よりよい翻訳に仕上げるために
2013年8月21日~23日、パシフィコ横浜にて開催されている、日本最大のコンピュータエンターテインメント開発者向けカンファレンス“CEDEC 2013”。初日の2013年8月21日に行われた、“翻訳者が欲しい情報とその理由:開発者にできる事とするべき理由”と題したセッションをリポートしよう。
海外で作られたゲームを“ローカライズ”する際に、翻訳という作業は非常に重要なものとなる。このセッションでは、ゲームの作り手をおもな対象に、“お金をかけずにローカライズの品質を高める”ために必要な、翻訳についての知識や翻訳者がその能力を出しきるために必要な開発側の準備について講義が行われた。
セッションの講師である矢澤竜太氏、ザック・ハントリ氏は、ふたりで“架け橋ゲームズ”というチームを組んでゲームのローカライゼーションやウェスタナイゼーション、英日コミュニケーション支援を行なっている。言わば、ローカライズの最前線にいる現役戦士である。ただ、言語の問題もあるのか、今回はほとんどの講義と質疑応答を矢澤氏が担当していた。
初めに、矢澤氏から“セッションに応募した理由”が語られた。氏によると、「翻訳者が求める情報と、なぜその情報を求めるのかという理由を、開発側が知る機会は少ない」のだという。ローカライズ品質を上げるためにはお金と手間暇をかければ誰にでもできるが、現実的には限られた予算と時間で何とかやっていかねばならない。そのために必要なことを、ぜひ開発者に知ってもらいたいという思いがきっかけとなったのだそうだ。
解決すべき問題
続いて矢澤氏は、このセッションの背景にある翻訳の現場で起こっている問題について語った。とくに大きな問題とされたのが、翻訳者と制作者側できちんと意思の疎通が取れておらず、翻訳側がきちんと協力をしていても低品質な翻訳ができ上がってしまい、それがゲームの評価に影響、結果として売上のダウンにつながるという悪循環である。なぜ、そのような事態を招いてしまうのか。矢澤氏によると、それは翻訳側が作業上わからないポイントを“推測”して翻訳してしまっているからなのだという。裏を返せば、翻訳側が“推測しない”環境づくりをすることが、品質向上につながるのだ。
“推測しない”環境づくりをするには、どうすればいいのか。それには、翻訳者が求める情報を与えることがいちばんの近道となる。矢澤氏は、5つのトピックを挙げ、それらの詳細と、その情報を与えるために必要な素材について説明を行った。
第1の情報は“話し手/聞き手の性別と数”である。矢澤氏は、なぜそれらの情報が必要なのかということを、イタリア語で何かを称賛するときに使う“Bravo”という単語を例に説明を始めた。“Bravo”は、対象の“性別”と“数”により、語形変化する。たとえば、“ひとり”の“女性”に対して使うときは、“Brava”となる。そのため、仮に女性ふたりに対して称賛するシーンがあったとして、その際に“Bravo!”と言ってしまうと、文法上おかしなことになってしまうのだ。
また、その際に話し手と聞き手の距離も問題となる。「会話シーンの場合は基本的に近くにいるはずなので問題ないのですが」(矢澤氏)、話し手がひとり言をしているときなど、ひとり言の対象がどこにいるのかで、訳しかたがまるで変わってくるという。
実際にゲームをプレイしてそのシーンを確認しながら翻訳ができれば話は早いのだが、限られた時間のなかでひとつひとつそのシーンを呼び出すのは不可能に近い。そこまで行かなくても、原文のデータに話し手や聞き手の性別、数を追記してもらえるのが理想的ではあるが、現実としては絵コンテや台本を提供してもらえれば、ほぼ解決することができるようだ。
続いて矢澤氏が挙げたのが、“省略されてしまっている主語、目的語”。こちらも、とてもわかりやすい例とともに説明してもらえた。
日本語で「……できる!」というセリフが出てきたとする。日本人だと、相手が手練だと認識したときなどに使ったりするが、受け取りかたによっては「自分はできる!(I can do it!)」という意味にもなる。主語が別の人物になってしまっているのだ。第1の情報とともに、大きな誤解を招くことになりかねない。ただ、この問題も第1の情報同様、もととなる絵コンテや台本といった開発資料を提供することで解決可能らしい。
“タイトル固有の専門用語”や、“ビジュアルを伴うアセット(アイテム)の詳細”も、翻訳の品質に大きく関わる要素となる。これらに関しては、現物を知らなければ訳しようがないため、マージャン用語で言うところの“安牌を切る”、もしくは野球用語の“当てにいく”、よく言えば無難、悪く言えば適当な翻訳が発生しやすくなるのだという。矢澤氏は、「わからなかったら聞いて、と言う人は多いのですが、それは基本的に機能しません」と語る。作業をしていると、“わからないこと”は膨大な数発生するので、納期と手間を考えるとそれらをすべて聞くわけにはいかず、けっきょく本当に危なそうなものだけ聞くことになるのだ。難しい作業ほど、放任が罪になるのはどの業界も同じなようだ。
翻訳側が必要とする情報として最後に挙げられたのが、“更新前のテキスト”だ。「原文が変わったので、翻訳にも反映してください」と要請が来るのはよくある話なのだが、その際に困るのが、“更新後の原文”と“更新前の翻訳”しかデータが残っていないケースだという。複数の言語版を同時進行で制作している場合にあるケースらしいのだが、どの箇所がどのように直っているかがわからないと、同じ単語は全部直す必要があるかどうか調べなくてはならなくなるので、目の前がチカチカするほどたいへんになるのだそうだ。
この問題については資料の精度が要求されるようだ。一括して検索・変換できるようにすることで、作業時間は大幅に短縮可能に。一刻を争うような状況下では、この違いが翻訳の品質を左右することになる。
最後に、矢澤氏はこれらの情報を提供するために必要な資料について説明。欧米では、新人のアシスタントプロデューサーなどにスクリーンショットや動画も含めた資料作りを行わせているところも多いようだ。たとえ小さなプロジェクト内でも、そういった役割をうまく分担できるようにして、翻訳側とスムーズなコミュニケーションを取れるようにすることで、品質はだいぶ変わってくるとのこと。
翻訳作業についての知識はいままであまり知られてこなかったが、このセッションを通じて、やはり大事なのは“コンセプトや情報の共有”だということがわかった。ローカライズにおいて翻訳作業は体制の末端に位置することになるが、だからといって共有を怠ることで“推測して作業する”という危険な状況が発生し、品質を下げる要因となってしまうのだ。しかし、それでもなお会場の反応は「知らなかった」というものが多かったのが印象的だった。そう、知らなかっただけなのだ。今後も増えていくであろうローカライズタイトルにとって、このセッションが品質向上のいいきっかけとなることを願ってやまない。
text by ギャルソン屋城