武宗しんきろう
プレ・ファミコン時代のビデオゲームにまみれて育ったWebデザイナー。退屈な日常を夢の世界へ変えてくれるビデオゲームの魅力にとりつかれ、おもわずブログを始めてしまいました。合言葉は不思議!? すげえ! カッコいい!!



BOM
食べるの大好き食欲旺盛なインコ好きイラストレーターです! ツキイチの友人との寿司会が楽しみな日々です! よろしくお願いします!(´ω`)
http://x09.pya.jp/ss/



最新エントリー

話題にしたゲーム

タグ

月別アーカイブ

最近のコメント

第1回:TVゲームグラフティー[1970年代日本編]

  • 0
  • 0

 『君は生命の誕生を見る……』(Gダライアス) 。はじめまして! カンブリアン民族こと武宗しんきろうと申します。

 

 今回より、ファミ通.comブログにおいて、日本で発売された創世期のTVゲーム=家庭用据え置き型ビデオゲームの歴史を紹介させていただくことになりました。2012年はアメリカでTVゲームが生まれてからちょうど40周年のアニバーサリーイヤーであり、また新世代機Wii Uが登場した年でもありますね。過去の思い出を振りかえるのではなく、知られざるTVゲーム創世期をみなさんといっしょに探求し、新ハードが登場するときのような高揚を感じながらTVゲームってやっぱいいよね! すごいよね! といったキラキラ感を見つけていければうれしいなと思っていますリアルタイム世代はもちろん、若いゲームファンもお気楽に合流ください。なにとぞよろしくお願いします!!

 では、最初からクライマックスだぜ!! とばかりに、当連載で紹介予定の歴代TVゲーム機をいっきに紹介してまいりましょう! 連載が進むごとに各ゲームへのリンクを張っていきますので、目次としてもご利用いただけますよ。

※本連載では、TVゲーム=家庭用据え置き型ビデオゲーム機と定義します。
※価格は新発売時のものです。
※メーカー名は当時のものです。

※文中のデータなどは当時の資料をもとに武宗しんきろうがまとめたものです。

 


プロローグ:国産TVゲーム機が登場するまで

 

 いまから40年ほど前まで、家庭用テレビジョン受像機とは、放送局から送られてくる映像を流すだけの電機製品でした。それをインタラクティブな遊び道具に変えてしまったのがTVゲーム機です。当時何億台あったかは知りませんが、世界中のテレビの使いかたを変えてしまう革命的な製品だったといえましょう。もっとも、誕生した当初は未熟なソフトが多かったのも事実です。しかし、改良の中から厳密なルールが生まれ、テクニックが生まれ、やがて世界中の人々を熱狂のうずに巻きこんでいくことになるのはご存じのとおりです。

 

 


 ODYSSEY(オデッセイ)
:::1972年/MAGNAVOX/100$

01-ODYSSEY
 アメリカで生まれた世界初のTVゲーム機(家庭用据え置き型ビデオゲーム機)。アナログ制御技術で設計され、トランジスタやコンデンサなどIC以前の半導体素子だけで組まれているのが特徴。プリミティブな対戦ボールゲームを主軸に、プレイヤー自身がルールをつかさどりながら、テレビ画面とともに進めていくボードゲームが多数同梱されている。日本でも若干発売された模様。

 

01-ODESSAY

▲世界初にして早くも2組のコントロールボックス、拡張端子、ソフト交換方式が実現されている。国内では1975年春にジョリーブという会社が輸入販売していたという記事が残っている。


 試作テレビゲーム 
:::?年/SONY/

02-SONY


 2002年〜2005年に開催された「本田宗一郎と井深大 −夢と創造— 展」の片隅に展示されていた、ソニーが開発していたという試作TVゲーム機。その操作ボタンの仕様や、昔からのソニーの教育分野への熱心な取り組みから考えると、TV受像器を使った学習装置だったのではないだろうか。

 

j

▲正面左側には、[こたえ](1)(2)(3)、[すすめ]というボタン、右側には[ローディング][イジェクト]と書かれた大きなダイヤルが装備されている。



1975年:日本初のTVゲーム・テレビテニスの誕生

 

