発表の場所はコンテンツ文化史学会

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▲会場となった東海大学高輪キャンパス。

 2013年12月7日、8日の2日間、コンテンツ文化史学会は、同学会主宰による大会“キャラクターを作る/動かす/考える”を、東海大学高輪キャンパスにて開催した。両日共に研究会の参加者による研究発表やゲストを招いてのシンポジウムが行われたが、ここでは『ダンガンロンパ』シリーズのアソシエイトプロデューサーである齊藤祐一郎氏がゲームが完成するまでの秘話を語った講義を中心に、その模様をリポートしていく。

 本題に入る前に、まずは“コンテンツ文化史学会”がどのような会であるのかを説明しておきたい。名前にコンテンツとあるように“さまざまなコンテンツタイプを統合的に考察すること”が学会の目的。ゲームや漫画、アニメーションごとの学会は存在するが、コンテンツを楽しむ人間はそのすべてを複合的に楽しむものという消費者の立ち位置から、より相互のコンテンツを包括的に学び、研究していくため、定期的な学会(研究発表会や懇親会)を行っている。
 学会は、歴史や社会学、経済学、さらには理系の人々までと、さまざまな業界からの会員で成り立ち、また取り上げられる題材も、絵本から漫画・アニメ、特撮、ゲーム、ネット、さらには舞台やゆるキャラといった、あらゆる“作品”となっている。つまり、作品を横軸、歴史を縦軸としてコンテンツを研究をしている集まりというわけだ。

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▲東海大学の教室内にはコンテンツ文化史を学び、役立てようとする学生から社会人までの姿が多数。発表された研究の中には、『サクラ大戦』のキャラクターと歌劇団の関係性を探るといった、ゲームを題材としたものも見受けられた。

三度の失敗から不死鳥のように蘇ったプロジェクト

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▲大学の教室ということで、報告者は教壇に立ち、黒板やプロジェクターを使っての講義がなされていった。

 齊藤氏が登壇したのは、“キャラクターの創造と活用”というテーマのシンポジウムにて。同シンポジウムでは、絵本『くまのがっこう』やキャラクターグッズ“あおくび大根”といったヒット作のキーパーソンが登壇し、製作時の秘話や成功までの道のりを語っていった。

 齊藤氏の講義のテーマはズバリ、“絶望の中から希望をたぐり寄せるプロジェクト ダンガンロンパ”。まずは知らない人向けに、『ダンガンロンパ1・2 Reload』の映像を上映。モノクマ役・大山のぶ代さんのモノクマのナレーションに乗せて流れる物騒なゲーム内容に、ちょっと驚いた空気も流れた。

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▲スパイク・チュンソフトのアソシエイトプロジェクター齊藤祐一郎氏。中央から白黒分かれたモノクマヘアがトレードマークだ。

 『ダンガンロンパ1・2 Reload』による映像が流れた後に「こんな雰囲気のゲームでございまして」と、話を切り出した齊藤氏の講義タイトルは“絶望の中から希望をたぐり寄せるプロジェクト ダンガンロンパが希望を掴み取れた理由”。クリエイターやデザイナーとは異なり、スパイク・チュンソフトのプロデューサー(PSP版『ダンガンロンパ』発売時にはアソシエイト・プロデューサー)サイドからのキャラクターコンテンツとはなにか、という視点で話は進められていった。

 そもそも『ダンガンロンパ』が目指したものは、これまでに例のない“新ジャンル”への挑戦であったと語った齊藤氏。開発がスタートした2009年当時、スパイク(当時はチュンソフトと合併前)はオリジナルタイトルを数年間発売しておらず、そこに新たなモノを作りたいという思いから、齊藤氏を含む若手スタッフを中心に企画が立案された経緯を持つ。打ち出した特徴は、“個性の強いキャラクター”、“豪華声優陣”、“サイコポップな表現”、“クローズドサークル(限定空間)での犯人探し”。こうした革新的な特徴により業界に新風を吹き込んだことは、ゲームファンならご存じのことだろう。

