損失感がソーシャルゲームの継続率に関係する-ゲームと心理学(3)
まず、直感的に考えてほしい。
問題 あなたはコインなげのギャンブルに誘われました。
表が出たら、1万円払います。
裏が出たら、1万5000円もらえます。
このギャンブルは魅力的ですか? あなたはやりますか?
多分、読まれた方の大半は、やらないということを選ぶと思う。だが、実際には、不合理なことである。なぜなら、払う可能性がある金額よりも、もらう可能性のある金額が多いため、このギャンブルに対しての期待値(賭け金によって戻ってくる見込み金額)は明らかにプラスだからだ。にもかかわらず。多くの人がこのギャンブルを嫌うのは、1万円を損する恐怖感は、1万5000円を得る期待感よりも高いからだ。(問題は100ドルとドル換算だが、簡易に理解するために、100ドル=1万円とする)
ノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマンは、こうした様々な心理テストを考案し、その研究を積み上げて行くことで、重要な発見をした。人間は「損失は利得よりも強く感じられる」という発見だ。このギャンブルを行わないような人を「損失回避的」であると定義した。
■私はロワイヤル系が苦手
私は2011年に「怪盗ロワイヤル」(ディー・エヌ・エー)が大きく話題を集め始めていた頃に、1週間ぐらいは一生懸命遊んでみたが、早々に挫折した。他のユーザーとの宝石といった7種類の「お宝」を揃えるためのきわどい争いといったおもしろさは垣間見えるものの、すぐにソーシャルゲームならではの体力を使い切り、回復を待つか課金するかの課金ゲートがやってくる。持っている武器もすぐに壊れてしまうので、それも課金するか、すでにクリアしたミッションを何度もやるかという選択を迫られる。
それで、2時間あまり待てば体力が回復するが、比較的レベルが低い段階だったが、参加ユーザーが多かったためだろう、待っている間に集めた7種類の「お宝」のうちどれかを奪われてしまう。結局なかなか、「お宝」は集まらない。
ため息交じりに、もう一度、お宝を集めるように挑戦するしかない。残り1つのところで、武器と回復アイテムを買って、他のプレイヤーに挑戦して、やっと苦労して手に入れたと思ったら、その対戦している間に、また別のプレイヤーに奪われていた。そのときは相当がっくりした。
そして、また、再び課金するしかないところにぶつかる。それを何度か繰り返すうちに、早々に心が折れてしまった。
「怪盗ロワイヤル」には、ゲーム的な偶然性が少ないと理解している。武器の強さ、自分の強さが、相手よりも強ければ確実に勝つ。お金を掛けてアイテムを装備したりすれば、確実に勝てる。そのため、課金者は全能感を得やすい仕組みになっているのは、今更言うまでもない。
ゲーム内で匿名のフレンドもそれなりにできていたが、それよりも挫折感の方が大きくて、早々に脱落してしまった。「ガンダムロワイヤル」といった、同じロワイヤル系統のゲームもいくつかやったが、「怪盗ロワイヤル」の経験から、同じような体験が来ることがわかっていたので、どのゲームも続かなかった。
今、最初から「怪盗ロワイヤル」を遊んだとすると、現在ではかなり調整が行われていることもあり、ここまで初期に挫折感を経験することはないだろうと思う。また、ガチャも組み入れられたので、偶然性の概念も入ってきている。現在でも、モバゲーのランキングでは10位以内に常連でいるため、楽しいと十分に感じている人がいるのだろう。
■あなたはどれくらい損失回避的であるだろうか?
ただ、今になると、なぜ私自身が、すぐに挫折してしまったのかが説明できる。私は「損失回避的」である傾向が強いためと考えられる。
私は、賭け事の一切をやらない。競馬、パチンコといったものから、宝くじ、果ては、忘年会のビンゴゲームにも参加せず、歳末のスーパーでやっているガラガラもせず、年賀状の当選番号でさえ確認しない。
カーネマンは、自分がどの程度、損失回避的であるのかを知るためには、次のように自問してみるとよいとしている。まず、考えてほしい。
先の問題で、いくらの利益が見込まれるならば、ギャンブルに応じてもよいかだ。
カーネマンの多くの実験結果は、多くの人が200ドル(≒2万円)と答えている。つまり、損失の2倍の利得が見込めないと、ギャンブルには乗らない。カーネマンは、様々な実験の結果、おおむね1.5?2.5倍であることがわかっているとしている。
ただ、平均値なので、もっとリスク回避的な人はたくさんいるという。逆に、金融市場のプロのトレーダーであれば、損失許容度が高いという。「価格変動に対していちいち感情的に反応しないため」とカーネマンは推測している。
私自身は4万円ぐらいなら乗る。そのため、平均よりも損失回避性が高いものと考えられる。
多分、私が「怪盗ロワイヤル」を早々に挫折してしまったのは、たかだか数百円であれ、そのコストを掛けて得た「お宝」を、他人に奪われる損失感の方が、「お宝」を揃えて得られる達成感よりも強いためだろう。
ユーザーにとっておもしろいと感じられるゲームは、個々人の主観によって違うと考えられるが、損失回避倍率が、人間の最大公約数的にうまく設定できたものだろうと考えられる。損失回避的傾向が強い人は、何かの奪い合いをすることが中心になっているゲームでは、早々に脱落してしまうと考えられるからだ。
カーネマンの研究の心理実験では、ギャンブルがよく利用される。仮想実験であれ、お金という具体的な価値を使うことで、研究結果を扱いやすくなるからだ。ソーシャルゲームは純粋なギャンブルではないが、人間の心理的な同じような要素を抱えている一面が、こうした心理テストから垣間見ることができる。
果たして読まれたあなたは、損失回避的だろうか、それを考えた上で、どれくらいソーシャルゲームをおもしろいと感じられているだろうか。
いや、「お宝」を7つ集めて次のステージに進むことができるならば、それぞれのステージでいくらまで払ってもよいと考えているだろうか?
(注記:ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー(下)』(早川書房)
P.78-79にこの問題は詳しく解説されている)
2013年1月8日 12:13