レッドブルアスリートのボンちゃんに密着

 2016年7月15日~17日(現地時間)にアメリカのラスベガスにて開催される世界最大規模の格闘ゲーム大会“EVO2016”。ファミ通.comでは、格ゲー好き編集者の豊泉三兄弟(次男)が、EVO2016に参戦するレッドブルアスリートのボンちゃん選手の密着取材を行う予定だ。本稿では、渡米前のボンちゃんにインタビューを敢行。アマチュア時代からプロ契約、そしてEVO2016への意気込みまでをじっくりと語っていただいた。

『ストV』で活躍するレッドブルアスリート“ボンちゃん”インタビュー! ストイックに取り組むその志を紐解く【EVO2016】_01
ボンちゃん
レッドブルアスリートとして活躍するプロゲーマー。
『ストIV』シリーズではEVO2014準優勝などの輝かしい実績を持つ。『ストV』ではRed Bull Kumite 2016で4位入賞を果たした。

豊泉 ボンちゃんが格闘ゲームを本格的にプレイし始めたのはいつころからですか?

ボンちゃん いまのように、技の性能をフレーム(※)単位で調べるようになったのは『ストリートファイターIV』(以下、『ストIV』)からですね。でも、それ以前にもゲームセンターにはよく行っていたので、格闘ゲームをやり込み始めたのは、それこそ小学生くらいからです。コンボをしっかり練習するようになったのが、『ザ・キング・オブ・ファイターズ97’』(以下、『KOF97』)や『マーブルVS.ストリートファイター』の時期なので、小学校4年生くらいです。

※フレーム=約60分の1秒。ゲーム内の時間を表す単位。
例「攻撃の発生が3フレーム」と言った場合は、技の“攻撃判定”が発生するまでに、3フレームかかるという意味。技の性能を数値で表す際によく用いられる。

豊泉 ボンちゃんくらいの世代だと、格闘ゲームを始めたきっかけが『KOF』という人がけっこういますよね。なぜでしょう?

ボンちゃん 限られたお小遣いの中で遊んでいる当時の人間からすると、『KOF』って3キャラクターも使えてお得だったんですよ。キャラクターもカッコよかったし、コンボも複雑ではなかったので、遊びやすかったんです。その中でも『KOF』は『KOF2000』をとくにやり込んで、初めてゲームの大会に出たのが翌年の『KOF2001』でした。強い人たちが集まっている地元の仲間の中ではけっこう勝てていたので、いけるんじゃないかなと思ったんですけど、その大会を優勝した人に準決勝くらいで負けてしまって。完全に井の中の蛙だったんですけど、それでもゲームは楽しく遊んでいました。

豊泉 そこから『ストIV』まではまだ時間に開きがありますよね。その間は何を?

ボンちゃん 『KOF』のあとは、『ギルティギア』をプレイしていました。当時は池袋のレベルが高いという話を耳にして、「実際にその場所に行って本当に強い全国レベルの実力を知る」なんてことをやっていたのは、そのころになってからでした。仕事帰りによく行くようになったんですが、当時の池袋GIGOはメチャメチャ人が多くて、プレイヤーのレベルも、そのキャラクターで全国1位と呼ばれているような人たちがいっぱいいたので、「こんなに強い相手がいるなんて最高のゲーセンだな」と思いながら通っていました。それから、池袋サファリ(※)でまったく勝てないファウストがいて、メチャクチャ強いと思っていた相手が、いま思い返すとネモ(※)だったんじゃないかっていう(笑)。池袋以外には新宿にも行ったんですけど、初めて行った新宿モア(※)では、素朴な女の子にボコボコにされて、「なんだこのゲーセンは!?」という体験もしました(笑)。

※ネモ:先日Alienwareとプロ契約を結んだ社会人プレイヤー。かつて『ギルティギア』で最強と目され、現在は『ストV』を中心にプレイする。

※新宿モア:新宿東口のモア通りにあったゲームセンター。1プレイ50円で、2D格闘ゲームのメッカとして全国から猛者が集まっていた。

※池袋サファリ:池袋東口のパチンコ店の上にあるゲームセンター。1プレイ50円で、当時の池袋でもっとも2D格闘ゲームが盛り上がっていたお店のひとつ。

豊泉 新宿モアは僕も通っていましたよ。おもに『カプエス2』をプレイしに行ってたんですけど、どのゲームも全国レベルのプレイヤーが集まるヤバいゲーセンでしたね(笑)。

ボンちゃん 『カプエス2』はみんなが口をそろえておもしろかったって言うくらい、当時の盛り上がりを聞くので、俺もやっておきたかったって思いますね。

豊泉 当時の『カプエス2』の盛り上がりは『ストIV』に通じるところがありましたよ。『ストZERO』、『ストIII』、『KOF』など、いろんなゲームのプレイヤーが参戦していましたから。