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▲『ダンガンロンパ』が人気を得た要素を語る齊藤氏。こちらも、ゲームファンならよくご存じのはず。

 その結果、シリーズ累計で60万本ものヒットとなり、アニメや小説、グッズといったメディアミックス展開が広がることとなった『ダンガンロンパ』。しかし、その成功は最初から成功が約束されていたのかといえば「答えはノーである」と齊藤氏は述懐する。
 プロジェクトがスタートするまでは、さまざまな障壁があったが、その最大の壁は「社内で企画が承認されないこと」。現在はスパイク・チュンソフトを代表するタイトルのひとつとなった『ダンガンロンパ』だが、企画段階ではその新しさ・過激さゆえ、社内での理解を得られず、都合三度もの承認不可を受けたという。

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 承認不可となった理由のひとつが、“アドベンチャーというジャンルに限界がある”という点。基本的に昨今のゲーム開発では、ゲームのジャンルやユーザーの動向を元に売上本数が予想され、それを元に開発や宣伝のための予算が決定されるのだが、企画に対して社内のマーケティングチームが試算した売上は最大4万本。この数字は、オリジナル作品を立ちあげたい開発スタッフの考えていた規模よりも小さく、これだけで実質的なノーをつきつけられたようなものであった。

 もうひとつの理由が、残虐性の強さ。“閉鎖された空間の中に閉じ込められた高校生たちが、自分たちの望まない殺し合いを行う”という物語性、ゲーム性を持つが本作だが、「もっと表現がストレートだった」齊藤氏は説明。完成時には“サイコポップ”という独自表現を使うことでマイルドさを持った残虐表現だが、企画の初期段階では“殺し合い”、“処刑”といった単語が並び、ギロチンで生徒の首が飛ぶといった直接的な表現がなされており、営業・マーケティング部署、とくに家庭を持つ高年齢層の社員から「(処刑シーンが)まるで登場人物が犯人を私刑にしているようだ」と、大きな反感を受けていたという。

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 こうして“絶望の淵”に立たされた齊藤氏たち。ふつうならば一度ノーとくだされた企画を再提出することは稀だが、みずからの企画が若者に刺さるという自信をもっていた齊藤氏らはアドベンチャーいう枠から脱して新しいジャンルを作ってしまおうと考えアプローチを替えて挑むこととした。
 「アドベンチャーがダメなら、もっと市場の大きなアクションにすればいいじゃないか」、「謎解きを気持ちよく味あわせるために、テンポをよくしよう」――こうした思考を経て生み出されたのが、製品のジャンルともなった“ハイスピード推理アクション”なわけだ。

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 通常ゲームの企画は“ユーザーにどんな体験をさせたいか”といったゲーム性から立てられるが、『ダンガンロンパ』の場合は、ジャンルを立ててから“これならハイスピードアクションと呼べる”という仕組みを盛り込んでいく、イレギュラーな筋道となった。

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 承認までの大きな壁を乗り越える手がかりを得た開発陣がつぎに取り組んだのが、残虐性について。前述したような残虐表現が“尖りすぎていた”『ダンガンロンパ』であるが、「クリエイターが生み出したものを市場に適応する形にすることが、僕らプロデュース側の仕事」とし、導き出した答えが“サイコポップ”であったという。具体的には、直接的なグロ表現はせず血の色を蛍光ピンク色に変える、殺し合いをカタカナ表記の“コロシアイ”に改める、といった具合。こうした方向転換で、人が持つグロ表現に対する嫌悪感や危機感を、斬新な表現に置き換えていき、齊藤氏らは「この新しい世界観を若いユーザーは好きになってくれますよ」という論調で再度の説得にかかった。

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 しかし、そこでの結論もふたたびノー。それでも諦めなかった企画陣は、会社の上層部に直談判を敢行する。これまでに練り上げてきた企画を提示すると同時に、「僕らがターゲットとしている若い層にウケるはずです。僕ら若人たちにチャレンジさせてください」と、半ば情に訴えかけることで、ついにプロジェクトの承認をもぎ取った。

