音楽産業から見るソーシャルゲームのユーザーの組み合わせ

 「アイドルマスター シンデレラガールズ(通称モバマス)」の話を続ける。

 

(C)窪岡俊之 (C)NBGI

 

 昨年以前は、ソーシャルゲームを遊んでも、これほど長く遊ぶことはなかった。せいぜい1ヵ月といった程度だった。そのうち、飽きてしまっていた。Facebookで、ジンガの街を育てるゲーム「CityVille」はだいぶ遊んだと思うが、パソコンの前でわざわざ行わなければならない不便さと、あまりに何度も「他のユーザーを誘いますか」と出てくる表示に辟易して、遊ぶことをやめてしまった。

 

 今でも毎日何通も、「CityVille」を長く遊んでいる人から、お誘いメールが来るが、FacebookにGmailのようなスパム削除機能があれば、とっくに設定して排除しているだろう。それぐらい鬱陶しい。

 

■ソーシャルゲームと似ている音楽業界の現状

 

 ただ、私は「モバマス」に月に数百円は、一瞬必要になる回復アイテムを使うために、課金することがあるが、今後も「モバマス」で重課金ユーザーに変わる事はないだろう。一方で、いつまでとはっきりはしていないが、当分の間は、遊び続けるのではないかと思う。


 重課金ユーザーと違い、最初からキャンペーンで行われる有料ガチャを行わなければ絶対に手に入らない「Sレア」アイドルがほしいとも思わないし、そもそも「手に入ると思わない」と「損切り」している。


 とはいえ、それなりにレベルはアップしており、すでに私が対戦しようとした場合に提示されるユーザーは、いかにも課金したレアアイドルを持っている人たちばかりだ。自分よりもレベルが低いからと思って舐めて対戦すると、ひっくり返される強力な能力を持ったアイドルを持っていたりして、必ず負けてしまう。それでも、やりようによっては勝つことができる。逆に、お金を掛けないなりに、その戦略性を楽しんでいる。

 

 自分の遊んでいる様子と比較しながら、ソーシャルゲームのフリーミアムモデルの課金ユーザーについては、もう少し分解して理解する必要があるのではないかと感じる研究を聞く機会があった。


 6月16日に、コンテンツ文化史学会で相模女子大学の樺島栄一郎専任講師が、「コンテンツとライブ」という研究発表を行った。音楽のCD市場がこの10年で半減し、インターネットに音楽がコピーされていくのが当たり前の時代で、どのようにライブが変わってきたのかという研究だ。特にコンサートに着目した研究だったが、そのまま音楽だけでなく、ソーシャルゲームと言ったフリーミアムモデルにも適応できるために興味深く聞いた。

 

 インターネットを通じてコンテンツ産業で起きていることは、どのメディアでも同じ部分がある。パッケージビジネスは、インターネット後崩壊していくのだ。


 音楽産業の場合、インターネット以前のライブは、パッケージを売るためのものだった。樺島氏によると、ライブはファンサービス的な意味合いが強く、ツアーはシングル2枚、アルバム1枚を発売した後に行われた。「ツアー自体は赤字で販促費」として考えられていた。


 ところが、インターネット時代に入るとその関係性が逆転する。著作権制度の実効性が低下して、違法コピーの根絶が難しく、デジタルデータのコピーそのものが不可能になった。逆にインターネットを通じての流通が簡単になってしまったために、レコード会社という音楽販売を独占的に行うことができていた企業の立場の独占性がなくなってしまった。


 そのため、インターネット時代には、「ライブの収益が、パッケージ収益を上回るようになった」(樺島氏)のだ。パッケージはライブを成功させるための存在に変わる。実際2000年に1万3000件であったライブは、2010年には1万8000件にまで増加し、入場者数も、売上もそれに合わせて増加している。


 「ライブは、一期一会の価値の発見・創出の機会」になっていると。これは、ソーシャルゲームの特定期間にしか行われない「イベント」に似ているなあと思った。また、家庭用ゲーム機のパッケージビジネスが崩れていくプロセスにも似ている。

 

■「ファンはお金を支払いたくて仕方ない」

 

