愛するゲームの思い出を持ち寄り語っていただく紳士淑女の社交場。
 その名も、ゲームの思い出談話室“Hello, my friend”。

 この談話室にお越しいただくお客様は、“ゲームに関わるお仕事をされている人や著名人”のみ。
 ゲーム業界人や著名人様は、“どんなゲームが好きで、どんな想いを抱いているのか?”
 そのゲームは、その人の“いま”にどんな影響を与えたのか?
 思い出深いゲームについて思う存分に語っていただく、シンプル&ゲームラヴな談話室となっております。

 本日、第5夜で語っていただくゲームは『アウトラン』。
 1986年にリリースされた、セガのアーケード向けレースゲームです。

今夜のお題:『アウトラン』

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 ヨーロッパの美しい風景の中を、名曲に乗せてスポーツカーで駆け巡る、元祖ドライブゲーム。真っ赤なスポーツカーに金髪の美女を乗せて、分岐していく全15コースを走破していく。各コースの風景の美しさを堪能しながら、レースというよりドライブをするような感覚で楽しめるのが魅力。

 分岐したコースは16通りのルートを選ぶことができ、いろいろなコースを試す楽しさも。各ステージは砂漠や巨大な石の門、古い街並み、風車のある通りなど多岐に渡っている。オリジナル版では、ゲーム開始時に3種類からBGMを選べることも大きな話題となり、当時発売されたレコードはベストセラーにもなりました。

『アウトラン』は攻略を突き詰めるとパズルゲーム! 夜の首都高を鈴木裕氏とドライブした旧AM2研のあのころ

――いらっしゃいませ。

片桐さんこんばんはセガの片桐と申します。

――これはこれは、お待ちしておりました。どうぞこちらのお席へ。

片桐さんゲームの思い出話に付き合ってくれるお店だと聞いてきたのですが、『アウトラン』の話をしたいんです。私がセガに入社するきっかけともなったゲームです。

――なるほど、『アウトラン』ですね。片桐様と言えば、セガAM2研で『バーチャファイター』シリーズをはじめとした3D格闘ゲームや、レースゲームでも『デイトナUSA』や『アウトラン2』などレースゲームも手がけられた人ですし、大変に興味深いですね。

常連さん……。(お酒片手に無言で片桐さんの隣に座る)

――ちょっと常連さん! せめて何か言ってから同席してくださいよ!

常連さんえ!? だって片桐さんにセガ入社前のゲームの思い出聞くんでしょ? しかも『アウトラン』の話でしょ? そんなの同席させてもらうに決まってるじゃん!

――決まってるじゃんってそんな……。すいません片桐様、こちら当店の常連さんでゲームミュージックがたいへんお好きな人なんですよ。もしよかったら、ごいっしょにお話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?

片桐さん(笑)。どうぞどうぞ。

片桐大智氏

セガ 第5開発2部 スペシャリスト。1968年生まれ。1992年にセガ・エンタープライゼス (現:セガ)に入社。 セガ第二研究開発本部アーケードゲームを中心に開発に携わる。代表作は『デイトナUSA』、『バーチャファイター』シリーズ、『ファイティングパイパーズ』シリー ズ、『ソニック・ザ・ファイターズ』、『ファイターズメガミックス』、『アウトトリガー』、『アウトラン2』など。

ゲームミュージック好きな常連さん

ゲーム業界の第一線で活躍すること約30年。ゲームミュージックに熱い情熱と深い知見を持ち、酒を片手に語り始めると止まらなくなる当店の常連さん。所有しているゲームミュージックCDや音源は数え切れないほどで、好きすぎるゆえに、好きなサウンドには熱く、ちょっと残念に感じているものには辛口なことだってある。やっぱりそれもゲームミュージックへの愛ゆえに。愛ゆえにゲームミュージック。その正体は……ナイショ。

――セガの旧AM2研で多くのアーケードゲームを手がけられた片桐さんに『アウトラン』のお話をお聞きするというのは、感慨深いですね。

片桐さん僕は『インベーダーゲーム』のころからゲーセンに入り浸りでしたね。そこからアーケードゲームとPCゲームを遊んでいて、家庭用ゲーム機はファミコンを『ゼビウス』から、メガドライブは『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』あたりから遊びましたね。

――メガドライブは『ソニック』からというのはけっこう意外ですね。ちょっと後からだったんですね。

片桐さんですね。スーパーファミコンはローンチタイトルの『F-ZERO』からプレイしてましたね。やっぱりゲームセンターがメインで、スコアラーもしていたぐらいにヘビーに遊んでましたから。“アーケードゲームは1周ワンコインクリアーできるようになってからが本番”っていう人でした(笑)。

常連さんどんなゲームが好きだったんです? 『アウトラン』にハマるんだし、やっぱりレースゲーム?

片桐さんうーん、レースゲームが好きになるのは大学生になったあとぐらいからかな?。免許を取って運転をするようになってからでしたね。それまでは何でもやっていましたよ。

 ちなみにね、レースゲームって話が出たけど、僕にとって『アウトラン』はパズルゲームなんですよ。

――『アウトラン』はパズルゲーム!

片桐さんいわゆる攻略という観点を私なりにわかりやすく言うと、リアルタイムパズルゲームといえると思っています。最初はもちろんドライブゲームとして遊びますが、だんだんと自分で最速の走りが固まってくると、敵車の挙動とかを見ながら「こうやって走るとここでこのクルマが来るからこっち側を走ろう」とかを覚えていくんですよ。

 そのうちにギアガチャの要素がプレイに入ってきて、コースのレイアウトに対して「ここでこう入る」というのが固まっていく。このタイムでいくとここで敵車が来るから……って、ハンドル操作はできちゃう前提で、そういう組み立てをずっとやっていくゲームだなーってなるんです。

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――なるほど。最適なプレイを構築していくと、どんどんパズルゲーム的なゲーム性を感じるようになると。

片桐さんそうそう。攻略という観点から考えると私の中ではほとんどがリアルタイムパズルゲームですよ。『スペースハリアー』もそうだし『アウトラン』もそうだと思っています。

――クルマで走っているからレースゲームというわけじゃなく、ゲーム性の本質でみたらパズルゲームだと感じられるわけですねー、なるほど。

片桐さんレースゲームを好きになっていくのは、自分で峠を走りにいったりするようになってからで、ナムコの『ウイニングラン』とかからですね。まぁ、あれも究極にタイムアタックをするようになってからは、壁ターンとかあってリアルなレースゲームとしてみるとすごいことになっていたけど(笑)。

常連さんそうなんですね。それまではどのジャンルのゲームが好きとかはあまりなかったのですか。

片桐さんうん、なんでもやっていたよ。アクションもシューティングも。でも、シューティングはトップクラスのスコアラーにはなれなくて、2流どまりだったね。

常連さんそれでもワンコインクリアーできるようになるまでは基本的にやっていたんでしょう?