 TVゲームの発明が電子技術誌などで紹介されると、同様のものを作ろうという動きが世界各地で現れました。こと日本においては、繁華街のゲームセンターで稼働していた業務用ビデオゲーム機でその存在を知った人が多かったようです。「これはどのようにして動いているんだろう?」電子工学系の学生や技師たちはそのめずらしさとおもしろさに興味をいだき、研究室で試作機がつくられたり、商品化に向けた動きが加速していくのです。


 テレビテニス 
:::1975年/エポック社/19,500円

03-

 

日本国内向けに本格的に製造・販売されたTVゲーム機第一号。キャッチコピーは「見るテレビから使うテレビへ」。ふたりのプレイヤーがラケットでボールを打ち合い、相手の画面端に打ちこむとポイント。ただしスコア表示はなく、プレイヤーが本体のダイヤルを回して自己申告しなければならない。簡単な効果音も出る。

 

03-

▲テレビテニスはワイヤレスでゲーム画面を飛ばす仕様になっている。左上に見える小さな台形がテレビに接続する受信アンテナ。



1977年:第一次TVゲームブーム来(きた)る

 当初は「日本人は飽きやすい民族だし、アメリカとの生活習慣も異なる」などと、(国内の)マスコミから眉唾にされていたTVゲームでしたが、低価格で遊びやすい製品が開発されるや怒濤のごとく売れだし、遂には国内でも100万台の大台を突破、1977年のヒット商品ランキングに名を連ねるまでになりました。ブームはおよそこの年のみで収束してしまうものの、週刊誌のネタに取りあげられたり、TVゲーム対戦番組まで出現するなど、TVゲームというものが世間に認知されるようになる記念すべき年でした。


 チャンピオン 
:::1977年/パッケル測器/15,300円(デラックスセット)

04-

 

 世界のTVゲーム機がこぞって採用したのが、半導体のG.I.社が開発したゲーム専用LSI・AY-3-8500。デジタル回路化により動作は格段に安定しており、ボールゲームやガンシューティングを楽しむことが出来る。このパッケル測器の製品も、そのLSIを使いつつ、さらにカラー化をほどこしたスタンダードな製品のひとつ。

 

04-

▲パッケル測器は産業用電気コンバータなどを生産していたメーカー。雑誌懸賞やTVゲーム番組提供など、メディアを使った宣伝に意欲的だった。


 Nationalテレビゲーム 
:::1977年3月/松下電器/24,800円

05-National

 

 約350万台、金額にして1,500万ドルを売り上げたという米国でのTVゲーム機のヒットを受けて、国内の大手家電メーカーも遂に重い腰を上げた。内容は「チャンピオン」と同じくAY-3-8500LSI互換の白黒ボールゲームだが、価格は2万円半ばと家電らしい設定に。そこに、フルカラーで1万円を切る製品がどんどん登場してきたため、早期の退場を余儀なくされてしまう。

 

05-National

▲販売は白黒テレビの新製品を意欲的に開発していた藤沢テレビ事業部。家電メーカーらしく、各パーツは大変しっかりしたものが採用されている。


 フェアプレー6/フェアプレー15 
:::1977年/シャープ/9,800円、15,000円

06-TV


 大きく見やすいラケット、鮮やかな色彩、勝利するためのさまざまなテクニックといったゲーム内容の充実。'70年代の日本でもっとも売れたといわれるTVゲーム機・任天堂テレビゲーム6/テレビゲーム15のシャープブランド版。操作性や内容は同じで、末永くたのしめる。

 

06-

▲手前がフェアプレー6(XG-106)で奥が同15(XG-115)。ゲーム数やコントローラーの仕様などが異なっている。また、フェアプレー6にはアダプタに対応したXG-106Vも存在する。

 

 

1977〜1978年:ポストボールゲームを探して

 

 '70年代はマイクロプロセッサやメモリがまだ大変高く、現在のようなコンピューター仕様のTVゲーム機を安価でリリースすることが難しい時代でした。ボールゲームで火が付いたTVゲーム市場をなんとかつなごうと、メーカー各社は二匹目のドジョウ探しに奔走します。当初白羽の矢が立ったのは、ソフト的にボールゲーム技術の改良で作れるカーレースゲームや、ゲーム本体とLSI周辺部分とを分離し、ハード的なプレイバリューを増やしたカセット式TVゲーム機などでした。しかし、内容のわりに価格が高い製品が多く、新たなユーザーを獲得するには難しい状況がつづきました。


