プロを唸らせたゲーム開発の48時間生番組(前編)
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■深夜の国際中継番組を企画した学生達
1月30日になった深夜0時半頃の八王子の東京工科大学。「Global Game Jam(グローバルゲームジャム、GGJ)」の東京会場にて。48時間連続でUSTREAM中継を担当している学生サークルBaNyaK(バニャ)のチームの連中が、私のところにやってきて、国際中継番組を今から始めたいので、手伝ってくれと言いだした。正直、日程的には2日目を終えたところで、体力的に相当、消耗していたし、そのまま、仮眠を取らせてほしいという気持ちが大きかった。
Twitter上では、刻々と各国からつぶやかれる発言が続いている。公式ハッシュタグの「#GGJ11」では英語が中心だが、それ以外の言語も多い。フランス語、スペイン語など各国の言葉が入り交じって飛んでおり、日本語での積極的な発言も行われていた影響で、ものすごいペースで更新が進んでいる。もちろんその全部を読んでいるわけではないが、全世界で、今この瞬間にも、同じテーマで、同じ条件で、画面に向かってゲーム開発をやっている人たちがたくさんいるという息づかいが伝わってくる。
その中には、USTREMの中継をやっているところも少なくなく、公式ページのLiveストリーミングでは、中継が行われている各国の様子を見ることができた。大半は、単に会場の様子が見えるのを固定カメラで垂れ流しをしているだけで、東京会場がやっているような、48時間ぶっ通しで、中継のテレビ番組を放送しているところはない。
なんだか妙なことになってきたなあ、と思いつつ、疲れからイライラとした気分を感じていた。ところが、学生側も協力してくれるまで引かない。彼らの言うには、繋げるところから全部USTEAMで番組として流したいのだそうだ。まるで、何かのコメントを貰えるまでは引きが下がらないマスメディアみたいじゃないかと内心失笑しながらも、ちょっとだけ手伝うことになった。結局は、3時間拘束されてしまい、眠るのは午前4時を過ぎてからになるのだが……。
■1月28日から30日に開催されたGlobal Game Jam
世界が刻々と変化しているという生々しい実感を得られる瞬間に立ち会えるというのは、人生の経験としてラッキーな瞬間である。それに積極的に参加しているというときにはさらにその気持ちは強まる。
1月28日の夕方から30日まで開催された、国際ゲーム開発者協会(IGDA)が主催したGGJは、まさにそういう国際的なイベントだった。48時間で、それぞれの会場で編成された即席チームでゲームを一本作るというこのイベントは、今年で三回目。全世界160カ所、最終的な参加人数は6500人と昨年の2倍以上の参加者による大イベントになった。作られたゲームも、最終的には1500本が公式サイトにアップロードされた。
日本でも、東京会場(東京工科大学)、福岡会場(九州大学)、札幌会場(北海道大学)で開催され、参加者は学生中心ながらも、1〜2割は現役の開発者や教員が参加した。合計で参加人数約170人に及ぶなど、世界の中でも、盛り上がった地域の一つになった。日本ではほとんど知られていなかったこのイベントが、本格的に日本に知られる機会になったのではないだろうか。
率直に言うと、私自身もIGDA主催のイベントとして年々の盛り上がりは知っていたのだが、どんなイベントなのかは、自分自身が参加してみないことにはわからないと思い、チームに属して参加してみることにした。そして、世界が変化するという生々しい感覚を実際に感じることができた。
■いろいろな人を巻き込んでいったBaNyaKの放送
それで、今年の日本での盛り上がりを牽引した役割を担った学生達がいた。
それが、東京工科大学の映像系コンテンツ制作サークルのBaNyaKだった。彼らは昨年から、毎週水曜日の23時から、いかにも学生らしい深夜番組のノリのUSTREAMの番組を放送している。その番組の中で、彼らはGGJについて紹介する番組を、GGJの開始前に3回行った。それによって、英語情報が中心で、公式ページを見ただけではどういうイベントなのか理解が難しかったGGJの情報が多くの人に伝わった。