片桐さんうんまぁ、そうだけど。でも『ゼビウス』の1000万スコア到達とかもトップクラスの人の何ヵ月も後だったし、ぜんぜん遅かった。シューティングのスコアラーの壁は厚かったねー(笑)。

――そのころはどのあたりに住んでいたんでしょう?

片桐さん『ゼビウス』のころは実家のある名古屋ですね。大学生のころは金沢だったんですよ。金沢のセガにはうまいプレイヤーがけっこういて、栗田さんともそこで知り合ったんだよね。

――『バーチャファイター3』の全国大会で鷹嵐で優勝した栗田さん?

片桐さんそうそう。僕がセガに入る前から彼とは知り合いで、『バーチャファイター3』のときに彼が優勝して「おお、お前やってたのか!」ってなって、久しぶりに再会して(笑)。

――そうだったんですかー。

常連さん金沢の前はどこだったんです? ご出身とか。

片桐さん先ほどちょっとお話した名古屋ですね。ふだんは家の近くのゲームセンターに行っていましたが、スコアとか確認するときは名古屋駅近くの“イエローハット”とか星ヶ丘の“キャロットハウス”とかによくいました。

――名古屋星ヶ丘の“キャロットハウス”というと、80年代にスコアラーさんが多くいたゲームセンターですよね。

片桐さんうまい人がいっぱいいたねー。ゲーセンに行き始めのころはスコアラーの人とバチバチに争っているんだけど、そのうちに声かけて話すようになって、仲よくなっていましたね。

――中学、高校生ぐらいのときですよね。やっぱりうまい人のプレイが見られる環境にいたんですねー。

片桐さんですね-。大学生のころには『ストリートファイターII』が出て大ブームになったので、もちろん僕も死ぬほど遊んで、そこいら中の大会に出て。金沢らへんではほぼほぼ負けないぐらいにはなりましたね。「大会にあいつが来るとめんどくせぇ」って言われるぐらいに(笑)。

――来るなよ扱い(笑)。

常連さん大学生であの時代が直撃だと、もうどっぷりですよね。

片桐さんがっつり、どっぷりっすね。当時はゲームセンターが24時間やっていたので、住んでいましたよね(笑)。ゲーム三昧ですよ。ゲームと、クルマと。セガに入ってからもしばらくそんな感じでしたね。

――さっき「峠を攻めたりしていた」って話がちょっと出ましたけど、『頭文字D』的な?

片桐さんいやーそんなにがっつりではなくて、これも2流3流でしたよ。富山の山の中で走っているチームがあってそこに何度か遊びにいったりしたことはあります。

常連さん本物(笑)。

片桐さんでもね、ガチじゃなくて楽しんでいる感じですよ。金沢のゲーセンからスタートして富山のゲームセンターまでに峠超えるので、そのあいだを走ったりとか、そんなでしたよ。

――クルマ好きどうしでワイワイ話すみたいな。

片桐さんそうそう。クルマ好きでゲーム好きどうしでつるんでいた。ちょっと遠いゲームセンターに遠征に行くのにドライブがてら競争してみたいな感じだったんですよ。

――ちなみにそのころはどんなクルマに乗っていたんですか?

片桐さんチェイサーですね。スーパーチャージャー仕様のに乗っていました。

常連さんちょっといじったり、もらったパーツを付けたりなんてこともしたんですか?

片桐さんそれは大学生のころはしなくて……クルマいじりはセガに入ってからだね(笑)。

――セガに入ってから(笑)。

片桐さんセガに入ったころにクルマを一度手放したんだけど、やっぱりクルマに乗りたいなと思って80スープラを買ったんですよ。最初はふつうに乗っていたんですけど、そのうちにサスを変えて、ブレーキを変えたらホイールもサイズアップしないと入らなくて、さらにECU、マフラーを変えて……といろいろやって、80スープラをもう1~2台買えるくらい注ぎ込みましたね(笑)。

――セガ社員ながらそこまでチューンしたクルマに乗っていたとなると、社内でもクルマ好きとして有名だったのでは。

片桐さんいや-、セガでクルマ好きとなると、なにしろ鈴木裕さんがいたからね(笑)。

――あー裕さんが。

片桐さんフェラーリ348に乗っていて、355に乗って、つぎにランボルギーニのディアブロも買ったんだよね、裕さん。フェラーリは乗せてもらったんだけど、ディアブロは乗せてもらえなかったなー。ジャガーとかも乗っていたよね。

――すごいなぁ。

片桐さん裕さんのクルマに乗せてもらったときに、安室奈美恵を大音量で聴かされながら首都高を走った思い出がありますね(笑)。

常連さん(笑)。

片桐さん大黒パーキングまで競争とか言って、僕と裕さんと、あと『バーチャ』のメインプログラマーの3人で羽田から走りましたね。「裕さんには負けませんよ!」なんて言って。

――『首都高バトル』(笑)。

片桐さん研究ですね(笑)。

――やっぱりAM2研というと3D格闘ゲームとレースゲームのイメージですし、クルマ好きな人が集まっていたんですね。

片桐さんもとから好きな人も集まってたし、入ってからクルマを買っていた人もいましたね。

常連さん染められちゃう(笑)。

片桐さんいいからこのクルマ買っちゃえよー、みたいな空気があったよね、あのころは(笑)。

――恐ろしい(笑)。

片桐さん『デイトナUSA』のころはとくに思い出深くて、研究の一環としてF1を見に行かせてもらったんですよね、鈴鹿に。テレビでは見ていたけど実際に観戦は行ったことがなかったので初めてでした。ウィリアムズのチームのピットに入れてもらって。

――え、客席じゃなくてチームスタッフのところに?

片桐さんそうそう、ピットの中でF1の真後ろのところにいて、ピットインしたクルマのエンジン音や振動をがっつり感じて。

 しかも、レース終わりのデーモン・ヒルを「お前が送っていけ!」って言われたんですよ。すぐに帰りたいらしくて運転できる人を探していたようで、そこで僕が行けって言われて。けっきょく別の人になったんだけど、「送れ」って言われてから「やっぱりいい」ってなるまでずっと、「やべーサイン書いてもらおうかな! 英語話せないけど車内でなに話せばいいんだ? というかSPの人もいっしょに乗るの?」とかいろいろ考えましたよ(笑)。

――そうなりますよねー。すごい。ちなみにそれっていつごろですか?

片桐さん『デイトナUSA』ができる1年前ぐらいだったね。93年ぐらい?

