「もしドラ」で読み解く普遍的なヒットの法則
2012年8月20日~22日まで、パシフィコ横浜にて開催された“CEDEC2012”。ご存知の通り、同カンファレンスはコンピュータエンターテインメント、なかでもゲームに特化した技術交流をメインとしているが、近年はジャンルの垣根がボーダレスになりつつあるコンテンツ業界の流れ、あるいはコンテンツを消費する側の環境および意識の変化といったものを柔軟に汲み取り、ゲームという枠組みに縛られない幅広いセッションを数多く設けている。会期最終日の8月22日に行われた、作家・岩崎夏海氏による“「もしドラ」×CEDEC ~ミリオンセラーを狙う為の秘訣~”もそのひとつ。改めて説明するまでもないと思うが、「もしドラ」は2009年に発売され現在までに販売冊数270万部以上の大ヒットを記録した同氏の代表作「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」のこと。社会現象とまで呼ばれた同作が生まれた背景には、どんな戦略があったのか? またそこから岩崎氏が得た、ヒットの法則とは? 書籍とゲーム、コンテンツの見せかたも楽しませかたもまったく異なる両者だが、より多くの人に自分が作ったものと触れ合ってほしい、という作り手側の願いは同じだ。実際、今回岩崎氏が語った内容も、書籍という分野に限定されることなく、幅広い方面におけるヒット秘話に触れながら、普遍的なヒットの法則を導き出すという、非常に刺激的なセッションとなっていた。
出発点は“みんなから笑われるような経験”
「もしドラ」に限らず、何かヒット作が登場したとき、世間でよく使われる言葉に“いままでにない”といった旨のものがある。実際、「もしドラ」が登場したときも“高校野球のマネージャー”という大衆的な要素と、ドラッカーの書籍「マネジメント」という専門性の高い要素の意外な組み合わせに、世間は“いままでにない”と驚いていた。これは言い換えれば、誰もが考えようともしなかったことこそが、大ヒットへの第一歩ということだ。岩崎氏は「古今東西のおもしろいことを作った“人”に共通するのは、“みんなから笑われる経験”」という表現でこれを説明。具体的な人物としてスティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、堀井雄二氏、宮本茂氏、さらには今回のCEDECで基調講演を務めた桜井政博氏の名を挙げ、「夢みたいなことを言って最初は相手にされない人が、最後は成功するんです」と話した。そして「もしドラ」の意外な組み合わせも、この“夢みたいなことを言う”ところがスタートになったという。
岩崎氏が掲げた、みんなから笑われる経験=夢みたいなことは、200万部売れる本を作るという目標だった。放送作家として、過去には『とんねるずのみなさんのおかげです』や『ダウンタウンのごっつええ感じ』などの人気番組に携わり、近年はアイドルグループ“AKB48”関連の仕事も行うなど、テレビを中心としたエンターテインメント業界では華々しい実績を持つ岩崎氏だが、書籍の分野における実績はゼロ。おまけに、ふだんは本をほとんど読まない(理由は後述)といった具合で、確かにふつうの感覚で考えれば、岩崎氏が掲げた目標は夢物語以外の何物でもない。しかし勝算があった。同氏はふだんから「すばらしい作品はいかにして生まれたのか」をジャンル問わず調べるのが好きで、当時のベストセラーの傾向から、成功のビジョンを得ていたのだ。「もしドラ」の執筆に着手しようとしていたころ、直近で約200万部売れていた書籍に、水野敬也氏の「夢をかなえるゾウ」と、お笑いコンビ麒麟の田村裕が書いた「ホームレス中学生」があった。このふたつに共通するのは、どちらも作者が作家として無名な点。つまり、無名作家の作品に世間の注目が集まる、という状況ができあがっていたわけだ。この流れに乗れば、岩崎氏の実績のなさはマイナスどころか、プラスになる可能性すらある。とは言え、それだけの理由でヒット作が生まれるわけもない。