うんですけども、やっぱり『レッドシーズプロファイル』とか『D4』のふたつが大きいと思います。キャリアを振り返っていかがですか。
SWERY 『レッドシーズプロファイル』を作った時は、「ほんまに人がやらないことをやらないと、下請けの仕事だけで全部終わってしまうな」と言う危機感があったんです。その前の『スパイフィクション』も作った後に反響はいろいろあったけども、それは「このスタジオ、品質のあるゲームを作れるぞ」というのが一番大きかったんですね。だからありがたいことに「このスタジオでこういう下請けをやりませんか」、あるいは「こういう案件のこの部分をやりませんか」という反響はすごくあったんだけども、でも「オリジナルをやるためにはもっとトンがらなあかん」というのがあったんですね。
 『レッドシーズプロファイル』ではそれで無茶したというか、自分の一番やりたかったことをやってみたら、偶然なのかもしれないけど、やっぱり世界は広いから、どこか気に留めてくれた人がいた。それは振り返ってみても、僕は間違ってなかったと思うんですよ、めちゃくちゃ苦労したけど。だから今回、本当に大変だったんで同じ苦労はしたくないけど(笑)、ああいう魂とかパッションというのは同じところを見て進みたいと思っています。

――日本にいながら、海外のファンがめちゃくちゃ多いじゃないですか。カルト作家的なポジションを確立しているわけですけども、それは活かしていこうと。
SWERY そうですね、僕はそれはありがたいと思っています。やっぱりこの業界って、椅子取りゲームじゃないですけど、この席にはこの人が座っていて、こっちの席には他の人が座っているという風に、各スターがいると思うんです。でも僕が今ちょうど座らせて頂いてる椅子って“座りにくい椅子”だから、そこをもっと温め続けていけるような作家性を出していって、例えばGDC(※)で20年後とかにお爺ちゃんになってから功労賞をもらうとか、そういうのがかっこいいなと思ったりしますね。

※GDC:サンフランシスコで毎年春先に行われるゲーム開発者の国際カンファレンス、ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンスのこと。その中でもここでは開発者視点からの評価で開発者やゲームを表彰するGDCアワードのことを指している。

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▲2015年3月にボストンで行われたPAX Eastにて。常にファンが訪れては写真やサインをねだっているような感じだった。

――Steamの市場が盛り上がりすぎて、これまでの全リリースの38%が2016年に出ているといった話(※)がこの前出ましたけども、そこをどう生き抜くかといったビジョンはいかがですか。
SWERY 年間に出る4000本ぐらいのなかの1本ということだけで考えると確かになかなか大変で埋もれやすいと思いますけど、そうじゃなくて僕の場合はコンシューマーへの移植も含めて視野に入れているので、そこも込みでキャンペーンを打ってなんとか認知頂いて、というのがビジネスプランのコアにはなっています。
 一方で数が増えていること自体についてどう考えているかと言えば、僕もかなり遊ぶんですが、ユーザーとしてはちょっと困っていますね。どう選んでいいかわからないから、基本口コミのゲームを遊ぶということが増えてきているのは確か。これまでは情報を追ったりとか、自分で探したりもしたけど、そうじゃなくて知っている開発者の人が「これ見た」とか「こんなんあったよ」と話していたのを買うという比率が僕自身上がってきているので、そういうコミュニティにまったく乗らないものになってしまうと厳しいかなと感じています。

※これまでの全リリースの38%が2016年に出ているといった話:Valve運営のPCゲーム配信プラットフォーム“Steam”の第三者データベースである、SteamSpyが昨年11月末に発表したデータのことを指す。特にSteamの配信を大きな柱とする海外インディーゲーム界隈などで大きな話題となった。

――「他にはない濃さ」というのはインディー的なあり方のひとつですけど、SWERYさんの場合はそれをパブリッシャーと組んでやってきたというのも面白い部分ですね。
SWERY それで言うと、パブリッシャーのマーケティングの方たちには毎回本当に迷惑をかけていると思うんですよ(苦笑)。いつも何が苦労するかと言うと、結構プロデューサーさんはすぐに口説かれてくれるんです。でもそこからプロデューサーさんが色んな人を巻き込んでいく過程で、必要以上に苦労しているんじゃないかな……。スッと通ったことはないです。