 TV-JACK2500 
:::1977年10月/バンダイ/29,000円

07-TV-JACK2500_


 遊星群を避けながら相手の宇宙船を狙い撃ちする、ふたり専用の対戦シューティングゲーム。マイクロコンピューターを使わず複雑なゲームを実現するために、ゲームに使われる各機能をICユニット化し内容に応じて組み合わせる「ユニバーサルゲームICシステムを採用した数少ないマシン。

 

07-TV-JACK2500

▲宇宙船ゲームは13個ものICを使って実現されている。4段階の難易度、5種類のゲームパターンがプレイ可能。


 GRAND PRIX 77 
:::1977年頃10月頃/BMCインターナショナル/18,000円(キット)〜30,000円(完成品)

08-GRANDPRIX 77

 

 大阪のメーカーなどが製造していた、ボールゲームと上方見下ろし視点型のレーシングゲームが遊べるマシン。超高速に降ってくる敵車をかわすだけのレーシングゲームには必勝法らしきものがなく、ゲーム性は著しく乏しい。このメーカーではないが、1977年のTVゲームブームには、一攫千金を狙ったモラルの低い業者も参入し、生産能力を超える受注で不良品を出したり、納品が遅れトラブルになるなどのケースも発生した。

 

08-GRAND PRIX 77

▲ゲームは極めて単調だが、下腹に響く超リアルなエンジン音だけは特筆すべき大迫力。キットの形でも販売されている。


 レーシング112 
:::1978年6月/任天堂/18,000円


 任天堂のTVゲーム第2弾。敵車を避けながら制限時間64秒のあいだにどれだけ進めるかを競うカーレース。興奮を演出するための大きなハンドルやシフトレバーが特徴。ふたり同時プレイ、悪路、敵の数や動きの変化など、112種類のバリエーションが設定できる

 


 ビデオカセッティ・ロック 
:::1977年12月/タカトク、ジーエル/9,800円〜17,600円

10-


 カセットを交換することでさまざまなゲームが楽しめる、国内パイオニアがこれ。ただしマイクロコンピューターはまだ搭載されておらず、基本構造はボールゲーム時代と変わらない。カーレースやスタントサイクルなど海外製のゲームLSIを使ったカセットのほか、リズムボックスやエフェクターといった路上系(?)タイトルもラインアップされた。

 

10-

▲一度カセットを入れるとなかなか抜けないスロット。知らないで強く差し込んでしまうとと文字通りハマり状態に。使わないスイッチもたくさんある。


 アドオン5000 
:::1978年6月/バンダイ/19,800円

11-


 ビデオカセッティ・ロックと同じく、海外製のゲームLSIを採用したカセット方式TVゲーム。そのため、ロックと同一内容のゲームカセットも存在する。専用LSIは高い開発リスクをともなうわりに安定供給が難しく、この78年頃を境に開発がとだえる。よって、対応ソフトもボールゲームなどピークをすぎた内容ばかりだったが、1979年初夏、人気沸騰中だったインベーダーゲームの新カセットの投入が突如予告され、玩具専門誌はもちろん一般紙をもにぎわせた。

 

11-

▲取り外し可能なジョイスティックを採用。ブルーの本体は'79年からの後期版で、イジェクトスイッチが省略されたり同梱カセットが異なったりしている

 

 

1978年:マイコン野球ゲーム


 高度なハードウエア、低価格な価格設定、そしておもしろいゲーム内容……。各社が開発に苦労する中、いち早く抜けだしたのが玩具メーカーのエポック社です。この時期、ボールゲーム時代からタッグを組んでいたNEC集積回路事業部が、ゲーム専用ワンチップマイコンの開発に成功。初の量産機となるのが'78年のテレビ野球ゲームです。やがて、この経験が'80年代のカセットビジョンへのスマッシュヒットへとつながっていくのです。


 テレビ野球ゲーム 
:::1978年8月/エポック社/18,500円

12-


 NECがTVゲーム用に新開発したワンチップマイコン・μPD-777Cシリーズを採用、ご存じ「野球盤」で有名なエポック社謹製のテレビ野球ゲーム機。10種類の球種の投げ分け、ダブルプレイやタッチアップ、ホームランの演出など、従来のLSI方式では難しかった多彩な機能が盛り込まれている。

