定番のコピー問題にも言及

テーマはインディー回帰。大物が勢ぞろいだった講演“Back to Garage”【GDC 2012】_06

 先週サンフランシスコで行われたGDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)2012から、物凄いメンツが集まったパネル“Back To The Garage: The Return of Indie Development”の模様をお届けする。それでは、“デベロッパーになったきっかけは?”という最初の質問の答えとともに、このパネルに登場したパネリストたちを紹介しよう。

テーマはインディー回帰。大物が勢ぞろいだった講演“Back to Garage”【GDC 2012】_01
テーマはインディー回帰。大物が勢ぞろいだった講演“Back to Garage”【GDC 2012】_02
テーマはインディー回帰。大物が勢ぞろいだった講演“Back to Garage”【GDC 2012】_03
ジョーダン・メックナー
高校生の時にApple IIでプログラミングを始めた。ディスクに入れてBroderbund(パブリッシャー)に送り、販売してもらおうと思った。最初のゲームはうまくいかなかったが『カラテカ』と『プリンス・オブ・ペルシャ』でスタートした。
ティム・スウィーニー
Apple IIでプログラミングを始め、だいぶうまくなったので1991年に最初のゲーム『ZZT』を出した。シェアウエアでエピソードを販売したところ、毎週100ドルもの大金がはいるようになった。これで生きていけそうだと思ったのでエピック・ゲームズを作り、今日までやっている。
ジョン・ロメロ
1979年にコンピューター・プログラミングを始め、1980年ごろApple IIプログラマーになった。良いゲームが出来るまでにはたくさんのゲームを作った。(id Softwareなど)いくつかの会社に勤めたことはあるが、ほとんどインディーでやってきた。今はソーシャル・ゲーミング会社をやっているが、今もインディーと言えるだろう。
テーマはインディー回帰。大物が勢ぞろいだった講演“Back to Garage”【GDC 2012】_04
テーマはインディー回帰。大物が勢ぞろいだった講演“Back to Garage”【GDC 2012】_05
アダム・サルツマン
1980年代にコンピューター・プログラムを始めたが下手だった。『Doom』でレベルデザインをやった。1990年代後半からプログラミングをやっている。自分のゲームを出し始めたのは3~4年前。2年前に『Canabalt』というゲームを出した。オープンソースのFlashゲーム開発ツールキットのFlixelを運営している。
マーカス・ペルソン
1980年代後半にプログラミングを始めた。8歳の時にCommodore 128で雑誌からコードをコピーして遊んでいた。長い間趣味でゲーム開発をやっていた。仕事を辞めて『マインクラフト』を作ったら売れた。

 なんともスゴい大物揃いだが、ポイントとなるのは、ジョン・ロメロ氏やジョーダン・メックナー氏、そしてエピック・ゲームズを率いるティム・スウィーニー氏であっても、インディーとしてゲーム業界に参入し、そしていまインディーとして活躍しているということだ。エピック・ゲームズは『ギアーズ オブ ウォー 3』時点で100人を超える社員を抱える大手デベロッパーだが、子会社のChairとともに『インフィニティ・ブレード』を直接リリースしているのは、紛れも無くインディーの仕事なのである。

 開発費の高騰と大規模化を続けてきたように見えるゲーム業界は、スマートフォンゲームやソーシャルゲーム、デジタル配信といったゲーム市場の多様化により、スモールサイズなもうひとつの方向性を見つけたと言えるだろう。そしてそれは、未来のビッグネームが、ガレージや屋根裏部屋で熱心にプログラミングコードを書いていた過去と似ているのだ。ジョン・ロメロ氏は「プラットフォームと課金形態が異なるが、昔とそっくりだ」と現在を語る。

 重要なのはアイデアと熱意、そしてそれを実現するだけのスキルとタイミング。メックナー氏は「インディは1人でも小さいチームでも作れるので将来を心配せずに飛び込める」とその身軽さを語り、ロメロ氏もこれに「何となく許可を得てからでないとゲームを作れないと思っている人がいるようだが、仕事をしながらでも家に帰ってからやればよいし、協力者を得ればよい」と賛同する。実際、『マインクラフト』は、マーカス・ペルソン氏が仕事を辞めてからそんな具合に作り出し、いまや業界を代表するヒット作だ。

 インディーゲームシーンには大手パブリッシャーのゲームには見られない、斬新なアイデアが多く見られる。ロメロ氏はアイデアこそが重要とするが、だからこそ「簡単に作れるのでアイディアを盗まれてしまう危険性もある。1年目にして早速盗まれた。アイデアは秘密にしておかなければならない」と警告する。

 そう、インディーとして生きるということは、大手パブリッシャーが抱えるような強力な弁護士軍団の後ろ盾もなく、盗作やクローンと戦わなければならないということでもある。
 インディーで作れてしまう規模のものは、やはりコピーもやりやすいのだ。同じ国に住んでる同じようなインディー野郎ならまだいいが、謎のアジア人や、臆面も無くインスパイアアプリを叩きつけてくる圧倒的大企業だったらどうすればいいか? 盗作・クローン問題はインディーゲーム業界で話題となるホットトピックだ(業界で有名な企業の名もしばしば取り沙汰される)。サルツマン氏は、オープン開発にしてしまうこと、スウィーニー氏はゲームをコピーできない規模にしてしまうか、すばやく作ってコピーされる前にリリースしてはどうかと提案していた。

 また、ゲームデザインに詰まった際の対処法が異なっていたのもおもしろかった。サルツマン氏が「一度諦めて考えなおし、ほかのゲームや古いゲームを見て参考にする」と答えたのに対し、メックナー氏は「自分で解決してきたが、ローラーコースターに乗っているようだった」との感想。ペルソン氏は、『マインクラフト』はメカニックが楽しいことがキーになっているゲームなので、そこをフックに、通常モノを持った人が動きが遅くなる所を早くしてみたり、遊び心で対処していることを明かした。そしてスウィーニー氏の解決策は「クリフ(・ブレジンスキー氏)を雇ったら解決した」というもの。スウィーニー氏は完全にプログラマー中のプログラマーといった感じの人物(本誌通訳の言葉を借りれば“機械のよう”)。気のいいアンちゃんタイプのクリフィーとはいい具合に補間しあえるのかも。そういえば、ジョン・ロメロ氏にもかつてスウィーニー氏のようなジョン・カーマック氏という大天才な相棒がいたっけ……。

 「成功したあとに何をするか?」という質問に対する回答もそれぞれのスタンスが違っていて興味深い。サルツマン氏は「サバイバル・ホラーなど違うものにチャレンジしたい。一歩引いて他の人のゲームの手助けをしてもいいね」とオープンマインドな回答をし、メックナー氏は「いろいろミックスしてやっていきたいんだ。『プリンス・オブ・ペルシャ』を作ったのも、(『カラテカ』の)続編はやりたくなかったから」と答える。一方のロメロ氏とスウィーニー氏は、時代はつねに変化しているので、そのタイミングをつかむという趣旨の回答で一致していた。

 実際、何かの結論が出るようなパネルではなかったのだが、インディー回帰というテーマそのものが非常に興味深かった次第だ。むしろ昔の個性的なクリエイターには、巨大プロジェクトよりも、それこそ昔やっていたようなアイデアがきらめくある程度小さいソフトの方が向いているのかも。ウィル・ライト(『シムシティ』ほか)のタブレットゲームとかおもしろそうなんですけど、どうですかね?