YOUはなぜ日本のゲーム業界へ?
2016年8月24日~26日の3日間、パシフィコ横浜で開催された、日本最大級のコンピュータエンターテインメント開発者向けカンファレンス“CEDEC 2016”。1日目に開催されたセッション“日本で働くガイジンクリエイターに訊く 日本のゲーム産業、開発環境、労働環境ってどうですか?”のリポートをお届けしよう。
本セッションの登壇者は、黒川文雄氏、ハンサリ・ギオーム氏、コチョール・オザン氏、ジェームス ラグ氏、ウィリアムソン ジェームス氏の5名。黒川氏が司会となり、日本のゲーム業界で働く外国人4名にアレコレ聞いていくという、パネルディスカッション形式での進行となった。
なぜこのセッションを開催する運びとなったかは、黒川氏の実体験からとのこと。氏が主催するイベント“黒川塾”で外国人クリエイターを招待したところ、日本人が気がつかないことを、たくさん発見できたそうだ。そこで、日本のゲーム業界で働いている親しい友人に、日本のゲーム開発環境や、出身国と日本における違いなどを聞いて、受講者に役立ててもらおうと思ったそうだ(→参考記事はこちら)。
まずは登壇者の自己紹介もかねて、4名がどのようなきっかけで来日し、お仕事を始めたかについて話を聞いてみた。
ギオーム氏は、日本のマンガやアニメ、ゲームに興味を抱き、大学を卒業した10年前に来日。当時はまだゲーム業界で働きたい意思はなく、普通の会社に就職し、2年後に独立して、自身の会社であるWizcorpを起業したそうだ。
就職については「けっこう苦労しました」と語るギオーム氏。2006年時、氏は特別なスキルを所持しておらず、また職種はSEを希望していたため、英語力はとくにアピールポイントにはならなかったそうだ。「外資系や海外とやりとりしている会社ならば、まだ需要はあったかもしれない」(ギオーム氏)。
自身で起業したきっかけについては、「勢い」という簡潔な答え。奥さんが日本人のためビザ的な問題がなく、また2008年当時は、大規模な資本金がなくとも起業できたため、「けっこう簡単に会社を作れた」そうだ。
また退職してから起業するまではフリーランスで活動していたそうだが、法人化したほうが税金が安くなったり、会社が大きくなったときにアレコレ便利、というメリットがあったことも一因とのこと。
オザン氏は、来日して約13~4年目。元々は、フランスにある会社の日本支社代表で、動画配信やモバイル広告、動画エンコード、ストリーミングなど、技術系の仕事を行っていたそうだ。代表として日本の企業とさまざまなやりとりを行ったが、「まだ24歳の外国人にとっては、けっこうハードルが高かったですね(笑)」と、当時を振り返る。
その会社を退職してからゲーム業界へ入ったそうで、最初は先ほどのギオーム氏の会社に入社したそうだ。GREEのゲームなどに関わり、未経験ながらも「けっこう上手くいけた」とオザン氏。
それから1年ほど経過したとき、ウォーゲーミングジャパン立ち上げに参加。「自分は(開発よりも)パブリッシングが向いていると感じたし、ウォーゲーミングジャパンの川島(康弘)代表と馬が合ったことが大きな理由」と、入社するきっかけを語ってくれた。同社では、最初はモバイルゲーム『World of Tanks Blits』のパブリッシングプロデューサーを務め、同タイトルを成長させていく。今月から全タイトルのパブリッシングを見るゼネラルマネージャーに就任し、「なんか急展開で……」と自身の出世速度の速さに驚きを隠せない様子だ。
またオザン氏は、日本人と外国人の交流を図るゲーム業界人向けイベント“Insert Coin!”も主催。ライン社に勤める友人と協力して開催しており、毎回テーマを決めてゲストを誘っているとのこと。ただ、以前は2ヶ月に1回のペースで行っていたが、仕事が忙しくて、ここ8ヶ月ほど開催できていないそうだ(→参考記事はこちら)。
ラグ氏が来日した理由は、当時あまり海外向けにローカライズされていなかった、PCエンジンのゲームが遊びたかったことだそうだ。また、マンガの『ドラゴンボール』も読みたかったんだとか。そのために、とくに卒業後のキャリアなどを考えず、大学では日本語を専攻。「流れに身を任せて現在に至ります」と、過去を振り返った。
