冲方丁氏が基調講演で語る“物語の力”とは ゲームが物語にもたらすものとは【CEDEC 2014】

2014年9月2日~4日の3日間、パシフィコ横浜にて日本最大のゲーム開発者向けカンファレンス“CEDEC 2014”が開催。ここでは、開催初日に行われた冲方丁氏による基調講演“物語の力”の模様をお届けしよう。

●物語とはいったい何か?

 2014年9月2日~4日の3日間、パシフィコ横浜にて日本最大のゲーム開発者向けカンファレンス“CEDEC 2014”が開催。ここでは、開催初日に行われた冲方丁氏による基調講演“物語の力”の模様をお届けしよう。


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▲ときにユーモアを交え、物語を語る冲方氏。話しぶりは丁寧で論理的。そして何よりも物語に対する造詣がお深い!

 冲方丁氏といえば、『マルドゥック・スクランブル』や『天地明察』などでおなじみの、当代きっての人気作家。そんな冲方氏が“物語”を語るとあって、会場は大盛況となった。講演は、モニターによるプレゼン資料の提示などは一切なく、まさに冲方氏のひとり語りといった様相。それはあたかも落語家のようでもあり、ギター1本で勝負をするアーティストのようでもあり……と、いずれにせよ言葉の力を信じていることを実感させるスタイルは、冲方氏の言葉に対するスタンスを象徴するようで力強くもあり、美しくもあった。

 さて、いまや人気作家の冲方氏だが、じつはゲーム業界との縁も浅からぬものがあり、14、5年前に某ゲーム会社に在籍していたらしい(最後に行われた質疑応答では、文学賞を受賞したものの、それだけでは食べていけず、一時停職を求めたとのこと)。ゲーム会社ではシナリオを担当していたのだが、月曜日に出社したら帰れるのは(翌週の)火曜日という激務だったらしい。冲方氏によると、そんなゲーム業界に恩返しができるということで、今回CEDECの基調講演を引き受けることにしたようだ。

 「物語とは何か? 皆さんがお持ちの物語がひとつだけあります」と冲方氏は話し始める。それは、ずばり“名前”だ。それはものの数えかたを分析するとよくわかる。たとえば、牛や馬は“一頭”、鳥は“一羽”、魚は“一尾”などと数えるが、数えかたは死んだ後で、その存在を象徴づけるものだと冲方氏。牛や馬は“頭”、鳥は“羽”、魚は“尾”だ(この説を唱えているのは冲方氏らしい)。人間の数えかたは“一名”、“二名”。つまり、人の存在を象徴するものは名前というわけだ。では、私たちは名前を通して何を思うのか? それは“固有の経験”。“その人にしか経験できなかったこと”が、その人をその人たらしめているものだ。

 物語は、経験が元になっていると冲方氏は言う。人は、理解できないことを作ることはできない。雪を知らない人にスキーの楽しさを説明するのは難しいことを考えればそれは明らか。そして、理解の根底にあるのは経験だ。経験が物語の基本になるのだ。そういう意味では、物語は“個々人の経験の共通領域”と言えるだろう。


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 ところが、経験はカオスの固まりでもあると、冲方氏は続ける。本来カオスの固まりである経験は物語化できないものだというのだ。そのため、経験を物語化するにあたっては、経験を秩序化していく必要がある。ここで冲方氏は、“経験”を構造化してみせる。

 まずは、(1)その人に固有の直接的な経験。それは“六感”だと冲方氏。六感のうちの5つはいわゆる“五感”。人の肉体を通しての体験だ。「ただし、五感の体験そのものには意味はありません。ただそれだけ。何が五感に意味を与えるかというと、それは第6の感覚、つまり“時間”です」と冲方氏。少年と少女が一瞬手を握るのと、ずっと握っているのとでは意味合いがぜんぜん違う。記者なりに援用すると、時間が体験に価値を与えるということだろうか。ここで冲方氏が挙げたのが“ディテール”と“ディテールズ”という言葉。“ディテール”は、細部で“五感”にあたる。“ディテールズ”は、あるいは冲方氏の造語ではとも思われるのだが、“詳細に語る”ことだという。「五感と時間感覚の“六感”が経験の柱となります」と冲方氏。

 とはいえ、それが人間の経験のすべてかというとそうではない。つぎにあるのが(2)間接的な経験だ。これは証明されているけど、自分では説明のしようがないもの。「地球には数十億の人口がある」「20000年前の壁画が存在する」などがこれにあたる。伝聞を自分のものであるかのように受け入れられる力だ。これを可能にしているのが言語能力だ。私たちの身の回りに自分たちで作ったものはほとんどないが、間接的な経験をもとに、「これは、こういう機能を持っている」と判断している。ちなみに、物語でキャラクターのモチベーションがわからないときがあるが、それは「その世界において間接的な経験とその人固有の経験がごっちゃになっているから」と冲方氏は言う。

