ゲーム音楽家を志す若者へのアドバイスも

 2016年10月22日、福岡県福岡市の九州大学 大橋キャンパスにて、コンピューターエンターテインメント開発者向けのカンファレンス“CEDEC+KYUSHU 2016”が開催。この中で行われた、セッション“社長に訊く! ゲームサウンドの歴史と現代のサウンドメイキング”をリポートする。

 登壇者は、ノイジークローク 坂本英城氏、ATTIC INC. 中條謙自氏、プロキオン・スタジオ 光田康典氏。3人は皆、ゲームのサウンドを手掛ける企業の社長を務めているが、社長になるまでの道のりはそれぞれ異なる。

坂本英城氏、中條謙自氏、光田康典氏が集結! みずからとゲーム音楽の今昔を語る【CEDEC+KYUSHU 2016】_01
▲左から、ノイジークローク 坂本英城氏、ATTIC INC. 中條謙自氏、プロキオン・スタジオ 光田康典氏。

 坂本氏は、ゲーム音楽家になることを中学校時代に決意し、就職活動ではゲーム系会社に応募するも、全滅。フリーランスで活動を始め、31歳のときにノイジークロークを設立した。38歳のときに福岡に転居し、ノイジークローク福岡支社を設立。今回のCEDEC+KYUSHU 2016では、ノイジークロークは実行委員会のメンバーであり、それもあって、坂本氏はこのセッションの進行役を務めた。

坂本英城氏、中條謙自氏、光田康典氏が集結! みずからとゲーム音楽の今昔を語る【CEDEC+KYUSHU 2016】_02
▲アルバイトをしながらフリーランスで活動していたときの年収は、なんと約150万円。それでも、「本当にやりたければなんとかなる」と、ゲーム音楽を志す若者にエールを送った。

 中條氏は、学生時代にバンドをやりつつDTMを行い、光栄(現・コーエーテクモゲームス)にアルバイトを始める。初めて作曲したタイトルは『三國無双』。23歳のアルバイトスタッフが『三國無双』の作曲を担当したというのは驚きだ。

坂本英城氏、中條謙自氏、光田康典氏が集結! みずからとゲーム音楽の今昔を語る【CEDEC+KYUSHU 2016】_03
▲アルバイト時代の中條氏。『真・三國無双』シリーズの音楽を手掛けていることで知られるMASA氏と。

 中條氏は音楽業界での就職を目指していたが、当時は就職氷河期だったため、その夢は叶わず、光栄の契約社員になる。ただ、音楽業界への未練があり、退職。フリーでアーティストのサポートなどを行った。

 音楽業界での仕事を経験した中條氏は、ゲーム業界の魅力――ハードが進化がしていくため、作品を手掛けるごとに新しい技術を試せるという、楽しい業界であるということに気付いた。そしてコーエーから「戻ってこないか」という声を受け、正社員として復帰。『真・三國無双』や『戦国無双』などさまざまなタイトルを手掛けた後、独立してATTIC INC. を立ち上げ、いまにいたる。

 光田氏は、5歳からピアノを習い始めるも、練習嫌いで小学6年生でやめる。その後、高校生のときに映画が好きになり、その影響で音楽をやりたいと思い始め、18歳でミューズ音楽院に入学。また、音楽関係の仕事のバイトを経験し、ウルフチームでマニピュレーターをしたりもした(そのとき、隣で曲を書いていたのが桜庭統氏)。

 また、音楽の師匠経由で、エニックス(現・スクウェア・エニックス)のスーパーファミコン用ソフト『エルナード』の仕事を請け、音色やサウンドトラッキングを担当。そのときにファミ通を見たところ、スクウェア(現・スクウェア・エニックス)が誌面にてスタッフを募集していたので、応募したところ合格。20歳でスクウェアに入社し、効果音を担当しながら、作曲をする機会をうかがい、『クロノ・トリガー』でついに作曲担当に。つぎに新規IP『ゼノギアス』の作曲を終えた後、退職を考え、26歳でフリーに。29歳でプロキオン・スタジオを立ち上げ、いまにいたる。

坂本英城氏、中條謙自氏、光田康典氏が集結! みずからとゲーム音楽の今昔を語る【CEDEC+KYUSHU 2016】_04
▲スクウェア在籍時の写真。植松伸夫氏と。

