効率化とクリエイティビティの関係
2013年1月11日、東京都港区のサイバーエージェント・ベンチャーズで、“エンターテインメントの未来を考える会 黒川塾(伍)”が行われた。
第5回となるこの会は、主催する黒川文雄氏が毎回さまざまなゲストを呼び、ゲームを中心とするエンターテインメント業界の未来を模索するというイベント。今回は家庭用ゲーム機からスマートフォン、ゲームデザイナーから商用ゲームエンジンサイドまで、さまざまな役割でゲーム開発に関わる4名のゲストが登場し、ゲームエンジン“Unity”普及を軸に、ゲーム開発の効率化や、それにまつわるクリエイティビティの問題などについて語られた。
ゲームエンジン“Unity”については何度かご紹介しているが、改めて説明すると、「誰でもゲームを作れる世界を実現する」ことを意図して作られた、統合開発環境。視覚的にオブジェクトなどをいじれるビジュアルエディターと、スマートフォンから最新の家庭用ゲーム機、ブラウザゲームまで幅広い環境をサポートしたエンジン部分がセットになっている。
近年急成長し、アジア圏ほか世界中でプロ・アマを問わず使用されており、日本では2010年から2012年にかけて4800%成長。通常版は無料で使用できるほか、上位ライセンスのUnity Proを採用している会社も570社以上に拡大している。
直近のタイトルでは『メタルギア ソリッド ソーシャル・オプス』(KONAMI/グリー)や『鬼武者Soul』(カプコン)、『ギルティドラゴン 罪竜と八つの呪い』(バンダイナムコゲームス/サイバーコネクトツー)、『三国志コンクエスト 群雄争覇』(セガ)など、大手メーカーによるスマートフォンやブラウザゲームタイトルでも使用されている。
現代的なゲームエンジンは、ゲームデザイナーや、レベルデザイナー(ステージを作り込む人)など、必ずしもプログラミング言語に精通していない人でもビジュアルエディターを使ってゲームを作り込めたり、ゲーム開発における共通化された部分を増やすことで、タイトルの開発ごとに専用ツールを作ったり、いちいち習熟する必要性が減るというのがメリット。
一方で一般的には、タイトルごとに契約を行う必要があったり(次期タイトルで採用されなければノウハウを活かせない)、NDA(秘密保持契約)を結ぶ必要があったり(情報共有が促進されない)、専用の手厚いサポートと引き換えに高額なライセンス費用がかかると大前氏。
Unityでは、ユーザー単位の買い切り購入が可能で(ノウハウを持ち越しやすい)、NDAは不要(経験から学んだことを共有しやすい)。フルセットでライセンスを購入してもユーザーあたり40万円程度で済み、巨大なユーザーベースによるコミュニティサポート(目の前の問題の解決法を誰かが教えてくれるかもしれない)があるという、価格・制度面での“民主化”も行なっているという。
飯田氏は、NHN Japanとグラスホッパー・マニファクチュアが共同で手掛けるスマートフォン向けの新作『イージーダイバー』でUnityを採用した理由として、このコミュニティサポートの厚さを挙げる。エンジン選定の際に開発陣からこの点が魅力的に映ったそうで、今後は手厚いサポートよりもコミュニティの永続性の方が重要ではないかとの考えを述べていた(ちなみにイベントのオープニングで密かに『イージーダイバー』の曲が流れていたほか、出席者限定でデモも披露された)。
現在LINE GAME向けにタイトルを開発中の馬場氏も、「今更戻れないんで」と現在は採用していないようだが、調査の結果「3Dゲームを作るんだったらこっちのほうが断然いい」と考えているとのこと。
馬場氏は開発中の2作の画面も名刺代わりに披露していた。うち一作は、何も考えずに戦うようなものではなく、きちんと考えてアクションを繰り出していくようなやりごたえの感じられそうなファンタジーアクションRPGで、もう一作は『シアタータウン』なる、ポップテイストのアバターが特徴的なゲームだった。
ちなみに大前氏は、サポートの話について、まだ誰も作ったことがないような規模のゲームで起こる問題など、ゲームエンジンメーカーからの直接のサポートが必要な場面もある、とフォロー。海外では追加サービスとして提供しているほか、日本でもスタッフにより「クオリティー的に大体変わらないぐらいのものはできている」と語っていた。
