気になる『シェンムーIII』は……!?

鈴木裕氏が明かす、『シェンムー』はいかに時代を先取りしたゲームだったか【GDC 2014】_29

 2014年3月17日~21日(現地時間)、サンフランシスコ・モスコーニセンターにて、ゲームクリエイターを対象とした世界最大規模のセッション、GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)2014が開催。開催3日目にあたる3月19日には、鈴木裕氏による講演“Classic Game Postmortem: Shenmue”が実施された。Classic Game Postmortem(クラシックゲームポストモーテム)というのは、ゲームの歴史で一時代を築いた名作の開発経緯などを振り返るという、GDC恒例の人気企画。今回は、『シェンムー』の登場と相成った。いま隆盛を極めるオープンワールドの先駆けとも言える作品として、海外でも知名度は抜群の『シェンムー』だけに、GDC 2014でも注目のセッションとなった。

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▲鈴木裕氏による『シェンムー』の講演は、GDC 2014でもっとも注目されていたセッションのひとつ。当日は、かつてセガに在籍し、鈴木裕氏とも交流の深い、マーク・サーニー氏が通訳&ホスト役を務めた(右)。

 1983年にセガに入社後、一貫してアーケード向けゲームを開発してきた鈴木裕氏。それが90年代に入り、家庭用ゲームでRPGを手掛けることになった。アーケードは3分でユーザーを楽しませることを目標としたものだが、家庭用ゲームは楽しませる時間に制限はない。そこで、80年代の家庭用ゲームしか経験がなかった鈴木氏は、当時のゲームをリサーチ。すると、NPCのほうを向かないと話せなかったりと、いろいろな不満が出てきたという。そういった不満点をつぎのゲームは改善できるように……ということで、プロトタイプを制作した。それが『桃の木じいさん』。同作において鈴木氏は、カメラやイベントなどの基礎研究を行なったという。同作の舞台は1950年代の中国。主人公の“タロウ”が、カンフーの達人“リュウ老師”を探す……というストーリーだ。この作品が、のちの『シェンムー』のベースとなった。

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▲鈴木裕氏の開発歴。ゲーム史に輝く名作がずらり。
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▲当時の家庭用ゲームをリサーチし、不満点を洗い出す。これが『シェンムー』への足がかりになった。
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▲そしてできたのが『桃の木じいさん』。なんともシュールなネーミングだ。

 そして、1996年には、『バーチャファイター2』のモデルを活用してフルCGでフルサイズのRPGの制作がスタートする。さらに、フルボイスでキャラクターのリアリティーを盛り上げ、さらにシネマチックで感情移入度を上げるといった方針も盛り込まれる。中国拳法なので、中国が舞台となる。そういえば、当時は「『バーチャファイター』がRPGになる!?」というウワサが飛び交っていたなあ……と記者もしみじみ。

 ちなみに、プロトタイプ『バーチャファイターRPG』の開発にあたっては、1993年に訪問した中国が、ストーリーに大いに影響しているという。

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▲『シェンムー』のルーツともなった、1993年の中国への旅行。太極拳なども体験。

 開発にあたっては、まずは“起承転結”をベースにストーリーを構築 。具体的には以下の通り。

起……悲しみ: 父の死
承……旅立ち:中国へ
転……戦い:藍帝との決着
結……新たなる旅立ち:目的をなくすアキラが、友とともに旅立つ

 おつぎは、4楽章の組曲を発注。クリエイターの自由な発想に任せるべく、ここでは注文などはあまりつけなかったという。

 ストーリープロット構築→音楽のあとは、シナリオの制作へ。ここで驚愕すべきは、プロの脚本家や映画監督などに協力を仰いだこと。理由は、「ゲームクリエイターだけだと、視野が凝り固まってしまうから」(鈴木氏)とのことで、いかに当時鈴木氏が柔軟な発想を持っていたかわかる。当時は毎週逗子マリーナで合宿ミーティングを行うなど、脚本家や映画監督とボーダレスな体制を構築していたという。もちろん、異業種どうしゆえに、喧々諤々があっただろうことは想像に難くないが、ちょっとそのミーティングを覗いてみたかったような気もする。最終的に映画とゲーム関係者の“戦い”の末に11章のシナリオが完成する。