――ところでパブリッシングについては、セルフパブリッシングかパブリッシャーと組むか(※)はどちらかに限定するわけではないということでいいですか。
SWERY そうですね。両方やるつもりです。でも小さい会社でいきなりセルフでということだと、小さいものしか作れないし、時間もかかってしまうと思うので、基本はパブリッシャーさんと組んで、ユーザーの皆さんにも、業界の皆さんに対しても、まずWhite Owlsがゲームを作れるということを証明しないといけないですよね。なので1本目はそういう意味では、できるだけちゃんとしたゲームを、できるだけ早いタイミングでお届けしたいなと思ってます。

※セルフパブリッシングかパブリッシャーと組むか:基本的には、自社で権利を維持したまま配信/販売まで自社で行うのがセルフパブリッシングで、パブリッシャーから開発資金を得て配信/販売はパブリッシャーに任せるのが後者のケース。実際は“セルフパブリッシングだが外部から資金提供も受ける”とか、“パブリッシング権とIPの権利を残したまま、配給(ディストリビューション)だけパブリッシャーと契約する”とか、中間のやり方もある。

住職・小説・VR

――1年間休養されていた辺りの話も聞いても大丈夫ですか? それはもう回復されたということで。
SWERY そうですね、実際2015年の『D4』のPC版が出たぐらいから体調を崩していて、踏ん張ったんですけども11月に完全休養に入ることになりまして、そこからまる1年休んで病気はもう治りました。その時は糖質制限とか食べられないものがあったんですけど、今はもう一応何を食べてもオッケー。ただ食べ過ぎると僕はブレーキが効かなくて、毎食ラーメン毎食ビールみたいなことになってしまうので、自分で制限はしていますけど、体はもう全然大丈夫ですね。
 これで何が良かったかと言うと、半年ぐらいで体は治り始めるじゃないですか。そうすると今度は気力も充実してきて、でもまだ休んでいられる状態というのが後半の半年分ぐらいあったので、15年近くアクセスゲームズの経営を回してきて一切自分の時間って取れなかったんですけど、それを半年とはいえ、吸収ということを久しぶりにできたんですよ。今まで手をつけてなかったVRをやってみたりとか、学校の方に行ってみたりとか、行ったことのない国で講演するといったことができたので、そういう意味ですごく充実した一年だったと思います。

――ちなみに、小説書いてみたりもされてましたね。
SWERY 本を書いてみるというのは、お休みを頂いている間にできたことのひとつですね。思い切ってやってみたら、一応ドラフトは上がったんです。いま出版社の方とどうやって出版しようかという話をさせてもらっている所で、これはなんとかして形にしていこうと思っています。
 ゲームってすごく人数もお金もかかって、それこそ自分のコントロールできない規模の人たちも使って、ようやく仕上がるものじゃないですか。例えばゲームなら、ここで誰かが「ニヤリと笑った」というシーンを入れたら、工数がどれだけ増えるか。カメラを変えて、フェイシャル(表情アニメーション)をつけて、その間にライティング調整して。
 でも文字でそう書くだけなら一瞬だし、僕の脳みそと指さえあれば仕上がる。面白いかどうかは別として、創作活動としてゲームとは違う自由と刺激を感じたので、なので規模はどうあれ、ちょっと続けてみたいなという感じですね。

――Twitterではお坊さんの資格を取られたことを発表されていますが、White Owlsとその辺りとの関係はどうなるのでしょう。
SWERY 元々の資格は高校時代に取っていたんですけど、今回住職になれる資格を取ったんです。もともと実家がお寺なので、いずれは継がないといけないと考えていましたし、周りの人からもそういう風に言われてきていて。
 それで、僕はお坊さんというのは絶対的に“本業”じゃないとあかんと思っているんですよ。アルバイト感覚でお葬式行ったりとかというのは僕は違うかなと考えているので、本業としてやっていけるだけの色々なものが揃うのにやっぱり40までかかっちゃったんですよね。それで「今のタイミングだったら本業としてお坊さんをやると宣言しながら、“ゲームも作れるお坊さん”と言って両立できるんじゃないかな」というのが大きかったので、せっかくだからお休みをいただいている一年間の間にそこも取ることにしたんです。……今から考えると、独立準備をしていたんですかね? その時はそんなつもりはなかったんですけど(笑)。

