手作り感あふれすぎなんだけど、E3とかよりこういうの結構好きです
先月の7月24日から27日にかけてアメリカのカリフォルニア州サンディエゴで行われた、“COMIC-CON INTERNATIONAL”。昔は本当にビンテージコミックやアーティストのイラスト販売なんかがメインだったコミコンも、コミック原作の映画の人気なども受けて、ハリウッド映画やゲームなど、あらゆる関連産業が集まる一大イベントとなった。
しかし、時を同じくして、コミコン会場から少し歩いた若干ラフな地域で、手作り感あふれるゲームイベント“Gam3rCon”もやっていたのだ! 会場となった年季を感じる5階建てのビルでは、最新ではないビデオゲームで遊んだり、ボードゲームしたり、みんな好き勝手に遊んでいたのが印象的。コミコンのような祭り感はないが、「毎月近所でやってたら行くんだけどなぁ」というタイプのイベントだ。
そんな草の根感あふれるGam3rCon(今どきeを3に置き換える90年代センスがアレでグッと来る)だが、開催2日目に行われたパネルディスカッション「The Future of Gaming」がやたらとスゴかった。
まず、『ボーダーランズ』シリーズで知られるGearbox Softwareの社長ランディ・ピッチフォード氏や、大手媒体IGNの共同創設者で現在はクラウドゲーム企業Onliveでプロダクトマーケティング担当副社長を務めるリック・サンチェス氏、ドキュメンタリー映画「Video Games: The Movie」の監督ジェレミー・スニード氏や、『アサシン クリード リベレーション』でアルタイルを演じた俳優など、メンバーがプチ豪華。
そんな彼らをAndroidベースのコントローラー付きタブレット“Wikipad”のマーケティングエグゼクティブのデビッド・バクスター氏が仕切って“未来のゲーム”について語るっていうんだから、ここはGDCかPAXかという感じだ。このパネルが行われたスペースには30席もないのに!
パネルディスカッションは各人の紹介を終えた後、まずは先月中旬に公開されたばかりだしということで、「Video Games: the Movie」のトレイラー映像からスタート。この映画は往年のアーケードゲームから最近の巨大化したeスポーツ大会までゲームの歴史を追ったドキュメンタリー。映画館の公開が限定的(ほとんど一日のみ)な一方、有料ストリーミング配信もやっている(残念ながら全体的な評価はあまりよくないようだが、記者も近日中に視聴予定)。
アタリの頃から現代に通じるもの
スニード監督は、アタリ創業者のノーラン・ブッシュネル氏が、「すべてのゲームは簡単にプレイでき、かつマスターするのは難しくあらねばならない」と語っていたことを振り返る。
エピック・ゲームズ(『ギアーズ オブ ウォー』シリーズ)やノーティドッグ(『アンチャーテッド』シリーズ、『ラスト・オブ・アス』)といった現代のトップスタジオの開発者たちもまた、フラストレーションとゲーム的報酬のバランスが重要(フラストレーションが強すぎるのはゲームが難しすぎるか報酬が浅く、弱すぎるのは“やりごたえ”に繋がらない)と語っていたそうで、これはブッシュネル氏の語ったことと、ゲームという遊びの根底の部分で通底する。
現代の作り手であるピッチフォード氏は、ブッシュネル氏の言葉に共感しつつも、エンターテインメントとしてのゲームが確立された現代であれば「フラストレーションを与えずに楽しませることも出来るのではないか」と語る。どのようなケースを想定したのかわからないが、ハードコア寄りのパッケージゲームを主に手掛けてきたピッチフォード氏の発言と考えると興味深い。
ストーリーは文化とともに進化する
一方、映画にはゲームの進化をストーリーテリングの進化としたパートもあるそうなのだが、スニード氏はストーリーテリングが過去のゲームになかったと言いたいわけではなく、8ビットや16ビットのゲームにもストーリーはあったわけで、あくまでテクノロジーの進化に連れてシネマティックな表現が可能となり、表現全体でストーリーの占める部分が大きくなったのだと考えているそう。
この点についてピッチフォード氏は、「テクノロジーは鉛筆や絵筆のようにストーリーを語るためのツール」であり、ストーリーテリングは非常に重要な要素であると同意。
さらに「ストーリーは文化の一部であり、文化と共に進化する」と述べた上で、「60〜70年前のエッジなコンテンツといえば公民権運動や人種差別だったが、今は異なる性的指向をもつ人たちの権利についてのコンテンツが非常に多い。50年後にはまた別の前線があるだろう」と語り、こうした時代によって変化していく問題意識に応じて、ゲームなどのエンターテインメント作品のストーリーテリングも進化していくべきだと主張した。
実際、『マスエフェクト』や『ドラゴンエイジ』といったRPGシリーズを手掛けるBioWareが性的マイノリティの恋愛要素を真正面からゲームに取り込んできたことを思い返すと、ストーリーメディアとしてのゲームから、映画などと同じようにその時代の最新の問題意識を反映するような作品が出てくるだろうことは想像に難くない。
またストーリーについては、『アサシン クリード リベレーション』でアルタイルを演じたキャス・アンバー氏の指摘も興味深かった。