岩崎氏は世間の動向から、もうひとつの成功条件を見つけだしていた。「知識欲というか、役に立つもの……たとえばニンテンドーDSの『脳トレ』が流行っていましたよね。知識を吸収したいという欲が世間にあったんです」(岩崎)。無名の作家、知識欲の刺激……ヒット条件がふたつ揃った。しかし、この2要素を満たすものなど当時は、というか現在も巷には溢れるほどあったわけで、200万部を超えるヒット作につながるとは到底思えない。ここで岩崎氏のテレビ業界時代の経験が活きてくる。「テレビ業界には絶対に安牌の属性というものがあります。17歳の女の子です。18歳だとおばさん、16歳だとロリコンだからダメ」。ご存知の通り、「もしドラ」の主人公は17歳の女子高生だ。無名作家、知識欲の刺激、17歳の女の子。岩崎氏の分析と経験から導き出されたこの3つが揃い、いよいよ200万部への道が見え始めてきた感もある。あとは、冒頭に挙げた“いままでにない”意外性、つまりは“ドラッカー”が加わるだけだ。
と、その話へ入る前に、岩崎氏が語った“17歳の女の子”が鉄板の理由が、なかなか興味深かったので簡単に紹介しておこう。17歳の女の子が鉄板なのは、岩崎氏いわく、日本人男性の9割くらいが「本当は13歳くらいの女が好き」つまりはロリコンだからなのだという。しかし、それを主張すれば当然問題になる。でも、本当は好き……このせめぎあい、自生の念のストッパーが外れて、“好きだ!”と主張しても問題ないと自身も周囲も妥協できるのがちょうど17歳というわけだ。なるほど……同意できる気もする。
さて、話をドラッカーに戻そう。女子高生とドラッカーという異質な組み合わせだが、これは“異質な組み合わせ”というテーマありきで、結果的に生まれたものだという。その考えに及んだ背景には、「ダ・ヴィンチ・コード」の存在があった。レオナルド・ダヴィンチの絵画、それにまつわる秘密結社の存在、さらにはヨーロッパの歴史を俯瞰する壮大な歴史絵巻に、現代で起きた殺人事件というサスペンスを絡める同作の構成は、岩崎氏の目にとても異質な組み合わせに映った。一方で、この異質な組み合わせをしっかりとエンターテインメントに昇華させたことこそが、ヒットの要因にも思えたのだという。
17歳の女子高生にとって異質でありながら、エンターテインメントとしても表現できるものは何か? ヒントになったのは、当時ハマっていたオンラインゲーム『ファイナルファンタジーXI』だった。同作をプレイしているとき、岩崎氏はコミュニティをまとめるのに苦労していたという。そんなある日、『FFXI』プレヤーのブログを読んでいると、ドラッカーの『マネジメント』に学びながらコミュニティメンバーをまとめている、という話を発見したのだ。「これこそ、女子高生と組み合わせるエピソードだと思った」と岩崎氏。無名の作家、知識欲の刺激、鉄板の17歳の女の子、異質な組み合わせ。200万部ヒットの土台はこうして出来上がった。つぎは、これをどんなエンターテインメントに仕上げるかだ。
「もしドラ」の物語は『がんばれ!ベアーズ』が原型
「もしドラ」の物語の大筋は、ドラッカーの「マネジメント」を読んだ女子マネージャーが、弱小野球部を立て直すというもの。この物語には原型がある。1976年に公開されたアメリカ映画『がんばれ!ベアーズ』だ。元プロ野球選手で現在はほぼアル中気味のオッサンと、かつてそのオッサンに師事して才能を開花させた美少女が、弱小少年野球チームを立て直すという物語で、最後は試合に負けてしまうという点も含めて、確かに「もしドラ」と『がんばれ!ベアーズ』は共通する点が多い。そして、同作を原型に選んだ理由にも、ヒットの法則を探る目が光っていた。じつは、ずっと前から『がんばれ!ベアーズ』を原型に作品を作りづけている大物がいたのだ。劇作家で映画監督、テレビドラマも多数手掛ける三谷幸喜氏こそがその人で、岩崎氏もその手法に乗っかったというわけだ。とは言え、大物がやっているから自分もやろう、という安易な理由だけで乗ったのではない。2000年代という時代を覆っていた空気感も、『がんばれ!ベアーズ』を物語の原型にした理由と密接に関わっている。