――それだと、F1界はアイルトン・セナやプロストの時代ですかね。ファンにとって最高の時代ですねー。

片桐さんそうそう、めちゃくちゃいい時代に見せてもらって。あの入場チケットならもっといろいろ見られたんだと思うけど、ほとんどピットにいたもんだから、もったいなかったなーって、いまは思いますね。

――ピットまで行けるなんて、VIPの関係者みたいな入場証だったわけですよね。すごいなー。

常連さん当時のAM2研ってすごかったですもんね。いろんな有名人が来て。

片桐さんねー。マイケル・ジャクソンが来て、スピルバーグも来て。僕はスピルバーグと握手したんですよ(笑)。

――すごい!

片桐さんスピルバーグは『ソニックファイターズ』を作っていたころに見に来られて、「いいゲームだね」って言われて握手したんですよ。

――うへー。でも、世界のスピルバーグさんなわけですけど、AM2研だってそれこそゲームにおいて世界の最先端なだったわけですしね。

常連さんそうだよねー。

片桐さんそんな感じで世界中のいろいろな人が訪問にしょっちゅう来ていましたよ。

プレイのリズムを作ってくれる重要な要素のサウンド。プレイ途中でBGMをリセットせず聴かせる、独特の手法な旧AM2研タイトルたち

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――『アウトラン』にハマった話に戻りますが、『アウトラン』のときはまだクルマを運転していなかったということでしたよね。

片桐さんそうです、クルマに乗る前。ある日、「ゲームセンターに筐体が動くゲームがあるらしいよ」って聞いて見に行ったんですよね。ムービングの体感筐体ものはその前にもあったのですが、僕が行ったゲームセンターには入荷していなくて、『スペースハリアー』とかも椅子がついているけど可動しないタイプだったりしたんですよ。そんなわけで『アウトラン』で初めて動くムービング筐体を見て、「うお、すげー動いている!」と思いつつプレイしたのが最初でしたね。

――興味を持ったフックは“動く筐体”だったんですね。

片桐さんそうそう。「すげー!」って興奮してプレイして。でも、最初は下手だから2~3分ぐらいで100円がなくなってしまうので、そんなにのめり込まなかったんですよ。ただ、行っていたゲーセンにはタイムアタックをしていた人たちがいて、それを見たら僕のプレイとは次元の違うものになっていて。それに衝撃を受けて、僕も研究するようになってハマっていったという感じでしたね。

――名古屋界隈のスコアラーさんに引き寄せられたんですね(笑)。

片桐さん最初はそれこそ『アウトラン』は「動く筐体で綺麗な画面でスポーツカーで走るゲームなんだなぁ」ぐらいのテンションだったんです。でも、そのスコアラーさんのスコアを聞いて衝撃を受けて“ギアガチャ”っていうテクニックのことも教えてもらって練習して。そうしてそれなりのスコアを出せるようになったと思ったら、スコアラーたちはもう5秒ぐらい先に進化していて(笑)。

――先人はさらに先へ(笑)。

片桐さん“ギアガチャ”ができるだけじゃダメで、コースのイン/アウトがあるし、『アウトラン』ってアウトコースのほうがタイムを縮められる箇所もあったりという謎の仕様もあるじゃないですか。そういうのをひとつひとつ、「ここはこう入ると速い……」とか「ここはアウト側で……」と、パズルゲームの攻略のように組み立てていって。そうやってのめり込んでいったんですよ。

――『アウトラン』の突き詰めたプレイって、すべての最速パターンを構築してきっちりやりきるっていうプレイになるんですか?

片桐さん本当に最終的な段階に入るとそうなるんですけど、構築の途中は変化の連続なんですよ。なにかでタイムが0.5秒~1秒とか縮まると、敵車のパターンが早くなった場所から全部変わってしまうんですよね。○秒のときにどこを走っているかで敵車のパターンが変わるから、ズレれば崩れるし、タイムを縮めたら全部のパターンを作り直しになるんです。

――うわー大変じゃないですか!

片桐さんそう、大変! でも、それがまたすごくおもしろくて、ひたすらにやっていたんですよ。

常連さんそれに日本バージョンと海外バージョンでもステージ構成やパターンが違うんだよね(笑)。

片桐さんそうそう! 僕のいきつけだったゲームセンターは2軒並んであったのですが、最初に『アウトラン』が入ったところはムービング筐体で日本バージョンだったんですよ。1プレイ100円で。でも、後から入荷した隣のゲーセンはアップライト筐体の海外バージョンで1プレイ50円だったんです。「やったー50円だ!」って喜んでやってみたら海外版でコースがぜんぜん違っていたんですよ(笑)。

――2軒並んでいたからこそ、隣と違うバージョンを入荷したんですかね(笑)。

片桐さんそうなのかな(笑)。僕はその海外版もスコアアタックのパターン構築をやり直したんですよ、また1から。そんなわけで僕は『アウトラン』というゲームを、同じゲームでもバージョン違いもプレイできる環境だったのもあって、パズル的な攻略パターンの構築を何度もやって。それを集中して取り組んでやっていくことで知的欲求がすごく満たされて、楽しかったんですよね。

――『アウトラン』は、片桐さんの上昇志向とか知的欲求を満たしてくれるよいゲームだったわけですね。

片桐さんそうですね。基本的には遊ぶゲームの攻略はするわけですけど、そのなかでも『アウトラン』は長く取り組みましたね。それに、自分だけの自力で攻略パターンを作っていったものでもあって思い出深いんですよね。もっとあとにはスコアラーの人に混じって共有しながら攻略していく感じになるのですが、そうなる前に自力でがんばってスコアラーさんと同等のタイムに迫れたゲームだったんですよ。

――なるほど、そこの自力という思い出深さがあるわけですね。いまだとネット情報が溢れているから攻略情報を見るのが前提でプレイする人が増えましたし、それに昔のゲームセンターでもいわゆるゲーセンノート的なものを介して情報交換している人はやっぱり攻略が早くなっていたわけですけど、そういう情報なしに自分の力でがんばってプレイしたというのは、特別な価値がありますね。

片桐さんそうですね。楽しかったし、自分にとってよい経験だったなと思うんですよ。

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――それにしても、『アウトラン』のお話というと、だいたいはドライブが気持ちいいとか音楽のよさなどの、体験の話が多いわけですけど、攻略ベースの目線で優れていたという話は新鮮ですね(笑)。

片桐さんもちろん僕も最初はそこから入っていますよ。青い空にスポーツカー、美女を乗せてのドライブ。「イカしているなー」っていう気持ちから遊び始めましたね。

 のちに旧AM2研に入ってからいろいろな人に『アウトラン』について聞いたのですが、基本はドライブゲームとしてのコンセプトであって、そこまで攻略寄りの楽しみかたを計算して作っていたわけではなかったそうなんです。でも、それがまたよかったんだと思うんですよ。奇跡のゲームだったからこそ、遊び尽くし甲斐があったんです、きっと。

――計算で作られた以上のものが偶然的に生まれていたゲームだったと。

片桐さんですね。奇跡のゲーム。

――ふつうに楽しんでいたところから、どんな流れで攻略プレイへとハマっていったのか、思い出せますか?