 そして、もっと大きな経験である(3)神話的経験があり、さらに(4)人工的な経験がある。人工的な経験は、想像された経験にあたる。ホラー映画は作り物だとわかっていても怖い。人は作りものだとわかっていても物語に感動する。ちなみに、冲方氏によると、“リアリティー”を与えるものは人工的な経験だという。“リアリティー”はあくまで“現実的なもの”であって、現実ではない。人は目の前に現実があるのに、わざわざ“リアリティー”というカテゴリを作るのだが、“リアリティー”は人工的な経験のみのよってもたらされる。そして、物語は人工的な経験をいかに有効に人に与えうるか? ということに尽きるという。「効果的に組み合わせて、人には実際にありえないことを提供する。社会に大きな影響を与えるものを提供する」(冲方氏)。それが物語だ。


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▲作家修行として、これぞという作品は10回くらい書き写したという冲方氏。スティーブン・キングや隆慶一郎も10回は写したという。それが血となり肉となる「模写は基本です。ロールプレイングといっしょですね」と冲方氏は言うが、作家になろうとするとこれくらいやらねばならんようです!

 引き続き、冲方氏は“テーブルトーク・ロールプレイングゲーム”という言葉をとっかかりに、“物語”の根底をなすものに迫ってみせる。ゲームと物語が密接に交わるエンターテインメントとして“テーブルトーク・ロールプレイングゲーム”があるが、「これはお経のような、いろんなものが交じり合った、ものすごい言葉です」と冲方氏。というわけで、冲方氏は、“テーブルトーク・ロールプレイングゲーム”を分解して説明する。

 まずは、“テーブルトーク”。これは“座談”だ。座談は世界中の人々に共通の生活形態で、火(エネルギー)を囲んで話すところから始まった。すごろく、かるた、謎かけ……さまざまな遊戯がテーブルトークから発明されたという。一方の“ロールプレイング”は文字通り役割を演じること。もともとは職業訓練からきており、「軍隊の演習を考えるとわかりやすいかもしれません」と冲方氏。ここで注意しないといけないのは、“ロール(役割)を演じること”であって、“アクト(演じること)”ではない点。自分のために演じるのであって、人のために演じるのではないのだ。

 この“テーブルトーク”と“ロールプレイイング”が合体して“テーブルトーク・ロールプレイングゲーム”ができた。冲方氏は「正直合体した意味がわかりませんが、ものすごく複雑なルールが作られて、娯楽としてものすごい短期間で成長しました」という。そんな“テーブルトーク・ロールプレイングゲーム”は3つの要素から構成される。(1)筋書きを用意するゲームマスター、(2)ゲームを成立させるためのルール、(3)プレイヤーに決断を促すダイス(サイコロ)だ。このなかで、もっとも人にリアリティーを与えるものはなにかというと……それは、(3)のダイスだ。なぜならば、筋書きもルールも間接的なのに対して、ダイスは参加する人に固有の経験を提供するからだ。その人に“参加している”という実感を与えたのはダイスなのだ。

 経験はカオスであり、すべて偶然。すべてたまたま起こった。「未知で起こるのがリアリティーであり、つぎに何が起こるかわからないと人間は思っています」(冲方氏)。むしろ自分の未来を100%知ると生きる活力を失ってしまう生き物だという。

 サイコロに関してはおもしろい話がある、と冲方氏。英語のbe動詞は、もともとサイコロを投げるという意味だったというのだ。つぎの出目がわからない……それが語源だという。「みずからを実存に投げ打つ。自分というサイコロを投げることが生活様式だし、活きる実感を与えてくれる」と冲方氏。そこで活きる実感から人間は何を得ているかというと、それが“必然”だ。偶然の出来事から必然を抽出するのが人間だ。「ある出来事が起これば、つぎはこれが起こる」という攻略方法を発見する。いわゆる“因果応報の解明”。これが物語作りだとも言える。

 そして人間は、ありとあらゆる形で必然性を確保してきた。罪が与えられれば罰を食らう。「そうすればコミュニティーを維持できる」という必然性を見つけたのだ。宗教や政治にしてもそうで、偶然を必然に変えるのが、人工的な経験を作る最大の目的だという。そういった意味で、“必然”と“偶然”はコインの表と裏みたいなもので、相反するがお互いがないと成り立たないと言える。では、必然を目的とした物語作りは何になるのか? 冲方氏は以下に分類してみせる。

(1)神話
 たまたま生まれてみたらこんな世界だった。何もかもが偶然で、その中に、季節や生と死の循環など、何かしらの必然が見えてくる。とはいえ、神話がなぜ生まれたのか、よくわかってないと冲方氏は言う。