 樺島氏はおもしろいことを指摘していた。「ファンはお金を支払いたくて仕方ないんです」と。


 AKB48の総選挙に見られるように、「空間を共有し、参加感覚を持ち、青田買いや『通』の感覚、距離の近さ」といったファンは何かニッチのコミュニティの中で、ステイタスを作りたい。そのために、ファンとしてお金を払いたいのだと。こういう視点には驚かされた。


 よく考えれば、新ハードが出るたびにアップル製品を買っている人が、お金を払う痛みを伴うけど、新しいガジェットが手に入った喜びを得られるのと似た様な物かもしれないと思う。翌年どうせ新型機が出て、損した気分がするのがわかっているのに。

 

 樺島氏の視点で、重要に感じられたのは、「ファンでも、お金を多く払うファンと、大きな額を払わないファンを区分けして戦略を作った方がいい」と話していた点だった。近年、コンサート会場では物販に力が入れられている。その会場でしか買えないものが売られている。「最近はカレーまで売られるようになっている」(樺島氏) それを何のために買うのかというと、「この会場に来ることができなかった友達へのお土産なのだ」という。


 つまり、音楽についても、ファン層は3種類存在すると考えなければならない、ということだ。「無料ユーザー」「低額課金ユーザー」「高額課金ユーザー」の三種類だ。


 単に特定の音楽を聴くだけで満足をするユーザーは、動画サイトなりに違法状態とは言えアップロードしている音楽を聞くだろう。これを音楽会社は、宣伝として割り切るのだ。その上に、CDといったパッケージを買うユーザーがいる。さらにコンサートといった会場にまで出かけ、物販といったものまで買ってくれるユーザーがいる。当然、後者が、収益の中心を生み出していく。コピー聞いているユーザーまで含めて考えると、仕組みとしては典型的なフリーミアムモデルだ。


 言うまでもなく、「AKB」だけでなく、「きゃりーぱみゅぱみゅ」でも、単にCDを売るだけではなく、総合的なデザインパッケージとして売り込んでいる。一番レアなものは、高ければ高いほど、価値が増す。そして、そのために「ファンはお金を支払いたくて仕方ない」。

 

■生活の一部になっていくソーシャルゲーム

 

 もちろん、コンテンツ会社にしてみれば、すべてのユーザーが高額課金を行ってくれる状態が理想的に違いない。しかし、ユーザーの懐には自ずと限界があり、どのサービスにも同じ額を支払ってくれるわけではない。だから、優良ユーザーはそれだけ大切にされるべきだし、そういうことは昔から百貨店などのVIPルームといったサービス業が行ってきたことと本質的には変わらない。サービス産業化するということは、そういうことだ。


 私は「モバマス」の中で、低課金のユーザーであり続けるだろう。音楽で言うなら、たまに出るシングルを買ってみようかというユーザーといったところだ。しかし、重要なのは、それでもそういうユーザーをつなぎ止めておくことは、結局、全体のユーザーを長期間にわたり、裾野を支える存在になる。何万人も抱えていれば小さいながら安定的な収益を形成し、口コミを形成するといった様々な役割を通じて、長期間コンテンツを支える存在の一翼になる。

 

 ユーザーとの長期的な関係を作れるかどうかが、今からのソーシャルゲームの成功の鍵であると感じているが、少なくとも2ヵ月といった長期にわたって同じゲームを遊び続けているのは、かなり久しぶりな気がする。「モバマス」は、すでに私の生活習慣の一部へと変わりつつあり、2〜3時間経過するたびに、ごそごそと、ボタンをクリックしたくなる。


 やはり、これは「モバマス」そのものにゲームとしての魅力があるからだと、説得されざるを得ないと感じている。それが何であるのかは、今はうまく説明できないにせよ。

 

 脱線ついでに「DVDリッピング違法化+私的違法ダウンロード刑罰化法案」がいかにダメな法案であることかを指摘しておきたい。すでに、新しい市場へと適応を始めている人たちが出ているのに、こうした実効性の低い規制はイノベーションの芽を摘む、時代に逆行をしているものだからだ。

 

(C)窪岡俊之 (C)NBGI

2012年6月25日 18:49