ゲームならではのストーリーテリングの成長の可能性は?
GDC 2013(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス 2013)から、名作『Thief』や『Deus Ex』、近年は『エピック ミッキー』シリーズなどを手掛けたウォーレン・スペクター氏による講演の模様をお届けする。
テーマはゲームにおけるストーリーテリングの可能性について。最初に「ゲームは他のメディアから何かを学べるのか?」という問いを立て、メディア史におけるストーリーテリングの流入の過程をおさらいするところから始まった。
ゲームにおいても、他のメディアの手法が色々入ってくる。そこにインタラクティブ性が加わることで、ゲームならではの効果的なストーリーテリングのマジックが生まれるとスペクター氏。一方で、他のメディアからなぜ借りるのか、いつ借りるのかを理解することが重要だと指摘する。
例えば映画とゲームの似ているところは、動くイメージであること、画面に投影すること、色やサウンドを使うこと、幻想を描くといった共有部分がたくさんある。しかし映画とゲームには大きな違いがあり、これを見過ごすわけにはいかない。
映画的演出ではカメラを複数置いて切り替えてスリリングに見せるシーン演出があるが、ゲームではプレイヤーが積極的に参加し、しかも何度も体験するのでそのまま応用できない。これはゲームが成功するためには重要なポイントであると指摘。
また、ゲームと映画はペースも違う。90分から150分を印象的に描く映画では、時間をとってたっぷりとした間で見せようというアプローチが可能だが、ゲームでは一般的にプレイヤーがアクションを求めるのでそう簡単に待ってくれないという問題がある。
脚本の厚さも違う。ゲームの脚本は長く、またヒーローが何度も同じ事を言うということを考えると、映画とは違った質のセリフが求められるのは自明だ。
そして映画ではひとつの動きのインパクトを強く印象に残すものだが、これをそのままゲームに持ち込み、同じアクションを何度もやると面白くなくなってしまう。ここではジョン・ウー映画や(スローモーションのダイブが印象的。逆にゲームでそれをそのまま再現した『ストラングルホールド』は新鮮さが失われてしまう)、初代『バイオハザード』の犬が飛び込んでくるシーンなどを実例に挙げていた。
では、ゲームならではの特徴とはなんだろうか? それは、移動(プレイヤーを想像上の世界の中に導くこと)、没入感、反応(プレイヤーの行動に反応する。もっとも独自の要素)、リピート(アクションを何度もくり返せる)ことだとスペクター氏。
一方で、ストーリー構造の面では依然として直線的で、“ここでジャンプすべき”、“ここで殺すべき”など、構造が固定化されがちであることが限界となっており、新たな構造が求められると述べていた。
25分という短い講演だったため後半がかなり駆け足になり、さまざまな問題点や可能性を十分に説明しきれなかった感じは否めないが、中でも印象的だったのが、AIやインタラクティブ性の問題だ。ゲームはきれいな画像を追求してきたが、人の話し相手になるような(あるいはそう錯覚させるような)キャラクターはあまりなく、突然の意図しない行動にリアルな反応をするところなど見たことがないと指摘。インタラクティブ性も同様で、昔のゲームから根本はあまり進化していないことを例示していた。
これは言われてみると確かにその通りで、グラフィックは時に実写と見間違うかのようなものを見ることができるが、会話はいまだに設定されたものが再生されるか、せいぜいが選択肢から選んで分岐する方式。プレイヤーの任意の行動に対する反応も、バリエーションは限られている。インタラクティブなストーリーメディアとしての進化は、意外にそこまで進んでいないのだ。
スペクター氏は最後に、プレイヤーが行きたいところに行き、やりたいことをやれる機会を与えられるようになり、さらにプレイヤーがやりたいことに基づいてストーリーをダイナミックに変化させることができるようになれば、すばらしいゲーム・システムになるだろうと語った。その上で、ゲームならではのオリジナリティの獲得と問題解決へ向けた努力はまだまだ必要であるものの、優れたゲームは世界を変える可能性があるので頑張って欲しいと会場に訴えかけ、講演をしめくくった。