ゲームやマンガといった日本カルチャーのファンであるラグ氏だが、当初は日本産ということを意識せずに楽しんでいたそうだ。後に開発会社を調べると、タイトーやカプコンなど、日本のメーカーが開発していたものだと気づいたのだとか。アニメでも同じような体験があり、当時イギリスで放送されていた『Battle of the Planets』は英語吹き替えということもあり、アメリカ製のアニメだと思い込んでいた。だが、こちらも調べると、日本のアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』であることを知ったそうだ。
そのようなことがきっかけで、日本語を専攻することを選び、やがて日本でゲームに関わる仕事をしたいと思うように。当初はゲーム業界の人材紹介会社、いわゆる引き抜きを行っていたそうだが、「もしかすると、これは悪いことなのかなあ」と考えるようになった。また、もっと開発に近づきたいという思いもあって、開発会社であるピラミッドに入社したそうだ。「ほとんど拾っていただいた形ですね」とラグ氏。
ピラミッドで7年ほど開発や開発進行の仕事を行い、今年に入ってから、「日本のコンテンツをもっと海外に届けたい」という思いが強くなり、現在はデジカに移籍。日本国内のゲームを海外に配信するチームに所属し、ケイブの弾幕シューティングなどを海外にリリースしており、「非常に幸せです」と現状を語ってくれた。
ウィリアムソン氏は、高校生のころ、日本に1年間留学しており、そのときに日本語を覚えたそうだ。大学を卒業後、友だちがCGの仕事をしていたことがきっかけでCGと出会い、CGの専門学校へ入学。CGと日本語ができるなら、ゲームしかない!と思い、2003年に新卒でグラスホッパー・マニファクチュアに入社、『Killer7』の開発に関わったそうだ。
入社には外国人特有の苦労もあったとのこと。まず新卒で来日すると、労働ビザがなかなか下りないそうだ。ただ、現在の奥さんと結婚することで、この問題はクリアーできたとか。
その後はスクウェア・エニックスへ移籍。当初はモーションキャプチャーやフェイシャルアニメーションなどを担当し、その後違う分野にもチャレンジしたいという思いを抱き、モバイルのゲームデザインやクリエイティブデザイン、運営も担当。再び、初心に戻ってCGをやりたい思いがこみ上げて、12年在籍したスクウェア・エニックスを退社し、現在はアカツキで3Dディレクションを担当しているそうだ。
彼らの歩みを聞いて、「まったく逆を想像してみてほしい」と黒川氏。「我々日本人がアメリカやヨーロッパへ行き、入りたい会社を捜し、就職することを想像すれば、彼らの苦労が少しは理解できるのではないか」と、その大変さを語る。
さらに、「個人的には、日本の会社は少しクローズしているイメージがある」と続ける黒川氏。「なかなか受け入れてもらえなかった苦労話や思い出はありますか?」と、4名に訪ねた。
ラグ氏は「僕はさっきも申し上げたように、本当に流れに任してしまった身なので、捜しかたによるかもしれませんね」とコメント。「ちゃんと扉をトントンして、日本語で話せば、閉まっている扉でも開くことは多いんじゃないかな」と、話せば分かるという意見を述べた。
オザン氏は「でも会社の方針とかもあるし、(ある程度は仕方がない)」と語る。日本のゲームメーカーは日本人向けにゲームを作っており、日本で受けるゲームや日本市場をいちばん分かっているため、日本向けのゲームを作るのであれば、外国人という付加価値は低いのでは、と分析。逆に、海外へ進出したい会社、インターナショナルな会社であれば、外国人であるという付加価値を感じてくれるかもしれない、とも語る。
ギオーム氏は「ゲームの内容もコア化していると思います」と、日本産ゲームの内容にも言及。「以前は海外のデザインや色などを取り入れて、新鮮な物を生み出したいと考えたプロデューサーは、たくさんいたと思うんです。でもいま、とくにモバイルでは、内容がかなり固まってしまっている」と、日本産ゲームの現状を指摘。RPGならこういう絵、アクションならこういう演出と固定化されて見えるそうだ。ただ、そこから外れてしまうとプロモーションが難しくなったり、売れない場合のリスクは誰が取るのか、という話にもなりかねないと語る。そのため「現在は、外国人が日本のゲーム業界に入りにくいと思います。海外のプロデューサーとして、とくに日本市場向けに何かを開発するのは、かなりハードルが高い」とギオーム氏。
日本のゲーム業界は変わったように見える?