 ちなみに光田氏は、『ゼノギアス』で海外録音を経験し、フリーになった後、28歳時にロンドン・フィルハーモニー交響楽団を起用した人生初のオーケストレーションを経験している。ホールでの録音を志向するようになったのは、「ゲームの音楽にはあまりなかった曲を作りたい」という思いから。8ビット系のサウンドにも興味があったが、そちらのジャンルを得意とする人はすでに多くいたため、自分は生音志向でいくことにしたのだという。

 また光田氏は、レコーディングすることのとあるメリットを紹介。小さなスピーカーで効果音が鳴るタイプのハード(携帯機)では、しっかり調整をしないと、曲と効果音とボイスと入り混じってよくわからない状態になるが、“音楽はレコーディングすると、後ろに位置する”という。ボイスが前にきて、曲が後ろにいくので、音がケンカをしないとのことだ。

ゲームサウンドクリエイターになりたい人が学ぶべきこと

 続いてトークは、ゲーム音楽の作曲家を目指す人なら、まず聞きたいであろう“ゲームサウンドクリエイターになるには、どうすればいいか、何を学べばいいか”という話題に。

 ここで中條氏は、「まず作曲の根本的な技法、基礎を学んでおいてほしい」と回答。学校でどんな勉強をしてきたとしても、ゲーム会社に入社後、商品になる曲はすぐに作れないものだ、と中條氏は言う。そこからゲームの音楽のありかたを、実践で学ぶことになるのだが、そのときに基礎がないと、いろいろなことを実践で教えられても身につかないのだと語った。

 坂本氏は「ゲームをたくさんプレイしておいてほしい」。どんなシーンでどんな音が鳴るのかを知っていることで、「では自分なら何を鳴らすのか」というアプローチができるからだ。

 光田氏は、いままでゲーム音楽を作ってきた中で、プログラムの知識や音響学が役に立ったと感じているそうだ。たとえば、『ソーマブリンガー』の楽曲を作る際は、音響学の知識が役立ったという。ニンテンドーDSのゲームであるため、使える音には限りがあった。そこで、音響学で得た知識――ディレイというものは、最初の2音、残響がかかっていれば、残りの音は切ってしまっても響いているように感じられる――を活用し、トラック数をやりくりした。ゲームの音楽と直接関係ない知識でも、学んでおくと役に立つものだ、と光田氏は語った。

現代のゲームサウンドを作るうえで――VRにはどう対応する?

 声優のボイスがゲームに収録されることが当たり前になった時代。光田氏は、できるだけ声が入ってから音楽を作り始めるという。重要なセリフが言われる前に、その後の布石となる音楽は入れないようにするなど、セリフと音楽の関係に気を配りながら作曲しているそうだ。セリフよりも前に音楽を入れたかどうかは、見ている人にはすぐにわかってしまう、と光田氏。

 中條氏も光田氏の意見に同意する。『無双』シリーズを手掛けた際、映画監督の佐藤信介氏とともにドラマシーンを制作したのだが、監督から“シーンに音をつけるときは、キャラクターの表情が悲しさを醸し出して、それが見る人に伝わってから、音楽が支えるべきだ。そうでないと、見ている人が何かを感じる前に、音楽にネタばらしをされてしまう”と学んだそうだ。

 また、セッションでは、“VR”の音楽をどう作るべきかというトークも行われた。CEDEC+KYUSHU 2016の会場で初めてVRを体験したという光田氏だが、“サウンドをどうするかは、難しい”、“リアルなものを作るには、音とサウンドプログラムを綿密に作っていく必要がある”とコメント。

 中條氏は“(VRの音を)リアルにするには演算能力が足りていない”と分析。現状は、足りていない部分をごまかしていくしかないと述べた。“録音の段階からいままでとは変わってくるだろう”とも語り、“無指向性のマイクで声も効果音も収録して、リアルの音を再現してみたい”と意欲を見せた。

 ゲーム音楽家は、VRによって「とんでもない課題をつきつけられた」(坂本氏)状況だが、それはチャンスがある状況でもある。光田氏は、プロキオン・スタジオで、サウンドドライバーをいちから作ろうかなと考え始めたそうだ。中條氏も「僕らがスタンダードを導いていく仕事をやるべき」とコメント。ノイジークローク、ATTIC INC.、プロキオン・スタジオが、今後VRにどのようにアプローチしていくのか、期待したい。