さて、先ほど挙げた大手メーカーでの採用タイトルはスマートフォンゲームやブラウザゲームだったが、それだけなのだろうか? 否、エンジンロゴの表示義務がないために気付かれていないものの家庭用ゲーム機でも採用例があるほか、昨年9月には任天堂とユニティ・テクノロジーズはグローバルライセンス契約に合意しており、Wii Uをサポートすることが発表されている。
ゲーム開発規模の肥大化と表裏一体であるかのように、各家庭用ゲームプラットフォームでも小規模デベロッパーによるダウンロードタイトルやインディーゲームが浸透してきているわけで、そういった流れを逃さないために、ユーザーベースが大きいUnity開発者コミュニティを取り込むと考えてみると、理にかなった動きと言えるだろう。
ゲームを作れることは特別なことではなくなった
大前氏からは、高校生(当時)がUnityを使ってゲームをヒットさせ、法人化を行った例なども紹介された。ゲーム機としてのスマートフォンの普及により、ゲーム機を買わなくてもそこそこの(時にはゲーム機では遊べないような)ゲームが遊べるようになったように、ゲームを作るということも、技術面・資金面でのハードルが低くなったのだと言える。
パブリッシャーからの資金を得にくいようなゲーム、つまりかつてなら作られなかっただろうゲームも、規模と予算の都合が付けば、自分のクリエイティビティと意思を維持したまま、自分の責任において作り上げられることのできる世界。シビアな世情から大企業からの支援が徐々に受けづらくなる中、クリエイターが自分の才覚で稼ぐこともできるようになったのだ。
……と、ここまでは長い前置きのようなもの。終盤はさらにディープな議論に突入した。
口火を切ったのは大前氏。大手メーカーもソーシャルゲームを開発したり、スマートフォンゲームをリリースするようになったということに再度触れてから、ではユーザーが『Halo』や『BAYONETTA』のようなゲームをやりたくなくなったわけではなく、そういったニーズに応える大規模なタイトルやハードコアなゲームが新たな市場で実現するかどうかという問題は解決できていないと指摘。
一方で山本氏は、作り手がUnityなどの商用ゲームエンジンの力に寄りかかってしまうような状況への懸念を示した。
つまり、新しいハードなりプラットフォームにおいて、ゲームエンジンがまだサポートしていないもの、予想していなかったようなものを実現するには、ハードウェアを直接弄るような技術的な挑戦が必要となる。そこで、そういった経験を積んでいない作り手が多数を占めるようになった場合、そもそも挑戦が難しくなっていくのではないかということだ。
また、ツールを使えるだけの人を必要人数集めたら問題なく行くかというとそういうわけではなく、むしろ失敗してしまうケースが多いという。
大前氏は、Unityを「使う人のクリエイティビティを信じているツール」だと語る。そうでない場合、例えばあるゲームを新しいハードやプラットフォームに移植するとして、本来は異なるインターフェースならそれに応じたおもしろさが出るようにクリエイティビティを活かして作り変えなければいけないところを、そのままスライドして移植してしまったら、大して面白くなかったり、ソースコードから書きなおした方がマシな事態も起こりえる。クリエイティビティのことを考える場合、本当ならば、移植という手段を取るのではなく、同じIPから違うゲームを検討してもしかるべきなのだ(もっとも過渡期なのだから移植もアリとのフォローもしていた)。
山本氏はこの話を踏まえつつ「面白いゲームを作る能力がある人は、実はそんなにいない」と語り、さらに話を展開した。
まずは、これまではクリエイティビティが欠如していても、業界内にはそれこそ移植の仕事などがあったが、ゲームを作れることが特別なことではなくなると、そういった人々が必要とされなくなるという問題に言及。
それだけでなく、、市場に多くのゲームが乱立するようになると、本当にプラットフォームの流れに乗る才能のあるタイトルか、プロモーション予算をかけられるものしか残らないようになっていくと指摘。仮にこういった方向性が進むと、パブリッシャーが個性的なクリエイターにじっくり投資することが減って行ったり、下回ると「次が作れなくなる」(山本氏)ハードルも上がっていってしまう。これは考えようによっては“民主化”とは真逆と捉えることもできる。
……といった興味深い方向に議論が進んだところで、まさかのタイムオーバー。さまざまな未来への示唆を含みつつ、閉会となった。できればこの先の議論をパート2として聞きたいところ!