実際に、札幌会場を立ち上げた北海道大学の学部生の岩本翔さんは、BaNyakの番組を見て、札幌でも立ち上げられるのではないかと、大学に会場交渉を開始した。彼自身が、中心となって、札幌を中心にしたゲーム制作者コミュニティKawazを立ち上げており、準備期間が3週間あまりしかなかったにもかかわらず、札幌会場は27名の参加を集めた。
直前特集では、福岡会場をまとめていた九州大学大学院生の金子晃介さんも含めて、3カ所をSkypeで繋げて対談を行うといった企画までやってのけていた。
また、「ルミネス」などで知られる水口哲也さん(キューエンタテインメント)が、たまたま、そのUSTREAMを見ていて、「いてもたってもいられない気分になった」と言う。そのため、開催中に会場を訪れるという発言を、Twitterで直前に行っていた。
イベント自体が、そもそものイベントだけでなく、TwitterやUSTREAM、Skypeという無料で使えるコミュニケーション手段と組み合わさることで、異常な熱量を生み出していったのだ。GGJの熱を知ってしまったゲーム業界関係者は気にならずにはいられない。しかも、それを引っ張っているのは学生が主導的な役割を担っているという、近年、受動的と言われがちな学生とは違う現象が起きていた。
しかも、BaNyaKの番組にはユニークなところがあった。GGJが始まって、全世界の会場で、48時間連続してテレビ番組のように放送を続けていたところはさすがになかった。どこの会場のUSTREAMも、ただの垂れ流し状態で、音声もない固定カメラが基本だった。そういう意味では、東京会場が行っていた試みは、世界初の試みだった。機材は、大学の物で、カメラ3台を中心にしたものだったが、番組内容は完全にチームの学生達が企画し、運用していた。
29日の深夜には、ゲームアナリストの平林久和さんが、深夜6時間以上のトーク番組を放送して、瞬間的に、世界で放送しているUSTEAMのライブランキングでトップ10位内に食い込むほどの視聴者を集めていた。会場のお祭り感は見ている人には伝わったのではと思う。
何か変なことが起きていたのだ。
■パリ会場から返信が
すでに、USTREAMとSkypeを使って他の会場と繋げるという試みは、世界の他の会場でも行われていることが、Twitterのタイムラインで流れていた。
GGJの基本的なアイデアが出てきたデンマークのコペンハーゲンの会場と、世界のタイムゾーンの中でスタートが最も遅いハワイのホノルルの会場とが、繋げたようだったのだ。
コペンハーゲンは、スカンジナビア半島地域のゲーム産業振興を支えるNordic Gamesという周辺政府合同の政府系の支援団体がある。GGJのひな型となった「Nordic Game Jam」はそこから予算支援を受けて2006年にスタートしている。220人もの参加者がある世界最大の会場だ。
一方の初参加のホノルルは、6名という世界最小の会場でもあった。そのため、世界最大と世界最小の地域がSkypeで対話、ということのようだった。
どうも、BaNyaKのチームもそれに刺激を受けていたようだった。
それで、私はTwitterに積極的に発言していた場所の一つ、GGJパリ会場の公式アカウントに、「東京とチャットができないだろうか?」とTwitterで発言して、問い合わせた。日本と8時間の時差があるパリの現地時間は、29日の17時台で、2日目の深夜に向かって、タイムリミットが24時間を切った頃(GGJの終了は、その地域時間の30日15〜17時ということになっている)で、だんだんと追い込みの雰囲気になってきているに違いないと思っていた。実際、東京会場は2日目の深夜ということもあり、実際、気軽におしゃべりもできないほど雰囲気は殺気立ってた。
待つこと数分。パリ会場から「ハイ、東京! ちょっとまわりに尋ねてみる」という返信があった。わっと、BaNyaKのチームは興奮が入り交じって、あわただしくなり、特別放送番組の体裁が取られて、番組が開始された。
※なお、BaNyaKが、GGJの際に行った放送は、アーカイブ化されており、「過去のライブ」を検索することで、現在でも見ることができる。
(後編に続く)
BaNyaK公式 GGJ2011 東京会場特設ページ
http://banyak-prj.p1.bindsite.jp/ggj2011/
BaNyaK_ch
http://www.ustream.tv/channel/banyak-ch
2011年2月16日 17:15