プロを唸らせたゲーム開発の48時間生番組(後編)

 前回は、  国際ゲーム開発者協会(IGDA)が主催した Global Game Jam」を、東京工科大学の映像系コンテンツ制作サークルBaNyaK(バニャ)が、48時間連続USTREAM中継した模様をお伝えした。 今回は、イベント2日目にフランス会場と通信が成功 し、日本会場が盛り上がりを見せたところからお伝えする。

 

 

■返信が来ないのでドキドキ
通訳については、これまたBaNyaKのUSTREAMの影響を受けて、わざわざ広島から東京までやって来たゲームの翻訳を仕事にしている、ハンドル名 「画龍点睛」さんが、引き受けると言いだした。GGJの会場には、都合よくいろんな人が集まっているものだと、つくづく思う。
ただ、パリ会場からの音信は、それから止まった。
何度か、Twitterで発言を行ったのだが、返事がない。きちんと連絡の意味が伝わったのかどうか、一同に不安がよぎる。もしかして、Twitterで挨拶をすることで、彼らは満足してしまったのだろうかと、心配になって来る。
とにかく間を繋がなければならないので、スタッフも、私もでたらめなことを話し続けている。
ただ、しばらくして、「問題ないよ。愛すべき参加者に挨拶する用意はできているよ^_^」という返事があり、一同ほっとする。どうも、パリの会場には、Skypeでボイスチャットができる環境がなかったので、その環境を構築しているのでちょっと待ってほしいということのようだった。

■「ゾンビ」だらけのパリ会場
そして、しばらくして、ついにSkypeにコールがあり繋がった。
パリの会場は、Isart Digital というデジタルメディア教育の職業訓練の専門校で、映画やゲームなどの教育ではフランスでも有名な学校が会場になっていた。すぐ側にはバスティーユ広場があり、セーヌ川も近く、まさにパリの中心部。参加者は90名を越え、3割近くがプロの開発者と話してくれた。
「こっちはゾンビだらけ、そっちはどう?」
と、パリからは発言があった。
お互いに爆笑する。
もちろん、すでに追い込みモードで、不眠不休で作業している参加者が疲労たっぷりで、ゾンビみたいな感じになっているという冗談だ。
「こちらもゾンビだらけだ」と応酬する。
話してくれたのは、20代のベンチャーのゲーム会社に勤めるプロの開発者で、去年、ベルギーの会場で参加して、ものすごい楽しかったので、今年も地元で参加したという人だった。世界的にこのイベントの感染力が強いんだということを意識させられる話でもあった。
日本でも、福岡会場をまとめた金子さんは、昨年、オランダのユトレヒト大学に留学中に参加して、あまりの盛り上がりと楽しさにショックを受けて、日本でも実現させたいという強い希望を持って、大学を説き伏せ、実現にまでこぎ着けたという経緯がある。読売新聞の地方版がそれを報じて、それを見た福岡市長がアポなしで会場を訪れるといったサプライズのおまけまで付いた。
パリ会場は、ビデオチャットの環境が構築できないということで、だだ流しのUSTEAMを流している全体の姿が見える部屋のカメラの前まで走っていって、手を振ってくれた。Skypeのマイクはどうも別の部屋のパソコンに繋げられているようだった。
カメラの目の前で行っているチームのことについても説明してくれた。ヘッドマウントディスプレイを使って、Wiiコントローラーを使って操作するゲームを作っているのだそうだ。AR(拡張現実)技術の研究が、フランスは盛んな地域なのだが、そういうアプローチでGGJに挑んでいる姿の話を聞くことは楽しかった。フリーで公開されている開発環境を組み合わせながら、取り組んでいるのだという。彼はそのゲームデザイン部分を担当している。しかし、プログラマを担当しているらしき人には、こうした会話に関心を払っている余裕はなさそうな気むずかしい顔をして画面をにらみつけていた。
わかるわかる、東京と話している時間的余裕なんてないよな、と内心苦笑した。

 



