ファミ通ドットコム内にある、ゲーム業界専門の求人サイト“ファミキャリ!”。その“ファミキャリ!”が、ゲーム業界の最前線で活躍している、各ゲームメーカーの経営陣やクリエイターの方々からお話をうかがうこのコーナーの第18回は、セガ。

●“ファミキャリ!会社探訪”第18回はセガ!

 ファミ通ドットコム内にある、ゲーム業界専門の求人サイト“ファミキャリ!”。その“ファミキャリ!”が、ゲーム業界の最前線で活躍している、各ゲームメーカーの経営陣やクリエイターの方々からお話をうかがうこのコーナーの第18回は、セガ。
 1960年の創業以降、日本のゲームシーンを引っ張ってきたセガ。今回は、『ファンタシースターオンライン2』(以下、『PSO2』)シリーズの開発スタッフを募集するという。国産のオンラインゲームとしては、歴史も規模も最高クラスを誇る『PSO2』チームを統括する酒井智史プロデューサーに話を聞いた。


●「早過ぎてもやる」という、確固たる意志から生まれた『PSO』

▲セガ プロデューサー
酒井智史氏

――まずは酒井さんの経歴からうかがいます。『ファンタシースターオンライン』(以下、『PSO』)シリーズに携わるようになったきっかけや、『PSO2』では具体的にどのような業務されているのかなどから教えてください。
酒井智史氏(以下、酒井) セガには1994年に入社したのですが、その年はセガサターンが発売された年で、ゲーム業界がいちばん盛り上がっていた時代でした。ちょうど3Dのゲームが発売され始めていた時代です。僕は特撮にも興味があって、映画業界にも行きたいと漠然と思っていました。それと同時に、世界的な仕事ができるといいなと思っていて、ゲームと映画の両方で就職活動をしていましたが、結局ゲーム業界に入ることになりました。美大に行っていたので、最初はデザイナーとして採用されて、セガサターンの『ワールドアドバンスド大戦略』や『AZEL -パンツァードラグーンRPG-』、ドリームキャストの『ソニックアドベンチャー』などに携わりました。その後、『PSO』のメインデザイナーになり、それ以降はずっと『PSO』シリーズですね。『ファンタシースターユニバース』でディレクター、『ファンタシースターポータブル』でプロデューサーを担当しました。現在はシリーズプロデューサーとして、『PSO2』と『ファンタシースター ノヴァ』に関わっていて、ゲームのおおまかな方向性を指示したり、宣伝などプロジェクト全体の統括を担当しています。
――『PSO』が発売されたころは、まだ家庭用ゲーム機でのオンラインゲームは少なかったと思います。当時『PSO』の将来的なイメージをどのように感じていましたか?
酒井 どちらかというと、当時はもっとオンラインゲームに夢を持っていて、将来は全部オンラインゲームになると思っていました。でも『PSO』がそこまでヒットするとは考えていませんでした。そういう意味では、オンラインゲームに対する認識自体が甘かったのかもしれません。オンラインゲームは、通信環境や運営の施策でどんどん変化していくものですが、それに対処するだけで精いっぱいでした。
――セガさんは、他メーカーに先んじてオンライン事業に積極的でしたよね。
酒井 そうですね。当時はまだナローバンド回線で、ISDNが出始めたころでした。ですから、まずはモデムの通信帯でどの程度のことができるのかを探るところから始めました。当時、セガの大川功会長の「ネットワークゲームをやりたい」という思いがつながって、そこから『PSO』は生まれました。会社的に「早過ぎてもやるんだ」という意志はありましたね(笑)。
――当初、『PSO』はどのくらいの規模で開発がスタートしたのですか?
酒井 『PSO』チームは50人もいなかったんですよ。
――運営も含めてですか?
酒井 いや、そもそも運営専門のスタッフがいませんでした(笑)。僕がホームページを作ったり、ほぼ手作業で全部やっていました。現在の『PSO2』では、国内版の開発チームだけでも約180人、運営スタッフが20~30人くらいで、そのほかのスタッフもいますから、総勢200人以上いますね。
――かなりの規模ですが、開発チームの雰囲気はいかがですか?
酒井 人数が多い割りには仲がいいと思いますよ。「周囲の人が何をやっているのかわからない」ということはありません。また、月に1回、全員でつぎのアップデートのコンテンツをプレイしてみる“プレイ会”を開催しています。よりよいものへと改善していくために意見を交換する会です。自分のキャラクターを見せ合ったり、おもしろプレイを披露したりしながら、まずユーザーとしてプレイすることで、問題点を見つけるのが狙いです。