片桐さんうーん、そうですね。まず最初は手探りでふつうに楽しんでいるんだけど、そのうちにちょっとした隠し要素に気づくんですよ。たとえば、走らずにずっと停まっていると、おっさんが「はやくいけ!」ってジェスチャーしたり、コース分岐でスタートボタンを押していると隠しメッセージが出て、それを楽しんだり。そういうのを知ることで、そのゲームのことをますます気に入っていくわけで。

 そこから一応クリアーできるようになると、つぎは全コースでクリアーできるように目指していって。それが全部終わるころには周囲の友だちのなかでも一番うまいやつになっているから、「じゃあ全国レベルってどんなものなの?」と、ハイスコアを見てみるとレベルの違いに愕然とさせられる(笑)。

 そこからガチになっていって、ギアガチャを学んで、最初は293kmスタートなんだけど、のちには294kmスタートになっていったわけで。そういうプレイになったころに、スタートを失敗したら電源を落とすようになっていましたね(笑)。

――レースゲームのスコアラーさんってそうですよね、1コーナー目で捨てゲーしてて、恐ろしいなって思いました。それにしても、ゲームにハマっていくきっかけや、全国レベルを目指していくプレイヤーの目線や感覚が身についているのは、のちのゲーム開発にもとても重要になっていそうですね。

片桐さんそうですね、セガ入社後に『アウトラン2』を作ったのですが、そこにすぐにプレイを中断できるコマンドを入れたのも、まさにその『アウトラン』でスタート直後に電源を落としていた経験からなんですよ。

 『アウトラン2』ではブレーキと視点切替とシフトを全部同時に操作すると「ゲームをやめますか?」というゲーム中断コマンドが出るようにしてあるんです(笑)。

――まさにご自身がやっていた経験からですね(笑)。電源のオンオフは基板によくないですしね。

片桐さんそうそう。怒られていましたから(笑)。

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本物のドライブ前に曲を選ぶように、プレイ開始時にBGMをセレクトするのも『アウトラン』の醍醐味。

――そういえば、『アウトラン』の話というと、多くは曲の話が出ますけど、片桐さんはそこはどうだったんでしょう?

片桐さん曲は、『Magical Sound Shower』しかほぼ選ばなかったかなー。

常連さんやっぱり! 『アウトラン』っていうとみんなマジカルマジカルって、マジカルばっかりだよー!

片桐さん(笑)。いやでもさ、一番かっこいいと思うんだよー(笑)。

常連さん否定するわけじゃないですし、マジカルは確かにかっこよくて主役な感じがするんですけどね。でも、曲選択のデフォルトは『Passing Breeze』だし!

片桐さんわかるわかる(笑)。ドラゲーとして捉えると『Passing Breeze』がいいよねって思う。

常連さん自分は『Passing Breeze』派なんですよ。哀愁漂う感じが好きで。

片桐さんでも『Passing Breeze』はね、雰囲気を楽しむならいいんだけど、スコア狙いのときにはきついんですよ。流していくドライブの感じになっちゃうんだよね(笑)。

――あー、なるほど。

片桐さんスコア狙いには『Magical Sound Shower』だったかなー。それに曲でコーナーとかのタイミングを覚えるのも、『Magical Sound Shower』がやりやすいんですよ。それが体に身についちゃってからはもう変えられなくなっちゃうんだよね。

常連さんそれはどうしてもあるよね。プレイとのシンクロしやすさ。

片桐さんもちろん、どれもよい曲だよね(笑)。クルマを運転するようになってからでも『アウトラン』の曲を聴いてたし。

――スコアラーさんの定番もやっぱり『Magical Sound Shower』なんですかね。ほかの曲派の人もいる?

片桐さんいるいる。『Passing Breeze』派の人も、『Splash Wave』派の人もいるはず。

常連さんうん、その曲なりのリズムでプレイしてると思う。

――ですよね。『SEGA AGES アウトラン』とかでスコアアタックしている人に、どの曲派なのか聞いてみたいですね。

片桐さん俺はけっこうどのゲームでも音でリズムを取っている感じがありますね。

常連さん横スクロールのシューティングゲームとかでもチャンチャン避けなんて言うけど、曲のこの音が鳴ったらこの位置にいくとかあるし、重要だよね。

片桐さんあるある、すごいよくわかる、それ。

常連さんそれが家庭用に移植されたときにズレていたりすると大変なことに(笑)。

片桐さんある! めちゃくちゃやりづらいんだよね(笑)。

――曲は大事ですよね。

常連さん大事だよー。

――片桐さんがお相手なのでちょっと個人的な脱線をしちゃいますが、僕は『バーチャファイター2』のアキラステージの曲がすごく好きなんですよ。当時、対戦でアキラステージになったら「この曲なら勝てる」って思えていました(笑)。

常連さんわかる! 『バーチャファイター2』の曲はめちゃくちゃかっこいいよねー。格ゲーの曲のなかでも『バーチャ2』のアキラステージの『Ride the Tiger』は、たしかに屈指のかっこよさだよ。

片桐さん『バーチャ2』の曲がかっこいい、好きだっていうのは本当によく言われるんですよね。確かにすごくカッコいいのですが、でもじつは俺はあまりピンときてい部分もあったりします(笑)。おふたりはどのへんがよかったのか知りたいです。『Ride the Tiger』はどのあたりがいいんですかね?

――『Ride the Tiger』は、最初は低めの重々しいトーンから入るんですよね。それこそ実際のプレイだと、1セット目はサビ前の重い刻むようなリズムのくり返しで終わるぐらい。そこからサビへと少しずつ盛り上がっていって、ジャッジャッジャ!と強めに区切ってから一気にサビで熱くなる感じで、それが2セット目、3セット目ぐらいの対戦のクライマックスにちょうどサビがくるんですよね。曲単体のかっこよさももちろんですけど、プレイとのシンクロがたまらないです。

常連さんそうそう、格闘ゲームってラウンドが変わると曲をリセットするものがほとんどなんだけど、『バーチャ』は曲のリセットをしていないんだよね。プレイのテンションと曲の盛り上がりがちゃんと合うんだよね。

片桐さんそうかー、なるほどねー。

常連さん『アウトラン』にも通じるところがあると思うんですよ。『アウトラン』って、1プレイがだいたい5分ぐらいだと思うんだけど、その5分間で曲の起承転結もうまく納まるんだよね。2ループしてトーンを一旦落としてソロパートが入って、もう1回メロがきて、最後のサビをくり返して。

