お手軽なソフトは、お手軽には作れない!
2012年8月20日~22日、パシフィコ横浜にて開催されている、日本最大のコンピュータエンターテインメント開発者向けカンファレンス“CEDEC2012”。3日目の2012年8月22日行われた、“シンプル vs 多機能 最高のバランスを求めて~ユーザテストとその反映~”と題したセッションをリポートしよう。
このセッションでは、『みんなといっしょ』などの開発者として知られる、ビサイド代表取締役社長・南治一徳氏から、PlayStation Vita用ソフト『ペイントパーク』の制作過程で得た知見が、“ユーザーテストとその反映”というテーマに絞って語られた。
『ペイントパーク』は、2012年4月19日にリリースされた、PS Vita専用の無料アプリケーションだ。写真に落書きをしたり、描いたイラストを交換したり、お題に沿ったコンテストを楽しんだり、といった楽しみかたができるユニークなペイントソフトとなっている。詳しくは公式サイト(【コチラ】)や、下のプロモーション映像をご覧いただきたい。
『ペイントパーク』に課せられたミッションは?
『ペイントパーク』は、PS Vitaにとって戦略的な狙いがあるアプリケーションだ。最初にソニー・コンピュータエンタテインメントから出されたオファーは、“デフォルトで内蔵されている『ウェルカムパーク』の延長として、アドホック通信を体験してもらうソフト”というもの。また、“PS Vitaならではのカンジで”、“ボタン類は少なくシンプルに”、“使いやすく、楽しいものに”……と、かなり困難な注文もされたのだそうだ。
しかしこのオファー、南治氏にとってみれば、「キタコレ! な仕事だと思いました(笑)」。ゲーム制作をするにあたり、独自のグラフィックエディタを制作するのが一般的だった時代からゲーム制作を手がけてきた南治氏は、「いまどき、グラフィックエディタを作れる仕事ができるなんて、最高じゃないか」と感じたそうだ。また、かねてから、タッチインターフェイスを用いたUIを作ってみたい、という思いもあったのだという。
そして、「楽しそうな仕事だと思いました」(南治氏)という、モチベーションの高い状態から開発がスタートする。まず南治氏が行ったのは、今回のミッションの整理だ。
Photoshopをはじめとする優れたペイントソフトが多数存在する中で、『ペイントパーク』はどうあるべきか。誰に向けて、どんな機能を持たせるべきなのか。
検討の結果、『ペイントパーク』のコンセプトを、“誰でもすぐに使える”、“みんな簡単に遊べる”、“便利というよりおもしろい”の3点に絞り込む。このコンセプトにしたがって、要素の選別をしていったそうだ。その一例としてあげられたのが、レイヤー機能について。制作チーム内でも、必要・不必要でかなり議論がなされたそうだが、最終的に「どうしても複雑になってしまうので、ナシかな、と」(南治氏)と決定したという。ただ、リリース後のネットなどでの反応を見てみると、“1枚でもいいからレイヤーが使いたい”という意見も多いそうで、「そこはもうひと工夫したほうがよかったかな、とも思います」(南治氏)という思いもあるとのことだった。
自信の初期バージョンが完成! しかし……
そしてできあがった初期のUIは、リリース版とはまったく異なるものだった。
まず目に付くのは、絵を描くキャンバス部分が正方形でデザインされているところ。これは、全画面を編集エリアにせず、ボタンをすぐにタッチできる場所に配置したほうが、操作がしやすくなるだろうという意図があってのことだ。
また、“便利というよりおもしろい”というコンセプトのもと、遊び心のあるインターフェイスも加えられている。いちばんわかりやすいのが、“伸びるボタン”。ボタンを引っ張って伸ばすことで、より細かい設定が表示されるという仕組みで、伸び縮みの際にポヨンと震えるなど、ユーモラスな動きも加えられている。しかしこれは、社内でテストした時点で、“伸びるということに気づきにくい”ということが判明。そこで、ソフトの起動時に“伸びた状態から引っ込む”というアクションを入れることで、気づいてもらえるようにしたそうだ。
さらに、描いた画像が保存されていく“キャンバスライン”は縦型の表示に。これは、縦型の配置のほうが時系列がわかりやすい、などの理由から、南治氏がとくにこだわったポイントだったという。また、PS Vitaを縦に持つことで、編集画面からキャンバスライン画面に自動的に切り替わるようにすることで、ボタン操作なしの操作も実現した。キャンバスラインのこのような仕様には、当時iPhoneで流行していたアプリ“Instagram”の影響も受けつつ制作されたとのこと。
ここまで形になった時点で、南治氏は、「流行りもちょっと取り入れたり、工夫もしたし、動くようになって楽しいものになったな」と手応えを感じていたという。そして、意気揚々とユーザーテストを行ったのだが……。
完膚なきまでの不評、いったい何が!?