ボンちゃん 『ストIV』も各ゲームのトッププレイヤーがやってましたよね。当時はあまりほかのゲームのプレイヤーのことを知らなかったんですけど、『ギルティギア』のプレイヤーだけは知っていたので「やべえ、あの人も、あの人もやってる!」という感じで、『ストIV』はすごいゲームだなあと(笑)。

豊泉 ボンちゃんにもそんな時代があったんですね(笑)。いったん話を戻して、『ギルティギア』のあとに『ストIV』を始めたんですか?

ボンちゃん じつは『ストIII』を少しプレイしていたんですよ。それで、そのころいっしょに働いていたウメ(※)さんが、『ストIV』をきっかけに格闘ゲームに戻ってくると聞いたので、これは俺もやらない手はないなと思いました。

※日本人初のプロ格闘ゲーマー。現在はボンちゃんと同じくレッドブルアスリートとして活躍する。

豊泉 そこからは『ストIV』一本に?

ボンちゃん 『ストIV』の大きい専用筐体に慣れると、目線が合わなくて通常筐体のゲームがやりにくくなってしまったんですよ。それもあって『ストIV』に集中することに。当時は池袋サファリというゲームセンターが1プレイ50円だったので、そこでやっていたんですが、当然強い人もみんな安いところに集まってくるので、最初はぜんぜん勝てませんでした。当時は後に有名になるプレイヤーたちと、お互いに始めたてで弱いながらもバチバチ対戦していましたね。

豊泉 当時の池袋サファリは“魔境”かってくらいすごい人たちが集まっていましたよね。

ボンちゃん ヤバかったですね。本当にガチでやり込んでいる人じゃないと、まともにできませんでしたから。俺も最初はまるで勝てないから、うまくなるまでは強い人が少ない1プレイ100円のゲーセンでコソ練している時期もありました。

豊泉 そうでもしないと無理でしたよね。

ボンちゃん 池袋サファリは狭いんですけど、満員電車のように人が集まっていたから、冬場でも半袖にならないと汗だくになることもありました(笑)。その後、高田馬場ビッグボックスが1プレイ50円になったので、そっちのほうが広いからとみんなで移動したんですよ。それからいまの新宿南口タイトーステーションに。

豊泉 なるほど。そんな歴史があったんですね。『ストIV』のころからウメハラさんに教わっていたんでしょうか?

ボンちゃん いや、そんなに教わることはなかったですよ。『ストIV』を始めて1年くらいはフレームのこともぜんぜん勉強していなくて、「この技をガードさせたら多分こっちが有利」とか、「この技は発生が早いからこれを出しておけばオッケー」みたいなすごくアバウトな考えかたで、なんかもう我流でしたね。

豊泉 本当に何も教えてもらわなかったんですね。

ボンちゃん ウメさんには、疑問に思ったことを訊いて答えてもらうということは時々ありましたけど、「ここはこうやった方がいいよ」というアドバイスはなかったですね。闘劇(※)でチームを組んだときに初めてあったくらい。

※闘劇:エンターブレイン(当時)が主催する全国規模の大会。

豊泉 そのくらいだったんですねえ。

ボンちゃん ウメさんとチームを組んだときに、「なんでここはこうやらないの?」とか言われて、「あぁん? なんだお前は?」みたいなこともありましたけど(笑)。

豊泉 (笑)。

ボンちゃん ウメさんとチームを組んだのは『ストIV』が出て2年くらい経ってからですよ。だから、1年目の俺は池袋サファリでやっているただの猛者くらいのものでしたし、何をきっかけに勝てるようになったかはあまり覚えていません(笑)。使っていたキャラクター(サガット)があり得ないくらい強かったので、ある程度ゲームを理解すれば自然と勝てましたね。

豊泉 自己流でゲームを続けて実力をつけていった感じですか?

ボンちゃん サガットが強かったのと、強い人がまわりにいたので環境もよかったんだと思います。たとえば、最初はヴァイパーが苦手だったんですけど、同じキャラを使っていたマゴ(※)のプレイを見て参考にしていました。そういうことをしていたので、自分が困ったときに、お手本がいたらそれを見ていいところを取り入れるという考えかたはいまでも持っています。人のプレイを見る大切さはそこで学んだ気がします。

※マゴ:元Mad Catz所属のプロゲーマー。

『ストV』で活躍するレッドブルアスリート“ボンちゃん”インタビュー! ストイックに取り組むその志を紐解く【EVO2016】_04