岩崎氏に言わせれば、2000年代は“お笑いの時代”だった。空前のお笑いブームが巻き起こり、笑いは感動よりも高尚なものとされ、“おもしろくないといけない”という空気に包まれていた。これを受けて、「「もしドラ」に関しては、逆を行くことを意識した」と岩崎氏。理由はシンプルだ。あまりにお笑いが持ち上げられすぎた結果、泣ける・感動のコンテンツに供給不足が起きたから。「もしドラ」も『がんばれ!ベアーズ』も非常にポップな作風だがラストは感動的だ。お笑いの時代に、あえて泣ける路線で行く、この狙いが成功したかどうかは、説明するまでもない。
「もしドラ」が持つ無意識への訴えと、真の顧客がヒットを決定づける
「もしドラ」というコンテンツは、ヒット法則の分析が積み重なって誕生したものとも言える。そしてそれは中身を作り終えた後、販売の段階でも存分に活かされていた。「もしドラ」の内容を知らない人はいても、表紙を知らないという人は少ないだろう。かわいらしい女子高生が川沿いの道に立っているという構図は、シンプルながらも非常に印象的だ。岩崎氏いわく、この表紙は当初ライトノベルを意識して、白バックに女の子だけというデザインを予定していたという。しかし、いざデザインが上がってくるとシンプルすぎて物足りない。そんなとき、たまたま目にしたアニメ雑誌で、アニメ『東のエデン』の背景デザインなどを手掛けたバンブーという制作会社を知り、そこに表紙の背景を発注することに。岩崎氏から出されたテーマは、夏、川、雲という同氏が考える「日本人が好きなもの」。バンブーから送られてきた背景は十分に満足できるもので即採用され、こうしてあの印象的な表紙はできあがった。しかし、いざ本を発売してみると興味深い反応が起きたという。岩崎氏の考えでは、あの表紙は「背景がものすごくよかった」のだが、書店では女の子のほうにばかり注目が集まったのだ。同氏はこれが、人々の無意識に訴えかけたことによって起きた現象と分析し、それを恋愛に例えた。容姿がいまいちなのにも関わらず、やたらと女性にモテる男性がいた場合、その多くは声がイイ。なぜなら、声は相手の無意識を魅了するから。そうすると、表層意識では男性の容姿を否定しつつも、無意識下で声に魅了されるという差異が生まれ、そのモヤモヤ感が結果的に好意に変わる……これが、岩崎氏が語った無意識に訴えかける力。つまり、「もしドラ」の表紙で言えば、本当に好きなのは表紙の背景なのだが、実際目に付きやすいのは女の子のほうで、表紙への好意的な思いは自然と無意識下へと入ってしまうといったところか。いずれにしても、無意識に訴えかけられるものが高い効果を生む、というのが岩崎氏の持論だ。また、この論を裏付ける要素として、アニメ監督の宮崎駿氏の作品に多くの人が魅了されるのは、劇中のキャラクターの動きや音に盛り込まれた“細かい味付け”が、無意識に訴えかけているからと説明した。また、グリーとモバゲーがテレビCMに大量投入されている理由にも、無意識が関係している、と岩崎氏。調査によれば、多くのテレビ視聴者はCMに入った瞬間、ケータイ電話の操作を行うそうだ。このタイミングで、テレビからケータイ電話向けのサービスの情報が流れてくると……サービスへ誘導できる確立が格段に上がるのだという。
販売戦略においては、「マネジメント」の中でも語られている“真の顧客”も意識した。「もしドラ」のメインターゲットは中高生に設定されていたが、彼らは“真の顧客”ではない。中高生は経済的に自立していないからだ。直接、間接的にせよ、基本的に彼らは親の経済力に依存して生活している。つまり、真の顧客は中高生の親で、販売戦略もそこを狙って組み立てる必要があったのだ。言い換えれば、いかにプレゼント需要を喚起できるか、とも表現できる。一方で、親がプレゼントしたいものと子どもがプレゼントされたいものには齟齬が起きやすい。事実、岩崎氏も高校生の姪っ子に、教育的な配慮などから本をプレゼントしたところ、けっきょく読んでもらえなくて非常にガッカリした経験があった。つまるところ、「もしドラ」はその点において、幅広い世代が満足できる内容だった、というコンテンツの質に話が落ち着くわけだが、それも“真の顧客”を意識するという考えがあってこそのものだ。