 

12-

▲遠隔操作できるバッティング専用コントローラーを装備。「ゲームスタート」ではなく「プレーボール」と書かれたボタンにこだわりがみえる。

 

 

1978年:ホームコンピューター指向


 '78年当時で言うところの「次世代機」は、本格的なマイコンを登載したカセット方式マシンを指していました。ソフトを取り換えるだけで無限のゲームがプレイできる、内容の深いソフトが登場する、デザイナーにとってはゲームの作り込みが容易であり、販売者にとっては教育機器としてお高い値段でセールスできるマシン……。そのような幻想に支えられ、海の向こうからホームコンピューターを指向したTVゲーム機が続々と上陸してくるわけですが……。


 チャンネルF 
:::1977年10月/丸紅住宅/128,000円

13-


 フェアチャイルド半導体部門が開発したマイコンシステム「F-8」を採用。ソフト交換式、すなわちストアードプログラム方式を採用した世界初のマイコン搭載TVゲーム機。ローンチタイトルに三目並べやブラックジャックなど、従来では難しかった思考型のソフトがラインアップされ、各方面の期待は大きかった。日本では丸紅住宅販機器売が128,000円という常識外れの価格で販売。

 

13-

▲木目調のモダンな外装が高級感をあおる。にぎって使う縦型ジョイスティックは、8方向のほか、押す、引く、ねじるといった入力までサポートする。


 ビジコン 
:::1978年4月/東芝/54,800円

14-


 国産機としては初のマイコン搭載TVゲーム機だが、内部的には米RCA社のテレビゲーム機「STUDIO II」のメモリ強化版。ゲームをしながら学習できるというキャッチコピーにもれず、本体に内蔵された四則演算ゲームは、対戦ゲームとしての熱中度が高いうえに数字コントローラーとの相性もばつぐん。東芝の価値のある家電「V(バリュー)商品」としてラインアップされたが、家電売り場とゲーム専用機との相性はいまひとつだった。

 

14-

▲コンピュータゲーム機を印象づける高級で新奇なデザイン。野球や角力(すもう)といった日本で人気のスポーツゲームも発売されている。


 ビデオコンピュータシステム 
:::1977年12月頃/東洋物産/94,800円

15-


 業務用ビデオゲームのトップメーカー・ATARIが発売したマイコン搭載機。後にATARI 2600の名で全米を席巻するが、発売当初はまだキラーソフトと呼べるゲームが見あたらず、日本国内輸入元だった東洋物産では「算数力や記憶力の育成」「ホームコンピューター化による税金計算に」といった可能性重視のアピールを行っていた。

 

15-

▲あまりに高すぎるためか、本体、ジョイスティック2本、パドルコントローラー一組(ここまでが85,500円)、専用カセットコンバットが9,300円、しめてセット価格94,800円という名目上の区分けがあった。

 

 

1979年:ブロックくずしに立ちふさがる壁


 かのスティーブ・ジョブス氏も設計に関わったことで知られるATARI社の「BREAKOUT(ブレイクアウト)」は、その後のビデオゲームシーンに大きな指針を与えた歴史的傑作です。ボールをパドルではじき返しながら壁を崩していくだけのシンプルなゲームですが、パズルを解くような理論性、スピードとスリル、残機制の採用、そしてそれらはすべてスコアを稼ぐ楽しさと直結していました。日本においては、テーブル筐体の採用が若者やビジネスマンたちのライフワークと合致したことで人気に拍車をかけ、ビデオゲームとしては空前のヒットを記録。この評判を聞きつけた玩具メーカー諸社は、さっそく家庭用版の開発に着手し、およそ1年後、各社からプレイバリューの高いブロックくずしゲームが発売されました。しかし、その頃巷では、インベーダーゲームブームが到来しており、ブロックくずしの人気はすでに下火になっていたのです。ゲーム機は内容だけではなく、発売のタイミングもまた重要だったのですね。