片桐さん確かにそうだ。言われて思い出したけど、『アウトラン』ってほかのゲームよりも「音楽を聴いているな」という感覚が強くあったよね。1プレイしてくるっていうか、1曲聴いてくるって感じがあった。

常連さんゲームの曲って再生される時間がプレイによってまちまちになるから、短めのフレーズのループものにすることが多かったんですよね。でも『アウトラン』は最初から最後まで完結した1曲になっている。そういうところが当時は珍しかったというか、よかったんですよね。

片桐さん当時で、曲をしっかり聴かせようっていうデザインのゲームでとくに成功しているっていうと『アウトラン』が印象が強いよね。『アウトラン』から流れが変わったところもあったと思う。

――プレイ開始時に曲を選ぶにしても、ちゃんとカーステレオを操作する画面を用意しているところもいいですよね。

片桐さん雰囲気作りがしっかりとしていて、ゲームデザインでも曲を聴かせるというのがちゃんと機能している。

常連さん実際にクルマに乗るときに「今日はなにを聴こうかな?」って選ぶのは楽しみのひとつなんですよね。それをゲームに入れようとするのは鈴木裕さんらしさがありますよね。

片桐さんすべて現実にあることをゲームに持ってきて、その完成度がちゃんと高いところがすごいなーっと思いますね。

――バーチャル体験の方向性ですよね。当時の技術でのできる限りの。片桐さんから見て、鈴木裕さんの印象はどういうものなんでしょう?

片桐さんいや、もう天才ですよ。ふつうの感覚と、想像力の感覚が高次元で融合している方です。天才過ぎてぶっ飛んでいることを言うときもありましたけど、それも含めて、それがあるからこそ本物の天才なんですよ。私としてはつねに刺激をもらえました。言いかたが失礼かもしれませんが、すべてがおもしろいです。おもしろいっていうか、わくわくするというほうが合っているかもしれません。

――なるほど(笑)。ちなみにセガ入社後に『アウトラン』をプレイしていたことを鈴木裕さんに話したんですか?

片桐さんあまりしていないですね。プレイしていたっていうことぐらいは軽く話したことはありましたけど。挙動部分のプログラマーだった方に「ギアガチャ最高です!」って話したら、「あれはバグなんだよ!」って、すごい苦い顔されたことがありましたね(笑)。

――(笑)。

常連さんでもギアガチャっていうバグがあったからこそ、攻略が過熱してロングランになったというところはあったからね(笑)。

片桐さんそういう意味でも奇跡のゲームだよ。

セガ入社後、『ストリートファイターII』セガ社内最強の座に。そして、鈴木裕氏に伝えた格ゲーノウハウから“中段攻撃”という発明が誕生

――『アウトラン』をはじめたくさんのゲームをガリガリ攻略されていた片桐さんは、のちにセガに入社されるわけですけど、セガに入りたいと思った理由はなにかあったのですか?

片桐さんセガのゲームは体感ゲームがとくにおもしろくて片っ端から全部やっていて、『G-LOC: AIR BATTLE』のときに「ちょっとスピード感が物足りないかな」と思ったりもしたのですが、あれがR360で360度回転するとなってからは「これすごい!」と思い直してプレイして。やっぱりセガってすごいなって思っていました。破天荒っていうか、「なんでこんなのを作るの?」って言いたくなる会社でしたよね。

 ゲーム会社に入社するなら、とくにアーケードだったらセガだなって思っていました。

――『ストリートファイターII』もだいぶハマっていたということですが、カプコンに入りたいとは思わなかったんですか?

片桐さんカプコンは、それこそ『1942』とか『バルガス』といったシューティングのころからたくさんプレイしたんですけど、俺みたいなのがいまさら入ってもなあ……と思えたんですよね。表現が難しいですけど、ゲームを知り尽くしているというか。ゲームをちゃんと研究している人が「こういう狙いがあって、こういう仕様にしたんだ」というのが遊ぶ側にも感じられるゲームを作っている会社だなと思えていたんですよ。

常連さんそれだと、セガは緩いって言ってるような(笑)。

片桐さん(笑)。セガは、当時の俺には荒削りだけどすごいものを出してくる会社だなと思えたんですよ。「この状態から調整したら神ゲーになっていたんじゃ……」と思えるゲームをたくさん出す会社だって思えていたんです。

――自分だったらこうする、こうしたい、が想像できたと?

片桐さんそれが見えるし、セガだったら自分が活躍できるんじゃないかなって思えたんですね。

――ゲームを作る仕事をしたいと思ったのはいつごろだったのですか?

片桐さん中学1年生のころにパソコンのPC-8001とかPC-8800でBASICでゲームを打ち込んだり、作ったりしていたんですよ。『ベーマガ』とか『I/O(アイオー)』とかのパソコン雑誌に載っているプログラムを打ち込んで、自分なりにいじったりして。将来のこととかはそれほど考えていなかったですけど、楽しくて夢中でしたね。

 実際の就職のときの話だと、大学生のときに就職先を紹介してもらっているときに「CSKはどうだ?」って勧められたんです。CSKはそのころのセガの親会社だったわけですけど、「CSKに入るなら、いっそセガに入りたい!」って思ったんです。セガのゲームもさきほどのとおり好きでしたしね。好きなことをやろうと思って決めた感じです。

――セガに入社後もゲーセンには行っていたんですか?

片桐さんもちろん行ってました! 当時は大鳥居にセガ本社があったわけですけど、大鳥居にもゲーセンが昔あったんですよ。環八沿いのすごい古い建物で、大型筐体が数台あるゲーセンが1件あったのと、角にもう1件あって。

常連さんあれでしょ、SPTっていうバイク屋と、ラーメン8の横の細道を行ったところにあったゲーセン。店員が誰もいなかったところ(笑)。

片桐さんそうそう(笑)。ただ、どぢらも人があんまりいなくて寂しかったから、だいたいは蒲田か川崎のゲーセンに行っていましたね。

 あのころは大学生の終わりぐらいに『ストリートファイターII』にハマって、それから東京に来てセガに入社したので、『ストII』の対戦目当てでゲーセンを巡っていましたね。蒲田の50円ゲーセンにとくに行っていましたね。

常連さん蒲田はゲーセン多かったですよね。駅前にすぐ1件あって、ちょっと歩いたところに“178”があって、あと“スーパーマン”というところも。JR側には“シルクハット”もあってね。

片桐さんあったあった(笑)。最初はその駅前のところで『ストII』やっていましたね。ただ、当時はローカルルールもまだ知らないから投げハメをしまくっていたんですよ。

――そのお店の常連は投げハメをしないルールで遊んでいたんだけど、片桐さんはそれを知らないから。

片桐さんそうそう、負けそうになったら投げハメして勝ちまくっていた(笑)。そうすると、次第に相手も投げハメを使ってくるようになるんだよね。でも、投げハメありならありで、あり前提の戦いかたっというのがあるからね。投げハメありの対戦に慣れている俺は負けなかったんですよ。

常連さん俺は投げハメして台パンされたことあるよ(笑)。

――当時よくみた光景(笑)。

片桐さん(笑)。俺もその蒲田のゲーセンではかなりエキサイトされてね(笑)。でも、そのうちにたまに話すようになって、いっしょに大会出るようになったんですよ(笑)。

――バーリトゥードでやりあってからの友情(笑)。

片桐さんそんなこんなで蒲田界隈のゲーセンの人と仲よくなって遊んでいましたね。川崎のほうは大きなゲーセンがあったから、新しいゲームやロケテ目当てでよく行っていました。

――『バーチャファイター』がリリースされたときは?