 ついに壁を乗り越えた齊藤氏たちだが、再度実例として取り上げたのがモノクマができるまでの過程。企画当初に考えられた支配者キャラクターは、人体モデルで「あまりにパンク過ぎるので、企画提出前に自主的にストップしました(笑)」と振り返る。じつはモノクマが中央から左右色違いなのは、その名残でもあるのだそうだ。
 こうした流れにより奇しくも誕生したモノクマだが、下記の画像にあるように、初期段階では自身が処刑の手を下す“サイコの部分が強いキャラクター”だったため、よりマスコットらしさを増した姿(及び、フィクサーという立ち位置)になったわけだ。ちなみに、体が左右白黒なのは、犯罪を指す隠語のクロとシロが由来であるとのこと。ここに声優・大山のぶ代さん演じる声が加わり、“かわいいビジュアルから放たれるグロテスクなセリフというギャップ”をもって、モノクマが完成したと語った。

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▲モノクマのデザイン変遷が映しだされた直後から、場内のあちこちからはクスクス笑いが。また、声優として起用した大山のぶ代さんが、事前の心配を他所に、ノリノリで引き受けてくれたエピソードも披露された。

 作品への情熱と、“ノー”とされても諦めない気持ち、提出ごとに企画の改修を重ねて作った実績と、それによって生まれた上層部との信頼関係にて、『ダンガンロンパ』は見事に会社の承認を掴み取り、製品として発売されることとなった。
 発売直後には予想よりも売上が低かったという危機もあったそうだが、作品の持つ“尖り”をいち早く察知したユーザーたちの口コミにより、どんどんと話題が広がり、結果大ヒットとなったと齊藤氏は振り返る。

 総括として齊藤氏は、ふたつのキーワードを掲げた。まずは“既存の形、枠から外れたチャレンジを恐れない”ということ。最初からノーを突きつけられたプロジェクトであったからこそ、熱意を保ったままチャレンジが続けられたと説いた。
 ふたつ目のキーワードは“その企画ならではの飛び道具を持つこと”。齊藤氏は「僕らが企画をゴリ押ししたのも、その中に飛び道具=光るものがあったから」と語り、『ダンガンロンパ』の場合は、モノクマというキャラクターや声優陣が作り上げた世界観やビジュアル表現が強い武器となったと振り返り、話をまとめた。

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ゲームというコンテンツのありかたとは?

 ここで講義は終了……かと思いきや、齊藤氏は「個人的に交流がある」という森チャック氏をゲストとして招き入れる。かわいくもバイオレンスなクマのキャラクター“いたずらぐまのグル~ミ~”の作者としてで知られる森氏だけに、奇しくも“クマ繋がり”でのトークがくり広げられることに。プロデュース側である齊藤氏とクリエイターである森氏という立場・視点の違いからのキャラクター論が交わされた。

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▲森チャック氏(右)をゲストに加えての特別講義に。プロデュースとクリエイトという立場の違う両名のクロストークがくり広げられた。画像右は、森氏の代表作『グル~ミ~』。

 シンポジウムの最後には、登壇者全員によるパネルディスカッションが行われ“キャラクターの作りかた”や“長続きさせる秘訣”といったテーマごとの談義が取り交わされた。齊藤氏が(会社として)モノを作るための障壁と、その成功例を語ったのに対して、ほかのクリエイターが一般書籍や同人誌、ストリート販売といった“作りたいから作る”からスタートしているコントラストの違いが興味深かった。

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▲『あおくび大根』の作者の漫画家はじめ氏。作品世界の核となっているのは「(それ以外)も、あっていい」だと語っていた。
▲『くまのがっこう』プロデューサーであるあいはらひろゆき氏。同作は、100年続くコンテンツをテーマに制作を続けていると説明。
▲齊藤氏は「スパイク・チュンソフトはヘンなモノを作るメーカーだから、これからもオリジナル作品を作っていく」とも語った。
▲“自分が作りたいから作る”を体現していたのが森チャック氏。そのため、グッズの監修は納得するまで徹底して行っているという。
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(取材・文 ライター/馬波レイ)