 その後は、11章に対応した11枚のイメージ画を制作。“組曲”、“ノベル”、“イメージ画”などでスタッフ間の方向性の共有を図ったという。1章が横須賀で、2章が香港、3章から中国に入って……とマップによるイメージなども制作された。

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▲当時作られた、アキラの設定資料。『バーチャファイター』のアキラよりは、若干若めで表情も豊か。
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▲本邦初公開となる『シェンムー』11章に対応した11枚のイメージ画。世界観が膨らむ。

 着実に進められていたプロジェクトに大きな転機が訪れたのは、1997年のこと。当初サターン向けに開発が進められていたプロジェクトが、次世代機向けに移行したのだ。このタイミングで、プレイ時間に制約のない家庭用ゲームなので、“ゆったりとしたペース配分に”という、コンセプトがさらに深められる。当時制作された企画書には、おおよその目安として、ムービーに5時間、対戦に4時間、探索に4時間、移動&会話に8時間、技の伝授に4時間、森・地下ダンジョンに4時間、章またぎの移動に4時間、そのほか……など、合計45時間というプレイ時間が記載されている。「最初から、長時間遊んでも飽きないゲームを考えていました」と鈴木氏。この考えかたが、オープンワールドに発展していったのではないか、という。

 興味深かったのは、当時次世代機(ドリームキャスト)のスペックがわからかったので、「こうなるのではないか」と予想しつつ、『バーチャファイターRPG』 のフィーチャーを盛り込んでいったという点。いかに手探りの開発だったかがうかがえるエピソードだ。

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▲“ゆったりとしたペース配分に”ということで、長時間プレイを想定したゲームに(左)。鈴木氏がドリームキャストのスペックを予想して、『シェンムー』を開発していたとは興味深い。
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 そして1998年には、次世代機向けとしてはブランニュータイトルのほうが有利なのでは、といった理由によりゲームタイトルが変更される。さらに、当初は11章を上下巻にわけてリリースする予定だったのを、チャプチャーごとに分けることにした。『バーチャファイターRPG アキラ』から『シェンムー 一章 横須賀』へと変更されたのだ。それにともないコンセプトも変更される。“ゆったり”、“たっぷり”、“しっとり”だ。強調されたのは4つの要素。

■オープンワールド
 ワンテーマではなくて、ミニゲームなどを盛り込んで、じっくり遊べるように。プレイヤーの自由度を上げ、飽きさせない仕組みを作る。

■シネマチック
 感情移入度を高める。ゲームシーンのクオリティーを上げて、ムービーパートとの差をなくす。ゲームシーンとムービーパートの切り替えを違和感なく行う。

■QTE
 映画とゲームの融合。インタラクティブな取り組み。タイミングを取ることが苦手なゲームファンでも楽しめるように、失敗の回数で難易度を調整する。

■フリーバトル
 広いバトルフィールドで1対多を実現したい。『バーチャファイター』が1対1だったので、バトルの自由度を高めたかった。QTEからのスムーズな移行、自動カメラの質を上げる。

 と、こうして見てみると、まさにいまのゲーム開発にとって、当たり前の前提になっていることばかり。20年も前に開発された『シェンムー』が、いかに時代を先取りしていたかがわかる。

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 おつぎに鈴木氏が取り上げた“データ圧縮”への取り組みも、極めて興味深かった。膨大なボリュームとなる『シェンムー』では、そのまま制作すると、CD50~60枚くらいにもなってしまうという。さすがに50枚組みで発売するわけにもいかないので、「なんとか3枚組みになるように」ということで、データ圧縮に取り組んだという(ちなみに、実際のドリームキャストは独自規格のGD-ROMを採用している)。

 データ圧縮の取り組みとしてまず行なったのが“マジックメイズ”。これは、樹木や枝、葉っぱなどのデータを用意して、木のパラメータに応じで自動生成するという取り組み。これにより、「2キロ四方の森でも4キロ四方の森でも、データ量は変わりません」(鈴木氏)という。

