ホラー映画を見る日々が転じてジャンルのオリジネーターに

“サバイバル・ホラー”の誕生――いかにしてホラー好きプログラマーが『アローン・イン・ザ・ダーク』を作ったか【GDC 2012】_11

 先週サンフランシスコで行われたGDCから、初代『アローン・イン・ザ・ダーク』の開発を振り返った講演をお届けする。

 1992年に発売された初代『アローン・イン・ザ・ダーク』は、サバイバル・ホラーとして非常に影響力があるゲームだ。クリエイターのフレデリック・レイナルは、本作を振り返るにあたって、強いフランス訛りでいかに彼がゲームプログラミング、そしてホラーを愛しているかを語った。

 時代は彼の若き頃まで遡る。当時プログラミングをしていない時は父親の店でコンピューターの修理を手伝っていたそうなのだが、この店はビデオレンタルもやっていたのだ。、次第にホラー映画に惹かれるようになったレイナル氏は、「私は仕事中、お客の相手をする合間にホラー映画を観ていた。当時出ていたホラー映画はほとんど見たんじゃないだろうか」と語る。

 『アローン・イン・ザ・ダーク』はまだアイデアのひとつにしか過ぎなかったが、レイナル氏はゲームのプログラムの腕も継続して磨いていた。世界最初の3Dアクションゲーム『Alpha Waves』をAtari STからPCに移植していただけでなく、自作のゲーム『Popcorn』もあった。こうした活躍により、レイナル氏はフランスのゲーム会社Infogramesに就職することになる。

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 やがてレイナル氏は好きなホラー映画の緊張感を取り込んだゲームを作りたいと熱望するようになる。そしてそれは3Dであるべきだということを知っていた。1920年代のルイジアナの古ぼけた洋館でのアドベンチャー……「映画『悪魔の棲む家』のように、あなたはその家に入り込む。そして脱出しなければいけないのだ……生きてね」とレイナル氏は笑って話した。

 友人のDidier Franchay氏が描いた白黒のコンセプトアートに従って、レイナル氏は初期開発を進めていたが、残念なことにレイナル氏によると、この時点ではInfogramesは本作が成功するとは思ってなかったのだという。というのも、当時そんなゲームを実現するには、大きな技術的ハードルを乗り越えなければいけなかったのだ。

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 90年代初期、PCはすさまじいスピードで進化していたが、それはまだ基礎的なものだった。レイナル氏はキャラクターを3Dで動かしたかったが、それは背景との兼ね合いが難しかった。「背景はいくらか3Dである必要があると思ったが、ポリゴンではない。だから本物の古い館で写真でも撮ろうかと思ったんだ」しかしながら、いくらか実験したのち、手描きの背景とポリゴンの合成がうまくいくことにすぐに気が付くことになる。

 技術的な挑戦はまだまだあり、彼は3Dツールやスクリプト言語も作りだすことになる。「もしあなたがゲームのためにツールを作るなら……これは現在も正しいと思うが、物事を正しい方向に導くのに非常に効果的な助けとなるだろう」。1991年の9月、コンセプト証明のためのデモを作り、Infogramesに今度こそ承認される。これには動くキャラクターモデルといくつかの部屋がすでに含まれていた。この時点でチームには4人が加わっていた。3Dアーティスト(Didier Franchay氏)、2Dアーティスト(Yael Barroz氏……後にレイナル氏が結婚する相手)、プログラマー (Franck de Girolami氏) 、そしてマンションのレイアウトをしたレベルデザイナー(Franck Manzetti氏)。レイナル氏によって、リアルタイムポリゴンのアニメーションシステムと最初のモンスターも作られていた。「一種のゾンビチキンというか……」この手の3Dアニメーションがちゃんと働くこともはっきりしてきた。PCはしだいに高速化が進み、アニメーションのキーフレームはほんのわずかだったにもかかわらず、CPUがうまく計算することでスムーズに十分納得できる動きをしたのだ。

 アニメーションがうまくいくに連れ、レイナル氏は、今度はゲームがアクション寄りになりすぎているように感じていた。となればアドベンチャー要素を強化するターンだ。Infogramesにゲーム中のテキストを書くライターを求めたところ、ラブクラフトに強いHubert Chardot氏が追加の2Dアーティスト2名とサウンドデザイナーのPhilippe Vachey氏とともにチームに加わることになる。

 当時のPCサウンドカードは伝統的にひどいものだったが、サウンドブラスターの最新機種が発表されたことが状況を一変させる。「リアルなサンプリング音源を鳴らせるようになったんだ。これはゲームにとって重要だった」とレイナル氏。

 リリースの数カ月前、開発チームは3日間のミーティングに突入する。初めから終わりまでのストーリーを練り上げ、プレイヤーがやる必要があることのリストが組み上がっていく。「たくさんのピザ」(レイナル氏)とともにミーティングは進み、重要な折り返し地点となった。

 レイナル氏が直面したもっとも重要な挑戦は、いかにプレイヤーを怖がらせるかだ。即死トラップ、パズル、読まなければならない本……弾薬も制限した。プレイヤーに力任せに戦う以外の選択肢を探すよう仕向けたかったからだ。

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 さて、最終的に開発は終了したが、レイナル氏は驚くべきことに、作ったものに対して自信を失っていた。「1992年10月、私はこのゲームが嫌いでした」と告白する。技術的な志は高かったが、多くの要素は急ピッチで作られ、十分に練られていなかったのだ。誰もが疲れ果てている中、レイナル氏は消費者が『アローン・イン・ザ・ダーク』を好まないだろうと恐れてさえいた。

 しかし、今日の我々が知っているように、その心配は杞憂に終わる。『アローン・イン・ザ・ダーク』はメディアに絶賛され、現在までにInfogramesが出したゲームの中でもっとも成功した作品となり、業界の賞をいくつも受賞した。現代の『バイオハザード』にまで繋がる“サバイバル・ホラー”というジャンルのオリジネーターとなったのだ。

 質疑応答でレイナル氏は最後の質問に答え、こう言った。「HDリメイクはやってみたいですね……うん、そうなるといいと願っています」と。(ちなみに屋敷の主の姪エミリーという女性キャラクターでもプレイできるのは、その選択肢を用意しておけばもっと女性がプレイしてくれるんじゃないかと考えていたかららしい)  (文・取材:ジェイソン・ブルックス、翻訳・構成:編集部)