【ファミキャリ!会社探訪(35)】新しい技術にも臨機応変に対応、シューティングゲームメーカーの雄・モスを訪問!_08

ファミキャリ!会社探訪第35回はモス!

 ファミ通ドットコム内にある、ゲーム業界専門の求人サイト“ファミキャリ!”。その“ファミキャリ!”が、ゲーム業界の最前線で活躍している、各ゲームメーカーの経営陣やクリエイターの方々からお話をうかがうこのコーナー。第35回となる今回は、モス。
 アーケードゲームメーカーの老舗・セイブ開発を経て、駒澤敏亘氏らが1993年に設立したモスは、人気シューティングゲーム『雷電』シリーズの最新作『雷電V』を2月25日にリリース。シューティングゲームのみならず、中規模デベロッパーとして、ゲーム業界の中核を担う同社代表取締役・駒澤敏亘氏に話を聞いた。


モス設立時と似通っている現在のゲーム業界

【ファミキャリ!会社探訪(35)】新しい技術にも臨機応変に対応、シューティングゲームメーカーの雄・モスを訪問!_01
モス
代表取締役
駒澤 敏亘氏

――最初に駒澤さんの経歴から教えてください。ゲーム業界を志したきっかけや、現在に至るまでの経緯を簡単にお答えください。
駒澤敏亘氏(以下、駒澤) 最初にゲーム業界に入ったのは、セイブ開発というメーカーでした。業務用の基板のゲームを作っていたメーカーですが、縁があって19歳くらいからアルバイトから始めて、そのままズルズルと正社員になり、取締役まで勤めました。セイブ開発では、いまで言うところのグラフィックデザイナーをしていましたが、いまから30年近く前のことなので、グラフィックと言ってもドット絵ですね。8ビット、16色のゲームを作っていた時代です。ドットを置いていくだけの作業なのに、とても大きな専用機材が必要で、しかも一式揃えるとかなり高価でした。
 決して大きな会社ではありませんでしたから、デザインだけではなく、ゲームサウンドやデータ作成を担当したり、またディレクションや企画といった、デザイン以外の仕事をやることもありました。現在の開発では、キッチリと分業化、細分化がされていますが、「できる仕事はなんでもやる」という時代でしたね。いま思えば、そうしてゲーム開発をひと通り経験することができたと思います。
 セイブ開発には6年ほどお世話になった後に退職し、受託作業を中心としたデベロッパーとしてモスを1993年に設立しました。それからはずっとこの会社です。

――前の質問と重なりますが、モス設立の経緯についてもう少し詳しく教えてください。
駒澤 当時もいまも変わりませんが、フリーランスで仕事をしている場合、受けられる仕事の数や規模、種類が限定されてしまいます。それは企画やプログラマーといった職種でも同じだと思います。モスを設立したころは、ちょうどプレイステーションやセガサターンといった、当時の新世代機の発売直前で、いまのスマートフォンのように、ゲーム業界全体が盛り上がっていました。ですから、仕事も溢れるくらいにあった時代です。ひとりでできる範囲の仕事だけをするのではもったいないですし、その作業中はほかの仕事を受けることができません。そういった問題を緩和するために、「有志を集めて、ゲーム開発ができる環境を作ろう」と考えたのがきっかけです。幸いゲーム開発の業務をひと通り経験したことがあったので、その経験が活きました。

――ということは、モス設立後の駒澤さんは開発の仕事に携わるというよりは、管理職として、全体の管理やプロデュースが中心になったわけですね?
駒澤 そうですね。ただ、ゲームの開発と同時進行でつぎの開発の仕事を取ってくるのは当たり前でした。渉外もやりながら、会社に戻ればひたすらドット絵を描いていたという時代でした。

――ゲームファンには、“モスといえばシューティングゲーム”というイメージが強いと思いますが、ほかに手掛けている業務について教えてください。
駒澤 社内は、ゲーム部門と映像部門にわかれています。ゲーム部門は、ゲームに関する業務全般をやらせていただいています。モスはアーケードゲームがきっかけで設立した会社ですし、現在も業務用の仕事をやっています。もちろんそれだけではなく、『雷電V』のような自社開発による家庭用用ゲーム機向けタイトルを作っていますし、スマートフォン向けゲームの開発のお手伝いもしています。エンターテインメントでくくられるゲームという枠の中での開発をひと通りやっている部門です。
 一方、映像部門では、遊技機の映像など、同じエンターテインメントでも、映像技術に近いアミューズメントの仕事をさせていただいています。

――現在の会社の規模は、どのくらいですか?
駒澤 全体で50名ほどになります。ゲーム部門と映像部門で半々の割合ですね。