 おつぎは、“マジックルーム”。『シェンムー』では、(いまは取り壊されてしまった)九龍城が登場するのはご存知のとおり。九龍城を舞台にしたのは、鈴木氏が「ビルの部屋に全部入りたい」と思ったのがきっかけらしいが、さすがにひとつひとつ作成しているととんでもないデータ量になる。そこで、部屋を窓やドアなどのユニットごとにわけ、AIが部屋の形に合わせて自動生成したという。探索が可能なように、コリジョンも自動生成したのだとか。

 さらには、“マジックウェザー”。こちらは時間や天候をプログラムで調整するウェザーシステム。雨や雪は計算して表現するという。天候の変化はいまでこそ当たり前となっているが、当時としてはおそらくゲームとしては初の取り組みだ。ちなみに、『シェンムー 一章 横須賀』の時代設定は86年。そこで鈴木氏は、86年から3年分のデータを気象庁から入手して、天候を再現したという。「そこまでやるか!?」という感じだが、どんでもないこだわりぶりをうかがわせるエピソードだ。

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 リアリティーのある街を再現するのも『シェンムー』にとっては不可欠。そこで大切になるのがNPC。NPCの行動制御はスクリプトとAIで行なったという。たとえば、朝7時に家を出て、バス停まで歩いて出勤し、お昼にあると昼食を取って……というスクリプトがキャラごとに用意されていたという。ここで鈴木氏は、NPCの行動制御のエピソードを披露してくれた。あるとき、倉庫街にNPCがいなくなった。「なぜか?」と原因を究明するもなかなかわからない。時間をかけてようやく解明した原因は“コンビ二”。つまり、NPCは朝コンビニに朝食を買いに殺到したところ、渋滞が発生して、コンビニから出られなくなってしまったというのだ。そこで開発陣は、自動ドアを大きくしたり、入場制限をしたりして対応したという。そのために、会社を遅刻する人(NPC)が増えたのだとか……。

『シェンムー』では、モーションデータの共有も図られている。違うサイズでも、同じ骨格であれば、モーションデータを共有できるようにしたのだとか。そのため、ごつい男がモンロー・ウォークで歩いたり、二足歩行をする猫が現れたり……といった珍現象も。猫の二足歩行は、人間と猫を同じ骨格で作ったことがバレる結果に……。

 1999年は、「プレイテストとデバックのくり返し」と鈴木氏。1日300くらいのバグチェックが追加されたという。24時間体制でプレイ動画を録画しながらチェックをしたのだとか。動画では興味深いエピソードも。『シェンムー』には、世界初の試みとしてタイアップがあり、コカ・コーラとのタイアップを行なっているのだが、チェックのためにコカ・コーラに動画を提出したところ、「“自動販売機は道路にはみ出してはいけない”とのことだったので、全部移動しました」となつかしそうに鈴木氏。

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 さて、『シェンムー』でいちばんたいへんだったのが、プロダクトマネージメント。いわゆる人の管理だ。『シェンムー』は最終的に300人の大型プロジェクトに膨れ上がったのだが、当時はいまのような管理ツールはない。そこで、Excelでチェックして、アクションリストで仕事をお願いしたのだとか。最盛期には、アクションリストが10000枚を超えたのだとか……。「それを紙で管理していたのですから、恐ろしいです(笑)」と鈴木氏。

 こうして1999年12月29日、スタッフの努力の甲斐があって、『シェンムー 一章 横須賀』がリリースされた。

 セッションのあとに行われた質疑応答では、当然のようにというか、期待通りに……というべきか、「『シェンムーIII』は発売されますか?」との質問がいの一番に飛び出した。それに対する鈴木氏の答えは、「機会があれば、作りたいと思っています」とのこと。ぜひとも、『シェンムーIII』を実現してほしいものだ。ともあれ、『シェンムー』がいかに時代を先取りしたかが、改めて実感できる講演だった。

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▲本日のお話は『シェンムー 一章 横須賀』まで。もちろん『シェンムーII』も出ているわけで。最後には“To be continued……”の文字も。『シェンムーII』の講演も近いうちに行われる?(左) そして、講演が終わるとサインを求める人の列が……。さすがの人気ぶりです(右)。

(取材・文/編集部F)