続いての話題は、「日本のゲームは、90年代、2000年代頃と比べると、内容が画一化されているという印象を受ける?」という内容。
ギオーム氏は「個人的にはふたつ理由があると思います」と回答。理由のひとつは、日本は昔、海外の市場で売れるゲームを目指していたこと。アタリショックが発生し、アメリカのコンシューマー市場ががら空きになったところに任天堂がカジュアルなコンテンツで市場を取り、セガやその他の大手メーカーも海外向けにゲームを作成していたと語る。また当時は日本のゲーム市場もそれほど大きくなかったことも要因のひとつ。その後、日本の市場も成長し、国内だけでも儲けられるようになったから、海外をあまり視野に入れなくなったのでは、とコメントした。
もうひとつの理由は、ゲームクリエイターの意識の変化。20年前などのゲームクリエイターは、アーティストとしてゲームを作成していたとギオーム氏は分析。だが、いまの若いクリエイターは子どものころからゲームで遊んで育ち、ゲームクリエイターを目指すようになったため、「彼らはゲームの概念がはっきりしていて、くり返しというか、ゲームの内容がコア化していく」と語る。
だが、ラグ氏はこの意見に反論。「ファミコンで『ドラゴンクエスト』が出た直後、非常に多くの『ドラゴンクエスト』クローンが開発されましたから」と、ほかのゲームを参考にゲームを開発することは、ファミコン時代からあった事象だとコメント。続けて「あくまで僕の考えなんですけれど、80年代や90年代のゲームは、海外の映画に影響を受けていた」と語る。当時はシュワルツェネッガーみたいなキャラクターが多くのゲームに登場し、それを海外でリリースすると「おっ、シュワちゃん出てるじゃん」となって、みんな買ったという。日本と海外で同じ映画を見て、同じ影響を受けたから、それがゲームに反映されると、海外でも受けがよくなるという持論を述べた。
「現状でも、アニメや海外の映画、ドラマからは影響を受けているとは思いますが、当時と違ってライセンスはしっかりクリアーしないといけない問題。また国内向けのコンテンツを作るのは当然の流れ」(ラグ氏)。
ウィリアムソン氏は「ゲーム(という文化)が始まったときは、『ドラゴンクエスト』という新しいIPを生み出している状態。そこから長年続き、IPは固まってしまって、フリー・トゥ・プレイのビジネスモデルにもなっているため、IPを使ったほうが宣伝しやすい。クリエイティブで挑戦的な物より、集客しやすい物のほうが多く作られている」とコメントした。
つぎの話題は、現在の国産ゲームについて。黒川氏は「かつて日本はゲームにおいてあこがれの国だったと思いますが、現在は日本向けにゲームを作成している印象がありますし、テイストも似通っている。また以前、GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)で“日本のゲームはもうダメだ”という発言が話題になったこともありました。海外のデベロッパーから見た日本のマーケットや、日本にあこがれていた外国人が現在の日本の状況をどう思っているか、お聞かせください」と疑問を投げかけた。
オザン氏は「日本のゲームがダメだというのは、どういう基準ですかね(笑)。質ですか、売り上げですか? 売り上げだったら、いまも十分に高いと思います。単純に、日本の市場がダメというよりは、海外の市場がいまは盛り上がっているから、同じ目線で比べられているだけだと思います」と回答。モバイル業界ではゲームの数が圧倒的に多いし、10年前と比較しても非常に成長しているそうだ。さらに、新しいクリエイターたちは、インディーでさまざまなゲームを作ろうとしている。「日本では“職人魂”がまだ強いと感じますし、日本でヒットしているゲームは、メガゲームを除いて、そんな“職人魂”を持ったゲームだと思う」とコメントした。