片桐さん『バーチャファイター』が出たばかりのころは、川崎の商店街の地下にあるゲーセンや、横浜駅近くのゲーセンにそこそこ強い人が集まっていると聞いてそこに行って。そのうちにファミ通で新宿のゲーセンに強いジャッキー使いがいるんだと載っていたから行って。

――スポット21ですね。新宿ジャッキーこと新宿さん。

片桐さんそうそう、もちろん「強いって言っても俺が負けるわけないでしょ」って思って対戦したんだけど、ボロボロに負けて(笑)。あれで、『バーチャ』も真面目にやりこまないとダメだって思いました。それからはスポット21に通って、新宿のほかのゲーセンもまわるようになりましたね。

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西新宿のゲームセンターGAME SPOT21。『バーチャファイター』の強者プレイヤーが金曜日の夜に集まるようになり、店内に人が入りきれないほど盛況な聖地となっていた。残念ながら2021年1月20日に40年以上の歴史に幕を下ろして閉店した。

――なるほどー。片桐さんは初代の『バーチャファイター』のときから開発スタッフだったのですか?

片桐さんいや、初代の『バーチャファイター』では正式なスタッフではないんですよ。他のチームでゲームを作っていましたね。ただ、そのころ社内には『ストII』の筐体があって、昼休みとかにみんなで対戦していたんです。俺も「お前『ストII』強いらしいじゃん、やろうよ」って言われて対戦して。セガ社内では誰にも負けなかったんですよ。

――セガ社内『ストII』最強の座に?

片桐さんどのキャラを使っても負けなかったです(笑)。その噂が鈴木裕さんの耳に入ったらしく、ある日に部長室に呼ばれたんです。それで裕さんに「格闘ゲームっていうのはなにがおもしろいんだ? 教えてくれ」って言われて。格闘ゲームの基本的な上段下段の技と、立ちガードやしゃがみガードに投げがあって、駆け引きがスピーディーで……みたいなことを話したんです。

 そのとき俺は『ストII』の基本として、「ジャンプして飛び込んで相手を立ちガードさせて、そこから攻めを継続して……」という、ジャンプ攻撃で相手に立ちガードをさせることがポイントなんですよってことを話したんですね。それがないとしゃがみガード安定になってしまうから。でも開発中だった『バーチャファイター』はビヨーンと大ジャンプしてゆっくり降りてきて……。「これじゃダメだよな……」って思っていたんです。

――『ストII』の仕組みは『バーチャ』ではできないですよね。

片桐さんそうなんです。しゃがみガードを崩すためにジャンプ攻撃が必須なんだって話したら、裕さんは「そもそも格闘技ってさ、しゃがんでいる相手に蹴り入れたら当たるでしょ?」って言いだして。

 ある日、裕さんが「(開発中の『バーチャ』で)ちょっと対戦しようよ」って言ってきて。裕さんはサラで、俺は開発段階では入っていたアラブ人キャラのシバを使ったんです。で、俺は「このゲームはしゃがみガードを崩せないじゃん、しゃがんでいれば負けないじゃん!」って思っていたのですが、裕さんはサラのダブルジョイントパッドっていう肘とヒザを出す技を使いまくって、俺をボコボコにしたんです(笑)。

 それで、「ちょっと裕さん! この技なんすか! こっちはしゃがみガードしているのになんでダメージ喰らうんですか!?」って言ったら、「しゃがんでいるやつに膝とか前蹴り当てたらどうなるか考えてみてよ。」って言われて、確かに…って納得してしまいました(笑)。物凄く衝撃を受けましたね(笑)。そうして中段攻撃っていう概念が誕生したんですよ。

――中段攻撃が誕生! そのきっかけは片桐さんが教えた『ストII』のノウハウがあったからこそなんですね。

片桐さん私が教えたとしたら嬉しいんですが、裕さんは『ストII』に近づけるんじゃなくて、格闘技のリアルを考えて新しい中段属性の技というものを作ってしまったんだと思います。

――天才の発想がでちゃった。

片桐さん新しいものを作っちゃうんですよね、あの方は。それに続いて「寝ているあいだに攻撃されないのはおかしいだろ」って言いだしてダウン攻撃も作って……。寝ているあいだも攻防があるという発想には、感動しましたね。まさに格闘技!

――なるほど。ものすごくクリエイティブで、それを目の前でつぎつぎに見せつけられたわけですし。

片桐さんめちゃくちゃ刺激されましたね。そんな感じで、俺は『バーチャファイター』のときには呼ばれてもいないのにお邪魔して、プレイしたりしてましたね。

 『バーチャレーシング』を作っていたころには、「おもしろそうだな!」と思って名越さんの席の前に筐体があったので、「やっていいすか!?」、「いいよー」って感じで遊ばせてもらったりもして。そんなことをしょっちゅうやっていたら「あいつはゲームが好きだしうまい」という評判と、「なんでもいいけど、あいつ非常識だよな(笑)」っていう評判に同時になっていったんです(笑)。

――同時に(笑)。

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初の3DCGでの格闘ゲームとして世に衝撃を与えた初代『バーチャファイター』。キャラクターの生々しい動きや躍動感に当時のゲームファンは驚かされ、独特のゲーム性やソリッド感に虜となった。

片桐さん『バーチャレーシング』の敵車の速さや難易度は、当時の俺のプレイに合わせて調整されたんですよ。「あいつがギリギリ1位取れるぐらいがいい」って感じに。

――テストプレイヤー的な存在になったわけですね。

片桐さん裕さんに呼ばれて「これちょっと走ってみろ」って言われて、プレイして。それで1位取って「余裕っすね!」って答えたら、つぎのときはもっと難易度が上がったりして。

