サウンド部の苦境をいかにして乗り越えたか

 2015年8月26日~28日の3日間、パシフィコ横浜にて開催された日本最大級のゲーム開発者向けカンファレンスCEDEC 2015。

 8月26日に行われたスクウェア・エニックスサウンドチームによって行われた「逆境からの復活! サウンドチーム奮戦記」というセッション。なにやら焦げ臭そうなタイトルだが、その予想どおりに、一度は逆境の縁に立たされたスクウェア・エニックスのサウンドチームが、どのように社内での地位を確立したかという話が、明らかにされていった。ゲーム開発とはやや距離のある組織論的な内容ではあったが、その波瀾万丈な内容は、ある意味『プロジェクトX』的なドラマチックなうねりを生み出していた。ここでは、その模様をリポートしていく。社会人なら「わかるわかる」と感じ入る教訓も多数含まれているので、ビジネス訓話的に読んでいただければ幸いである。

 なお、講演中は解説用のスライドが用意されていたが、デリケートな内容を含むために撮影は禁止となったことをご容赦いただきたい。

スクウェア・エニックス サウンドチームの戦いが明らかに!? 「逆境からの復活! サウンドチーム奮戦記」リポート【CEDEC 2015】_01
▲講演を行った矢島友宏氏(スクウェア・エニックス サウンド部マネージャー)と土田善紀氏(スクウェア・エニックス サウンド部 テクニカルディレクター)。ともに、スクウェア・エニックス現サウンド部の重鎮だ。

 事の始まりはいまから約8年前、『ファイナルファンタジーXII』を開発していた時代に遡る。その当時のサウンド部は、圧倒的な楽曲制作ペースと細かなフォロー、高い技術力、開発スケジュールの遅れにも適応できる柔軟性を強みとし、そして何より“いいものを作っている”意識の高さがあったと矢島氏は振り返った。しかしそれを裏返すと、“いいものを作る”ことだけににかまけて、ほかの大事なことはツケ回しをしていたわけだ。そのため、ほかの開発部署との連携は薄く、サウンド部の知らぬとことで外部サウンド業者への発注が行われていたこともあったという。

 そんなある日社内で矢島氏に衝撃の宣告が突きつけられる。

 「サウンド部はもっとがんばれ」

 衝撃的な台詞だが、実際に言われたのはより深刻かつ辛辣であったと矢島氏は苦笑いをする。その原因の根本には、ものを作るサウンド部と、経営を行う会社とのあいだに大きな意識の隔たりがあった。“質の高いサウンドでゲームや会社の価値を高める→いいものを作るには金がかかる”という意識が浸透しており、機材を大量購入するなどコスト意識に欠けていたのだという。また、スタッフごとに忙しさの差があったり、さらに肝心のクオリティーについても明確な可視化ができていなかったとふたりは口を揃えた。

 中でも最大の問題点と矢島氏が語ったのが“プログラマーが不在である”ということ。プログラマーは単にプログラムを組むだけのスタッフではなく、作業効率を上昇させるツールを生み出すことのできる人員である。そのピースが欠けていたがために、組織におけるイニシアチブと効率が低下していたのではないかと矢島氏は考察をした。

 こうして組織改革に着手した矢島氏は、2系列の改革を同時に行っていく。ひとつは、技術の復活を柱とした再生プラン。具体的には、音貼り付けの自動化や自動口パク、オリジナルプラグインの開発など、技術を軸とした(コストダウンを含む)効率化アップだ。

 もうひとつが、サウンドスタッフの意識改革。それまでは明確でなかったクオリティーの可視化(後述)や社内へのアピール、コスト意識の向上、全業務の部内解決、そして新しいチャレンジへの取り組みといった課題がスタッフ間で徹底された。一例としては、改革初年度はツールの追加購入はせず最低限のアップデートができるだけにまで予算を絞ったとのこと。またスタッフ編成においては、スタッフどうしが複数人による班となり、スタッフコントロール・機材の管理・新技術のリサーチといった部署内部の自己管理を徹底。その意見をマネジメント側(≒矢島氏)と共有することで、意思統一がなされたという。

 こうした改革プランを提出したことで、土俵際ぎりぎりで危機を脱したサウンド部。あとはプランに則り“クオリティーを落とさずコスト削減とスケジュール短縮”ができることを証明していくことで、徐々に会社の信用を取り戻していった。その成果、数年後にはプログラム部隊を獲得するまでに至ったのだ。土田氏がサウンド部に加わったのが、この時期だ。

 土田氏は当時ゲーム開発のためのフレームワーク作成にあたっており、半ばスカウトされるような形でサウンド部のプログラマを兼任することとなった。その当時の気持ちを土田氏は「島流しにあった」とすら語っており、それだけ外部から見たサウンド部は“組織としての存在意義が薄まっていた”ということなのだろう。

 気持ちはそうであった土田氏だが、そこは組織人。サウンドデザイナーの要望に応じて、数十種類以上のツールやドライバー作成して作業効率の向上に貢献していく。中でももっとも効果的だったというのが、スタッフの稼動状況を視覚化するツールだという。土田氏に「閻魔帳みたい」と言わせるこのツールは、スタッフ個々の労働時間と時間管理(残業・遅刻まで)、予算管理までを総合的に閲覧・判断ができるというもので、これによりスタッフ間の繁閑差を均すことができたという。こうしてついに、作業効率を高めるためのインフラが整ったわけだ。

改革を推し進めたのは「やればいいじゃん」精神

 改革が進んだことにより一時の危機を脱し「免停寸前から仮免になった」(土田氏)サウンド部。しかし彼らはそこで安心はせず、社内のイニシアチブの向上に取り掛かる。マルチプラットフォームへの即時対応が可能な制作体制、社内制作に特化したミドルウェアの開発、モバイルへの対応。そのいずれもが技術(プログラム)に裏打ちされた改革である。また、他社との差別化を意識して、真似のできない“秘密兵器”を作っていくチャレンジも積極的に取り組んでいったという。

 そうして「もっとがんばれ」の衝撃発言から約8年。ついにサウンド部は、社内プロダクションといってもいいほどに強固、かつ信頼のある組織へと変貌を遂げた。現在では年間で約80タイトルのサウンドを手掛けており、音に関わる相談事はすべてサウンド部に集約される他部署との好連携も確立。そして部署の旗印であったクオリティーについても、作ったままで単にドヤ顔をするだけでなく、サウンドの知識があまりない人にまで“すごい感”を伝えるためにツールを使った視覚化にてプレゼンテーションを行い、共感をしてもらうようになったという。
 これらの変革によって、ひとりのサウンドデザイナーがつねに複数タイトルを受け持つようになるなど“忙しくなりすぎた”という問題点も生まれたが、以前のように資金やマンパワーに依存したものではないのが最大の違い。また、部署としての存在価値が高まったことで、社内およびユーザーからの賞賛も集まるようになった。“ブランド化”も同時に成し得たといっていいだろう。

 最後に、講演の中で紹介された印象的なワードを紹介しよう。

 「やればいいじゃん」

 問題が山積していた中で改革に動き出したサウンド部では、改善点があれば言い出しっぺが率先して行う姿勢になっていったという。組織の改革が成し得たのは、もとより高い技術力や大きな資本があったからだともいえるが、なにもせずにそれを生かせない組織形態では、宝の持ち腐れである。このセッションで一部が明かされた、みんなが知恵を絞った“奮戦”の成果が、現在のスクウェア・エニックス サウンド部を作り上げたということなのであろう。