Take-Two Interactive Japanから2013年4月25日に発売予定のアクションシューティング『Bioshock Infinite(バイオショック インフィニット)』。本作を開発したIrrational Gamesのボス、ケン・レビン氏に話を聞いた。

『バイオショック』シリーズがFPSである理由

『バイオショック インフィニット』が一人称視点でなければならない理由――スタジオを率いるケン・レビン氏へのインタビューをお届け!【バイオショック特集】_03

――『バイオショック』シリーズは色んな所からセリフやアナウンスが聞こえるので日本語吹き替えがいいなと思っていたんですが、吹き替えにしてくれてありがとうございます!
ケン・レビン氏(以下、ケン) 日本語版をプレイしてみてどうだった? (良かったと思うと返答)それはよかった。吹き替えにするのを決めたものの、日本語がわからないから良し悪しを判断しようがないからね(笑)

――最近GOG.comで再発された『System Shock 2』を買ったんですが、あの作品からある種のユートピアの崩壊を描いていますね。これはあなたにとって重要なテーマなのでしょうか?
ケン 『System Shock 2』では、テクノロジーによって生まれた親と子の関係(とある事情によりコンピューターが人類に敵対する)に巻き込まれていく話だったが、とにかく自分中心に物語が進んでいく世界だった。
 そして『バイオショック』では、政治的な摩擦がちょっと足りない気がした。政治的要素については、アメリカの右派への批判と捉える人もあるし、人種差別や宗教問題などを見出す人もいて、それはまぁ確かにそういった要素は入っているんだけども、あくまでキャラクターやストーリーのための一要因として考えているんだ。ゲームをしながらさまざまな問題にぶちあたって、それがどのようにキャラクターに影響するかが大事なことだと考えている。

――あなたはFPS(一人称視点シューティング)をジャンルとして考えていますか? それとも何かを実現するためのツールとして考えていますか? なぜあなたはよくFPSを選ぶのでしょうか?
ケン FP(一人称視点)であることと、FPSであることの間にははっきりとした違いがあると思う。私にとってはFPであることが大事なのであって、S(シューター)の部分はそこまで重要じゃないんだ。
 一人称視点であれば、何か物に近づいて実際にそれを取ってみたりする体験ができるが、三人称視点では体験といった感じではないよね。だからキミ自身にブッカーになってもらうためには一人称視点でなければならない。
 こういった体験はほかのメディアやジャンルでは体験できないことだ。テレビや映画や本では、その人物になりきり、その人物の視点で世界の中を歩き、行動するといったことは限界があるよね。
 どうやって世界を現実的に見せて体感してもらうかということを、赤ん坊のようによちよち歩きでちょっとずつ進歩させてきた。普通のゲームは戦闘があって、その後に入ってくるカットシーンで物語を進めていくが、そうではない。つねにキャラクターと関わりあいながら、何もかもすべてを物語の一部として体感してもらうためにチャレンジし続けてきたんだ。

 ではなぜそういうことを目指すかというと、ゲーマーがいろいろな所に行って、キャラクターが本当に人間であることを感じてもらいたい。キミとエリザベスの関係を本当に意味のあるものにしたかったんだ。
 ブッカーが洗礼を受けさせられるシーンがあるが、洗礼というのは過去の一切合財を洗い流して、新しい自分に生まれ変わるということだと思う。そしてゲームというのは、ゲームをするたびに生まれ変わっているのと同じ事だと思うんだ。ジムに行かなければいけないとか、仕事とか、そういう日常をすべて忘れてゲームに没入するのが醍醐味でもある。
 このゲームを始める際に、あなたはふたつの“洗礼”を受けることになる。あなたはブッカーに生まれ変わるし、ブッカーとして洗礼を受けることになるんだ。

感情移入を引き起こすために

『バイオショック インフィニット』が一人称視点でなければならない理由――スタジオを率いるケン・レビン氏へのインタビューをお届け!【バイオショック特集】_02

――政治的問題や宗教的問題そのものはそれほど要素として重要ではないとおっしゃっていましたが、それでもこんな直接的に政治問題や差別問題を描いたゲームはそうそう見かけません。そのものは重要じゃなくても、なお大事な要素なのではないでしょうか?
ケン そうだね。例えば映画『ダークナイト』ではアクションがあり、犯罪があり、すごいスーツを着た覆面男と白塗りの変人が戦うわけだけども、ジョーカーは何も縛られるもののない混沌とした世界を信じていて、バットマンは文明社会を信じているというテーマがある。殴り合いを通して哲学的な討論をくり広げているわけだ。

 さて『バイオショック インフィニット』だけれども、確かにこのゲームには政治的なこと、宗教的なこと、差別問題などが含まれている。では差別問題と、洗礼の繋がりはなんだろうか? このゲームはどこに進んでいくのか?
 そこでキーとなるのが感情移入だ。ボールを投げるシーンはやった?(白人と黒人のカップルにボールを投げつけるか、司会者に投げつけるか選択するシーンがある) あの場面ではほとんどの人が司会者に投げつける。それは感情移入をしているからだ。それがなければ、まぁ五分五分だ。

 そして、これは単にあなたのモラルを問うているというよりも、感情的な経験をしてもらうということが大事なんだ。でもこういった選択や経験は、ふたつのまったく架空のものを並べたのでは、人にとって重みがないから、ただ何となくでしか決まらない。だから実際ある問題の枠組みを取り入れたんだ。

『バイオショック インフィニット』が一人称視点でなければならない理由――スタジオを率いるケン・レビン氏へのインタビューをお届け!【バイオショック特集】_01

――今回、単なる騎士物語でもラブストーリーでもない、とても微妙な関係の成熟したストーリーになっていると思います。
ケン 今回の『バイオショック インフィニット』では、粗雑なブッカー・デウィットが、1912年のアメリカの上に浮いている空中都市コロンビアに行き、女の子を救おうとする話が描かれる。でもこれはゲームの表面的な設定の話に過ぎない。
 もうちょっと深い部分を説明すると、現実とフィクションが半分混ざった街コロンビアで、あなたは物語の中心であり、物語の決断を下す存在だ。そしてそのそばには、史上最高にビリーバビリティ(もっともらしさ)のある同行者であるエリザベスがいる。そしてこれまでゲームではちょっと難しかったレベルで、エリザベスと深い関わりあいながら物語を進んでいくんだ。
 多くの挑戦をうまくやることができたと思うし、まだまだ改善の余地がある部分もたくさんあると思うけども、成功の尺度としては、プレイヤーがどれだけ物語に参加してくれるかにかかっていると思う。プレイした人の意見を早く聞きたいね。