ネットワークゲームの可能性を示した家庭用ゲーム機

“SEGA CONSUMER 30th ANNIVERSARY BOOK”ドリームキャスト/プロモーションを手掛けた竹崎氏が語る、ドリームキャストの挑戦_01
竹崎 忠(たけざき・ただし)氏
株式会社セガ 社長室
プロジェクト推進部 部長
1964年生まれ。1993年にセガ初のパブリシティチームを立ち上げ、ドリームキャストに至るまで各種プロモーションに関わる。現在は、セガの新しいサイトやネットサービスを企画中。一般社団法人のコンピュータエンターテインメント協会(CESA)が発行する『2013 CESAゲーム白書』(一部書店で購入可能)に、メガドライブに関する寄稿が掲載されている。

 セガが家庭用ゲーム事業に参入して30年を記念して、セガハードの魅力を紹介する別冊付録“SEGA CONSUMER 30th ANNIVERSARY BOOK”が、週刊ファミ通2013年8月8日発売号に付いている。この付録に掲載されている、セガの竹崎 忠氏がプロモーションの視点から振り返るドリームキャストの歴史を紹介する。

 “プレイ&コミュニケーション”というキーワードで、人と人のつながりを実現するハードとして開発されたドリームキャスト。当時のアーケード基板以上の性能を持つ家庭用ゲーム機を作り上げたセガは、一般家庭にネットワーク環境が普及していなかった時代に、オンラインゲームを浸透させるという未開拓の領域に踏み込んだ。メガドライブの時代からセガのプロモーションを手掛け、ハード事業から撤退する方針が公式サイトで発表された際に“SEGAを応援してくださるみなさんへ”と題した意見表明を掲載した竹崎氏が、“早すぎたハード”ドリームキャストに込められた“夢”と挑戦を、改めて語ってくれた。

ドリームキャストで次世代のインフラを作るという夢があった

――ドリームキャストのプロモーションは、広く一般層を狙っている印象を受けました。
竹崎 秋元康さんの存在が大きかったですね。新聞広告で「セガは倒れたままなのか」と打ち出し、実際にセガの専務だった湯川さんがテレビCMに出て、「ドリームキャストでセガは再起する」というメッセージを打ち出した。セガサターンのユーザーがどう思ったのかは別にして、世間的には非常にキャッチーだった。セガのプロモーション戦略がニュースになり、最終的にはドリームキャストの発売が新聞の夕刊の一面に掲載されるまでになりました。いま、新しいゲーム機が発売したからといって、新聞の一面は飾れないでしょう。それだけの話題をドリームキャスト発売に向けて作り上げたんです。

――一連のプロモーションで、セガのハードに対する印象が変わったのは事実ですね。
竹崎 プロモーションだけでなく、ハードを作る際にも、セガサターンの失敗を反省し、すべてを見直しました。セガサターンはCPUをふたつ搭載していて開発が難しいうえに、開発環境もいまひとつだと言われた。そこで、開発しやすいようにライブラリを充実させ、開発環境を改善しました。いまでも、ドリームキャストの開発環境は非常に評価されています。そのうえで、本体のデザインや色味、名前など、すべてにおいて大衆受けする方向を目指しました。結果として、コンパクトかつシンプルなデザインに暖かい色調の、従来のセガハードとは見た目がまったく異なるハードになった。いちばんしっかりとマーケティングをしたハードですよね。

――盤石の体制で発売したわけですが、それでもハード事業から撤退することになった理由は?
竹崎 突き詰めれば、純粋にコストの問題ですね。ハードそのものが赤字にも関わらず、値下げ競争に挑まなければならなかったから。SCEさんはDVDの規格を保有していましたし、チップも自社の製品を使うなどして、内部でハードを作れました。でも、セガはすべて外の会社から買って作っていたので、コスト面で不利だったんですね。ハードのコストダウンは難しいし、ソフトも従来のような数は売れなくなっていたし、本体価格は値下げしなければならないし……。

――コストと利益の両立は難しいですね。
竹崎 ハードを売るほどマイナスが出るので、それをソフトの売上でカバーしないといけない。でも、ソフトの販売本数が伸びない。くわえて、そんな状況でもネットワークは推進しなければならなかった。なぜなら、ゲームユーザーに新しい価値観を提供しよう、世界中の人をネットワークで繋げる環境を作ろうという理念があったからです。安価なネットワーク端末が世に広まって環境が整ったとき、ネットを介してサービスやプロダクトを提供することが、次代のセガのビジネスになるのだから、そのインフラをドリームキャストで作るんだという夢があった。でも、当時のネットの利用料は高額で、ユーザーはそう簡単にネットにつなげられない。そこで、プロバイダーの費用をセガが全部負担してでもネットにつないでもらおうという策をとりました。その結果、ドリームキャストは赤字が増える一方の事業になってしまったんです。

時代の切り換わりを象徴するハードになった

――ドリームキャストでネットとの親和性を追求した点は早すぎたと、よく言われますよね。
竹崎 あのとき、ネットに挑戦したことは正しかったと思っています。ただ、やはり収支が合わなかった。それでも、勝負するしかなかった。あの時代にネットを無料で楽しめるというのは、すごいことでした。その費用を負担していたわけですから、そういう意味では、当時のセガはもっともお客様にお金を支払った会社だと言えるかもしれません(笑)。

――ずっとアーケードと両輪でやってきたセガのゲーム機ですが、最後にドリームキャストがアーケードと同じスペックに追いついて終わったというのは象徴的でした。
竹崎 結果として、家庭用ゲーム機が行き着くところまで行ったのと同時に、アーケードに行かなくても家でアーケードクオリティーのゲームができるということになりましたね。ドリームキャストは途中でブロードバンドに対応しましたが、PCの進化の速度も一気に上がった時期で、ゲームに特化したハードが生き残れるかどうか、皆が考え始めていた。ドリームキャストは時代の切り換わりを象徴するハードでしたね。

――意欲的な挑戦に満ちたハードだった、と。
竹崎 地味かもしれませんが、“ドリームライブラリ”をやったことは忘れないでおきたいです。ドリームキャストをネットワークにつなげば、メガドライブやPCエンジンのソフトをダウンロードして遊べたんですよね。いまでは当たり前のことですが、過去のハードのゲームをいまのハードで遊べる環境を、どこよりも早く実現したことは革新的だったと思います。また、ネットワークゲームならではのおもしろさにチャレンジした結果、『ファンタシースターオンライン』が生まれ、現在も新作を非常に多くのお客様に楽しんでいただいています。ドリームキャストで蒔かれた種はちゃんと芽吹いて、いまも育っているんです。ある意味、無茶な挑戦をしたのかもしれませんが、おもしろいことならオーケーみたいな部分がセガにはありましたから。

――そういう挑戦を見せてくれるから、皆がセガを好きになっちゃうんですよ。
竹崎 セガマニアだった自分にマーケティングメンバーの中枢でいろいろやらせてくれた会社ですからね(笑)。セガで仕事ができて幸せです。

※インタビューのほかにも、貴重な画像などが満載の“SEGA CONSUMER 30th ANNIVERSARY BOOK”は、週刊ファミ通2013年8月29日増刊号(8月8日発売)に付録されています。気になった人はいますぐチェック!