(2)制度化された物語
 コミュニティーによるタブーと罰が生まれた。コミュニティー単位の物語。

(3)武力を背景とした物語
 絶大な権力者の登場により物語が生まれた。わかりやすいのがフランスの“王権神授説”。当時フランスの王族たちは、己の権力を担保するために、「自分たちが権力を握っているのは、神が与えたからだ」と主張した。徳川家康は、自分を“東照大権現”、つまり神として反論不能な存在にするために、晩年はけっこうな財産を注ぎ込んだという。ちなみに、この武力を背景にした物語は、ほかのコミュニティーを飲み込んで、どんどん大きくなる傾向があるという。

(4)民話、寓話
 たとえば、グリム童話や座敷わらし。「座敷わらしの物語を読んだからといって、人の人生を左右するとも思えませんが、小さな物語が一般化しました」(冲方氏)。主人公はほとんど一般人で、王様や宗教的な権威者ではなくても、物語を作る能力は存在していたという。

(5)大衆娯楽
 民話や寓話とは違う、権力者が大衆を安心させるために作った物語。ローマでは“パンとサーカス”と言われたが、娯楽を提供できないとその国は滅びる。たとえば、平安時代では、宮廷文学がその役割を担った。16世紀のイタリアは小都市国家で100年間に戦争がないのはたったの2年しかなかったが、娯楽や芸術は、王権が身を守るために必要だった。“柔らかい城壁”と呼ばれていたそうだが、「ここを攻めたら、悪だと思われるから」と、ためらうケースもあったのだとか。

(6)個の物語
 12~16世紀にかけて、個の物語が発見されたという。吟遊詩人がそう。彼らが歌ったのは恋愛と騎士道。いずれも国家の要請ではなくて、個人の意志で作られた。確固とした反権力の物語と言える。中国では、『三国志演義』や『水滸伝』がこれにあたる。権力が大衆をコントロールして作ったのではなく、大衆による反権力を目的としてできあがった。日本では、琵琶法師がこれに相当する。琵琶法師は、古の権力が滅び行くさまをテーマにしたが「歴史的に滅んでいるから文句もいえないだろう」ということで流布された一面があるという。

(7)エンタメの原型
 近世に作られて、誰から何も言われてないのに書いている。権力への追従もなく、書いた理由は“書くのがおもしろい”から。これがエンタメの原型だと冲方氏は言う。貨幣経済の発達で民衆の欲望が満たされた果てに生まれたものだという。民衆の元気を養うものであり、活力の源となる。たとえば、『南総里見八犬伝』や歌舞伎の演目がこれにあたる。人が感動する、共感できる物語を作りあげるのだ。ちなみに、このエンタメの原型に対して、ときの権力は場当たり的な対応をしているという。ときの権力者は権力者が悪の権力者を倒すという『水戸黄門漫遊記』を、取り締まっていいかどうか、わからなかったのだとか。

(8)現代の物語
 いちばんの特徴は、物語の広告化が図られていること。広告は力となり、拡散力のあるものが価値あるものとみなされるようになった。「そういった意味では企業の物語と言えるのかもしれません」と冲方氏は語る。現代の物語が生まれてから100年経っていないが、「たとえばおもちゃを売るためにアニメを作る。過去1000年間にそういうものはありませんでした」と冲方氏。シリーズ化にあたっては、“前作を上回る感動”などと表現され、作品が作品の広告となる時代、作品が作品の価値を示す時代となった。「いまの社会はそのように成り立っています。ある日突然王権から抹殺されることもないし、宗教的なタブーに引っかかることも、あまりありません。好きに物語が作れる。新しい時代に突入したと言えるでしょう」と冲方氏は語る。

 そして、物語が必要になる“偶然性”の要素を娯楽として成り立たせながら、一方で“必然性”を導入しているのは、「いま現在ゲームしかありません」と冲方氏は言う。そういった意味では、ゲームは物語作りの最先端と言えるのかもしれない。冲方氏は「ゲームが新しい時代を作るのではないでしょうか?」と、ゲームの作り手である来場者へのエールとも受け取れる言葉を口にして講演を締めくくった。

 この業界の端くれに身を置くもののご多分に漏れず、記者も物語が大好きであり、もちろん“物語の力”を信じている。誰よりも物語の持つ力を信じているであろう冲方氏の講演は、非常に刺激的で、共感を呼ぶものだった。そして、質疑応答の際に口にした「物語は人を活かすものであってほしい」という言葉が印象的だった。


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▲『風ノ旅ビト』など、言葉を使わないゲームも増えているが……との質問には、抽象的な物語は多義的な意味を物事に統合します。ひとつの記号が複数の意味を持つ。そういった意味では、言葉を作っているのに等しいです。動く文字を作っているのに等しいんです。そういった意味では文字はいらないんです」とのこと。