――『バーチャレーシング』は1位を取ろうとするとけっこう歯ごたえのある難易度だと思いますが、片桐さんのせいだったんですね(笑)。

片桐さんまぁ、そうなっちゃいますね(笑)。

――そういうこともあって、『デイトナUSA』では正式に開発チーム入りしたっていう感じだったんですかね。

片桐さんどうなんでしょうね、上司に「レースゲームのチームに参加しろ!」って言われて加わったので、詳しいところはわからないですけども。でも『デイトナUSA』でも敵車の走りは、俺がプレイしたコース取りをサンプリングをして使ったりしましたね。

――なるほどー。その横では『バーチャファイター』が作られていて、先ほどの裕さんとのやり取りもあったりしたと。

片桐さんそうですね。『バーチャファイター』が作られていくほかにも、いろいろ研究中のプロジェクトがあったんですよ。『バーチャレーシング』を3画面対応にするとこんな感じになるとか、『バーチャレーシング』を空を飛ぶものにするとこんな感じとか。

 そのなかのひとつに『バーチャレーシング』のピットクルーで格闘ゲームをさせてみたらどうだろうというものを作っているプログラマーがいたんですよ。その人は俺と同期の人だったこともあって仲よくしていて、その格闘ゲームのテストプレイもしたりして。それがそのうちにさっきの裕さんとのやり取りになったりしたんですよね。

 それが『バーチャファイター』のころで、その後に俺は『デイトナUSA』のチームでもうMODEL2を触ってもいたということで、『バーチャファイター2』では正式に開発チーム入りしたという感じでしたね。

――別チームではあったけど、初代『バーチャファイター』の開発にもかなり貢献していたんですね。

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『バーチャファイター』や『バーチャファイター2』稼動当時に大型筐体としてインパクト抜群だったメガロ50(写真はセガ社内に展示されているもの)。

『バーチャファイター2』で正式な開発スタッフに。崩撃雲身双虎掌ことアキラスペシャルの誕生も片桐さんのノリによるもの

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片桐さん『バーチャファイター2』の開発で一番最初に「誰も勝てないぐらいの強いCPU戦を作って」と言われたのをよく覚えています。当時のアーケードゲームって、プレイ時間が重要で、ある程度の面でプレイヤーをゲームオーバーにさせようという意識がありますから、3面あたりを初心者の山にして、そこを越えたら5面ぐらいまでいけるようにして、みたいな。そのためにも、まずものすごく強いCPUを作って、そこから調整しようということだったんです。

――『バーチャファイター2』のCPU戦だと、初心者だったらジェフリー戦あたりで負けちゃう感じですかね。

片桐さんバーチャ鉄人のひとりに柏ジェフリーさんがいたでしょう。彼が『バーチャファイター』で相手の上段攻撃が少しでもスカったら投げを決めるプレイをしていて、俺はそれを「かっこいいなー!」って思っていたんです。そこで『バーチャファイター2』のジェフリーでそれを再現したんです。

――たしかにCPUのジェフリーって、パンチがスカったら必ず投げを入れてきますよね。

片桐さんそうそう、そうなんです。あれは柏ジェフリーさんをリスペクトしたものなのですが、でもそれは人間がやっているからすごいのであって、CPUがやると、高難易度CPUの超反応でしかないんですよね(笑)。

――そうなりますよね(笑)。『バーチャファイター2』のCPUジェフリーだと、開幕にパンチ1発出すと必ず通常投げをされるから、投げ抜けをするというお決まりのプレイをしますね。

片桐さん投げは、体力がイーブンぐらいだと通常投げをして、負けているときには大技の投げを、逆に勝っているときにはあまり投げないというように作ってあるんですよ。

――だから開幕のスカりは必ず通常投げで投げてくるんですね。

片桐さんそうなんです。多くのプレイヤーさんはPPPとかPPPKだけで勝つというパターンを使うと思うのですが、あれは予期していなかったんですよね。本当はカウンターを狙うと勝てるというプレイをしてもらいたかったのですが、そういう難しいプレイをあえてする人はいなかったですよね。あれは学ばせてもらいました。

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常連さん『バーチャファイター2』でアキラにアキラスペシャルっていう技があったけど、あれはどういう経緯で作られた技だったんです?

――アキラスペシャルこと崩撃雲身双虎掌ですね。

片桐さん最初は崩拳(ぽんけん)っていう技だけが単体であったんですよ。ある日モーションデザイナーさんから「この技どうですか?」って聞かれたんだけど、「これだけだと、なんか締まりがないですよね」って話して。それで僕が「ウルフに100ダメージの投げ技があるんだからアキラにも作っちゃえばいいんじゃないですか?」、「ウルフはカウンターダメージで100から倍率かかるけど、3段攻撃にしたら初段のみの倍率で差別化できそうですし」ってその場の思い付きで言ったんですよ(笑)。

――作っちゃえばいいじゃん(笑)。

片桐さんそれで「この崩拳からどうするの?」って聞かれて、「そこから後ろにまわってドーンでいいんじゃないですか」って話して、「ドーンってなに?」って言うから、「白虎でいいよ白虎で、あれかっこいいから!」って(笑)。カッコいいは正義だと思って八極拳とは違う部分もありましたが、アキラを代表する技になってよかったです。

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『バーチャファイター2』の技のなかでもインパクト抜群なアキラスペシャルこと崩撃雲身双虎掌。当時、この技をゲームセンターで初めて見たときの衝撃をいまも覚えているという人もいるのでは。

常連さんこっそり入れちゃったとかじゃなくて、意図的に入れたんだ。

片桐さんそうです。逆に意図的に入れたわけではないけど入っちゃったのは、初代『バーチャファイター』の“コンボ始動ジャブ(→→P+Kでパンチが出る)”とか、アキラの独歩頂膝っていうヒザ蹴り、ウルフのスプラッシュマウンテンですね。

――初代『バーチャファイター』ではウルフもジェフリーと同じモーションのスプラッシュマウンテンを出せましたよね。

片桐さんそうそう。あれは意図して入れた技ではなかったんだけど、『2』ではもう正式な技にするしかないでしょうという話になって、ウルフはSSD(スタイナーズスクリュードライバー)になったんだよね。

――特殊な技だと、アキラの独歩頂膝ってコマンドがK+G同時押しから1フレーム以内にGを離すっていう、かなり特殊な入力になっていますけど、あれはどういう経緯でできたんですか?

