カルトヒットが誕生するまで
GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)では、去年に引き続き、過去の名作のクリエイターが出てきて当時を振り返る“Classic Postmortem”が行われた。Interplayで、世紀末世界を舞台にしたターンベースのPC用RPG『Fallout』を手掛けたTimothy Cainは、逸話をふんだんに盛り込みながら、当時を振り返った。
90年代の半ば、『Fallout』はInterplayによってリスキーなプロジェクトと考えられていたのだという。後にヒットとなり続編を生み出し業界の賞をいくつも受けることになる『Fallout』を、Cainは「ほとんど存在しなかったゲーム」と呼ぶ。コンセプトだけが生まれてから長いこと、彼の部屋の外に出ないプロジェクトだったのだ。「エンジンはないし、予算もスタッフもついてない……スペックすらわからない」。最初のアーティストがプロジェクトにやってくるのは、実に6ヶ月後のことだった。
しかしながら、その頃はすでにプロジェクトはイケてる感じになっていた。CainはInterplayのほかのプロデューサーたちが、『Fallout』に気を散らされるスタッフに苛立っていたことを思い出す。そして3年後、Cainは30人のチームを率いていた。そこにはゲームの命題を書いたクリス・テイラーもいた。いわく「ウェイストランド――命は安く、暴力が支配する」。
ちなみに、Interplayのマーケティング屋が、メインテーマを聞いた後で「このゲームはプレイヤーを過度に憂鬱にする」とCainに警告したことがあるらしい。Cainいわく「みんな死んでるんだ、そりゃ憂鬱だろ」。凝ったパッケージとマニュアルが作られると、核戦争後の世界の雰囲気がますます増してくる。……当初は恐竜と宇宙旅行が出てくるタイムトラベルものになる構想もあったそうだが。
そして“Vault 13”、“アフターマス”、“サバイバー”、“核戦争後のアドベンチャー”と、いくつもの名前を持っていた本作の名称がついに決まる日もやってくる。ブライアン・ファーゴが週末に初期ビルドのディスクを持って帰り、月曜の朝になってCainの机にディスクを置き「このゲームは『Fallout』と呼ぶべきだ」と語ったのだ。「ブライアンはゲームを名付けるのがうまいんだ」とCain。
消滅の危機は全部で3回ほどあったらしい。最初はInterplayが“Dungeons&Dragons”の版権を取ってきたのが原因。せっかくの権利を使わないゲームを出すだろうか? Cainはほとんど許しを乞うようにして何とかプロジェクトの継続を確保したという。2度目はBlizzardが『Diablo』を成功させたとき。リアルタイムでマルチプレイがイケてるって時代に、ターンベースで出せるのか? Cainは今度はさまざまな調査に基づいてブライアン・ファーゴとInterplayを説得しなければならなかった。最後は一番致命的。システムにスティーブ・ジャクソンの“ガープス”を利用していたが、ゲーム中の暴力のレベルなどに関して揉めていたのだ。結局クリス・テイラーがルールシステムを書き直すのに1週間かかり、Cainがそれを反映するのにさらに1週間取られた。
発売日が近くなったころ、InterplayはパッケージにWindows95の認証マークをくっつけようとしたらしい。しかし『Fallout』はテストに落ちてしまう……Windows NTでも快適に動いたからだ! 「彼らに、ちゃんと動いたおかげで落ちて喜ばしいよと言ってやったよ」。ともあれ、「『Fallout』を遊べるのは95だけ!」ということじゃないといけないらしい。NTでは動かないランチャープログラムを作ることで対応したことをバラしていた。
そして1997年10月、ついに『Fallout』が発売された。制限のないオープンワールドゲームで、クエストとストーリーは複数のルートがあり、マルチエンディング。レベルシステムの“Perks”などは、現在のRPGにも影響を与えている。声の収録に大分予算がかかったものの、『Fallout』は300万ドルを稼ぎ出した。これは当時にしてはかなりの好成績だ。Cainはその功績を「ものすごい時間」働いたチームのものだとする。とあるQAテスターは、あまりにこのゲームに魅せられて、出荷までの6ヶ月間、毎週末無料で働いていたそうだ。(文・写真:ジェイソン・ブルックス、翻訳・構成:編集部)