ユーザーテストは、ソニー・コンピュータエンタテインメント社内で、ユーザーがプレイする様子を、ミラー越しにチェックする、という形で行われた。はたしてその反応は、“正方形のキャンパスが狭い”、“キャンバスラインに気づかない”、“伸びるボタンが使いづらい”と、南治氏がいいと思った要素がすべて否定され、「いろいろ考えた工夫が全部裏目になりました」(南治氏)という予想外の結果だったそうだ。
もちろんこれには、ユーザーテストの手法も影響している。このときには、マニュアルも渡さず、機能説明もせず、いきなりソフトを渡して自由に遊んでもらう、というやりかたを取ったそうだ。しかし、当初からの“誰でもすぐに使える”というコンセプトからすれば、このやりかたで十分に楽しんでもらえなければ意味がない、ということになる。
「正直、泣きそうでした(苦笑)」という南治氏は、ここから試行錯誤に入る。
まずは、描画領域の変更案。正方形のエディットエリアはそのまま、ただしのぞき窓のような仕組みにして、その中を拡大・縮小できるように変更を加える。これには、「ピンチ操作でズームイン・アウトをするのも、タッチインターフェイスらしくていいのではないかと」(南治氏)という考えもあったそうだ。しかしこの形でプログラムを作り、テストをしてみると、イラストを送信したときに、イラスト全体が送られるのか、窓の部分が切り取られて送られるのかがわかりにくい、という問題が発覚する。そこでさらに、窓部分が切り取って送られることが明らかになるような演出を加えて改良。
キャンバスラインの問題についてはまだアイデアがなかったものの、まずはキャンバスサイズの問題を解決し、ここでもう一度ユーザーテストを行うこととなった。
“こだわりを捨て、資産を捨て”方針を大転換!
しかしテストの結果は、やはり不評に終わる。ユーザーから指摘されたのは、“見えている場所に書けない苛立ち”、“PS Vitaの大きな画面いっぱいに書きたい”、“相変わらずキャンバスラインはわかりづらい”という意見だったという。
ここにきて南治氏は、こだわりを捨て、資産を捨て、すべて作り直すことを決意する。
まず「デザインの押し付けをやめて」(南治氏)、正方形のキャンバスを諦め、見えている画面全部をキャンバスにする、という大方針を決める。さらに、“ボタン類を極力少なく”というコンセプトについても、ソニー・コンピュータエンタテインメントと協議を行い、「これくらいのボタンは必要なので置かせてほしい、とお願いしました」(南治氏)。そしてソニー・コンピュータエンタテイント了承のもと、キャンバスラインに切り替えるアイコンを配置。これにより、キャンバスラインとの切り替えが飛躍的にわかりやすくなる。またキャンバスラインも縦型にこだわることをやめ、横型の配置にしてみたところ、「実際に横に置いたデザインを見てみたら、なんだ、わかりやすいじゃん。と(笑)」(南治氏)と、まったく問題がないことが判明する。
こうして各所に改変を加えて言った結果、リリース版の形に生まれ変わった『ペイントパーク』。その特徴は、“見やすくわかりやすいアイコン”、“スクリーンすべてがキャンバスに”、“キャンバスライン表示ボタンの追加”など。とくにアイコンデザインについては、「わかりやすくするためにはとても重要なので、何度も作り直しました」(南治氏)と、非常に手間をかけられたポイントだという。また色選択のボタンは、「これくらいならギリギリ描ける? とデザイナーと相談しながら」(南治氏)、ギリギリまで削ったそうだ。ちなみに、色選択ボタンを最低限の数にしたかわりに、ふたつの色ボタンを同時に押すことで、混色を作る(白と黒でグレー、など)機能も搭載されている。これは最後の最後で生まれたアイデアで、試してみたところうまくいったので、採用することを決めたのだそうだ。
以上のことから南治氏は、「きっとユーザーテストがなければ、正方形のキャンバスのままリリースしていたでしょう」と、改めてユーザーテストの重要性を語る。また同時に、「がんばって作ったものでも、捨てることを恐れないことが大事です」と力説し、セッションを締めくくった。