片桐さん独歩頂膝の入力はメインプログラマーさんと考えたんですよ。当初は“K+Gを押してから2フレームのあいだにGボタンを離せば出せる技”で検討していたのですが、プログラマーさんが「2フレーム以内にボタンを離したかを判断させるようにすると、入力判定が遅くなるからあまりやりたくない」って話をされたんです。ほら、初代『バーチャ』は秒間30フレームなので、そのうち2フレーム猶予を持たせるのは長いと。それで、できれば1フレームでボタンを離すという入力にしたいということで「じゃあ1フレーム判定で作っちゃおう」となって。

 それで、テストプレイ役の僕が「片桐、この1フレ入力で技を出せる?」って聞かれたんですけど、僕は「難しいけど……できます(苦笑)」って答えたんですよね。その結果、1フレでボタンを離すっていう、異様に難しい入力の技になっちゃったんです(笑)。

――片桐さんが「これ無理!」って言ってくれてたらもっと出しやすい技になったと(笑)。

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K+G同時押し後、1フレーム以内にGを離すというかなり特殊な入力で出るアキラヒザこと独歩頂膝。

片桐さんそうですね(笑)。『バーチャファイター2』のときには、もっと意図して作って存在を隠していた技が多かったですね。さっきのアキラスペシャルもそうですし、影丸の針鼠弾も「クルクル回って攻撃したらおもしろいんじゃない?」っていうアイデアからで、「どうせ回るならソニックの音もつけちゃおうよ!」って。ノリノリで作っていましたね(笑)。

――「おもしろいから作っちゃおうよ!」っていういいノリだったんですね(笑)。

片桐さんそうそう(笑)。

――それらの特殊な技は、当初は存在を隠していたんですか?

片桐さんそうですね、秘密にしていました。

――ボクは『バーチャ2』が稼動した94年の当時、片桐さんが100何連勝ぐらいしているのを見た記憶があって、アキラスペシャルを最初に見たのも片桐さんが使っていたところだった気がするんですよ。

片桐さんマジすか! えーっ。103連勝したのは新宿の東口にあったスポランですね(笑)。閉店時間までやりました。そのときはラウでしたね。

 アキラスペシャルなどの特殊な技は隠し要素なので開発者はゲーセンで使うのは禁止だったんです。外で最初に私が見たのは、渋谷のみとやっていう50円ゲーセンで、ある日の深夜にそこで「こんな技ありますよね?」ってプレイヤーさんに話しかけられたんですよ。それで「あぁ、もうバレちゃいました?(笑)」って会話をした記憶があります。それからしばらくして知っている人が増えてから、解禁になったんです。マスターが見たのもそのころかもですね。

――なるほどー。ボクが見たのは秋葉原のいまのセガ1号館の1階にメガロ筐体が2台並んでいて、ものすごい量のギャラリーが毎日囲んで対戦を見ていて、そこでだった気がしますねー。『バーチャ2』はとにかく人だかりもすごかったですよね。

片桐さんいやぁ、当時はすごかったです。攻略が進むのもものすごく早くて、僕らが隠していたものも想像していたよりずっと早くバレましたよね。

常連さん筐体買ってやっていた人もたくさんいたもんねー。

片桐さんびっくりでしたよ、本当に。

――『バーチャファイター』がなかったら、ボクがゲーム関係の記事を書く仕事につくこともなかったですし。それこそ、このお店もなかったかもしれませんね(笑)。

常連さんいろんな人の人生に多大な影響を与えたよね(笑)。

片桐さん(笑)。

セガ入社からもうすぐ30年。「自分の人生を、よい方向に向かわせてもらった」

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常連さん……いやー、今日もいい話をたっぷり聞いたわー! やっぱりあの時代のセガのサウンドはどれも最高だよ! 『アウトラン』は3曲と『Last Wave』含めどれも何度聴いても飽きないね! リズムパートだけ聞いてても楽しいもん!

 初めて『Splash Wave』を聴いたときもビックリ。ステレオで激しくパンニングしてるだけで当時のゲームミュージックでは衝撃だったんだよね! アーケード基板がまだモノラルが主流だった時代だから。JAMMAハーネスもモノラルだったし! 当時、夕日の中をウォークマンで『Passing Breeze』聴きながら走るのが最高に気分よかった!! チャリンコだけど。(笑)

 マスター! おかわりちょうだい!

――はい、おかわりどうぞ。

常連さん思えばセガの体感ゲームが当時のゲームミュージックの枠を広げていったと言っても過言じゃないと思うんですよ。それは音源的な面でもそうだし、曲の構成も単なるループ曲じゃなくて間奏にソロパートがあったり、曲がゲームを盛り上げるというか、むしろ曲を聴きたいがために100円突っ込むっていうことも多かったし~。

 それまでは長くても1分ちょいでループするようなゲームミュージックがほとんどだったけど、セガは5分近くあったりして、そこもまたタマラン魅力だったんだよね~。新しい体感ゲームが出るたびに、「今度は何の音をサンプリングしてるんだろう?」ってワクワクしながら聴いていたね~。

 それにさー……(以降、ひたすらにいろいろなゲームのサウンド話が続く)

――あー、常連さんがエンドレス酔い語りモードに入っちゃいましたネ……。それにしても、片桐さんももうセガに入られてから長いですよね? 何年ぐらいになるのでしょう?

片桐さん1991年にセガに入社したので、もうすぐ30年ですね。

――30年ほどゲームを作り続けてきたこれまでの歩みを振り返って、どのように思われますか?

片桐さんゲームとパソコンとクルマが好きなだけの世間知らずが、ゲーム会社というところでなにも知らないなりにがんばった結果、運よくいろいろなことをさせてもらえて。本当に運がよくて、ヒット作に関わらせていただいて……。

 もしそれがなかったら、いまの俺はこういう人になっていなかっただろうなって思うんですよ。そこで成功と挫折があって、いろいろな経験をさせてもらって、いまの自分へと変わっていったなと思います。

 最初は「自分が一番ゲームがうまいんだから、俺の言うとおりに作ればいいゲームになるんだ」みたいなことを思っているような人だった。でも、ほどなくして、ゲーム作りはそんなことじゃないって理解して。ひとりじゃなくみんなで作っていくことを知りました。

 昔は誰かが「みなさんのおかげでできました!」みたいなことを言っていたら、「こいつ、本当はそんなこと思ってないんだろ?」ってひねくれて思っていたんです。でも、それはその人の本心で、それは大事なことなんだということがわかったのが入社して暫くしてからでしたね(笑)。

 きっと、ふつうの会社に入っていたら挫折して辞めていただろうって思うんです。でも、セガっていう会社で周りに恵まれつつ得意なことをやらせて伸ばしてもらえたから、「なにかしなきゃ」って考えるようになったと思います。これこそ本当に「周りにいる皆さんのおかげです!」と言いたい気持ちでいっぱいです。

 自分の人生を、よい方向に向かわせてもらったなと思います。

――好きなものがあってそれに取り組ませてもらえたからこそ、という。

片桐さんはい。本当にありがたいと思っています。もう自分も50代ですから、恩返しをしていきたいなと思いますね。

――本日はありがとうございました。

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