緊急地震速報アラートの作者は、福祉工学の権威

 
 2013年8月21日~23日、パシフィコ横浜にて開催されている、日本最大のコンピュータエンターテインメント開発者向けカンファレンス“CEDEC 2013”。2日目の2013年8月22日に行われたセッション、“機能的サウンドデザイン ~緊急地震速報のアラートはこうして作られた~”の模様をリポートする。

 緊急地震速報のアラート音は、2011年3月11日の東日本大震災に前後する時期から、耳にする機会が急速に増えたサウンドである。念のために断っておくと、ここで言うアラートは携帯電話から流れるものではなく、テレビやラジオを視聴中に流れるほうである。

 登壇したのは、東京大学教授の伊福部 達(いふくべ とおる)氏。氏は障害者や要介護者の在宅医療や社会参加を推進する“福祉工学”を40年以上研究し続け、国家プロジェクト“高齢社会を豊かにする科学・技術・システムの創成”の代表者と、日本バーチャルリアリティ学会の会長も務めている。そんな伊福部氏が、なぜ緊急地震速報のアラートを作ることになったのだろうか。

ゴジラの咆哮が呼び起こす、アイヌの郷愁――緊急地震速報のアラート制作秘話【CEDEC 2013】_01
ゴジラの咆哮が呼び起こす、アイヌの郷愁――緊急地震速報のアラート制作秘話【CEDEC 2013】_02
▲本セッションの講師を務めた東京大学・先端研の伊福部 達氏。

 
 そのルーツを紐解くため、伊福部氏は故郷であるアイヌ集落を紹介。さらに氏の叔父は、『ゴジラ』を始めとする数々の映画音楽を手掛けた音楽家の伊福部 昭氏であり、『ゴジラ』の音楽は原風景に刻み込まれている。アイヌの音楽、そして『ゴジラ』の音楽が、氏の福祉工学研究の土台になっているそうだ。

ゴジラの咆哮が呼び起こす、アイヌの郷愁――緊急地震速報のアラート制作秘話【CEDEC 2013】_03
ゴジラの咆哮が呼び起こす、アイヌの郷愁――緊急地震速報のアラート制作秘話【CEDEC 2013】_04
▲さまざまなテレビ番組や実験映像を交えながら、福祉工学をベースとした音の技術を紹介。

 
 ここで伊福部氏は、この日の講演の構成は3つになると説明。それぞれのパートは独立しているようで、すべてがどこかでつながっている。少し専門的な話も混じってくるが、一読していただければ幸いである。

1「聞く」を助ける技術から脳の話

 
 聴覚のルーツは魚が持つ側線器と呼ばれる器官で、これが発達して内耳ができたという。そう前置きしたうえで、聴覚障害の人に音を届ける方法は3つあるという。

 ひとつ目は、魚の側線器をヒントにした“触覚”。伊福部氏はカタツムリを真似た構造を持つ、指で音を聴く装置“触覚ディスプレイ”を制作。これによって触覚と聴覚の潜在的な結びつきを示し、当時のテレビ番組にも取り上げられた。それが1975年のことだ。

 ふたつ目は、声を文字にして見せる“視覚”を利用したもの。1977年、ベンチャー企業のBUGと伊福部氏の共同開発により、声を文字にする“音声タイプライタ”を制作した。メモリはわずか32KBで、当時できたばかりのワープロと連結させて製品化に成功。しかし、1台150万円もしたため、「本当に欲しい人たちには渡らずに終わった」と伊福部氏。ただ、印刷メーカーは音声を活字化するという目的で使われ、少ないながらも需要はあったという。

ゴジラの咆哮が呼び起こす、アイヌの郷愁――緊急地震速報のアラート制作秘話【CEDEC 2013】_05
ゴジラの咆哮が呼び起こす、アイヌの郷愁――緊急地震速報のアラート制作秘話【CEDEC 2013】_06
▲人間の聴覚や視覚の情報は、欠落していても脳が勝手に補完する。この構造はいまだ解明されておらず、コンピュータのアルゴリズムで再現することは不可能だそう。

 
 3つ目は1984年に行った、人工内耳を介して聴神経に電気刺激を流す方法である。日本では禁止されているため、アメリカのボランティアのおばあさんにお願いした。すると、最初のうちは雑音にすぎなかったものが、2週間後に突然言葉として聞こえてきたというのだ。これは、声は脳で聴いていることの証左であるとともに、脳内の流れを変えてでも聞きたいという欲求によって実現していることだという。伊福部氏は、こうした事例を映像とともにいくつか紹介した。

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2緊急地震速報チャイムを作る話

 
 こうした研究を進めている中、伊福部氏は2007年の春に緊急地震速報を作ってほしいとNHKから依頼を受け、一度は断るものの了承する。だが、運用は10月1日からと決まっており、制作期間は短かった。緊急地震速報のアラートは、危険は知らせるが不安は煽らず、難聴者にも聞こえて、なおかつ著作権の問題もクリアーできる音楽を作らなくてはならない。これは決して簡単なことではなさそうだが、結果的に叔父の伊福部 昭氏が制作した、アイヌの踊り歌をモチーフにした管弦楽の一部を忍びこませることで解決するに至る。

