古川登志夫さんの“+α(アルファ)”の演技とは

 おなじみ黒川文雄氏による“黒川塾 (二十五) ”が、デジタルハリウッド東京本校にて2015年5月9日に開催された。

“黒川塾(二十五)”古川登志夫さんと榎本温子さんが声優の昔といまを語ったトークの模様をお届け_01

 黒川塾とは、“すべてのエンターテインメントの原点を見つめ直し、来るべき未来へのエンターテインメントのあるべき姿をポジティブに考える”というテーマのもと、各界の著名人を招いてトークを行う会。第25回のテーマは“声優は一日にしてならず・・・声優事情変遷史”となった。

 登壇したゲストは、声優の古川登志夫さんと榎本温子さん、青二プロダクションの執行役員である池田克明氏、81プロデュースの執行役員である百田英生氏と、声優業界の第一人者が勢ぞろいした。以下より、便宜的に分けたトピックごとにトークの内容を記していく。

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▲左から、黒川文雄氏、池田克明氏、古川登志夫さん、榎本温子さん、百田英生氏。

■声優の仕事は、昔といまでは変わっているか

 黒川氏の「昔といまとで、声優という仕事には違いがありましたか」という質問に、古川登志夫さんは「そもそも、僕が声優の仕事を始めたころは、声優という職業自体がポピュラーではありませんでした。俳優をやりながら声優をしていたという者もいましたし、声優という呼称を嫌う先輩もたくさんいました」と答えた。

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 古川さんは、自身の声優としての歩みについて「18歳で役者としてデビューをしたのですが、30歳くらいにならないとお金がもらえないような厳しさで、アルバイトをしながら続けていました」「声優の仕事を始めたのは25歳のころ、遅いですよね。それまでは、ひとことふたことだけの役としてドラマに出たりしていました」「30歳でアニメの声優をやりだしてから、どっと仕事が増えました」などと振り返っていた。また、古川さんは声優になった理由について、「いつの間にかと言うしかないです」、「役者としての仕事も平行して続けていたので、どこかでターニングポイントがあって声優という仕事を決めたわけではありません」とも語った。これは、いまの若い人がしっかりと声優という目標を掲げている時代とは異なることのようだ。

 また、古川さんは声優という職業は、時代やメディアミックスに合わせて活動していく必要があり、そのために自身は“オールマイティ”になれるようにと、心がけていたのだそうだ。

 古川さんは、録音技術や演技論も変わってきたと語った。たとえば、昔はとにかく声優が大きく声を出さないといけなかったのに、いままではささやくような声でも拾われるほどにマイクロフォンの性能も上がっているとのこと。古川さんは、アニメ『たまゆら』の収録現場で、出演者に”ささやく”演技が求められていたことを驚いていたようだが、繊細な乙女心を表現するにはこれがいいのだと納得したのだという。

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 榎本温子さんは、自身が声優になろうとしたときには、声優のインタビュー本がたくさん出版され、声優がラジオ番組に出演する例も多くなってきていたそうだ。榎本さんは、インタビューを読みあさり、ラジオをいくつも掛け持ちして聴いていた”声優オタク”だったとのこと。

 そのうえで、榎本さんは声優デビューからの18年で、2、3回は業界が変わったと語った。その変化のひとつが“ニコニコ生放送”(以下、ニコ生)だという。ニコ生はプロでなくても放送ができるもので、声優業界にはニコ生をそのものをNGだと言う方もいるが、榎本さんはニコ生という媒体を受け入れたうえで「放送の中で、私たちはプロとしての魅力を発揮していきたい」と語った。榎本さんも古川さんと同じように、時代に合わせて柔軟に仕事のスタイルも変化させていく必要性を感じていたようだ。

 池田克明氏によると、ほんの3、4年前までは「声優として働いていますと言っても、スーパーの西友に間違われてしまう」ほどに、声優という職業が定着してはいなかったという。さらに昔では、声優の仕事がアルバイト的に扱われており、声優では食べていけない、それどころか声優という職業が成立しないと言えるほどの状態になっていたそうだ。しかし、声優の連盟ができて職業の権利を主張することができるようになり、そうした先輩たちが作り上げた礎のおかげで、いまでは声優という職業が広く認知されるようになったとのことだ。

■古川登志夫さんの演技のポイントとは?

 古川登志夫さんは「声優には“+α(アルファ)”の演技をする必要がある」と語った。それは「声優は自分だけの特質を出していかないといけない。その特質を出すのは台本1ページ中でひとつだけでもいいし、1作品の中で1ヵ所でもかまわないが、僕は必ず盛り込むようにしている。誰でもやれてしまう仕事ではだめ」という考えによるものだそうだ。

 また、古川さんは悪役を演じているときは、その”善”の部分にも注目しているのだそうだ。たとえば『ドラゴンボールZ』のピッコロが孫悟飯にはやさしさを見せていたり、『北斗の拳』のシンがユリアを一途に想い続けていたことなど、そのキャラのギャップを感じるシーンを演じてこそ、声優としての役の幅が広がるのだという。さらに、古川さんは『ワンピース』のエースの台詞「出来の悪い弟を持つと兄貴は心配なんだ」について、最後の「心配なんだ」にだけやさしさを持たせる演技をこの場で披露していた。

 榎本温子さんは演技において、「そのキャラクターとして生きる」ことばかりを考えていたそうだ。これは「アニメは監督のものであり、私たち声優は作品づくりをいかにお手伝いするかが仕事です」という考えによるものだという。

 また、榎本さんは、ほかの声優といっしょに演技ができる環境と、アニメの完成前にその演技をみることを幸運だと感じ、その時間を大切にしているそうだ。このことに、古川さんは海外ではひとりで声を収録していることが多いのに対し、日本では役者たちが向き合っての演技(セッション)ができている環境を、誇らしく思うべきだと語った。