――Twitterでは他にも「これは我々のゲームです」と言ってVRプログラムの映像を上げられていましたけど、あれが新作かと思った人もいると思うので、ちょっと説明を頂いてもいいですか。
SWERY そうですね。あれは大阪電気通信大学の寺山直哉教授、廣瀬俊彦教授の研究室の大学院生たちと進めているVRリサーチプロジェクトというものです。僕と大阪の映像制作会社のギャラクシーオブテラーという会社の代表の合田健二監督、『レッドシーズプロファイル』や『D4』で一緒にシナリオをやっていた方なんですが、一緒にボランティアで協力しています。
 僕はプロデューサーとして参加しながら、学生にVRの可能性や機材の使い方を教えたり、一方で合田さんの会社は映像の会社でインタラクティブなものをやったことがあまりないから、インタラクションするならこんなアイデアがいいよといったこともアドバイスしていく。そうやってプロの映像会社と大学院生たちが作っている作品を、「みんなで作りました」ということで、僕も窓口となって発信していこうというのがアレですね。商品にするかというレベルまではまだ行ってないんですけども、学生はBit Summit(※)に出展しようかとか息巻いているので、もしかしたらそういうこともあるかもしれないですね。

※Bit Summit:京都で行われるインディーゲームイベント。

――ではWhite Owlsの新作というよりも、あくまでSWERYさん個人として関わっているプロジェクトとしての作品ということで。
SWERY そうですね。VRリサーチプロジェクトとしての“我々”という意味です。

――逆に、White Owlsの代表としてVRへの興味は。
SWERY もちろんあります。ただまだ技術的な問題がいっぱいある中で、一番最初に先行して研究されていた方たちは、もうその辺をクリアし始めていると。でもまだ投資家やパブリッシャーの人達からVRに出資をしてもらえる状況にはなかなかなっていないんですよね。そんな中で僕たちがやろうと思ったら、やはり自費でやるしかなくなってくるので、そういう意味では、まずは小さいことをやりながら研究を蓄積していっている段階です。アイデアはアイデアでまとめていますので、誰かがチャンスをくれたらすぐにエンジンがかかるんじゃないかなといった感じですかね。

次作は「皆さんが期待するようなタイミングで発表できれば」

――まだ時期尚早かもしれませんが、次の作品のアイデアなどは。
SWERY ガチガチにやろうと思ってるのか3つぐらいあって、その中のひとつは1月の頭ぐらいにでもプロジェクトを開始するという形になっています(本インタビューの収録は2016年12月)。そこから作っていくという形ですね。もうひとつのものはちょっと仕込みも時間かかりそうなので徐々に作って行こうと思っているんですが、皆さんが期待するようなタイミングでいいことを発表できたらいいですね。

――とりあえず、「SWERYが帰ってきたぞ」と。
SWERY そうです。「しかもテイストを失ってないぞ」って言ってもらわないとマズいかなと。「あいつ独立しただけやんけ、メシ食うためにゲーム作り始めたな」って言われちゃうと、“お坊さんが本業”という中でわざわざ副業でゲームをやっているのに、辻褄が合わないですよね。なので、そこ(テイストをしっかり出していくこと)だけはちゃんとやって行きたいと思っています。

――そこで「やっぱり副業程度じゃないか」と言われないだけの自信はあるということでいいですか?
SWERY はい。1年間休んでいる間に本一冊書いちゃうぐらいですから。なんか作ってないとダメなんですよ。よくこの業界で、「僕らが作っているものは生活に必要のないものだから、生活が困窮したらすぐ切り捨てられるぞ」というようなことを言う人がいるんですよね。僕も10年ぐらい前はそう考えていました。でもよくよく考えると、もの(作品)を作る欲求って原始時代くらいからあるじゃないですか。偶像作ったりとか壁画描いたりとか。そういうのを目の当たりにすると、衣食住のすぐ次には表現欲求があって、根源のひとつとして絶対になくならないと、この歳になって自信をもって言えるようになりましたね。だから大丈夫です。期待してお待ち下さいと。