 ブロック崩し 
:::1979年4月/任天堂/13,500円


 万全を期して開発された任天堂渾身の自信作。鮮やかで爽快感のある6種類のブロックくずしが楽しめ、玩具売り場での人気も高かった。独自フィーチャーとして、一時的にボールの角度を変えスピードを落とすフェイント機能が盛り込まれている。'79年頃には業務用分野においても任天堂レジャーシステムを通じて「ブロックフィーバー」が販売されていた。

 


 テレビブロック 
:::1979年5月/エポック社/13,500円

17-

 

 ATARI社が自社家庭用機に開発していたBREAKOUT専用のLSIを採用した、本命版というべきブロックくずしゲーム機。完成度の高い本家ブレイクアウトゲームをはじめ、放物線を描くバスケットボールのような「リバウンド」、左右のボタンを使う「フリッパーピンボール」などが楽しめる。

 

17-

▲本体は日本独自の設計。任天堂機に比べて画面はやや地味だが、内容は非常に洗練されている。



そして'80年代へ:高級テレビゲームの夢敗れ

 

 '79年、TVゲーム機を扱う国内メーカーはわずか3社だけとなっていました。ちょうどこの頃、パソコンという新たなホビーカテゴリが急浮上をみせてきており、10万円を下らない価格ながら、ハイティーンの熱い支持を得ていきます。業務用ゲームではスペースインベーダーが社会現象となるほどの大ブームとなっており、いまこそTVゲームの面目躍如!……と思いきや、その人気はパソコンゲームと低価格なハンディゲーム機へと流れてしまい、中途半端な立場にあったTVゲーム機はビッグウェーブに乗ることができませんでした。やがて、エポック社以外のメーカーも新製品の開発を休止。日本のTVゲームはしばし冬の時代をむかえるのです。


 ビデオコンピュータシステム カセットTVゲーム 
:::1979年10月/エポック社/47,300円

18-


 発売元が東洋物産からエポック社へ。製品はまったく同じものだが、わかりやすい「カセットTVゲーム」という愛称がつけられた。同社のキッズ&ファミリー主体と一線を画し、セレブな大人の高級娯楽といった宣伝がなされている。翌年2月には待望のスペースインベーダーのカセットがリリースされるも、本体まで値上げされてしまい、一般人にはどこまでも高嶺の花となってしまった。

 

18-

▲セット内容は前述の東洋物産発売版と同じ。1チャンネルに映像を映す西日本専用版と、2チャンネル(写真/右上に2のシールがはられている)の東日本専用版が用意されている。


 コンピューターTVゲーム 
:::1980年4月/任天堂/48,000円

 

 シューティングやアクションゲームばかりだったゲームセンターに、思考ゲームというカテゴリを持ち込んだ「コンピューターオセロ」(1978年/任天堂)の基板を流用した製品。ふたり対戦プレイはもちろん、業務用とおなじく4段階の難易度のコンピューター対戦が可能。さらにアーケード版にあった制限時間が撤廃されているので 、じっくり考えながら遊べるのがうれしい。
 価格は任天堂TVゲーム機史上最高価格の48,000円
(※2012年現在)。ちなみに業務用のコンピューターオセロゲームは筐体込みで38万円とか。

 


 スーパービジョン8000 
:::1979年12月/バンダイ/59,800円

20-

 

 精細なグラフィック機能と迫力のサウンド機能を登載した'70年代国産TVゲーム機の最高峰。それまで1年ほどかかっていたゲーム開発期間の短縮化を実現し、インベーダーやギャラクシアンゲームといった旬なタイトルがリリースされたが、逆に内容の作り込まれたソフトが少なく、同社の安価なハンディゲームに人気を譲る形になった。製品発表会では将来ホームコンピューターにシステムアップするための計画が予告されるも実現には至っていない。

 

20-

▲インベーダーブームに列島がゆれた1979年に発売。発売当初はインベーダーカセットが大きくアピールされた。

 

さて、エントリーのシメは、いまや完全に市民権を得た(?)萌え擬人化4コマと参りましょう。ファミコン以降の擬人化娘はすでにたくさんいますが、もちろん、私たちはあくまでファーストジェネーレーション世代の娘たちで勝負します。
 ではいってみましょう。「すえおき レゲ娘!」。ラブ&ピース!!

P゙

 

 

 

(1980年代編に続く)

次回更新は、12月14日(金)の予定です。

2012年12月11日 17:00