 そもそも緊急地震速報とは、震度にして5弱を越える地震の前兆としてP波を受け取ったあと、少し後に揺れの大きいS波が来る。その間に逃げる、あるいは逃げる準備をするために発するアラートだ。P波とS波の時間差は、震源との距離に比例して長くなるが、おおよそ30~60秒程度。その短い時間の行動が生死を分ける可能性がある。そこで伊福部氏は、叔父・昭氏の著書『音楽入門 -音楽入門の立場から-』(1951年 全音楽譜出版)にヒントを求めた。

 この著書には、“映像に付ける音楽機能の4原則”が記されていた。すなわち、状況の設定(時代や場所)、エンファンス(感情表現の増強)、シークエンスの明確化(場面の連続と予測)、フォトジェニー(映像と音楽の融合表現)である。この中で、伊福部氏が注目したのは、シークエンスの明確化だ。たとえば、茶の間で団らんしているときに「ドーン!」という音がすれば、何かが起きることを予感せずにはいられない。『ゴジラ』がまさにそうで、街の破壊場面を予測させ、恐怖感が増強される。『ゴジラ』のテーマ曲でいうと、前奏に当たる部分が該当する。

 また、女性的な甲高い悲鳴の「キャー!」という声は周波数が高く、注意を喚起する効果があるという。女性がライブ会場で挙げる歓声や、猿がエサを欲して出す声もほぼ同じで、聞こえる距離は低音の「うおおお」が20メートル程度なのに対し、「キャー!」は50メートルにおよぶという。これが聴覚の特性であり、魚の聴覚も原理的には同じなのだそうだ。

ゴジラの咆哮が呼び起こす、アイヌの郷愁――緊急地震速報のアラート制作秘話【CEDEC 2013】_10
ゴジラの咆哮が呼び起こす、アイヌの郷愁――緊急地震速報のアラート制作秘話【CEDEC 2013】_11
▲映画『サイコ』や『ゴジラ』を例に、動画も使いながら映像に付ける音楽機能の4原則をわかりやすく解説。

 
 そして模索の末、叔父の昭氏が作曲した、アイヌ音楽がモチーフの交響曲『シンフォニア・タプカーラ』の第3楽章を使うことになった。その理由として、冒頭のVivaceの和音に適度な緊張感があると感じたためだとのこと。その後にあるトリル(装飾音)も津波をイメージさせるもので、これは最終的にはやめることになるが、さまざまなイメージを残したり削ったりしながら、チャイム音を絞り込んでいき、最終的に現在のアラートが完成した。

ゴジラの咆哮が呼び起こす、アイヌの郷愁――緊急地震速報のアラート制作秘話【CEDEC 2013】_12
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3動物のサウンドデザインから学ぶ

 
 最後のテーマは、動物が発するサウンドを生かす方法論。伊福部氏が最初に取り上げたのは、九官鳥の物真似をモチーフにした人工喉頭。九官鳥の声と人間の声がかなり違うものだが、九官鳥は人間の抑揚を真似ているために似ていると感じるのだそうだ。そこで、喉に開けた呼吸孔から抑揚の情報を検出し、声の高さを制御する。この原理を使った人工喉頭は定価75000円で、4000台ほど販売された。ただし、人工喉頭を使う当事者の負担は、1万円弱ですむ。その後は手を束縛しない首バンドタイプの“ウェアラブル人工喉頭”を開発した。

 その後は、ブレイク前のいっこく堂氏の全面協力のもと、腹話術師が口を動かさずに声を出す仕組みを研究。口の動かしかたによって、すべての子音を発生できることがわかった。これを応用したものが、2013年5月から配信されている『ゆびで話そう』だ。これは、舌の動きを指の動きで代替して発声するiOSアプリ。価格は350円[税込]。

ゴジラの咆哮が呼び起こす、アイヌの郷愁――緊急地震速報のアラート制作秘話【CEDEC 2013】_15
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▲それまでの人工喉頭と異なり、呼吸の情報から抑揚をつけられる。

 
 つぎに、コウモリにヒントを得た“超音波メガネ”を紹介。視覚に障害がある人向けに作られたもので、4つのセンサーで超音波を拾い、装着者の前方にある障害物の“気配”を感じさせて回避させることが狙い。しかし、盲学校で使ってみたところ、評価は散々だったという。なぜならば、ほとんどの学生は超音波メガネなどを使わなくても気配を感じ取ることができていたのだ。しかし、その後の調査で、気配の察知は環境雑音がある空間でないと感知できないことが判明した。このことから、人間の脳の中には先天的に気配を察知する能力が眠っている可能性が伺える。

 最後に、東日本大震災の際、NHKの国会中継を中段して緊急地震速報が使われたことがきっかけで、緊急地震速報のアラートが全国規模に広がった経緯を説明するとともに、『ゆびで話そう』の持つ可能性を示唆。障害のある人のために作ったアプリだが、高齢社会に広く浸透しつつあるという。その結果、アプリそのものよるも、スマートフォンを使うことで社会参加に役立つという見解を示し、講演は終了となった。

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 ゲームに応用できそうな技術も散見されたので、いつか何らかの形で生かされることに期待したい!(text by バロンマサール)