ヒット作を手掛けたければ猿になれ、そしてゲームは遊ぶな
「もしドラ」の作者らしく、じつにロジカルにヒットの法則が語られたわけだが、コンテンツ作りに対する心掛けに話題が及ぶと内容は一転、感性に訴えかけるものへと移り変わる。岩崎氏は聴講者に向かって「皆さんは、本当にヒット作を作りたいと思っていますか?」と聞いた。続けて、本当にヒット作を作りたいのならば、「いちどは猿になる必要がある」と話す。「100万本売れるゲームは、ユーザーを猿のように夢中にさせる。学校に行く時間になっても遊んでしまう。母親と喧嘩してまで遊んでしまう。そうならせる方法は世の中にいろいろある。違法ではないレベルで、(猿になる)仕組みを作らなければいけない。そのためには、自身がいちどは猿になる必要があるんです」。
猿になるというのは、要するに周囲が見えなくなるほど目の前のソレに夢中になってしまう、という意味だ。岩崎氏自身も、過去にはいろいろなことに対して“猿になった”ようだ。パチンコ、麻雀、ゲーム……さまざまなものに対して猿になり、そこから人を興奮させる方法を学んでいったという。
その中で得たのが、“おもしろいとは何か?”というエンターテインメント分野における根源的な問いへの答えだ。“おもしろい”を考える際、多くの人は顧客満足度や笑顔、といった要素に考えを持っていかれがちだが、これは岩崎氏に言わせればまったくの間違いだという。「おもしろいと思わせたら終わりなんです。笑顔にさせたら終わりなんです」(岩崎)。例として挙がったのは、ディズニーランドを訪れた人々の反応だ。ディズニーランドを訪れる若い女性の多くは、満面の笑顔で園内を歩き、友だちとの会話では「楽しい」「来てよかった」「また来たい」を連呼する。岩崎氏は、このような彼女たちの状態が「実際はつまんないけど、わっしょいわっしょいとテンションを上げているだけ」で、“おもしろい”わけではない、と語る。では、岩崎氏が考える本当に“おもしろい”と感じている人とは誰か? 幼児だ。「幼児はミッキーマウスが来てもほとんど笑わないけど、目だけはギラギラさせてミッキーを凝視している。彼らは口が裂けてもおもしろいと言わない」。自身もパチンコ、麻雀、ゲームに猿になっているときは同じだったそうだ。「人間は本当に熱中すると、おもしろいと思わないし、笑顔を見せない」状況で、ひたすらコンテンツに没頭していたという。
岩崎氏は、猿になって“おもしろいとは何か?”の本質に触れることができるのならば、たとえゲーム制作者でもゲームを遊ぶ必要ない、とも語る。実際、自身も放送作家をやっていたところは、テレビを観ない時期があったという。これには、同氏の「モノを作るというのは、けっきょくはパクること」という考えが少なからず関係している。確かに、あらゆるコンテンツが存在するいまの世の中で、完全なオリジナルを作り出すのは不可能に近い話だ。新しい切り口として世間に受け入れられた「もしドラ」も、上で述べた通り過去のさまざまなヒット法則を取り入れられているのである。つまり、何か良質なコンテンツがあったら、それをそのまま真似ればOK……というわけではもちろんない。それはコピペだ。「もしドラ」は確かに過去のコンテンツに強く影響された作品だが、参考にしたのはテレビ、アニメ、映画、ゲームなど多分野に広がっている。岩崎氏が本を書くのに本をほとんど読まないのは、本を読みすぎると、アイデアが本の世界に限定されてしまうからだという。宮崎駿氏が、最近のアニメーターはアニメの空しか見ていないから本物の空が描けない、と語ったエピソードで自身の論を補完しつつ、岩崎氏は「ゲーム業界にも同じことが言えるかもしれない」と語る。この状況を打開するためには、ゲーム以外のジャンルからアイデアの“種”を探し、それに対して猿になったほうがいい、と岩崎氏。「それを理解したら、ゲームをやっているヒマはないはず」と会場に訴えかけた。