さらに「あまり自社を持ち上げることはしたくないんだけど……」と謙遜しつつ、同様の精神を『World of Tanks』にも感じると語る。「戦車にかける愛情がすごく、細部までこだわっている。日本の“職人魂”と同じ魂を持っているから、ヒットしているのかな、とも思います」と分析した。
ウィリアムソン氏も、海外のゲーム市場が盛り上がっていた、という意見に賛同。「そのとき、日本のゲーム会社は、グローバルで売るためにはグローバルに合わせなければいけないと思い、日本から『Gears of War』のクローン作品がたくさん出たりした。言いかたはきびしいけれど、“海外に魂を売り渡した”ように感じたんですよ」と、当時の状況と、外国人の心情を分析。
「現在は日本のゲームは日本向けに集中していて、よくわかっているゲームを作っている。日本市場を第一に考えて、海外では字幕だけとか、最低限のローカライズでリリースしている。でも、これは純粋な日本の物だから、海外ではリスペクトされているんです」とコメントした。
『ガルパン』と“BABYMETAL”から見る日本らしさ
というわけで、話題は“日本らしさ”へ。黒川氏は「日本のオリジナリティーや、日本ならではの物って、日本にいる自分たちからはよくわからない部分でもあります。皆さんが感じた“日本ならではの物”がありましたら、教えてください」と質問。
オザン氏は「弊社では、日本のオフィスはすーごく注目されているんです。発想がすごくおもしろい」と、発想に“日本らしさ”があるとコメント。以前、『World of Tanks』とアニメの『ガールズ&パンツァー(GIRLS und PANZER)』がコラボを行ったとき、最初に本社の人に『ガルパン』を見せたところ、その反応は「ハァ!?」だったそうだ。「戦車と女子高生、なんじゃそりゃ!って感じですよね。海外だと、戦車イコール戦争ですから。でも実際にアニメを見て、バンダイビジュアルさんがすごくいい仕事をしたという理由も大きいんですけれど、みんなすごくおもしろいと言ってくれて」と、コラボの秘話を明かす。「このような発想は、日本人しか思いつけない、おもしろい内容」とオザン氏。
また、同じく混ぜた例として、初代Xbox用の格闘ゲーム『格闘超人』も話題に。『格闘超人』は音楽の表現に宗教的な問題があり、リリース後に「コレはまずいんじゃないの?」と問題になって、リコールになったと解説するラグ氏(→参考記事はこちら)。「混ぜるのはいいけれど、それを海外で出すときは気をつけないといけない」と注意を喚起した。
ウィリアムソン氏は「僕はイギリス出身ですけれど、ヨーロッパと北米はたいてい敵対視しています。移民も多く、ほかの文化に対する理解は、日本に比べて、よくも悪くもある。“ここは混ぜちゃ危険”とわかるから、やらない。その感覚がない日本だから、混ぜることによって、いいものが産まれるわけです」とコメントした。
さらにギオーム氏は、この“おもしろい発想”について、ゲーム以外にも言及。「最近だと“BABYMETAL”ですね。メタルとアイドルの融合は、アメリカでもヨーロッパでも、絶対に生まれなかった。これは日本人しか思いつかない物で、海外でもかなりヒットしています。そういったオリジナリティーは、けっこう期待されているんじゃないかな」とコメント。