■40年間で手軽にできるようになった世界中継と放送
私は頭の中で、昨年11月に放送された1969年にアポロ11号の月着陸時の衛星中継を流していた「NHKアーカイブス」の番組を思い出していた。当時、アポロから送信されてくる映像を今か今かと待ち構え、月面着陸から、月面に一歩を記すまで、全体で12時間の間、生中継を行い続ける。
当時の映像を見ていて、興味深かったのは、ロケットの専門家だけでなく、お坊さん、作曲家、ファッションデザイナーといった、現在では考えられないような人選が行われて番組中にコメントをし続けたということだ。映像が来ない長い長い待ち時間の間、そうした人々が妙な興奮の中、白黒映像のライブ放送で今の時代からみると、とんちんかんにも思えるコメントを出し続けていたことが印象的だった。
その妙な姿が、Skypeが繋がらなくて、待ち時間の妙な間が空いてしまい、それを何とか埋めようとアドリブで適当なことを話している番組スタッフと被る。
もちろん、今回のGGJのUSTREAMが月面に着陸したとまで大げさなことを言うわけでもない。Skypeを使って海外の人と話したりすることは、私にとっても日常的な風景の一部に、この10年でなった。話している内容もたわいもない内容である。USTREAMをライブで見ているのも100数十人に過ぎない。しかし、それでも、何かが変わろうとしているんだなという気持ちが、そのパリとの接続中継を通じて沸き上がってくる。
全世界が同時に繋がり、それを自分たちできちんと確認できる。そして、それを素人の番組ながらも全世界に向けて配信する。荒削りながら、それがなんだかへんてこりんな気分にさせたのも確かだった。単発で、SkypeやUSTREAMを放送しているのと違う、世界が同期して、ダンスしている、そういう律動が身体を揺さぶる。
しかも、それを配信するためのコストは、極限まで低い。衛星中継が大変だった40年前に比べると、どれだけ世界の姿が変わってしまったのかというギャップをどう解釈したらいいのだろうか。
もし視聴者が、ちょっと間違って、数千人、数万人に達したら何が起きるだろうか。そういうことは、今後の将来であり得ないのだろうか。

■プロが唸ったBaNyaKの番組
3日目の30日、48時間の作業が終了し、夕方17時から各チームが自分たちが制作したもののプレゼンテーションが始まり、番組もそのまま中継された。東京では11のゲームが出来上がり、重圧から解放された各チームは、やり終えた開放感で満足をしていた。
あるテレビの番組制作会社の方が会場を訪れていて、その様子を見て驚いていた。これは、「GGJ自体が十分にテレビ番組になるよ」と唸っていた。
また、NHKも、ゲーム関連の特集番組をBSで放送することが計画されており、そのために取材が入っていた。NHKがインタビューして回る様子の一部始終をBaNyaKが放送するという、メディアがメディアを放送するという妙なことも起きていた。NHKの取材クルーの方が、「テレビの未来が今後大きく変わってくるかもしれませんね」とつぶやいていた。
私から見ても、GGJは生中継に向いているドラマの塊のようなものに思えた。全世界に繋がっている広さを持ちながら、48時間後にはゲームを完成させなければならないというクライマックスが確実に来ることが約束されているからだ。

 

 

 

 

GGJが提案している方法論は、日本のゲーム開発に対して何らかの影響をもたらすのも、時間の問題だろう。来年はより多くの参加者が世界中から出るだろう。
一方で、日本のGGJが成功の一因を担ったBaNyaKのUSTREAMの放送番組が、既存のメディアの変化を暗示している。今年のGGJの東京会場は、ゲームと放送を使った表現のあり方に、新しい可能性を切り開いたと言えると思えてならないでいる。


※なお、BaNyaKが、GGJの際に行った放送は、アーカイブ化されており、「過去のライブ」を検索することで、現在でも見ることができる。

BaNyaK公式 GGJ2011 東京会場特設ページ
http://banyak-prj.p1.bindsite.jp/ggj2011/

BaNyaK_ch
http://www.ustream.tv/channel/banyak-ch

BaNyaK×GGJ [番外編]GGJ@パリとの対談
http://www.ustream.tv/recorded/12324784

BaNyaK×GGJ Vol.08ゲーム発表会
http://www.ustream.tv/recorded/12343397

2011年2月28日 15:04