彼は『ファークライ3』で悪役Vaasを演じた俳優の出来が非常に良かったことに触れ、ゲームスタジオに向けて、ゲーマーはカットシーンに夢中になるのではなく、あくまでキャラクターの心情や選択、ジレンマなどの感情に心を奪われることにもっと注目して欲しいと語ったのだ。
これは個人的にとても同意できる。最先端のレンダリング技術をフルに使って壮大な爆発シーンを作っているにも関わらず、キャラクターの魅力が乏しいために全然ハラハラしないなんてのは、超大作でもよくあること。
映画の脚本家を採用する例などもあるが、それはそれで逆にゲームならではのストーリー構築に慣れていないのか、ゲーム部分とカットシーン部分が乖離しちゃってたりしてあまりうまく行かなかったりもする。映画やテレビよりも複雑な、インタラクティブな映像体験にふさわしいストーリーテリングのさらなる進化が必要なのではないだろうか。
「ビデオゲームを低く見る人はやがて死に絶える」
しかしそもそも、ゲームはアートなのか、それともコンピューターサイエンスの一成果物に過ぎないのか? スニード氏がマーク・サーニー氏(PS4リードアーキテクト。その他『クラッシュ・バンディクー』など)にこの質問をした時、「しばらくはもうその質問を誰もしないといいんだが……」と苦笑されたそう。
この議論は恐らくMoMA(ニューヨーク近代美術館)がゲームを収蔵すると発表した時に巻き起こった「ゲームは芸術かそうでないか論争」を念頭に置かれたものなのだが、スニード氏は「業界の多くの人がこのもう質問はして欲しくない、ラベルをつける必要はないと思っているようだ」と語り、「だが外側にいる人たちはラベルをつけたがる。自分は90分の映画を通してゲーマー・カルチャーを知らない人たちにわかってほしいと思っている」と続けた。
ちなみに収蔵を決めた当の本人、パオラ・アントネッリ氏がどんな考えでゲームを収蔵することにしたのかはトークイベントのTEDで語られているのだが(実は芸術とは言っていない。詳細は動画を参照のこと)、ランディ・ピッチフォード氏の見解はシンプル。ゲームに親しみ、ゲームをゲームとして理解し、かつ評価できる世代がどんどん育っているわけで、時間は何世代もかかるものの、やがて「世界中の人たちがビデオゲームをプレイして育つ時代が来る」と宣言し、「年寄りは皆死んでしまうから大丈夫だ。」とジョーク交じりに笑い飛ばす。
クラウド、VR……新技術はゲームと生活を拡張するか?
もっとも、合計で見るとゲームをする人が増えたとはいえ、テクノロジーの進化により拡大したモバイルゲームやオンラインベースのゲームがカバーする部分も大きい。
Onliveのサンチェス氏は、アカマイ・テクノロジーズの調査結果などを引用し、ブロードバンドのスピードが一年半ごとに倍になり、ゲームを処理可能なデバイスの所有台数も増えている一方、コンソール機やデスクトップPCほどのパワーはないことから、プロセッサー能力の平均としては下がっていると指摘。そのギャップを埋めて、スマートフォンやタブレット、スマートTVなどでAAAのゲームをプレイ可能にするのがクラウドの役割だと語った。
ピッチフォード氏も、クラウドには可能性を感じているそうなのだが、Onliveのようないわゆる「クラウドゲーミング」だけでなく、AIキャラクターのロジックを入れてシミュレーションをクラウドサーバーでやらせるといったクラウド処理の部分で特に恩恵を感じているそう。
VRについては、ピッチフォード氏が「感覚を引き出すVRのようなものか、直接脳にインプットするMatrixのようなもの、どちらが先にくると思うか?」と質問。
サンチェス氏が「先に来るのは意外にホロデッキのようなものじゃないか」と答えると、スニード氏も同意。ホロデッキというのは、「スタートレック」シリーズに出てくるシステムで、映像投影を始めとするさまざまな技術を組み合わせて室内に仮想空間を作り出すというものだ。スニード氏らがそう考えるのは、「脳が現実以外にこれがリアリティだと完全に認識するとは思えない」というのが理由。デバイス装着をできるだけしない形を突き詰めた方が一定の完成形に近づくのでは、ということだ。
しかしピットフォード氏はスニード氏らの意見に同意しつつも、どうやら脳や神経への刺激で錯覚を起こさせる方向性にもかなり興味を示している様子。脳にパルスを送って行動や思考を変化させたり、塩味を感じさせるといった実験について触れ、今は奇妙に聞こえるものであっても、仮に現実的なものになれば世代が進むに連れてテクノロジーに対して自然に感じるようになるわけで、いち早く身体的・心理的抵抗感を減らせたものが最終的に勝利するだろうと語っていた。
Oculus RiftのようなVRヘッドマウントディスプレイも、確かにホロデッキレベルと比較するとまだまだ。さらなる自然な表現や、視界以外の触覚などの連動、装置の小型化や単体動作化が求められていたり、着用への抵抗感をどう減らすかといったことが実際に模索されているので、問題をクリアーしたわけではない。
その時が来たらピッチフォード氏はどんなゲームを作るのかなど聞いてみたいことはいろいろあったのだが、残念ながらタイムアップ。様々な領域の人が集まったパネルディスカッションということで何かオチや最終回答があったわけではないのだが、ゲームの未来に思いを馳せる土台としては面白い内容だった。(文・取材・写真:ミル☆吉村)