さらに「音楽を聴くとすごくしっかりしていて、アイドルも本格的。そういうオリジナリティーがあります。これが“なんちゃってメタル”だと、うまくいかなかったと思います」と、ここでも“職人魂”を感じられることをコメントした。
ウィリアムソン氏はゲームの実例を紹介。「海外で売るときは、何かユーザーから親しみやすい現実を元にしなければならない」と語る。その例のひとつが、重そうな剣を持ち上げるときの仕草。ファンタジーではよく見かける光景だが、「一応ちょっと重く持ち上げている雰囲気があったほうが、海外のユーザーに響く」と語るウィリアムソン氏。その理由として「ハリウッドの洗脳が強かったからでは」と推測した。対して日本は軽々と振り回したりする、おもしろければいい、というスタンス。「縛りのない、新しい発想をいいと思い、バンバン取り入れていく。そこが長所なのでは」とウィリアムソン氏。
最後に、黒川氏は登壇者に今後の展望について質問。4名に、それぞれどのような未来のビジョンを持っているのか、語ってくれた。
ギオーム氏は自社の展望を語る。「弊社はゲーム会社で、ソフトウェア開発業務を行っています。特殊な会社で、90パーセント以上が外国人。エンジニアは全員外国人で、コンピューターサイエンスのマスターが海外から入社しており、そこが強み。ソフトウェアエンジニアリングという分野は、日本では教えている学校が少なく、カリキュラムもあまりない。結果として、実際にソフトウェアのエンジニアリング理論を学んでいる人が少ないんです。弊社はその観点で開発を見ているので、今後はソフトウェアエンジニアリングや開発の概念、最終的にマネジメントのフォロソフィー(考えかた)を広めていきたい」と展望を教えてくれた。
オザン氏は「単純に未来は明るいなあと思います。いろいろ新しい技術が出てきていますし、たった1ヵ月で『ポケモンGO』が新しい市場を作りました。遊びかたも成功事例を作ったから、ビジョンというか、モバイルはこれからもずっと伸びると思います。個人的には日本で仕事をし続けたいし、ウォーゲーミングは外資系だけどやっぱり日本にもすごく力を入れたい。日本のためにゲームを作りたい気持ちも強いです。それをどう実現するかを、いまいろいろ社内で考えていて、まだ答えは出ていないですけれど、外資系として会社の魂を守りながら、日本の心に響くゲームを作るのが今後の勝負だと思います」とコメント。
ラグ氏は「僕はピラミッドでシューティングゲームを作ってきて、パブリッシングさせていただいているので、そういう意味では幸せです。それが続けばいいなあと思いつつ。あとピラミッドで担当した『PATAPON (パタポン)』というゲーム、キャラデザインがフランスの方ですが、中身は日本の技術集団によって作られたゲームで、国内よりも海外で反響が大きかったんですよ。でもこれは偶然だとは思っていなくて、日本と海外が何か融合したクリエイティブなものに携わっていきたい。架け橋になっていきたいですね」と語った。
ウィリアムソン氏は「ゲームを作りたいですね(笑)。作りかたはいろいろあると思うんですけど、いい人といっしょに、できるだけ幅広く、新しい体験と新しい遊び、楽しい体験を作り続ければ僕は幸せだと思います」とコメント。こうして盛況の内に、セッションは幕を閉じた。
外国人のクリエイターという海外からの目線で、日本のゲーム業界の一端を垣間見られる、貴重でユニークな意見が飛び出したセッションだった。これらの意見が、今後国産ゲームの発展に役立ち、さらにすばらしいゲームが開発されることを願おう。